21世紀末、最高の文明を誇る世界。 その文明社会の陰の礎となり、人知れず世界の闇に存在する異形、《魔》と呼ばれる存在と戦い続けてきた来た者達がいた。 卓越した戦闘技能を以って《魔》と戦い退ける者、《退魔師》と呼ばれる彼等を纏め上げる一族に生まれ、その長たる総帥となる宿命を背負った少年、華神京也。 しかし、京也は、その宿命に縛られる事を厭い、未だ自らの責務を果す覚悟を持てずにいた。 そんな、京也に対し、彼の武道の師である榊和泉を始めとする一族一党の者達の多くは理解を示し、その支えとなる事を望んでいた。 自らの宿命を受け入れられず、そして、その責務の重さに心惑う京也の心には、嘗て、突然の別離をもって失った存在への愛憎が大きな陰として今も残っていた。 自らの存在に課せられた宿命に惑う京也を嘲笑うが如く、彼の前に一族と因縁の深き宿敵、世界に混乱を齎す存在たる秘密結社の刺客が現れる。 その存在が操る《流血の邪神》の力に苦しむ京也の想いが、永き封印にその身を縛られし特異の存在《戦女神・マナ・フィースマーテ》を解き放つ。 その邂逅こそが、京也と《マナ》の運命の物語の始まりであった。

2008年4月6日日曜日

第十一話・因縁

京也と《マナ》の二人は、重ね合わせた唇が離れ抱き締めた腕を放した後も、互いに寄り添い続けていた。
 そんな穏やかな静寂も、突然現れた闖入者達の存在によって破られる。
「京也、無事か!」
 その闖入者の声に驚いた京也と《マナ》の瞳に、征也とそれに数秒遅れるタイミングで、自分達の居る部屋に入って来る万理亜の姿が映った。
「・・・父さん、それに母さんまで・・・」
 一体何事かと驚きの色を隠せず言葉を洩らす京也。
しかし、それ以上に、征也達の方が何かに驚いていた。
「・・・ふっ、不潔よ。ふしだらよ。京也!」
 顔を真っ赤にしながら突如として叫ぶ母の言葉に、京也は、意味を理解出来ずに唖然とする。
「京也、お前の年頃を思えば、同じ男として多少の理解は出来る。しかし、万理亜のいう通り、他を憚らずにこんな場所でそういう事に及ぶのは、流石に感心できないな」
「???」
 母へと同調して困り顔で諭す父の言葉に、京也の思考は混乱を極めた。
「意味が、分からないのですが・・・」
 困惑の表情を浮かべて、その言わんとする所を尋ねる京也。
 それに対し、征也達は顔を見合わせると、アイコンタクトでどちらが『それ』を説明するのか互いに譲り合う。
 短くも長い遣り取りであるその行為を以ってしても、結論が出ない征也達二人の後ろに更なる闖入者が現れた。
「征也さん、万理亜さん、それに関しては誤解だと私が保証しますよ」
 その闖入者である環は、開口一番、京也に取っては更なる意味不明の言葉となるそれを口にする。
「そうか、変な事を言って悪かったな、京也」
環の言葉に納得し、安堵する征也。
 その隣では同じ様に万理亜が安堵の表情を浮かべていた。
 そんな二人の様子に最早、何を如何尋ねるべきなのかも分からずにいる京也に対し、環が意味深な笑みを浮かべる。
 それに気が付いた京也は、訝るような眼差しを環へと向けて、自分への説明を求める。
「京也、『李下に冠を正さず』だ。今の自分が《マナ》と共に作っている状況を考えてみれば、それが征也さん達に誤解を抱かせた原因だとお前にも分かるだろう。と言っても、本当に誤解か如何かは怪しいけれどな」
 最後に告げたその一言に、快心とも言える意地悪な含みを込めると、環は、愉快そうに笑った。
 環の指摘に、寝台の上で自分と《マナ》が寄り添いながら座っている事を思い出し、京也は、全てを悟る。
「本当の本当に、全くの誤解です!」
 京也は、恥ずかしさと心外の怒りに顔を朱に染めて、きっぱりと言い放った。
「ああ、分かっている。昨日、渡した特効薬には、滋養強壮の効果に加えて、体力回復の為の強力な催眠効果があるからな。飲んだら、朝までグッスリさ」
 その爽やか過ぎる環の笑顔に、京也がどっと疲れを感じる中、《マナ》だけはその場で交わされた遣り取りの意味が分からず唯笑っていた。
「まあ、それはさて置き、京也の生命を救ってくれてありがとう、環」
「《マナ》さんも一生懸命に頑張ってくれたそうで感謝のしようもありません。本当にありがとうございます」
 そう告げて頭を下げる父と母の姿に、京也は、二人が自分の身を心配して駆け付けてくれた事を知る。
「そうか、二人とも俺の事を心配して此処まで・・・。ありがとう」
 京也は、それまでの遣り取りによって胸の内に生じていた感情を一掃して、素直に感謝の言葉を口に出した。
「親が子供の身を案じるのは当たり前の事だ。それより、身体の具合の方は如何なんだ?」
「お陰様で、絶好調とまでは言えないモノのもう平気かな」
 身体の調子を尋ねる征也に、京也は、問題が無い程度に回復している事を応える。
「ええ、生気を取り戻して顔色も良くなっていますし、もう何の問題も無いでしょう」
 更に京也の言葉を聴いた環が、それを保証する言葉を付け加えた。
「ならば良いが、だからと言って余り無理はするな、京也」
 その言葉が、自分に対する純粋な気遣いだと理解して、京也は、黙ってそれに頷く。
「それで一体、何があった?」
 征也は父親としての顔から一族の総帥代行の顔に変わると、京也が瀕死の傷を負うに至った原因について尋ねる。
 それに応えて、京也は、件の研究施設で自分達の前に立ちはだかった香祥敦真という男の存在について語った。
「その剣士は、間違いなく香祥敦真と名乗ったのだな?」
 話を聴いた征也が、何かを思い考える様な表情で口にしたその問い掛けに、京也は無言で頷き肯定する。
「あの男が何者であるか知っているのですか?」
 環は、征也の反応から、彼が何かを知っていると察し、その事を尋ねた。
「ああ、正確に言えば『香祥』の名に思い当たる節がある。だが、それについて語る前に、もう一つだけ聞いておきたい事がある。京也、香祥を名乗ったその剣士、お前からみて強いと感じたか?」
 その存在によって、瀕死の重傷を受けた京也にとってそれは、問われるまでも無い事であったが、それが征也にとって問う意味のある事だと理解し応える。
「はい、畏怖に値する程の強さを感じました」
 京也の言葉には、相手の強さに対する恐れでは無く、それを賞賛する意味での畏れが込められていた。
「そうか、ならば、その剣士が、本物の『香祥』に連なる者である事、そして、自らの意志で〈カイザー〉に従っている事に間違いが無いな・・・。でも、それなら何故・・・?」
 征也は、返ってきた京也の応えに、それまで抱いていたモノとは別の疑問を抱く。
 その答えを求めて考えを巡らせていた征也は、京也達が自分へと向ける視線に気が付くと、『香祥』に関して自らが知る事を語り始めた。
「京也、お前も知っている通り、我々が受け継ぐ《神武流》の技は、その始まりを今よりも五百年近い昔、戦国乱世に持っている。開祖である神武榊が、《神武》の技を極めてより今日に至るまで受け継がれてきた流れは、決して一つではない。私が知る限り、我が《神武流》に存在する流派は全部で五つ。それは、久川和誠によって開眼された、振うその一撃に宿した無限の威力で敵を薙ぎ払う《神武断剣(たつるぎ)流》。御子神明が《神武》の合気柔術を極め編み出した《神武御子神流》。そして、榊司武が極め開眼した《真神武流》と、その《真神武流》の祖伝となる技より新たに生まれた二つの流派、《神武奏楽(かなく)流》と《神武無雅(むが)流》だ」
 征也は、そこまで語ると一旦、言葉を切って短く息を吸い込んだ。
「その五つの流派の内、今の《神武流》に完全な形で在るのは、唯一、本流とも言える《真神武流》のみ。《断剣流》と《御子神流》は、開祖である存在が招いた悲劇により、《神武流》の歴史から削られ、《奏楽流》と《無雅流》は、その皆伝を知る存在が潰えた筈だった」
「・・・『だった』?」
 京也は、語られたその言葉が指し示す意味を確認するように、征也へと尋ね返す。
 それに対し征也は、頷き返すと再び語り始めた。
「ああ、それは今から百年くらい前に起きた《神武流》の総司武継承に端を発した出来事だったらしい。私も伝承の内に知るのみの事であるが、当時の総司武には、三人の直弟子が居り、その三人の中から次の総司武が決まると黙されていた。それが、綾崎貴璃也(きりや)、長鳥剋輝(おさどりかつき)、香祥神明(あきら)の三人だ」
 征也の口から語られた三つの名前を聴き、京也達は、その最後に出た『香祥』の名に反応する。
 それを見て頷き征也は、更に言葉を続けた。
「その三人の誰もが若さに反する技量を誇り、中でも長鳥剋輝と香祥神明の実力は師である総司武を凌ぐ程であったそうだ。そして、その二人に於いては、長鳥剋輝にこそ分があったという。総司武は、その極められた技の美しさから、神に捧げる神楽舞の如きと讃えられる《奏楽流》を長鳥剋輝に、技に対する一切の拘りを捨て去り、剛の意志を以って敵を倒し退ける《無雅流》を香祥神明に伝え、二人はそれを会得する事で免許皆伝の司武として認められた。しかし、二人が免許皆伝の末に司武となった時、次の総司武として定められたのは、未熟の身として皆伝を許されていなかった綾崎貴璃也であった」
 征也は、再び一呼吸を取ると、それまで誰にとも向けていなかった眼差しを京也へと向け、言葉の続きを語り始める。
「綾崎貴璃也、彼は、私や京也の血祖の一人である滝司武の実父であり、彼の神崎政貴、そして、久川和誠と御子神明の師であった。確かに、彼の武人としての力量は、他の二人に及ばなかったのかもしれない。だが、他者を導きその力を引き出す師範としての才は、彼の教えに導かれた弟子達より、その技を受け継いだ我々にとって誉れと呼ぶべきだろう。彼が総司武に選ばれた事は、間違いなく師としての慧眼であった。しかし、その決断を受け入れられない者がいた。それが、長鳥剋輝だ。彼は、義理の父親でもあった師の生命を奪い、その師より《神武流》の最奥義である『真伝』を受け継いでいた綾崎貴璃也に戦いを挑んだ。否、挑もうとした。自らの技を以って《神武》最強の誉れを奪い示そうとした長鳥剋輝の前に立ちはだかったのが、他でもない香祥神明であった。その時、二人の間で何が在ったかは、私も知らない。だが、その時を期に《奏楽》、《無雅》の両者は、我等《真神武》と完全に袂を分かち、《神武流》の歴史から消える事となった。私が知るのは其処までだ」
「つまり、あの香祥敦真という男は、香祥神明という人物の血族であり、彼が会得していた《神武無雅流》の技を継承した存在であるという事ですか」
 話を聞き終えた京也達の中で最初に口を開いたのは、環であった。
「飽くまで推測に過ぎないが、そういう事になるな」
その言葉とは裏腹に、征也の表情には、確信の色が浮かんでいた。
其々が其々に考え込むようにして生まれた沈黙を、怪訝そうな顔をした京也が破る。
「父さんは、先刻、《無雅流》は、《奏楽流》と共に、既に潰えた筈の流派だと言った。でも、香祥敦真は《無雅流》の技を継承していた。それはおかしいじゃ?」
 京也は、征也へと、その話に語られた事実に存在する矛盾をぶつけた。
「ああ、それは私の話に対するお前のちょっとした勘違いだ。《無雅》、そして《奏楽》のどちらも、完全な皆伝が失われている筈というだけで、その全てが失われている訳でないという事だ。まあ、私が確かに知っているのは、《奏楽流》を伝承している存在の方だけだったが、これで《無雅流》も失われてはいない事が明らかになった訳だ」
「どちらも不完全な形でなら存在している。そういう事ですか?」
 言い換えられたその環の言葉に、征也は頷いて肯定する。
「ああ、そうだ。しかし、正確な事を言うならば、それは私がそう思っていただけで、完全な、否、それ以上の形で受け継がれている可能性すら存在している。特に《無雅》に関しては、その可能性が大きいと言えるな」
 征也は、曖昧とも遠まわしとも言える答えを返し、そのまま考え込む様に黙ってしまった。
 それによって、再び生まれた沈黙。
 その中に在って独りマイペースを保つ存在が口を開く。
「皆、唯考えていても仕方が無いし、それにお腹が空いているから、調子が出ないんじゃないのかしら。だから何か食べましょうよ」
 確かに正論、しかし、その場にそぐわない万理亜の能天気な発言に、京也は勿論、他の人間も少し呆けた苦笑を浮かべる。
 一人の例外を除いて。
「ああ、確かに、万理亜の言う通りだ。人間、脳も十分に働かないモノだしな。食事をとって、それから改めて答えを考えるとしよう」
 征也の同調によって、深刻に振舞う空気が薄れたと諦め、京也達もそれを受け入れる事にする。
「では、私自ら腕を振わせて貰うとしよう。という訳で環、少し調理場を借りるぞ」
 それに反対する必要もないと、環は快く了承の意味で頷き返した。
「征也さん、私もお手伝いしちゃうわよ」
 部屋から出て行く征也を追って、嬉しそうに走り出す万理亜の背中を見詰め、京也達は再び苦笑を浮かべた。

 食卓を囲んで暫しの団欒の時を過ごした後、征也は、其処に在った穏やかな雰囲気を変える真剣な表情で話を切り出した。
「京也、これ以上考えていても時間の無駄だと思う。それに今の我々にとって、重要な事は、香祥敦真という存在の正体ではなく、一刻も早く彼を倒し、〈カイザー〉の野望を打ち砕く事だ。その為には、味方の被害を恐れる訳にはいかない」
「それは俺にも分かっています。しかし、闇雲に戦いを仕掛けても、唯返り討ちにされるだけです。相手が危険な存在である事を知りながら、無謀無策に攻めるのは愚行としか呼べない。だからこそ、俺は、味方に被害を出さない為に、この手で彼を打ち破る術を見つけたいのです」
 互いに意見をぶつける京也達を見詰め、環は、重いものを吐き出すように口を開いた。
「京也、お前の気持ちは分かる。しかし、征也さんが考えている通り、時が経てば経つ程に、相手にとって状況が有利となるのは事実だろう。だから、間に合わなくなる前に、手を打つ必要がある。その覚悟だけは忘れるな」
 環の言葉には、十分すぎるくらいの重みが在り、そしてそれは、京也にとっても良く分かっている事であった。
 しかし、それでも容易に割り切れない想いが、京也の心の内には存在していた。
「確かに、父さんや環の言う通りかも知れない。それを甘い理想だと笑ってくれても構わない。それでも俺は、簡単に誰かの生命を切り捨てる決断だけはしたくないんだ」
「それは甘い考えだな、京也。だが、それでこそ、あの和維さんの後継者として選ばれた人間だ」
 突然、背後から掛けられた言葉に驚き振り返る京也の眼差しに、師である榊和泉の姿が映る。
「焔司武!」
「榊!」
 京也と征也、二人の口から驚きの声が重なり合う様にして洩れ出た。
「お久しぶりです、総司武。それに、京也」
 簡単な挨拶を返して、榊は、空いている適当な椅子に腰を下ろした。
「万理亜さんもお変わり無く、お元気そうで何よりです」
 更に征也の隣りに座っている万理亜へと親しみの籠もった挨拶をした榊は、残る環と《サラ》へと言葉を掛けようとして沈黙する。
「若しかして、あの蒼麻環なのか?」
「若しかしなくても、その蒼麻環です」
 驚いてあんぐりとしている榊に対し、環は、何時もの調子でそうだと答えた。
「そうか、本当に久しぶりだ。二十年ぶりというのは大袈裟かも知れないが、全然変わっていないな」
 環の年齢を考えれば、それは少し大袈裟過ぎると苦笑する京也の隣りで、当人である環も又、苦笑交じりで懐かしそうに笑う。
「それで、そちらの女性はどなたで?」
 気を取り直した様に視線を《マナ》へと移し、榊は、尋ねた。
『始めまして、私は、《マナ・フィースマーテ》です』
「彼女は、京也を護る女神です」
 榊へと名乗る《マナ》の言葉に付け加えて、環が一言で全てを説明する。
「こちらこそ、始めまして。私は、榊和泉、京也の武芸の師です」
 環が口にした《マナ》の正体を軽く受け流して、榊は、自らも名乗った。
 その榊の反応に、京也の方が逆に驚かされる。
「師匠、それに父さんも母さんも驚かないの・・・?」
 京也が口にしたその疑問を受けて、三人はそれぞれ応える。
「ああ、別に。今更、それ位では驚きはしないな」
「まあ、伊達に《鬼斬りの刃》などと呼ばれてはいないさ」
「ええ、もっと驚くモノも見た事あるから」
 三者三様ながら、三人は、正に平然とした口調でそう口にした。
「京也、そう驚くな。前にも言ったが、俺は勿論、征也さん達も又、《魔》という存在に深く関わってきたという事だ」
 環が語る言葉には、不思議なまでの説得力が存在していた。
 京也は、自らの一族が宿業として背負ってきた異形と呼ばれる存在達との因縁で全てを納得する。
「師匠、如何して此処に?」
「それなら、私が連絡したからだ」
 京也が抱いた疑問に、榊に代わって征也が応えた。
「だが、唯、京也の事を心配して、という訳でもないのだろう?」
 長い付き合いでその気心を良く知っている征也は、榊が自分達の前に現れた事に別の理由が在ると見抜いていた。
「はい、京也が大変な怪我を負ったと聞いて、心配はしていました。しかし、私が此処にこうして駆け付けたのは、その怪我を負わせた相手が、『香祥』の名と《無雅流》の技を受け継ぐ存在だと聞き及んだからです」
 何時も以上に真剣な面持ちでそう応える榊の態度と、何よりも語られた言葉に、京也は、重い意味を感じ取る。
 そして、それが勘違いで無い事は、唯一、彼が言わんとする真意を理解できる征也の表情が物語っていた。
「そうか、そうだったな。《無雅》の事を知るのに、お前以上の存在は・・・」
 榊と《無雅流》との関わりを思い出した征也は、呟くようにして洩らしたその言葉を濁らせ、代わりに視線で何かを問う。
「構いません。それは、私にとって切り捨てる事の許されない事実ですから」
 征也が視線で語る事の意味を察した榊は、それに落ち着いた笑みを浮かべて応えた。
「分かった。だが、それはやはりお前の口から語ってくれ」
 征也は、促すのではなく、そうするのが相応しい事だと考え、榊へと語り役を譲る。
 それに頷き応えて、榊は、自分と《無雅流》との因縁について語り始めた。
「先ず、余計な事を端折って話すならば、私は、嘗て《奏楽流》の長鳥剋輝の許で、彼よりその技を継承した者の一人である。彼は、野望とも言える執念を抱き、《真神武》を打ち倒すべく、私ともう一人の継承者を鍛え上げようとした。しかし、彼の心には、その執念以上に強い別の想いが存在していた。それは、嘗て自分と《真神武》の戦いの前に立ちはだかった《無雅》の剣士、香祥神明への復讐だ。彼は、その復讐を果たす為に、香祥神明の孫であり《無雅》の技を継承する者、香祥神威(かむい)へと戦いを挑んだ。その結果は、一度の勝利、そして、一度の完全なる敗北であった。彼は、自らが編み出し絶対と誇った《奏楽》の秘奥義を以ってしても、《無雅》への復讐を果たせず、その無念の末に戻らぬ身となった。傲慢なまでに孤高の生き方を求めた長鳥剋輝という剣士は、自らの最後を他者の前に晒す事を許さず、誰にも知られぬままにこの世から消え去った。そして、残されたのは、彼の野望と執念の想いに囚われた哀れな存在たるこの身だけだ」
 最後に紡がれたその言葉には、自嘲と共に何かを懐かしむ想いが込められていた。
 榊は、その胸中にあるそれを浮かべた苦笑で振り払い、さらに言葉を続ける。
「だが、魂の抜け殻となり果てたこの身にもまだ救いは存在した。それが、久川和維、彼との出会いだ。私は、彼の強さに惹かれ、失った筈の魂を取り戻し、生まれ変わった。否、あの時が私にとっての誕生の時だったのかもしれないな」
 そう語る榊の瞳には、激しいほどに輝く意志の光が宿っていた。
「長鳥剋輝を知り、久川和維と出逢い、そして、京也、お前の師となった私が、こうして《無雅》と関わる事となったのは、正に宿命なのかも知れないな」
 榊が口にした『宿命』という言葉に、京也は、奇縁というモノの存在を感じる。
「師匠、貴方は、俺が《無雅》の香祥敦真に敵うと思いますか?」
 その問いは、京也が師である榊に向けた深い信頼の証であった。
「正直、それは分からない。だが、嘗て和維さんは、自身に倍する岩をも打ち砕くと言われる《無雅》の剛剣を見て、『最も研鑽された美しき技』と読んだ。そして、《奏楽》と《無雅》の秘奥義である二つの秘剣を合わせて、『その性の如く、敵の生命の炎を消し去っても、剛雷の勢いに敵わず』と語り、総司武が誇る瀑布の如き流剣ならば、双流と並ぶだろうと評した。和維さんが《無雅》の本質を見抜き、その秘奥義を語った言葉を信じるならば、《無雅》を極めた存在に敵う者は、京也、お前以外にはいないだろう」
 そう語った榊は、不敵に笑んだ眼差しを京也へと返し、再び言葉を紡いだ。
「京也、お前は先刻、簡単に誰かの生命を切り捨てる決断だけはしたくないと言ったな。師として、その想いが本気である事を信じて良いか?」
 京也は、真剣にして威厳に満ちた榊の問い掛けを、強い覚悟の想いを込めた眼差しで受け止め頷く。
 示されたその意志に満足げに頷き返した榊の表情は、武の信奉者たる者の顔つきとなっていった。
「では、京也。これから私の道場に行き、お前との最後の修練を果たすとしよう。そして、そこでお前のその想いを以って、《奏楽流》の秘奥義、秘剣《水月》を打ち破ってみせろ」
 告げる榊の眼差しには、師が弟子へと向けるそれではなく、剣士が好敵手と認めた剣士へと向ける信頼にも似た熱い想いが存在していた。


 射し込む日差しの強さに気だるさすら覚える昼下がりの道場で、京也と榊は、互いの得物を手に対峙していた。
 既に《ラルグシア》の鞘を払い抜いている京也に対し、榊は、未だ得物である直刃刀を鞘に収めたままであった。
 常と違う榊の構えに京也は、それが《奏楽流》のモノである事を理解する。
「京也、言うまでも無いが焔は本気でやる気だ。だから、お前も本気で行け。真剣勝負で気を抜けば、大怪我だけでは済まないからな、それだけの覚悟をしてやれ」
 《マナ》達と共に見守る立場に身を置く征也は、息子へと気合いを入るべく忠告の言葉を投げ掛けた。
 それに無言で頷いた京也は、目の前に立つ榊から殺気に近い闘志を感じ取っていた。
「準備は良いな、京也」
「はい、何時でも」
 穏やかな口調で確認する榊。
 それに京也は、確かな態度で応える。
 互いに睨み合う両者の瞳には、戦いの炎が烈しい熱となって宿っていた。
 鞘入りの太刀を左肩に乗せる構えを取る榊。
 それに対し、京也は、両手に握った正眼の構えを取った。
「行くぞ!」
 榊は、その一声を気合いに代えると、俊敏な足裁きで一瞬にして間合いを詰める。
 そして、突進の勢いのままに鞘走る太刀を以って、上段斬りを繰り出した。
「ッ!」
 榊が放つ居合いの一撃を目の当たりにした京也の身体は、それを防ぐべく本能的に動いていた。
 自らの頭上に迫り来る刃を受け止めようと、神剣の刃を水平に構える京也。
 しかし、構えた刃に受ける筈の衝撃は、彼の脇腹へと叩き込まれた。
「っ!?」
 京也は、何が起きたのか理解出来ず、唯、苦痛に歪む驚きの表情を浮かべた。
「水面に映る月すら斬る冴えの剣、《水月》。だが、その本質は、寧ろ、掴む事の適わぬ水面の月の姿。幻に惑わされている限り、決して破る事は出来ない」
 自らが放った技の形を語る榊の瞳に、痛みに崩れる身体を神剣で支える京也の姿が映る。
「如何した、京也。お前の本気とは、その程度のモノなのか?」
 膝を付き痛みに耐える京也へと問う榊の眼差しは、非情とも言える冷たい色を宿していた。
「まだ、終わりじゃない!」
 言い放ち立ち上がる京也。
しかし、その身に受けた痛みが未だ消えていない事は、誰の目にも明らかであった。
「そうでなくては困る。私の不完全な技すら破れない様では、《無雅》の剣士の前に、再び敗北を喫するだけだからな」
「不完全・・・?」
 京也は、榊の口から語られたその言葉の意味を噛み締める様に、呟き洩らした。
「ああ、そうだ。私の《水月》が完全な技の冴えを持っていたならば、それを受けたお前の身は無事でなかっただろう」
 自身が受けた技が完全なモノで無いという事実に驚きを隠せない京也に対し、榊は、僅かな感情を持った口調でその言葉の続きを語り始める。
「私は、長鳥剋輝より《奏楽流》の技の全てを伝えられた身ではない。彼の技の全てを知る皆伝者は、私の兄である存在だが、彼は今や行方の知れぬ身だ。その彼が極めた《水月》の技の冴えに比べれば、私の《水月》など、児戯にも劣るモノ。その技を前にして生命を保つ者が存在しえないからこそ、知られる事の無い秘剣と呼べるのだ」
 榊の語るその言葉を真剣な面持ちで聴いていた京也は、そこに抱いた一つの疑問を口にした。
「その知る者の無い秘剣を、何故、久川和維という人間は、知り得たのでしょうか?」
「私も、和維さんと《奏楽》、《無雅》の間にどんな関わりが存在したのか詳しくは知らない。しかし、彼は、確かに二つの流派と対峙し、その技を見知っていた。そして、予見した。何時か《真神武》の流れを受ける者によって、《奏楽》と《無雅》の因縁が断ち切られると。それは恐らく、京也、お前の事なのだろう」
 応える榊の言葉に、京也は、榊が自分に対し抱いた想いの深さを知る。
「俺が、和維さんから託されたのは、背負うのに重いだけの宿命ではなく、それ以上に意味のあるモノだった。そういう事なのですね」
 京也は、呟いたその言葉の中で、もう二度と会う事の叶わない存在より、自分が託されたモノが何であるのかを、少しだけ理解していた。
「京也、和維さんが、お前に何を見て、自分の全てを委ねたのかまでは分からない。しかし、彼がお前という存在を信頼していた事だけは間違いがない。それがお前にとっての宿命だというのならば、お前はそれを受け入れなくてはならない。
宿命とは、そういうモノだ」
 何時に無く真剣過ぎる口調で語る環の言葉に、京也は、彼の久川和維という存在に対する想いの丈を知る。
 そして、それは、環だけに限らず、征也や榊の心にも同じ様に存在している想いであった。
「(俺は、和維さんが託した信頼の想いに報いる為にも、強くならなくてはならないんだ)」
「師匠、否、焔司武。もう一度、手合わせを!」
 京也は、抱いたその想いを胸に自らを奮い立たせる。
 その身体からは、先刻に受けた傷の痛みは既に消えていた。
 京也の示した意思を前に、再び得物を構えた榊は、対峙するその存在に違和を覚える。
「如何したんだ、京也? 手が震えているぞ」
「え・・・っ?」
 訝る様に問う榊の言葉を受け、京也は、自分で気がついていなかったその変調に戸惑っていた。
 誰の目にも異変と映る程に、神剣を握り構える京也の腕は、大きく震えていた。
 それが武者震いと異なる事を、京也が見せる困惑の表情が物語っていた。
「(この震えは、何だ・・・?)」
京也が抱く困惑が焦燥へと変わる中、征也と榊の表情は、それに対する一つの答えによって曇っていた。
 一瞬の躊躇いを示した後、征也は、覚悟を決めてそれを口にする。
「・・・京也、お前が香祥敦真から受けた傷は、私達が考えていた以上に大きかったようだ。そう、致命的な程にな」
「致命的・・・?」
 京也は、征也が言う言葉の意味が分からず、尋ねる視線を返した。
「ああ、今のお前の心には、戦いに対する無意識の懼れが生まれてしまっているんだ。それも剣士として致命的なまでに深い懼れがな」
 苦しそうに吐き出されたその言葉に、京也は、それが深刻な事であると理解させられる。
「それは仕方の無い事なのかも知れませんね」
 そう口にして榊は、京也へと憐憫の眼差しを向けた。
「京也、〈カイザー〉との決着は、私と《Lord‐Knights》で着ける。だから、お前はしっかりと心を休めるんだ」
「何を・・・、俺は戦えます!」
 京也は、食い下がる様に言い放ち、《ラルグシア》を構え直した。
 その姿を見た榊は、無言のままに手にした太刀を一閃する。
 絞られ眼前で寸止めされた横薙ぎの刃に目を見張る京也の手から、神剣が足元の床へと転がり落ちた。
「っ!?」
「そういう事だ。無理をするな、京也」
 驚き呆然とする京也に、榊は、殺気を解いた穏やかな視線を投げ掛けてそう告げた。
『待ってください。京也なら、どんな懼れも必ず克服出来ます。だから・・・っ!』
 京也を想い、見ていられずに詰め寄ろうとする《マナ》を、万理亜が無言で制止する。
「その事は、ここにいる誰もが分かっています。しかし、我々には、それを許す時間が無いんです」
 その征也の考えを肯定する様に、榊達は沈黙を守っていた。
「京也、辛いと思うが今は受け入れてくれ」
 告げられたその言葉に京也は黙って頷くと、俯いたまま足元に転がる神剣を拾い上げる。
 そして、その場から去る為に歩き出した。
『待って、京也!』
 京也は、呼び止める《マナ》の声に一瞬、その足を止めて僅かに身を震わせると、振り返る事無く再び歩き出した。
『京也・・・』
 《マナ》は震える様な声で呟くと、背を向けて出て行く京也を追い掛ける。
「器である肉体へと受けた死に至る傷が、その魂に刻み込まれた冷たい死の記憶を甦らせたか・・・。死に凍える魂を癒せる存在が在るとすれば、それは、同じ痛みを知る者のみ。これが彼の運命が望む導きなのか・・・」
 環の口から紡ぎ出されたその言葉を聞く者は無く、そして、それを聞いてそこに在る意味を理解する者も又、世界に存在してはいなかった。

第十話・宿業

 守りたいと望んだ大切な存在がいた

 何よりも信じた大切な仲間達がいた

 掛け替えのない大切な場所があった

 その全てが『仲間』であった筈の存在に奪われた

 裏切り者であるその存在は、盟友を殺し、愛する者を傷つけ、仲間達を楽園から追放した

 ワタシは、盟友の死を痛み、愛する者の苦しみに憤り、仲間達の無念を晴らす為に、その裏切り者に戦いを挑んだ

 ワタシは、己を己たらしめる誇りに縛られ、その裏切り者に敗れ去った

 その『死』は、重く冷たくワタシの魂に刻み込まれた

 己の器が朽ち、そこに宿る魂が滅び逝く中、ワタシの心に在ったのは、自らの無力さに対する嘆きのみであった

 ワタシは、何一つとして大切なモノを護れなかった

 ワタシは、自らの愚かなる誇りに絶望し、終焉の時を迎えた


『  』

 誰かの呼ぶ声がする

「    」・・・?

 それは誰の事だ

 ワタシの名は、***

 信じた者の裏切りに絶望し、自らの弱さに絶望した存在

 天高き楽園の守護者でありながら、その護るべき世界を失いし者

 我が魂に刻まれし、罪の名は『無力』

 その罪により、堕ちた存在である

『  、お願い・・・。目を覚まして・・・』

 再び、誰かの呼ぶ声がした

 とても哀しい声だ

 だが、何よりも懐かしい、そんな響きを持つ声であった

 ワタシではない、ワタシの名を呼ぶ者は誰だ?

 その声が余りにも切ない想いに満ちているから、ワタシは、その存在が何者であるのかを知るべく目覚めようとしていた

『  ・・・』
 その存在は、もう一度、ワタシの名を呼んだ

 そして、ワタシは、目覚める


 意識を取り戻した京也の瞳が、涙に濡れた女神の笑顔を映す。 
 息が掛かる程の間近に在る《マナ》の泣き顔。
 京也は、その気恥ずかしさに頬が熱を帯びるのを感じた。
 しかし、直ぐに自分の頬に在る熱の正体が、それだけで無い事に気が付く。
 それが《マナ》の瞳から零れ落ちた涙が伝える熱である事に。
『本当に、良かった・・・』
 安堵の言葉と共に《マナ》の瞳に浮かんだ笑みに、京也は、自分の頬を濡らす雫が、自分の覚醒に対する嬉し涙である事を知る。
「そうか、俺は、あの剣士に敗れて・・・」
 京也は、鈍い痛みに靄のかかる頭で、何とか自分の身に起きた事を思い出す。
 それは、香祥敦真との戦いに於いて、完全なる敗北を帰したという苦い記憶であった。
 その記憶を取り戻した京也の脳裏に、大きな疑問が浮かび上る。
「何故、俺は生きている?」
 あの時、自分の死すら覚悟した京也にとって、今、自分が生きている事は驚きであった。
『それは、環が助けてくれたからです』
 そう応えて、《マナ》は、背後にいた京也の生命の恩人へと視線を移す。
 京也は、《マナ》の言葉とその視線で、初めてそこに自分達以外の存在が在る事に気が付いた。
「良かった、何とか事無きを得たみたいだな」
 その安堵の笑みの中には、少なからぬ疲労の色が存在していた。
「ここは?」
 京也は、自分が寝かされている場所に全く見覚えが無い事もあり、環の疲労の理由も気にはなったが、まず先にその事を訪ねる。
「ああ。ここは、《Lord‐Knights》が管理する研究施設の一つ、正確に言えば、俺が借り受けている久川和維の遺産である場所だ」
『環は、瀕死の貴方をここに連れて来て、必死に治療してくれたのです』
「そうか・・・、ありがとう、環」
 京也は、《マナ》に補われる形で環の疲労の理由を知り、仲間である青年に、助けて貰った事への感謝を告げた。
「礼ならば、俺より、お前の守護女神に言うべきだな。彼女が何度も気絶を繰り返し、それでも尚、回復の魔法を使い続けて、お前が負った傷を塞いでくれたからこそ、俺の治療も功を奏したというモノだ」
 環が語るその口調から、京也は、自分の生命を救う為、《マナ》がそれこそ自身の身を削って尽くしてくれた事を知る。
「《マナ》、俺の為に無理をさせて済まなかった。ありがとう、本当に感謝しているよ」
『良いのです。持てる力の全てを尽くして貴方を護る事、それが、京也、貴方の守護闘神である私の使命なのですから』
 その言葉の奥には、京也の生命を助ける役に立った事、それだけで十分の喜びだという想いが込められていた。
 そんな風に自分の事を思ってくれる《マナ》の存在を愛おしく感じ、京也は、彼女の頬を濡らす涙を拭おうと手を伸ばす。
 《マナ》の頬に触れる為、起き上がろうとする京也を、環が慌てて止める。
「京也、お前はまだ動ける状態じゃないんだ、余り無理をするな」
 その制止の言葉に従うまでも無く、京也の身体には、まだ起き上がれるだけの力が戻っていなかった。
「・・・情けないな、全く」
 京也は、その状況に自分の不甲斐無さを感じて、自嘲気味に呟く。
「そう言うな、京也。こう言うのも変だが、あの状態からお前の生命が助かったのは、正に奇跡。正直言って、助けた俺も驚いているくらいだ。それを思えば、寧ろその生命力を誇るべきだな」
 何時もの口調で語る環。
  しかし、その言葉には、決して冗談として笑えないモノが込められていた。
「『奇跡』、か・・・。確かにあれだけの攻撃を受けて生命が助かったのだから、運が良かったと言うしかないな」
 そう独り言の様に呟いた京也の瞳に、悲愴の色が滲み出ていた。
 その京也の姿を黙って見詰めていた《マナ》は、小さな深呼吸をすると穏やかに微笑む。
『京也、知っていますか?奇跡とは、起こりうる可能性があるからこそ奇跡と言えるのです。若しも、それが起こりうる可能性が無いモノであったならば、そこに在るのは奇跡ではなく、必然です。貴方が今ここに在るのは、無限に存在する可能性の中から、その奇跡を掴み取ったのか、或いは、唯、それが貴方にとっての必然であったのかの違いだけです』
 《マナ》が語った言葉の意味を量れず困惑する京也。
それに対し、環は、何かを必死に堪えて苦笑を浮かべていた。
そんな環の態度に、京也は、更に怪訝の表情を浮かべるしかなかった。
「京也、彼女は、『運も実力の内』、否、違うな。そう全てはお前の実力が導いた必然の結果だと言って励ましてくれているんだよ。本当に愛されているな、お前は」
『か、からかわないで下さい、環!私は、唯、本当の事を言っているだけです』
 《マナ》は、環のからかい混じりの言葉に過剰とも言える半王を示し、その凛とした表情を崩して朱に染める。
 そんな環と《マナ》のやり取りが可笑しくて、京也は、自分もからかわれている事を忘れて笑みを浮かべていた。
「《マナ》、君は本当に可愛いね。これはどうやら、君という《戦女神》に対する俺の認識を改め直さないといけないみたいだ」
 環は、《マナ》が示した反応を面白がる様に笑って、更なるからかいの言葉を口にする。
『環、余り調子に乗り過ぎると、その身を以って私という存在に対する認識を改め直す事になりますよ』
 その言葉に違わず、《マナ》の表情に浮かんだ朱が恥じらいから怒りを示すモノに変わっていた。
「いや、済まない。少し悪ふざけが過ぎたみたいだ。しかし、京也が君という存在に惹かれる理由が良く分かったよ。だから、君には、《戦女神》として《魂の契約》とかそういう理由に縛られるのではなく、唯、今の《マナ・フィースマーテ》として京也の傍らに居続けてやって欲しい」
 真剣な表情で真摯な想いを込めた言葉を語る環。
それを向けられた《マナ》と、そして京也も又、それまでとは違うその態度に驚いていた。
 環が、京也の為に《マナ》へと願った想い。
 その言葉には、何故か、環が自分自身に対しても言い聞かせているような響きが存在していた。
『分かりました、環。京也の事を大切に思っている貴方が、私にそう望んでくれた事をとても嬉しく思います。だから、その貴方の想いに報いる為にも、これから先、再び、京也を今回のような窮地に陥らせる事をしないと約束します』
 《マナ》は、環の示す真摯な想いに応えて、真摯な想いの誓いを立てる。
「ありがとう、《マナ》。しかし、京也を護るのは俺の役目でもある。それを君独りに任せる積もりはないよ。それに、今回の事は、俺にも責任が在る事だ。京也を護り助けるなんて大言を吐いておきながら、この様だ。それは俺の驕りであり、油断が招いた結果である。今度こそ、絶対に護ってみせるよ。どんな手段を用いてもね」
 そう語る環の表情には、不敵ともいえる自信の色が在り、そして、それは何よりも頼もしさに満ちていた。
「二人共、ありがとう。でも、俺は、その優しさに甘える訳にはいかない」
 京也は、《マナ》と環の想いに感謝の気持ちを抱き、それと同時に、仲間である二人に負い目を感じさせている自分に憤慨していた。
「あの敗北は、全て俺自身の未熟さと弱さでしかない。だから、そんな風に自分を責めないでくれ」
 口にしたその言葉と共に、京也の心には、己の非力さに対する憾みが沸き起こる。
「《マナ》も環も、自分の身が危険に晒されるのも厭わずに俺を助け、その上、死の危険にあった俺の生命を救う為に、その身を尽くしてくれた。それだけで十分だ。本当に感謝している」
 それは京也にとって、偽らざる想いであった。
「しかし、二人共、良くあの男の許から、瀕死の俺を連れたままで逃れる事が出来たと思うよ」
香祥敦真という男の油断無さを思えば、それこそ奇跡の様なモノであった。
『私は、環が彼を足止めしている間に、京也を連れてその場から退いただけです』
「そうか・・・、なら環に一番、危険な役目を負わせてしまったんだな。済まない、環」
 《マナ》の言葉を受けて、京也は、正直、無謀にも近い選択を選んだ環の決断に驚かされる。
「否、それはあの場での状況を考えて、最良の方策を選んだだけの事。《マナ》は、お前の事を案じて本来の力を発揮できそうになかったし、俺には、《獣神》がいる。それにいざという時の為に、奥の手の一本や二本は隠し持っているからな」
 環の性格を理解している京也は、それが決して強がりでは無い事を分かっていた。
「それに、あの剣士からは、本来在るべき筈の殺気が感じられなかった。恐らくは、見逃された、そういう事だろう」
 苦笑ともいえる複雑な笑みを浮かべて、環は、そう結論付ける。
「・・・何時でも倒せる相手と侮られたか」
「流石にそこまでは、対峙した俺にも分からない。しかし、そうだとしたら、悔しいか、京也?」
 環が口にした問い掛けに対し、京也は、黙って頷く。
「そうか・・・。ならばお前を侮り、見逃した事を後悔させてやるんだな。『剣で失ったモノは、剣で取り戻す』、それがお前達剣士の遣り方なんだろう?」
 まるで挑む様な眼差しと共に京也へと向けられた環の言葉には、威厳にも似た響きが宿っていた。
「ああ、勿論だ。相手が手強い敵である事は分かっている。でも、必ずあの男を倒し、奪われた剣士としての誇りを取り戻して見せる」
 京也が示した意志に、環は、特別な言葉を返す事無く、唯、黙って満足そうに頷いた。
「(否、剣士としての誇りだけの問題じゃない。俺にとっての宿命に決着を着ける為にも、あの男を倒さなくてはならないんだ)」
 京也は、自らに課せられた宿命の鎖を断ち切る為に、避けては通れぬその戦いを覚悟する。
「京也、その為にも先ずは、疲れた身体を癒す事だ。今のお前の弱っている身体には、これが効くだろう。飲んでおけ」
 環は、告げて、懐から取り出した小瓶を京也に投げ渡す。
「・・・?」
「苦心に継ぐ苦心の末に作り出した俺特製の体力増強の特効薬だ。無論、危険な副作用の一切は無いから安心しろ」
 ラベルの貼ってないその小瓶の中身を探るようにしている京也に、環は、自信満々の顔で説明した。
「ありがとう」
 京也は、環の心遣いに感謝の言葉を告げて、薬の入った小瓶の蓋を開ける。
「じゃ、俺は、腹ごしらえに行って来るけど、《マナ》、君は如何する?」
『私は、もう少し京也の側に居ます』
 《マナ》の返事に、手を上げて了解と応えた環は、宣言通り食事を摂る為に部屋から出て行こうとする。
 そして、何かを思い出した表情を浮かべて立ち止まり、京也の方へと振り返った。
「そうそう、京也。その特効薬は、正に『良薬は口に苦し』ってヤツで味までは保証できない。凄く苦いから覚悟してから飲んでくれ」
 思い出したその事実を口にする環の瞳に、恨みがましい眼差しで『そういう大切な事は、もっと早く言ってくれ』と訴える京也の姿が在った。
「悪かった。そうだ、京也、忘れていた事がもう一つ在った。これは返しておくぞ!」
 環は、余り悪びれた様子も無く謝ると、まるで序でだと言わんばかりの軽い調子で、仕事机の陰に置いてあった《ラルグシア》を京也へと投げる。
「っ!」
 大切なそれを受け止めようと慌てて腕を伸ばす京也。
 しかし、目測を誤ったのか、伸ばした手は、触れたその感触を逃して空を切った。
「傷を塞ぎ流れ出た血を補っても、失われた体力までは癒しきれないか・・・。やはり、もう少し休息が必要なようだな。お前が美しき戦女神と語らうのを態々邪魔するのも無粋だし、俺は食べ終わったらそのまま寝るから、お前もしっかりと身体を休めておくんだぞ」
 心配する気持ちを隠した環の意地悪な言葉に、京也は、面目も無い想いで黙って頷くと、寝台の下に転がった神剣を拾おうと手を伸ばす。
『まだ動いては駄目です、京也』
 京也の身体を気遣った《マナ》が、京也を止める言葉と共に《ラルグシア》を拾い上げ、京也へと手渡した。
『それと環、この剣は紛う事無き《神》の力を宿すモノ。ですから、余り乱暴に扱わないで下さい』
 京也と環、窘められる理由は大きく違うが、どちらも《マナ》の言葉に神妙な顔で応える。
 そんな遣り取りが在ったが故に、《マナ》と環は勿論、京也自身ですら、《ラルグシア》を握るその手が微かに震えている事実に気が付かなかった。
「済まなかった。という事で、直ぐに反省する為にも、この場からさっさと退散しよう。では、さらば!」
 本気で反省する積りが在るのか疑わしい言葉を残し、環は、部屋から出て行く。
 そんな環の背中を見詰めていた京也は、強い眠気を覚える。
「済まない、《マナ》、眠くなってきたから、もう休むよ。君も疲れている筈だから、無理せず休んでくれ」
 京也は、そう告げると持っていた神剣をサイドテーブルの上に置いて、身体を寝台の奥へと潜り込ませた。
『分かりました。貴方が眠りに付いたら、私も身体を休めます。では、お休みなさい、京也』
「ああ、お休み、《マナ》」
 笑顔で就寝の挨拶を返した京也は、そのまま瞼を閉じて眠りに付く。
 《マナ》は、穏やか寝息を立てる京也の姿を見詰めて安堵の笑みを浮かべると、彼が眠る寝台に身体を凭せ掛けるようにして、自分も静かに眠りへと着いた。


 冷たく澄んだ朝の空気と、窓から差し込む陽の光に誘われて、京也は、目覚めの時を迎える。
「朝か・・・」
 京也は、爽やかな目覚めに満足して呟くと、大きく息を吸い込んだ。
 その深呼吸の息を吐き出そうとした京也は、自分の身体に感じる重みと、そこから伝わってくる柔らかな温もりに気が付く。
『おはよう、《マナ》』
 京也は、そっと囁くように語りかけると、静かに微笑みながら、すやすやと寝息を立てている女神の髪を撫でた。
 魂の邂逅ともいえる出逢いによって結ばれた《マナ》との縁を想いながら、京也は、今そこに在る穏やかな時を楽しむ。
 京也は、《マナ》を起こして、穏やかな時を壊してしまう事を惜しむ様に、その白銀の髪を優しく梳き続けた。
 そんな京也の想いも虚しく、閉じられていた《マナ》の瞼が微かに動く。
 そして、それは次の瞬間、ぱっと開かれた。
 互いに見詰め合う一瞬の沈黙の後、《マナ》は、京也が浮かべる笑みに、輝くような笑顔で応えた。
『おはようございます、京也。身体の方は如何ですか?』
 《マナ》は、京也へと目覚めの挨拶を告げ、それから直ぐに身体の具合を案じる言葉を続けた。
「おはよう。心配はいらない。もう平気だよ」
 応えて告げたその言葉に偽りは無く、昨日の事が嘘みたいだと感じるほどに、京也の身体は回復していた。
「これも全部、君と環のお陰だよ、《マナ》」
 そう告げて京也は、改めて《マナ》へと感謝の眼差しを向ける。
『私は大した事をした訳ではありません。全部、環のお陰です。本当に感謝のしようもありません』
 《マナ》が口にしたその言葉は、謙遜とは違い、本気でそう思っている意志の顕れを含んでいた。
「《マナ》、君は俺を助ける為に、自分の身を苦しめる事も厭わず、回復の魔法を使い続けてくれた。それは俺にとって、特別な事だよ。それなのに何故、そんな風に言うんだ?」
 それは京也にとって、決して納得する事が出来ないからこそ、口にした疑問であった。
 だから自分でも間違っていると思いつつ、問い掛ける言葉に気持ちの棘を込めてしまう。
『京也、貴方と初めて出逢ったあの時、私には,自分と近しき二つの存在がいるという話をしましたよね?』
 問い掛けに返されたその問い掛けの意味が分からなかったが、京也は、記憶を探ってその事実に頷く。
「ああ、確か《至高にして最も稀有なる守護者》と《最美なる守護者》だったかな?」
『はい、そうです』
 自分がそれを覚えていた事に満足して頷く《マナ》に対し、京也は、向けた眼差しでそれと先刻の問い掛けとどう関係あるのかを尋ねる。
『若し、私に彼らの様な《神》と呼ばれるに相応しき確かな力が有ったならば、あの時、戦いで瀕死の傷を負った貴方を直ぐに救う事が出来た筈です。でも戦女神である私には、貴方を敵から護る力は在っても、貴方の傷を癒し救う力は無く、苦しむ貴方の為に出来たのは、唯、傷を塞ぐ事だけでした。
貴方を救ったのは、環の力が在ればこそです』
 語る《マナ》の言葉からは、無力な自分に対する悔しさが滲み出ていた。
 京也は、自分の問い掛けが、目の前にいる女神を深く傷付けた事を理解する。
「(本当に、俺は何時もいつも君を傷付けてばかりだ)」
 心の中で自らの迂闊さ恨んだ京也は、誰よりも大切な存在である女神の為に、今、自分が告げるべき言葉を懸命に探した。
 そして、京也は、見つけたその言葉を口から紡ぐ事はせず、それ以外の方法で伝えた。
『京也!』
 《マナ》は、突然、京也にその身体を引き寄せられ、抱き締められると驚いて声を上げた。
 京也は、更に強く《マナ》の身体を抱き締めると、その唇に自分の唇を重ね合わせる。
 強引に交わされる口付けであったが、《マナ》は、そこから伝わってくる京也の優しい想いを感じ取った。
 《マナ》は微笑むように瞳を閉じると、自分の身体を抱き締める京也に負けないくらい、強くつよく力を込めて京也の身体を抱き締め返した。

第九話・剛敵

 京也達は、征也より示された情報に従い、目的とする政府機関の旧研究施設へと潜入を試みる。
「どうやら『アタリ』の様だな」
 不敵な笑みを浮かべて呟く環の言葉に違わず、封鎖された筈の施設内に大勢の気配が存在していた。
『あの中からは、何か妙な気配が感じられます。京也、環、気をつけてください』
 《マナ》が口にしたその警告に、京也は警戒と緊張を新たにし、環は特別に変わった様子も無く黙って頷いた。
「敵もそれなりの備えをしているみたいだし、ここは慎重に行くべきか・・・」
「否、京也。こちらは少数精鋭、ここは相手の度肝を抜くような派手な先手を打って、連中を混乱させてやろう」
『京也、私も彼の意見に賛成です。相手を混乱させ、その隙に攻め込む。それは戦の常道ですから』
 環と《マナ》、二人の意見の一致を前に、京也もその作戦に乗ることを決断する。
「じゃ、先ず俺が斬り込んで、それに続く形で《マナ》と環が中に突入するということで良いかな?」
 そう告げて《ラルグシア》の柄に手を伸ばす京也を、環が静止する。
「悪いが京也、その役目は俺達に譲ってくれないか。この《獣神》に先頭を任せ、それに続いて俺が中に踏み込むと同時にこの特製対人用鎮圧弾をお見舞いしてやる。それで連中が怯んだ所へお前達二人が突入して一気に勝負を着ける。そんな感じがベストだと思うが如何だ?」
 示した提案と共に手のひらサイズのそれを弄ぶ環の瞳には、悪戯を楽しむ悪ガキのような笑みが宿っていた。
「それの効果が確かな訳なら、俺としては異存なしだけど」
「大丈夫。これの威力は確かなお墨付きだから。特別な免疫も無く、これの餌食になって平気な生き物がいたら、それは最早、人外の化け物か何かだな」
 返ってきた言葉とその表情の笑みに、京也は、『悪魔の笑み』の意味を知る。
「しかし、そんな危険なモノを使ったら、こっちにも被害が生じるんじゃない?」
「それに関しては、この薬を飲んでもらえば全く問題なし。ほら、二人ともぐっといってくれ」
 環は言って、懐から出したタブレットケースの中身を、京也と《マナ》の掌へと転がす。
「どうした二人とも?危険な副作用は一切無いぞ。それに味の方だってかなりイケる出来だしな」
 環は、京也達に免疫耐性用薬である錠剤の服用を促し、自身もそれを飲み下した。
「・・・」
 京也は、掌の薬をじっと見詰める。
そして、次の瞬間、閉じた瞳に覚悟を決めて一気に飲んだ。
「うっ!」
 それは語られた言葉に嘘のない味であり、その効果も直ぐに現れた。
 身体の内から湧き上がってくる熱に、京也は、それまでに感じた事のない力の充足感を抱く。
「滋養強壮に体力増強、元気になり過ぎるというその副作用さえも、心強い限りだろう?」
 環は、京也が示した反応を読み取り、自慢げに言って笑う。
 その二人の様子を見て、《マナ》も又、渡された薬を口にした。
『なるほど環、貴方が得意とする〈科学〉とは、私の知る《魔導》に於ける魔法薬の研究に近しいモノなのですね』
「正確に言えば、生物種族の根源から、それらの発生と今に至るまでの過程を調べ、そこから生物の生成構造という仕組を知る為の研究かな。と言っても、何時の間にかその副産物である『怪しい薬』を造ることが専門みたいになってしまったけれどね」
 環は、《マナ》の理解に訂正補足を加えて、苦笑を浮かべた。
「噂には聞いていたけれど、それ以上に凄い才能だね」
「否、俺のこの薬学の研究は、一番に求めた結果を果たせずに終わった。だから、そう褒められるのには、値しないよ」
 環がその自嘲の言葉に込めた想いの重さを感じ、京也は、それ以上の言葉を口に出来なかった。
 環は、京也の気遣いに気が付くと、懐古に抱いた想いをその胸の内から吐き出すように大きく深呼吸をする。
「さて準備は整ったし、そろそろ行こうか」
 自分と京也との間に生じた空気の重さを振り払うように環は笑い、そして、今やるべきことを促した。
 京也は、環が持つその強さに改めて頼もしさを感じると、告げられた言葉に黙って頷いた。

 決められた作戦に従い、環の命令によって研究施設内に踏み込んだ《獣神》が、入口の奥に潜んでいた見張り役の敵を倒すと同時に、それに続く形で踏み込んだ環が自慢の特製鎮圧弾を投げ込む。
 一瞬の閃光と共に弾ける煙幕弾、それから発生した激しい噴煙が施設内に広がった。
 突然の出来事に冷静な反応を示す事も適わず、建物の一階にいた者の全てがその煙の餌食となる。
 その中の一人が吸い込んだ煙の味に咽ながらも、侵入者である環達を排除する為に、懐から武器を取り出した。
「これで一応、正当防衛になるかな」
 向けられた銃口に怯える事も無く不敵に笑う環、それを護るように《獣神》が彼の前で身構える。
「莫迦が、死んで後悔しろ!」
 《カイザー》の警備兵である男の言葉と共に放たれた銃弾は、狙う環の身体を大きく反れると、彼の背後の壁に突き刺さった。
「次は外さん」
 再び放たれる銃弾、しかし、それも又、狙いを大きく外して壁に更なる穴を開ける。
「無駄だよ。お前の視神経を始めとする神経の殆んどが、先刻の煙に含まれた成分の影響で麻痺しているからな」
 その言葉に合わせるように、警備兵は膝から崩れ落ちて床に突っ伏せた。
 それと同じ様に次々と倒れる敵の姿を見詰めながら、環は、快心の笑みを浮かべて《獣神》の頭を撫でた。

 聞こえた銃声に焦る心で施設内へと踏み込んできた京也と《マナ》は、悠然と構える一人と一匹に拍子抜けの表情を浮かべる。
「凄い・・・」
「即効の威力で体力減退に気力喪失、そして、最後は失神。名付けて〈脱力香〉。『本薬剤は大変な危険物なので使用の際には十分なご注意が必要です』といったところかな」
 目の前の状況に思わず驚歎の言葉を洩らす京也。
それに対し、環は、洒落になっていない冗談で応えた。
「まあ、何はさて置き、無事に潜入成功だ。新手が現れる前に、連中の尻尾に繋がる手掛かりを見つけ出すぞ」
 表情を引き締めた環は、本来の目的を果たすべく、施設内の調査を京也達へと促す。
 それに頷き動こうとした京也は、そこに生まれた違和を本能的に感じ取ると同時に身構えた。
 京也が自らの頭上へと掲げるように構えた神剣は、突然に現れた敵が繰り出したその鋭い攻撃を見事に受け止めた。
『京也!』
「っ!」
 《マナ》と環、二人の瞳が敵の存在を知って驚きに見開かれる。
 そして、それと対峙する京也自身も又、気配も無く現れた敵の姿に驚かずにはいられなかった。
 その『敵』は、京也に自分の正体が『何者』であるかを考える暇も許さず、次なる攻撃を放った。
「くっ!」
 京也は、無駄の無い僅かな身動ぎによって、敵が繰り出した斬撃を紙一重で避けると、その勢いのままに横へと跳んで敵との間合いを取る。
「噂に違わず、中々やるな。流石はあの神崎征也の血を受け継ぐ者だけはある」
 その言葉と共に、男は、抱いていた戦意を僅かに緩めて、自らの得物である細身の長刃剣の切っ先を足元へと下げた。
「何者だ!」
 京也は、油断無く《ラルグシア》を構え直すと、男へと鋭い視線を向けてその正体を探る。
「俺の名は、香祥敦真。それ以上の事を知りたければ、剣士として自らの振るう剣で探るしかないな。それが武の信奉者たる身の性というものだ。そうだろう?《真神武》の剣士、華神京也よ」
 そう語った男は、再び戦いの意志を身に纏い、手にしていた長刃剣を構えた。
 香祥敦真と名乗った男の口から出た父の名と『《真神武》』と呼ばれた自らの流派に、京也は、相手の正体が自分と関わりがあるモノである事だけは理解する。
「確かに、貴方の言うとおりだ。望みどおり、その正体、この剣を以って探り出させて貰おう!」
「俺の正体を知ったところで、ここで生命尽きるその身では無駄な事ではあるがな」
 構えた《ラルグシア》に闘志を宿し言い放つ京也。
その言葉を嘲るように嘯く敦真の瞳に、鋭い殺気が宿る。
 一瞬ともいえる短い睨み合いの後、先に動いたのは京也の方であった。
 先刻に交えた刃によって、相手の力量が並みのものでは無い事を知る京也は、小手先の技を抜きで本気の一撃を放つ。
「甘い!」
 敦真は、口にしたその言葉に違わず、京也が渾身の力を込めて振り放った攻撃を、繰り出した横薙ぎの斬撃で弾き返す。
 その技の冴えに京也は、相手の力量が自分の想像のそれを遥かに凌いでいる事を知る。
「ならば、これで決着を着ける!」
 京也は、弾かれた剣の切っ先をしなやかな身のこなしで制止すると、短く吸い込んだ息を吐いて更なる攻撃に転じる。
「《炎舞》、か・・・」
 示された一瞬の構えから、京也の狙いを見抜く敦真。
 しかし、その表情からそれまでの余裕が失われる事は無かった。
「行くぞ!」」
 京也は、言い放ったその言葉に裂帛の気合いを込めて、《真神武》の奥義を繰り出した。
 それに対する敦真の瞳に、鋭い意思の輝きが煌めく。
 繰り出される一撃一振りの全てに必殺の威力を宿した連斬たる秘技《炎舞》。
 敦真は、自らの身体を穿たんとする斬撃と刺突の連続攻撃を、水鏡の如く狙い違わぬ反撃の刃で次々に弾き返して行く。
 両者の繰り出す攻めと護りの連斬は、正にその魂を燃やし刹那を紡ぐ演舞であった。
 互いに一歩も譲らず繰り出す技の応酬に、京也と敦真の二人は少なからず精神を消耗させていた。
 両者共に、対峙する敵と同時に自分自身の心とも戦い続ける。
 そんな一瞬の油断が自らの生命すら危うくする死闘の中にありながら、しかし、両者の表情には歓喜の色が存在していた。
 それは、京也と敦真の二人が、剣士として自らの剣とそこに宿した武の魂を絶対のモノとする宿命を背負う証であった。
 その互いの誇りを懸けた剣と剣のぶつかり合いの決着は、護りから攻めへと転じた敦真の一撃によって齎される。
 京也の振るう一撃を軽い身のこなしで避けた敦真は、自らの攻撃の勢いに呑まれて僅かに構えを崩した京也へと流し斬りを放った。
 迫り来る刃を前に京也は、咄嗟の動きで《ラルグシア》の切っ先を返し回らせる。
 一瞬の後、京也が護りとして構えた神剣に、敦真の攻撃の衝撃が叩き込まれた。
 並みの流し斬りとは異なるその一撃の重みに、受け止めた京也の身体が背後へと押し返される。
「(莫迦な!)」
 自ら味わった現実に京也は、動揺にも近い驚きを抱かされた。
「ふっ、流石と言うべきか。少し侮りすぎていたみたいだな。そろそろ此方も本気を出そう」
 敦真の口から出たその言葉に、京也は、先刻の死闘すら目の前の男にとって、遊戯の如きモノに過ぎない事を思い知らされる。
 自分と敦真との間には、単純な技量の差とは異なる何か別の決定的な違いが存在する事を京也は感じていた。
 そして、それこそが自分と目の前の男との強さを分かつ大きな違いである事を。
「(一体、・・・何が違う?)」
 自らの心にその答えを問う京也。
 しかし、それを見つける事は出来なかった。
 尚もその答えを求める京也の心は、そこに僅かな疼きを感じていた。
 それは京也にとって、戦いの中で強さの意味を求める時、常に感じていた自らの魂に残る傷痕が与える痛みであった。
「(俺は、何時からこの痛みを知るようになったんだ?)」
『危ない、京也!』
 叫びにも似た《マナ》の警告の声。
 京也の身体は、それに反応して動いていた。
 次の瞬間、そこに在ったのは、敦真の長刃剣を神剣で受け止める京也の姿で在った。
 重く鋭い敦真の攻撃を受けて痺れる腕の痛みの中で、京也は、その答えを見付けていた。
「(そう、華神京也、お前は、《マナ》と出逢ったあの瞬間に、この痛みを思い出した。そして、お前が強さを求めた理由は?それは誰の為に、何の為に求めた?忘れたのか、京也!)」
 問い叱咤する自らの心の声に応えて、京也の心に意志の炎が燃え上がる。
「ほう、どうやら本気を出していなかったのは、華神京也、お前もまた同じという事か」
 敦真は、京也に宿る意志の変化を見抜くと、何かを楽しむような笑みをその表情に浮かべた。
「本気は既に出している。唯、それが少し足りていなかっただけだ」
「そうか、ならば俺が本気を出す前に倒せなかった、その己の未熟さを呪って逝くんだな!」
 言い放たれたその言葉と共に敦真の斬撃が京也へと迫る。
「その言葉、後悔するな!」
 返す言葉に込めた意志よりも利く鋭い一撃を以って、京也は、敦真の攻撃を弾き返す。
 京也が繰り出した一撃の威力に、今度は敦真の方が驚愕とも言える驚きの色を浮かべる。
 その意志の証たる自らの得物を奮ってぶつかり合う両者が繰り出す攻撃は、互いの力量を競い合う剣士の技ではなく、正に相手の生命を喰らい尽くそうとする猛き獣の爪牙であった。

 死を狩る獣の如き京也と敦真の戦いに対し、固唾を呑んで見守る《マナ》と環、その二人の目に両者の技量は略互角に映っていた。
 相手を自らの意志を以って捻じ伏せんとする二人の剣士は、互いに小手先の技を抜きにした剛剣を奮って鬩ぎぶつかり合う。
 その戦いは、千日万歳の時を経ても決着が着かないかと思われた。
 しかし、その決着の時は確実に存在していた。
「この斬り合いにも少々飽いた。決着を着けさせて貰おう」
 敦真は、そう宣言すると素早く身を引いて背後に退く。
 そこに存在する自信の正体を訝る京也に対し、敦真は、得物である長刃剣を片手に握り、その切っ先を足元に落とした異様に映る構えを取った。
「何の積もりだ?」
 身体に宿した力はおろか、その戦いの意志までも弛緩させている敦真の姿に、京也は、相手の真意を疑う。
「言った筈だ。決着を着けるとな。見せてやろう、《真神武》の奥義に勝る我が流派の秘奥義を!」
 その言葉と共に返された敦真の鋭い眼光に、京也は、相手が本気である事を知る。
「ならば、こちらも本気で行くのみ!」
 京也は、心に生まれた迷いを振り払うように言い放ち、握り締めた神剣に持てる力と意志の全てを込めて敦真へと振り下ろした。
「貰った!」
 その宣言に違う事無く、京也の渾身の一撃は、完全に相手の身体を間合いの内に捉えていた。
 京也のみならず、見守っていた《マナ》と環の二人もまたその勝利を確信する。
 その中で、唯一人、香祥敦真のみが自分の勝利を予見していた。

 京也の振るう《ラルグシア》は確かに、対峙する主の敵をその紅の刃に捉える。
 否、捉えた筈だった。
「っ!?」
まるで霞でも斬ったような手応えの無さに、京也は、驚き困惑する。
そして、反撃の刃をその身に受けた瞬間、自分が斬り裂いたのが、香祥敦真の陰影に過ぎない事を思い知らされた。
「(莫迦な・・・、俺の攻撃は、確かに、あの男の、身体、を、捉えていた。何が、起きた、・・・?)」
 背中に刻まれた攻撃の印たる痛みに耐え、京也は、鈍る思考で己の身に起きた出来事を探る。
『京也!』
 京也は、床に倒れ伏し、流れ出る自らの生命の源に濡れながら、薄れ行く意識の最後に愛する戦女神の悲鳴を聞いていた。
「(俺は、敗れたのか・・・)」
 自らの敗北という残酷な現実に晒されながら、京也の意識は、完全に途切れた。

あし@