21世紀末、最高の文明を誇る世界。 その文明社会の陰の礎となり、人知れず世界の闇に存在する異形、《魔》と呼ばれる存在と戦い続けてきた来た者達がいた。 卓越した戦闘技能を以って《魔》と戦い退ける者、《退魔師》と呼ばれる彼等を纏め上げる一族に生まれ、その長たる総帥となる宿命を背負った少年、華神京也。 しかし、京也は、その宿命に縛られる事を厭い、未だ自らの責務を果す覚悟を持てずにいた。 そんな、京也に対し、彼の武道の師である榊和泉を始めとする一族一党の者達の多くは理解を示し、その支えとなる事を望んでいた。 自らの宿命を受け入れられず、そして、その責務の重さに心惑う京也の心には、嘗て、突然の別離をもって失った存在への愛憎が大きな陰として今も残っていた。 自らの存在に課せられた宿命に惑う京也を嘲笑うが如く、彼の前に一族と因縁の深き宿敵、世界に混乱を齎す存在たる秘密結社の刺客が現れる。 その存在が操る《流血の邪神》の力に苦しむ京也の想いが、永き封印にその身を縛られし特異の存在《戦女神・マナ・フィースマーテ》を解き放つ。 その邂逅こそが、京也と《マナ》の運命の物語の始まりであった。

2008年5月5日月曜日

『 L・O・D ~ある冒険者の追憶~ 』 中編

嘗てこの世界は,創造の主たる《神》に見捨てられ、《邪神》と呼ばれる邪悪なる意志持つ存在によって滅ばされる運命にあった。
その運命に抗い《邪神》の僕である魔物達と戦い続けた存在、それが『冒険者』達であった。
生命の危険すら冒す幾多の旅を経て、終に《邪神》を倒し世界を救った《神殺し》の英雄達。
その偉業の達成者にして、《栄光の冠(ロイヤル・クラウン)》を頂く存在の一人が、《雷斬り》の異名を冠する目の前の剣士であり、彼の冒険の日々を支えたのが《純白の魔女神》の異名で呼ばれる彼女であった。

「『あの有名な』、か・・・。正直な所、そういう云われ方は好きじゃないな」
 剣士、雷聖は口にした言葉に違わぬ、重い面持ちの苦笑を浮かべた。
示されたその反応に戸惑う俺を見かねる様に、雪華が彼を嗜める。
「止めなさいよ。彼は純粋にそう言っただけでしょう」
「ああ、そうだな。済まなかった、俺にとって過去の栄光なんて忘れたい事の一つなんで、少し過敏に振る舞い過ぎたようだ」
 雷聖が謝辞の中に込めた感情に、それが容易く触れてはならない事であったのだと知る。
「それで少年、君は、名を何というんだ?」
 指摘されて俺は、今更ながら、自分が彼らに対し名乗っていなかった事に気がついた。
「済みません、名乗り忘れていました」
「否、まあ、それはお互い様だし気にしなくて良い」
 雷聖の言葉に、雪華も又、苦笑に近い微笑を浮かべて二度三度と頷いた。
「俺は、セイウ。『清らかな翼』という意味の名前です」
「ほぉう、それは君に似つかわしい良い名だ」
 雷聖が口にした感想の真意までは分からなかったが、そこに込められた誠意を感じ取り、俺は、『ありがとうございます』とだけ返す。
「互いに名を知った所でセイウ、俺の剣は、君が求める力を得る為の道標とはなれたかな」
 その問い掛けに、俺は、彼に連れられてこの場で戦った理由を思い出した。
「・・・正直な事を言うと、『日暮れて道遠し』です」
 俺は、求める力を得る為の手段に惑い焦るばかりという素直な想いで雷聖に応えた。
 そして、その想いを持て余すように、俺は視線を空へと移す。
「世界の在り様が如何移り変わろうとも、この空の青さだけは変わらないな」
 深い感慨を込めて、雷聖が俺の視線の先に在る空を仰いだ。
「彼らは、貴方より強いのですか?」
 それが彼に対し失礼な質問である事は良く分かっていた。
 しかし、俺の心は、二人の《王》と呼ばれる存在を知る者に、その答えを求めずにはいられなかった。
「否、嘗ての彼らならば分からないが、今の彼らは俺には及ばないだろう。外道に堕ちたあの二人の力に劣る俺ではないよ」
 共に《神殺し》の栄光を果した者としての感情はそこに存在せず、在るのは、純粋なまでの憤りであった。
「では、貴方ならば、《秩序の光》と《力威の闇》の争いを収める事ができるのですね」
 《王》と呼ばれる存在達に率いられ相争う二つの勢力。
 その意志を統べる存在である《王》を戦場で討ち破る事のみが、繰り広げられる争乱を鎮める唯一の術にして、最高の誉れとなるという事実。
 冒険者達は、その誉れを求めて己の力を磨き高め続ける。
 それが俺の知る世界の有り様であった。
 しかし、今この時、目の前に在る存在達と出会った事で、俺は、自らの無知を知らしめられる。
 望めばその誉れを果たせる実力の持ち主達を前にして、俺は羨望の眼差しを抱いていた。
「否、それは難しいな」
・・・何故?
 予想していたのとは違う応えに、俺は無言で疑問の視線を返す。
「彼らは、賢明過ぎる程に賢明だ。仮令(たとい)、俺が彼らに戦いを挑んだとしても、それを受けて立ちはしないだろう。それに、俺も彼らを討つ事に特別な意味を見い出せないからな」
 雷聖の口から語られた二人の《王》に対する事実は俺自身も良く理解していることであった。
 しかし、それよりも尚、俺が気に掛かったのは、最後に語られた言葉のほうであった。
「貴方は、今の世界の有り様を見過ごせるのですか?」
「ああ、俺にとって世界の有り様が如何であろうとも、人々がそこに何を望もうとも構うことでは無いさ。寧ろ、この手で《邪神》を倒したという事実すら、忘れ去りたいと思っている」
 それは、世界を救った存在が、その世界に対し向けた呪いの言葉であった。
・・・『全ての人間が望んで力を得たとは限らない』
 俺の脳裏に、雪華と交わした言葉の一つが甦る。
 『力持つ者の悲哀』、それは持たざる俺には到底知る事の出来ない想いであった。
 そして、雷聖が持ち、雪華が知るそれは、悲哀よりも尚
深く暗いところにある絶望と呼ばれるモノであった。
「雷聖、それならば何故、貴方は俺に力を示した」
 それは、雷聖に取ってみれば無意味に過ぎる振る舞いであった。
「それは、君が自らの非力を知り、そして、真なる王者の資質を持つ存在だからかな」
 俺は、雷聖が語る言葉の意味が分からず、再び沈黙の視線を返す。
「君は、力を求める理由を尋ねた俺に対し、唯雪辱のみを果たしたいと答え、その言葉が偽りでは無い証を、自らの力に優る敵を相手に挑む事で示した。だから、俺は、君の想いを信じ自らの果たすべき処を果たしただけだ」
 雷聖はそこまで語ると一旦言葉を切り、大きく息を吸い込み、それをゆっくりと吐き出してから、再び口を開いた。
「セイウ、もう一度尋ねる。君は本気で、彼の二人の《王》を討ち破りたいと望むか?」
「はい」
 俺は、雷聖が示す深い想いが込められた問い掛けに対し、強く頷き応えた。
「その意志、確かに受け取った。では、自ら最も困難な道を進む事を求めるお前の為に、餞別として《王》の許へと至る道標を示そう」
 雷聖は、その言葉と共に不敵な笑みを浮かべる。
「セイウ、剣士が剣士に語る最高にして唯一の術は、自らの剣を以ってのみ果たされる。だから、パートナーと共に、本気で俺を倒すべく斬り掛かってこい。雪華、先刻の続きだ。お前も遠慮なく俺に仕置きしてみせろ」
俺達三者へと宣戦布告する雷聖。
得物である長剣を手にした彼から伝わってくる闘志の存在が、その言葉が本気である事を物語っていた。

「如何した、遣る前から怖気ついたか?」
 雷聖は、不遜の眼差しを浮かべて、俺達に対する挑発の言葉を口にした。
「ならば、こちらから行くとしようか!」
 そう言い放つが早いか、雷聖は、瞬時の踏み込みで俺との間合いを詰め、横薙ぎに得物を振る。
 俺は、彼の電光石火の一撃を回避不能と判断すると、自らの得物である剣でそれを受け止めた。
 互いにぶつかり合う刃と刃の衝撃に耐えるべく、俺が得物を握る両腕に力を込めた瞬間、雷聖は、踏み込んだ身体の勢いに任せて長剣を振り抜く。
「はっ!」
圧し返されて宙を泳ぐ俺の懐を目掛け、短い気合いの息と共に、雷聖の再びの斬撃が繰り出された。
・・・遣られる!
『《天地斬り裂く旋風の刃》!』
 雷聖の刃が俺の身体を捉えるのを先制して、雪華が生み出した疾風の魔力刃が地走りの土煙を上げて、雷聖へと襲い掛かる。
 それを見て取った雷聖は、一瞬にして攻撃から防御の体勢に転じ、素早い身のこなしで回避した。
「甘いな、雪華。本気を出せ」
 背後へと退き間合いを取り直した雷聖は、余裕混じりに挑発の言葉を口にする。
 それに対し、無言で睨み返す雪華。
 しかし、俺には、彼女が相手を倒す為ではなく、俺を助ける為に攻撃を放ったのだと分かっていた。
 無論、それは雷聖も又、良く分かっている事の筈であった。
・・・態々、過剰な挑発で彼女を刺激しているのか。
 雷聖が示す態度は、明らかにその意図によるモノであった。
「雪華、若しも俺を倒せたら、どんな願いでも訊いてやるぞ」
・・・アレっ? 今、言葉の中に何か妙な含みが無かったか?
「要らない! どうせ又、何時もの『嘘』だから」
・・・信用無いですね。
 もう騙されないといきり立つ雪華の姿は、敵へと牙を剥くネコの様だった。
「確かに、そうだ。俺が敗れる理由も無いし、無用の約束に過ぎないな」
・・・その自信、一体何処から来るのですか?
 背中で闘志を燃やす雪華の様子を感じ取った俺は、その頼もしさに勇気を奮い起こされて、それまでの緊張に硬くなった肩の力を緩めていた。
 俺は、得物である剣を構え直して体勢を整えると、冷静に状況を分析する。
 その戦闘能力を考えれば、雷聖と雪華が持つ力は、伯仲か或いは、魔導師として純粋な攻撃の威力で優る雪華の方が有利。
 しかも、こちらは三人で連携をとって戦える状況に在った。
 その事が分からぬ相手では無いからこそ、俺は、雷聖が抱く自信を不気味に感じていた。
「言ってくれるわね。良いわ、お望み通り私の本気を見せてあげる。地べたに転がりながら、今までの私に対する悪行の数々をよーく反省しなさい!」
・・・私情の怨恨が入りまくりですか。
 挑発に挑発で応える雪華。
その足元で宣言通りに、通常範囲を超える勢いで次々に魔導陣が展開する。
術者である雪華を中心に置き、五連に交わり重なり合う様に形成されたそれは、まるで大地に咲く華の如く美しかった。
『《識彩光綾聖爛御滅烈華陣》!』
 祈るように瞳を閉じて《力導く言葉》を紡ぐ雪華。
 再びその瞳が開かれると同時に、魔の領域から導かれた力が爆発する。
 《無限を奏でる御言葉》、真に《魔導》を極めた者のみに許された《魔導皇》の遺産たる御技。
 そして、彼女が示したその力は、『神の領域』と呼ばれる位置に在る究極の《魔導》の一つであった。
 雪華によって放たれた魔導は、瀑布の如き勢いを持つ魔力の奔流となって雷聖を呑み込む。
・・・勝負あった。否、勝負にならなかった。
 俺は、目の前に生じた壮絶な力の熱に当てられながら、勝利を確信していた。

『《軍神烈覇斬・改》!』
 雷聖が放った《力持つ真名》が、その身を呑み込んだ魔力の波を切り裂く。
『《凡そ全てを滅ぼす散華》!』
 再び放たれる雷聖の《力持つ真名》。
 気合いと共に繰り出される連斬の一撃が振るわれる毎に、その刃は淡い燐光の花びらを虚空に残して、魔力を切り裂き打ち消していった。
・・・っ!
 驚愕に瞳を見開きながら、俺の頭は、そこに映る現実を理解することすら出来なかった。
「セイウ、今よ!」
『マスター、今です!』
 俺の背後にいた雪華とサフィアが、同時に叫ぶ。
 その声に正気を取り戻した俺は、両者が既に発動させていた戦闘補助魔法の助けを受け、雷聖へと攻撃を仕掛けた。
・・・貰った!
 雪華の攻撃を相殺し凌ぐのに、全ての力を使い果たした雷聖。
その隙だらけの懐を狙った渾身にして絶妙の一撃に、俺は、快心の喝采を抱く。
 それは、『約束された勝利』へと至る筈であった。
 しかし、俺の攻撃を前にした雷聖の表情に焦りは無く、未だその自信に満ちた余裕を失ってはいなかた。

 その時、何が起きたのかは分からなかった。
 それでも確かな事が一つだけあった。
 雷聖は、俺が振り放つ攻撃を唯一瞥しただけで封じ込めたのである。
 それを言葉で現すのならば、正に『蛇に睨まれた蛙』という一言が正鵠(せいこく)を射ていた。
「・・・くっ!」
 訳も分からず振り下ろした剣の刃で、雷聖が立つ足元の大地を穿った俺は、その衝撃に痺れる手の痛みだけを感じていた。
「勝負、ありだな」
 半ば呆然として眼前の大地を睨んでいた俺の背中に、雷聖が振るった刃の先が触れる。
・・・完敗です。
 俺は、悔しさにその言葉を声にする事が出来なかった。
 そんな俺の想いを汲み取ったのか、雷聖は無言のままで刃を返し、それを背中に負った鞘に納める。
 そして、何故か苦笑混じりに笑う雷聖。
「少し調子に乗り過ぎたみたいだ」
 快闊な笑顔を浮かべ直した雷聖は、その言葉と共に視線を雪華へと投げ掛けた。
「皆、頑張ったけれど負けちゃったね」
 雪華は、俺とサフィアの頭を其々に撫でながら、慰めの言葉を口にする。
 触れたその掌の温もりがとても柔らかかった。
「はい。負けました。それも見事なまでの完敗でした」
 俺は、先刻は悔しさで口に出せなかった言葉で、彼女の優しさに応える。
「全ては実力の差がもたらした結果、仕方ないなんて慰めは言わない。だが、その代わりに言わせて貰おう。良い勝負だった」
・・・ああ、そこまで莫迦正直に言われたら、返す負け惜しみの言葉すら見付かりません。
「『井の中の蛙大海を知らず』ですか・・・」
 俺は、自らの未熟さに苦笑した。
「だが、その中にあるからこそ、天の高さと其処にある空の青さに気が付くのだろう」
 その言葉に込められた深い想いに、俺は、目の前に立つ存在を見誤っていた事を知る。
「こういう言い方は余り好きではないのだが、自分の弱さを知った今ならば、自分の目指すべき強さが如何なるモノか分かるんじゃないかな」
「それが、貴方が俺に対し示そうとした『道標』なのですね」
 俺は、彼がその身に宿した力を以って、俺に伝えようとしたモノが何であるかを理解した。
「まあ、俺の言葉で言うならば、『真実に培われた想いは意志となり、強さに培われた意志は全てを凌駕する』だな。俺が知る限り、この世界に望んで得られない強さなど存在しない。だから、自らを知者とする事は求めるな、自分を知り尽くしてしまえば、そこに在る限界という常識に自らが持つ可能性すらも封じられてしまうからな」
・・・『可能性』か。
 俺は、その言葉こそが、雷聖という存在を示す『意志』の形である事を知る。
「俺が先刻の勝負で君に対し示した二つの戦技。あれこそが、この世界に存在する《理(ことわり)》という名の常識を打ち破る可能性の力だ。《魔司》が操る魔法の威力すら打ち消す《相殺》と戦士の技を無効化する《封殺》。その種を明かす事は出来ないが、二つの技を以ってすれば《光》と《闇》を統べる二人の《王》に、戦場で敗れる事だけは無い」
 戦士としての力を極めた者のみが至れる最高位の一つである《騎士皇(マスター・ナイト)》と、その対極たる魔導師の頂点にある《魔司》。
 その二つの最高位へと最初に至った存在こそが、《秩序の光》と《力威の闇》を統べる二人の《王》であった。
 雷聖が語る言葉は、確かな事実だったが、俺は、そこに妙な含みが在った事に気が付く。
「『戦場で敗れる事だけは無い』、ですか?」
「おお、ちゃんと気が付いたか! その言葉の通り、《相殺》と《封殺》の何れも、敵に敗れないだけの技で、敵を討ち破る技では無い。だから、君は、あの二人が培った力を凌駕する必殺の威力を持つ《戦技》を開眼しなくてはならないな」
 我が意を得たと満足気に語る雷聖の言葉が、俺の耳には何処か遠くに聞こえた。
・・・二人の《王》に敗れない為の技ではなく、二人の《王》を討ち破る為の技を求めなくてはならない。そういう事か。
 目指すモノの指針は見えながら、そこに至る為の手段を俺は持っていなかった。
「雷聖、貴方にとっての『それ』が、先刻の戦いでトロルの首領相手に使ったあの技なんですか?」
 触れる者の全てを灰燼に帰する神の雷。
 思い出すだけでその威力に身震いする壮絶なる戦いの御技。
 俺は、《峻烈なる神雷》と名付けられた彼の戦技を思い出し、それを尋ねる。
「否、あれは嘗て《邪神》を討ち滅ぼす為に編み出した技だ。俺にとっての最終奥義は、この世界で最も手強い存在との決着の為に編み出した技だ」
「貴方にそんな事を言わせる存在が、この世界にいるのですか!?」
 雷聖の口から語られた言葉に驚きの声を上げた俺は、直ぐにその存在の正体に関する予感を抱く。
・・・あれっ、まさか!
「何を言っているんだ、セイウ。今、お前の目の前にいるじゃないか」
・・・『予感』、的中ですか!
 雷聖が向ける視線を追うまでもなく、その正体が雪華である事は分かっていた。
「ふぅふぅーっ、それはおもぢろい冗談ね」
・・・雪華さん、その満面の笑顔と、何よりも噛んだ下唇に発音が濁った台詞の意味が怖いのです。それを漢字に変換すると『重血露意(〔重い血が露わとなる意味合いを持った〕の意)』ですか? それとも『主散露生(〔お主の生命が露と散る〕の意)』ですか?
 俺は、そんな戯言で済んで欲しい恐怖の問い掛けを、無意識に頭の中で廻らしていた。
「そうだな、言い方が悪かった。雪華、お前はこの世界で唯一人、俺を畏れさせる事ができる存在だ」
・・・あの、それ全然言い直す意味が無いのでは?
「雷聖、泣かすわよ!」
「それじゃ、お前のつるっぺたな胸を借りて泣くとしよう」
・・・火に油を注ぎますか。
「雷聖・・・、っ?」
 一瞬、微妙に照れた笑みを浮かべながら緩い眼差しを雷聖へと向けた雪華は、言葉に含まれたトゲに気づいて違和を洩らす。
「つるっぺたって言うなぁーっ!」
・・・あの、話が逸れてますよ。
 俺の心のツッコミが通じたのか、雷聖は、雪華の抗議を黙殺して、話を本筋に戻す。
・・・『私はちゃんとツーピースはあるもん』とブツブツ呟き、胸に手を当てうずくまっている存在に関しては取り合えず黙殺。
「俺と君とでは戦いに於ける様式も違えば、それによって培われる素養も違っている。重要なのは、自らの技によって敵を討つ術を求める事だ」
 その指摘を受けて、俺は、自分が相手の優しさに甘えていた事を知る。
 そして、それと同時に俺は、目の前にいる剣士が身に着ける装備の異相に気が付いた。
 丈夫な重ねを施された厚織りの黒衣を羽織り、腕と足のみを具足で護るその出で立ちは、他に身に着けた腕輪を中心とする装身具と相余ってエキセントリックな印象さえ抱かせる。
「雷聖さん、貴方の職位(ジョブ・クラス)は何ですか?」
 その実力から考えれば、彼が戦士系統に属する高位の存在で在る事は間違いなかった。
 雷聖は、俺の脈略に乏しい質問を一瞬だけ訝った後、事和げに笑って応える。
「《剣皇(マスター・ファイター)》だが、それが如何かしたか?」
「えぇっ!」
 俺は、彼が口にした応えに意外なモノを感じて、驚きに声を洩らした。
 《剣皇》、それは戦士に属する存在の中でも、自らの剣を磨き上げた者のみが至る事が出来る至高の職位にして、唯一全ての《戦技》を極める道を持つ者。
 しかしながら、その身体的戦闘能力は同列の《騎士皇》や《聖騎士(パラディン)》に劣り、騎士の力と魔導師の力を併せ持つ《神聖騎士》の万能性に及ばないと言われる職位であった。
 冒険者の中には、《剣皇》という職位に対し、『独りでは何も出来ない存在』という侮蔑を抱いている者すらいた。
 それ故に、進み至る者が少ない事を理由に『稀有の珍獣』とまで呼ばれていた。
「本当に、あの《剣皇》なのですか?」
 《相殺》と《封殺》という異能の戦技を誇る強さに、彼の職位を《聖騎士》か《神聖騎士》だと思っていた俺は、純粋な驚きからそう口にしていた。
「ああ、どの《剣皇》なのかは分からないが、俺は正真正銘の《剣皇》だよ」
 雷聖は、俺の過剰ともいえる反応も大して気にせず、軽い口調で肯定の言葉を返す。
・・・えっ?
 それは一瞬の事だったが、不意に雪華と交えた視線の先で、彼女に睨まれた様な気がした。
 その事実を確認しようとした俺の意識を、雷聖の言葉が遮る。
「実際、戦場で《王》の喉下に刃を突きつけるには、そこに至る為の道を切り開かなくてはならない。それを考えれば、お前が望んでいる事は、無茶を通りこして無謀ですらあるな」
 雷聖が口にしたその指摘は、至極尤(もっと)もであり、俺が目的を果たす上での重大な課題であった。
「貴方に雪華さんがいるように、俺にもそんな存在がいれば、無謀も無謀で無くなるのですが・・・」
 雷聖と雪華の二人が持つ関係に嫉妬のようなモノを感じ、俺は、そんな言葉を口にしていた。
その次の瞬間、俺の両頬に痛みが走る。
・・・っ!
 一瞬、何が起きたのか理解できない俺。
 驚きに見開いた瞳に、怒りの炎を宿した雪華の瞳が重なる。
 両手で挟むようにビンタされた頬より、向けられた眼差しの鋭さの方が痛かった。
「君は、何も分かっていない! 打(ぶ)たれたその痛みは、雷聖とサフィア、二人分の心の痛みよ!」
 雪華が何を言っているのかは分からなかった。
 しかし、彼女を深く傷つけた事だけは、その瞳の奥に隠した哀しみの色から理解できた。
「他者の優しさに甘えて、その重さに気が付いていない貴方では、《王》と呼ばれる存在は愚か、それを護る親衛者達を討ち破る強さすら得られない!」
・・・俺は、彼女の想いの何を裏切ったのだろうか?
 自らの心にその答えを探し求める俺の視線の先で、雪華は、身を翻して俺に背を向けた。
「・・・行きましょう、雷聖」
 雪華は、パートナーへと促すその言葉に、相手に対する申し訳ない想いを滲ませていた。
「悪い、雪華。後で追いかけるから、先に行ってくれ」
 苦笑を浮かべてそう応えた雷聖に、雪華は、無言で頷き苦笑する。
「じゃ、サフィア。貴方も・・・。貴方の武運を祈っているわ」
 彼女は、俺のナビに対し一旦口にしようとした言葉を飲み込むと、代わりに冒険者にとって別れの儀礼となる挨拶の言葉を口にする。
 そして、彼女は、その場から去る為、ゆっくりと歩き出した。

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