21世紀末、最高の文明を誇る世界。 その文明社会の陰の礎となり、人知れず世界の闇に存在する異形、《魔》と呼ばれる存在と戦い続けてきた来た者達がいた。 卓越した戦闘技能を以って《魔》と戦い退ける者、《退魔師》と呼ばれる彼等を纏め上げる一族に生まれ、その長たる総帥となる宿命を背負った少年、華神京也。 しかし、京也は、その宿命に縛られる事を厭い、未だ自らの責務を果す覚悟を持てずにいた。 そんな、京也に対し、彼の武道の師である榊和泉を始めとする一族一党の者達の多くは理解を示し、その支えとなる事を望んでいた。 自らの宿命を受け入れられず、そして、その責務の重さに心惑う京也の心には、嘗て、突然の別離をもって失った存在への愛憎が大きな陰として今も残っていた。 自らの存在に課せられた宿命に惑う京也を嘲笑うが如く、彼の前に一族と因縁の深き宿敵、世界に混乱を齎す存在たる秘密結社の刺客が現れる。 その存在が操る《流血の邪神》の力に苦しむ京也の想いが、永き封印にその身を縛られし特異の存在《戦女神・マナ・フィースマーテ》を解き放つ。 その邂逅こそが、京也と《マナ》の運命の物語の始まりであった。

2008年4月27日日曜日

『L・O・D ~ある冒険者の受難~』 後編

「じゃ、俺は、ここで退くよ。貴方も御武運を!」
 それは、冒険者が冒険者に対し捧げる儀礼である別れの挨拶。
「はい、御武運を!」
 そう返す女魔導師に手を上げて応え、俺は、街に戻る為、ヴァレンシアに《転移の導き》を発動するよう合図する。
「あっ! ちょっと、お待ちを!」
 何かを思い出したように、彼女が慌てて俺を引き止めた。
 如何したのかと怪訝そうにする俺に対し、彼女が苦笑に似た微笑を浮かべる。
「まだ、お名前を訊いていませんでしたね。私は、レイティアです」
 告げられた彼女の名前に、俺は少なからず驚かされる。
「レイティア、・・・あの《闇の御子姫》か!」
 《闇の御子姫・レイティア》、《魔刃皇》の英名を以って知られる《闇の神将・クアド》と共に双璧を成す《力威の闇》が誇る最強の魔導師。
 戦場に於いてその姿を見た敵が辿る末路から、彼女に付けられたもう一つの異名は、『死を狩る魔女』。
 この世界に於いて身体的制約により成長の障害を受ける女性の身にありながら、魔導師の最高位に在る《魔司(ルーン・マスター)》と成り得た二人の存在の一人。
 世界で唯一人、自らの力のみで《魔導皇の試練》と呼ばれる難関に挑み、それを果たした存在、それが彼女である。
もう一人の《魔司》である者、《雷斬りの雷聖》がパートナー、《純白の魔女神・雪華》が努力を極めた天才であるなら、彼女は、天性の才に恵まれた異彩の天才であった。
 その正体を教えられた今ならば、先刻、彼女が見せた卓越した戦い振りも容易に納得できる。
「はい。『その』レイティアです」
 恭しくも気品に満ちた返答の言葉。
 そこには、《闇の御子姫》と呼ばれる者に相応しい冒し難き誇りが存在していた。
「俺の名は、ナタルス。唯、それだけの存在だ」
 それは彼女が示した態度に報いるのには、多少に過ぎて不躾な言葉だったが、相手の正体に怖じて自分の態度を変えては、それこそ《怖れを知らぬ者》としての名折れである。
 レイティアは、そんな俺の態度に気を悪くするでもなく、唯、感歎の表情を浮かべた。
「自らの死をも恐れず、強敵を求めて戦場を駆ける貴方の勇敢なる戦い振りは、私も幾度と無く噂に聞いていました。こうして思いがけずしてお会いしたのも何かの縁です。その縁により、再び何処かの戦場でお会いする事もあるでしょう。私は、その時を楽しみにしています」
 彼女が言う戦場での再会、それが味方としてか、或いは、その逆かなのかは分からない。
 しかし、その何れになるとしても、俺の中で彼女に対し返す言葉は既に決まっていた。
「ああ、俺も貴女との再会の縁を楽しみにしているよ」
 俺が告げたその言葉に、レイティアは微笑みで応えた。
「では、御武運を!」
「はい。名残惜しいですが、御武運を・・・」
 そうして互いに再びの挨拶を交わし、俺と彼女は別れる。
「・・・『名残惜しい』か」
 レイティアが別れの前に口にしたその美しい響きを持つ言葉を反芻しながら、俺は、彼女の本質が《力威の闇》という意志に求めるモノに興味を感じていた。
 後にして思えば、その本質こそが約束された再会の末に、俺と彼女達との運命を分かつ原因だったのかも知れなかった。

 そう、このレイティアとの出会いは、俺にとって、『運命』の始まりを示す出来事の一つであった。

 そして、俺にとって、『受難』と呼ぶべき『運命』の再会は、図らずとも直ぐに訪れるのであった。


 『ナタルス! ナタルス! とんでもない敵が現れて、このままじゃ、こっちは総崩れよ! 早く、来なさい!』
 それは、交わした約束を守って《秩序の光》サイドで戦う俺に対し、シェリアからもたらされた救援の命令。
 それにしても、《英戦の戦乙女》をして、『強敵』と言わしめる相手とはどんな存在なのだろうか。
 俺は、湧き上がる歓びの闘志に、シェリアの傲慢すら意に介さず、自らの戦場を求めて走った。

「シェリア、敵はどこだ!」
 ヴァレンシアを従え、目的の戦場へと躍り出た俺は、そこに戦友の姿を見つけると、敵の姿を求めて叫ぶ。
「ナタルス!」
「ナタルス!?」
 戦場に相対する両者が、同時にして全く別の感情が込めて、俺の名を呼んだ。
 味方の救援に歓喜するシェリアと敵の新手出現に驚くレイティア。
「レイティア・・・」
 俺は、敵として倒すべきその存在を前にして、僅かではあるが動揺していた。
「ナタルス・・・」
 そして、一方のレイティアも又、俺以上に動揺していた。
「・・・?」
 互いに視線を交えて微動しない俺とレイティアの姿を前に、シェリアが戦うのも忘れて訝しげな表情を浮かべる。
 そんな三竦み状態を、レイティアを取り囲む《秩序の光》に属する者達の威勢の声が破った。
「《闇の御子姫・レイティア》、消えてもらうぞ!」
前衛に五人の戦士、後衛に四人の魔導師。
 それに対し、レイティアの周りに味方の姿は無く、正に孤立無援の状態であった。
・・・マズイ!
 それは、レイティアの窮地に対してでは無く、彼女の怖しさを知らぬ者達の無謀に対する思いであった。
『《魂凍える霧氷》!』
 それまで抱いていた動揺など微塵も感じさせず、レイティアは、その攻撃魔法の一発で自らに迫る敵を退ける。
「流石は、《闇の御子姫》、死を狩る魔女』という異名は伊達じゃないわね」
 味方の惨敗を目の当たりにして正気に戻ったシェリアの口から、賞賛にも似た感歎の言葉が洩れた。
「こうなれば、何としても私と貴方の二人であの『魔女』を止めるわよ、ナタルス!」
 シェリアは、自らが口にしたその言葉の覚悟を示すように、得物である厚刃の大剣を握り直す。
「如何したのよ、ナタルス。呆けてる場合じゃないでしょう。戦わなければ、ヤラれるわよ!」
 未だ戦闘態勢を取らない俺の様子に焦れたシェリアが、促す様に叫んだ。
「・・・」
 それでも俺は、無言のままで動けずにいた。
「ナタルス、まさか貴方、又、約束を破る積りじゃないでしょうね!」
 業を煮やしたシェリアの一喝が、俺に覚悟を決めさせる。
「済まない、レイティア。戦場で敵として出合った以上、俺も退くわけにはいかないんだ」
 俺は、自分に言い聞かせる様に、レイティアへの宣戦を口にして、得物である長剣を構える。
「ヴァレンシア、何があろうとも一切の支援無しで構わない。分ったな」
 それは俺にとってのレイティアに対するケジメであった。
『はい。了解しました、マイ・マスター。御武運を!』
 ヴァレンシアの返事を背中に受けて、俺は、レイティアとの間合いを更に詰める。
「彼女は俺が倒す。シェリア、お前も一切の手出しをするな」
「分った、頼んだわよ!」
 シェリアは、俺の言葉に頷き応えると、俺の背後へと退いた。
 何の因果の導きに因るものか、俺とレイティアは敵と味方に別れて対峙する形で再会を果たす。
「これも又、宿命か・・・」
 応えを求める訳ではなく、唯、独りごつる様にして、最後の覚悟を決める俺。
 そんな俺の姿を見詰めるレイティアの表情が一瞬にして曇る。
 それは、今にも泣き出しそうな顔であった。
「・・・ヒドイ、です。私の『夢』が叶うよう応援してくれるって言ったのに・・・。一緒に、世界制覇してくれるって言ったのに!」
「えっ!」
「えぇーっ!」
 レイティアの口から語られた言葉に対する俺の驚きを、シェリアが発した驚きの声が掻き消す。
 俺は思考を高速回転させて、レイティアに対する自分の言動を顧みた。
 確かに、多少の差異が存在するが、語られた言葉の前半部分は事実と言えた。
 しかし、残る後半部分は明らかに根も葉もない事実であった。
 《闇の御子姫》たる彼女が抱く『夢』の正体が、《力威の闇》が勝利し、この世界の覇権を掴む事であることは、今なら推測できる。
 だが、それを踏まえたとしても、今の状況たる誤解の原因は、彼女自身が行った都合の良い脳内変換に拠るものだ。
「ねぇ、ナタルス。それ、本当なのかしら?」
 その問い掛けと共に背後に生まれた殺気の存在に、俺は、自らが置かれる状況が悪化の一途を辿っている事を思い知る。
・・・マズイ、ここで下手な返事をしたら、殺られる。
 『それが本当なら、殺す!』というシェリアの無言の威圧をひしひしと感じる中、俺は、この窮地を打開する為に思考を回らす。
・・・そうか、ヴァレンシアだ!
 起死回生の術を見い出した俺は、ナビに打開の為の支援を求める。
「頼む、ヴァレンシア、お前の口から誤解を解いてくれ!」
 それで全てが解決する。
 そう確信する俺の想いは、次の瞬間、空しく潰えた。
『マスター、如何なる状況になろうとも一切の支援は無用というご指示では? これもまた一つの試練です。御武運を!』
・・・うわぁーっ、そう参りましたか!
 清清しいまでの表情で、『試練』という悟りの一言を告げる融通知らずのナビを見詰め、俺は、脱力を覚える。
「ナタルス!」
「ナタルス・・・」
 シェリアとレイティアの二人が、俺の名前を呼んで応えを促す。
 烈しい憤怒のシェリアと縋るようなレイティア。
 その二つの視線に板挟みにされ、俺は、最後の手段へと及ぶ。
 そう、それは、偉大なる先達が残した究極の危険回避の術。

 『三十六計逃げるにしかず』

「時に戦いの場より退く事は、卑怯に非ず。という訳で、ここは退却あるのみ! 退くぞ、ヴァレンシア。着いて来い!」
 俺は、そう言い放つと一気に真横へと走り出した。
 自慢じゃないが、戦場で機敏に動くべく、鍛えに鍛えた俺の脚力は生半可では無い。
それは、当然の事ながら、重装備に身を包んだシェリアや、身体能力で劣るレイティアの到底及ぶ所ではなかった。
否、その筈であった。
しかし、俺の思惑は見事に裏切られる。
「待ちなさい、ナタルス!」
「逃がしはしませんよ、ナタルス!」
・・・えっ!
背後から聞こえるその声に、俺は自分の耳を疑った。
首だけを廻らし背後を見た俺の瞳に、大剣をブンブン振り回し疾駆するシェリアと、絶えず魔導を発動させ続けて飛翔するレイティアの姿が映る。
・・・嘘、マジですか!
 俺は、《英戦の戦乙女》の体力と《闇の御子姫》の魔法、そのどちらに対しても見誤っていた自分の愚かさを思い知らされる。
・・・というか、アレは正直、反則だ。
「こうなったら仕方が無い。遣ってやる!」
 俺は、《怖れを知らぬ者》という自らの異名に相応しく、ブチ切れる。
 一瞬にして、それまでの疾走の勢いを殺した俺は、振り向き様に彼女達へと身構えた。
 楽に勝てる相手では無い事、否、荷が勝ちすぎる位の相手である事は分かっていたが、俺の心に怖れは無かった。

 そして、その戦いの幕は開かれた。

俺は、この時の戦いの記憶を持っておらず、ナビであるヴァレンシアも何が在ったのか覚えていなかった。
シェリアは、思い出すのも悔しいのか顔を真っ赤にして口を閉ざし、レイティアは、まるで夢見心地の夢遊病状態でまともな説明をしてくれなかった。
俺は、その異常な記憶喪失状態の中で、唯一の記憶として、あの剣士の存在がそこにあった事だけは覚えている。
そう、それは、《雷斬りの雷聖》という存在の事である。
 まあ、そこで何が在ったかなんて事は如何でも良い。
 今考えるべき事は、この身に降りかかる受難を如何するかだけである。

「ナタルス、今日こそは、決めてもらうわよ!」
「そうです、ちゃんと宣言してください。私と共に『夢』をかなえると!」
・・・嗚呼、無情かな我が人生。
「悪い、俺は俺らしく生きるから、諦めて俺を自由に生きさせてくれ!」
 俺は、これまでに何度も繰り返したその言葉を言い放ち、彼女達二人と対峙した。

 この受難が、俺に宿命付けられた『試練』なのだというのならば、俺は、その宿命たる『運命』に何処までも逆らってやろう。

 そう、俺は何時でも自由で在り続ける事を、この世界に望んだのだから。

『L・O・D ~ある冒険者の受難~』 前編

 その受難の原因を一言で語るならば、それは『口は災いの元』なのだろうか。

 俺が住む世界である『神蒼界』、そこでは今、《秩序の光》と《力威の闇》という二つの勢力が互いに争っている。
 そして、冒険者という因果な生き方を選んだ俺も又、そこで傭兵の真似事をしながら、日々の暮らしを凌ぐ身分であった。
 正直な事を言ってしまえば、俺にとって二つの勢力のどちらが世界の覇権を握るのかは、些細な問題であった。
 戦場という熾烈な舞台で強い奴を討ち破る。
 それこそがこの歪んだ世界に於いて、俺が唯一の生き甲斐とする事だった。
 そして、その為だけに俺は、戦士として自らの力を磨き上げてきた。
 常に戦いの場所を求め、節操も持たず、請われればどちらの勢力にも味方する、そんな戦狂いの俺を、他者は何時しか皮肉を込めて《怖れを知らぬ者(ベルセルカー)》と呼ぶようになった。


 それは言うならば、『運命』と呼ぶべき出会いであった。

俺は、その時、自らが好み誉れとする戦場の先駆けを以って、存分に暴れまくった高揚感に駆られるまま、魔物討伐の依頼に挑んでいた。
その異形達との戦いの最中、周囲に生じた異変の空気を感じ取った俺の耳に人間の悲鳴が聞こえた。
 それまで俺を相手に戦っていた魔物を含めた、その大半が突如、群れを成してある一箇所を目指し走り出したのである。
 そして、その明らかな異変の中心に、俺が聞いた悲鳴の主がいた。
 何が起きたのかは分からなかったが、俺には、何をするべきかが分かっていた。
 俺は、相棒であるナビを連れて、迷う事無く、敵の群れへと突進する。
『《戦神の加護》! 《猛々しき剛腕》! 《堅き護りの盾》!』
 俺のナビであるヴァレンシアは、俺の指示を受けるまでも無く、絶妙のタイミングで戦闘補助の魔法を連続発動させた。
「《狂乱の殲滅刃・改》!」
 俺は、《力持つ真名》を気合いに代えて叫び、極限まで練り上げた氣の刃を魔物達の群れへと振り放つ。
 俺が誇る戦技によって発生した無数の練氣刃は、ヴァレンシアの魔導の加護を受けて、その威力を更に高めながら前方にいる敵の一群を斬り裂いた。
 そして、狙いに違わず進む道を斬り開いた俺は、そのまま一気に魔物達の群れへと突撃した。
 当たるを幸いとばかりに、敵を得物である厚重ねの長剣で次々と討ち倒す俺の瞳に、敵のど真ん中で巨大な獣と戦う女魔導師の姿が映る。
 目の前の敵である巨獣と互角に渡り合い、更には、群がる魔物達までをも連続詠唱による攻撃魔法で退け続ける女魔導師。
彼女の鮮烈な戦い振りに、俺は、不覚にも一瞬だけ見蕩れてしまった。
『《魂を縛める呪縄》!』
 敵の自由を奪うべくヴァレンシアが唱えた魔導発動呪文の声で、俺は、正気に戻る。
『《狂戦士の乱舞斬》!』
 俺は、《力持つ真名》によって引き出された力の充足感に高揚を覚えながら、周囲に群がる敵を斬り裂いていった。
 幸いにも、倒した魔物達の屍から流れ出る血の匂いに誘われて新手の敵が現れる事は無く、俺達の周りに在った魔物達の数は確実に減っていった。
 俺が、群がる敵を屠り終えた時、件の巨獣を相手にした女魔導師の戦いにも決着が着こうとしていた。
『《アルティメット・フレア》!』
 《力導く言葉》である魔導発動呪文の詠唱を果たすと同時に、彼女が解放した魔力の烈光が巨獣の身体を灰燼に帰した。
「おめでとう!」
 俺は、彼女の見事な勝利に、敬意を込めて祝福の言葉を投げ掛ける。
 それに対し彼女は、深く息を吸い込みながらの微笑で応えた。
「ありがとうございます。貴方が助力してくれたお陰です。本当に助かりました」
 深呼吸で心を落ち着けたのであろう彼女の口から、俺に対する感謝の言葉が告げられる。
 彼女が示した実力を考えれば、余計な手出をしたと責められる可能性も考えていた俺は、素直で丁寧な感謝の言葉を告げられて安堵した。
「否、寧ろ、余計な手出しだったのでは?」
 俺は、相手の誇りを傷付けて要らぬ争いの種としないようにと、一歩身を退いた返事を返す。
「いえ、本当に危ないところでした。貴方が助けてくれなければ、精神がオーバーヒートして気絶するか、敵を凌ぎきれずに餌食となっていました」
 彼女が示すその態度に、俺は、慇懃に振舞い過ぎた事を反省する。
「本当、自分に慢心して無理をし過ぎたみたいです。助けて頂いたお礼として、これは是非、貴方が受け取ってください」
 彼女はそう言うと、自らの戦利品を俺に差し出す。
 それは、倒した巨獣の皮衣であった。
 俺には、その使い道は勿論、どれ程の価値を持つのかも分からない代物であったが、巨獣が誇った強さを考えれば、その希少性からかなりの価値が在るモノだとは分かった。
 それを欲しく無いと言えば、嘘になる。
 しかし、俺にも意地や誇りが在った。
「ありがとう。でも、それを受け取る訳にはいかない。俺は剣士だから、自らの剣で勝ち取ったモノしか自分に受け入れられないんだ」
我ながら、詰まらない意地に拘った格好の付け方だと思う。
だが、それを譲ったら、前に進めなくなる事を俺は知っていた。
否、正確には、或る存在によって教えられた。
だから、俺は、自らの力で望むモノを掴み取る為、傭兵として戦場に身を置き、その修羅の道に強さを求める事を選んだ。
「そうですか。如何やら、余計な気の使い方をしてしまったみたいですね」
 そう口にして、彼女は、済まなそうな表情を浮かべた。
「俺こそ、折角の申し出に、妙な意地を張ってしまって済まない。如何か許してくれ」
 俺は、彼女の示す態度に如何応えれば良いか分からず、苦笑混じりに詫びた。
「良いのです。そういう意地も素敵だと思いますから」
 その表情を柔らかな笑顔に変えて、彼女はそう呟きを洩らした。
「そうなのかな?」
 正直、そう素直に言われると、俺としては困惑するしかなかった。
「はい。私にもそれと似た意地というか、如何しても叶えたい目的みたいなモノがありますから」
「そう、なんだ」
 彼女が口にした言葉と共に示す強く真直ぐな意志に圧されて、俺は、戸惑うように相槌を返した。
「そうです。だから、私は、今よりもずっと強くなりたくて、それに少し焦っているから、自分に先刻みたいな無理をしてしまうんだと思います」
「そうか、俺にも貴女と同じ様な自分の『夢』に焦る想いがあるから、その気持ちも少しだけ分かる様な気がする」
 彼女が抱く想いの熱に浮かされ、俺の心は、この世界に抱いた『夢』を思い出す。
 それは、自分の心に刻み込まれた『屈辱』という傷から流れ出る血を拭い去り、その傷痕を癒す事であった。

 その『屈辱』の傷を俺に刻み込んだのは、《雷斬り》の異名を持つ者。

 それは、自らの力に己惚れた俺に、未だ癒せぬ傷と引き換えに剣士の誇りを示し教えた存在でもあった。
 与えられた完全な敗北という事実以上に、その戦いの末に彼へと抱かずにはいられなかった想いこそが、俺にとって何よりも屈辱であった。
 それは、畏怖であり、狂おしいまでの嫉妬と羨望であった。
 俺は、彼の持つ強さに狂わされ、その畏怖に縛られる事によって、それ以外の怖れを知らぬ者となった。

「貴女の『夢』、叶うと良いな」
 それが如何なるモノかは分からなかったが、俺は、同じ『夢』に焦がれる者として、真摯な想いでそう告げる。
「ありがとうございます。貴方も抱いた『夢』を叶えてください」
 俺が告げた言葉に、何故か彼女は、熱っぽい眼差しで応えて、照れたように微笑を湛える。
 彼女が示す感情の理由が分からず困惑する俺の思考を、ヴァレンシアの言葉が現実に引き戻した。
『マスター、《伝信の腕輪》が反応しています』
 魔導の力を用いて遠く離れた相手に自分の言葉を届ける道具であるそれは、戦いに生きる者にとって、仲間との連携を保つ為の命綱という役割を持っている。
 しかし、それも弧高の人間を気取る俺にとっては、無用に近いモノであった。
「戦場以外で鳴るとは珍しいな」
 実際は、音を出して『鳴る』モノでは無く、振動で反応する道具だが、俺を含めた多くの人間が『鳴る』と表現していた。

 『誰』からかなんて考えるまでも無く、相手の予想は出来ていた。
 そして、それは予想通りの相手からであった。
『ちょっと、何してたのよ。ずっと呼んでたんだから!』
 俺が話しの中断を女魔導師殿へと断わって腕輪の魔導を発動させると同時に、その存在は、開口一番で不機嫌に苛立った言葉を投げ掛けてきた。
 その態度に俺は、一瞬、発動を切断して会話を終了してやろうかと思う。
 しかし、それで済む相手でない事は熟知していたので、取り敢えず気持ちを落ち着けて、冷静に応える。
「済まない。俺を慕う可愛い奴らを相手に逢引の真っ最中だったんで、応えるのが少し遅れた」
 流石に余り下手に出るのも莫迦らしいので、軽い調子の洒落を利かせた応えを返してやった。
『ふーん。それは、それは、おモテになって羨ましい限りですね、色男!』
「(少しふざけ過ぎたか、益々機嫌が悪くなってるな)」
 やれやれ、正直、こういう面倒な流れは嫌いなのだが、仕方が無いのでまともに相手をする事を選ぶ。
「それで、一体、俺に何の用だ?」
 下手に誤魔化すより、こうやって本題に入った方が明らかに無難である。
『何の用かじゃないわよ! 貴方、今回の戦いで《闇》の方に味方したんですって! 約束が違うじゃないの!』
「ああ、悪い。向こうに付いた方が報酬と遣り合う面子が良かったんでな。俺としては、十分楽しませて貰ったよ」
 この場合の『面子が良かった』とは、敵となる相手の力量が高かったという意味である。
『ええ、そう見たいね! お陰でこっちは、楽勝で勝てるはずの戦いでボロボロよ!』
 魔導の力で他者に盗み聞きされない分、直通で頭の中に響くその怒声に、相手の激怒の程が良く分かった。
 それにしても、何時もの事ながら、感情が激しいというか良く咆える女だな。
 これで付き合いが長くなければ、今頃、戦場で会えば敵味方の関係も無しにマジで遣り合うしかない宿敵同士になっていただろうな。
 否、今でもかなり危険な関係ではあるけれど。
 とは言え、俺も《怖れを知らぬ者》という異名に掛けて、これしきの事で退く訳にはいかなかった。
「なあ、シェリア。味方の戦力が遥かに優っていた戦いを、高々、俺独りの裏切りによって引っくり返されぐらいで怒るのが、お前の求める『正義』ってヤツなのか?」
『うっ、うぐぅ・・・。わ、私はそういう事を言ってるんじゃ無くて、貴方がした約束の反故という不誠実な行いが許せなくて、それを怒っているだけよ!』
「(おお、明らかに同様しているな)」
 俺は、相手の弱点を見事に突いた自分のクリティカル・アタックに、内心で快心の笑みを浮かべる。
 そして、止めの一撃として更なる攻撃を繰り出した。
「分かった、シェリア。俺とお前はやはり、戦場に互いの意志を賭けてぶつかりあう宿命にあるみたいだな。だから、次に戦場で相見えたならば、容赦も遠慮も無く、俺に斬り掛かって来れば良い。俺もこれまでの縁を忘れて、本気でお前の相手をしよう!」
『ちょと、ちょっと待ちなさいよ! 何、独りで勝手に格好良く話しを進めてるのよ。私は、貴方と戦いたいなんて言ってないでしょう。唯、貴方に、私と交わした約束を護って欲しかっただけなのよ!』
 不思議な事に、このシェリアという女は、俺が話の展開をそっちに持って行くと急に大人しくなる性質をしていた。
 それ程までに、俺が敵である《力威の闇》を助ける事が嫌なのだろうか。
 流石は、《秩序の光》が誇るファイナル・ウェポンにして、『正義の狛犬』の英名を頂く究極の狂信者である。
 正確な事を言えば、シェリアが冠する英名は、《英戦の戦乙女(ヴァルキュリア)》であり、『正義の狛犬』とは、潔癖過るあの女に対し、俺が勝手に付けた仇名だった。

「そうか、それは悪かった。だが、俺は何を言われようとも、今の生き方を変えるつもりはない。強い奴と遣り合う。俺は、それ以外の事に興味なんか無いからな。それが気に食わないのなら、先刻も言った通りにすれば良い」
 他の事ならば、多少なりとも譲る気持ちはあるが、これに関しては絶対に譲れない。
 それを分からせる為、俺は、強い口調でシェリアへと告げる。
『分かったわ、好きにしなさい。でも、約束は約束。今回の反故にされた分は、次の戦いで必ず返してもらうわよ。それも倍返しで。良いわね!』
 シェリアは、俺の言葉を受け入れながらも、自分の主張をきっちり押し付けてきた。
 正直、そういった指図を受けるのは好むところで無いが、下手に逆らって面倒が増すのも莫迦らしいので、ここは大人しく引き下がる事にした。
「分かった、分かった。倍返しなんてケチな事は言わず、五倍、十倍の活躍で報いてやるから、精々、派手な活躍が出来る舞台を用意しておいてくれ。じゃ、そういう事で!」
 俺は、そう嘯いて会話を終わらせようとする。
 しかし、相手がそれを許してはくれなかった。
『ちょっと、待ちなさいよ。貴方、今、何処にいるのよ?』
「『何処って』、そんな事を訊いて如何する積りだ?」
 俺は、何か否な予感のようなモノを感じて、尋ね返す。
『勿論、逃げられないように、捕まえに行くのよ』
「(・・・『捕獲』ですか。ちっ、信用無いな)」
 相手が本気である事を、十二分に分かっている俺は、本気で面倒な展開になったと内心舌打ちする。

 嗚呼、本当に面倒臭い。

 それを自業自得と諦められる程、俺の人間性は成熟してはいなかった。

「悪い、シェリア。今の俺に必要なのは、唯一の自由のみだ。次の戦いには、必ず《光》サイドで参戦するから、そういう事で見逃してくれ」
 決して束縛される積りはない事を踏まえつつ、相手の行動を制止する為の言葉を告げた。
 それで引き下がる相手では無い事は、俺にも分かっていた。
案の定、シェリアの感情が激しさを増す。
『見逃せる訳無いでしょう!』
 それは、怒声と言うのも生温い一喝であった。
「何故だ? お前の目的は、次の戦いで俺が《光》サイドに付くと約束した事で果たされた筈。それまでの俺の行動なんて如何でも良い事だろう。逃げたりしないから、疑うな」
 節操を持たない俺といえども、流石に約束の反故を繰り返したりはしない。
 それが分からないような関係でも無い筈なのだが。
 シェリアは、何故かそれでも引く気配を見せなかった。
『如何でも良くないわ! そこいらの女にチヤホヤされて浮かれられて、肝心な所で役に立たないなんて事はごめんなのよ!』
「???」
 一瞬、その言葉の意味が分からず困惑する、俺。
 しかし、それが先刻の軽口に対するイヤミだという事に気が付く。
「ああ、先刻の『逢引云々』の事を言っているのなら、それは誤解だ。そんな色っぽい話しじゃ無くて、群がる魔物達を相手に大暴れしただけだからな」
 俺がそう告げると、シェリアは、妙に安堵した感じで一言、『ふーん』とだけ応える。
「という事で、俺は、疲れた。帰って、寝る」
 俺は、これ以上に遣り取りをするのもこりごりで、それだけを告げると、一方的に魔導を切断した。
 幸いにも、それ以上の追求は無く、無事に危難は過ぎ去って行った。

2008年4月20日日曜日

『L・O・D ~ある冒険者の物語・序~』

その冒険の始まりは一つの出逢いであった。

 嘗て《神》と呼ばれるその存在は、世界に一つの大地を生み、そして、その偉大なる力を示すように新たなる生命を世界に生み出した。
 《神》によって生み出された生命の一つにして、『人間』の名を与えられし者は、自分達が生きる美しき世界を『神蒼界』と呼んだ。
 しかし、《神》が世界を去り、その存在が神話へと消えた後、世界は在るべき秩序を失った。
 ある時、《神》によって生み出された世界に、《神》に逆らう邪悪なる意志が生まれた。
その意志は世界に在る為の器を得て、《邪神》と呼ばれる存在となった。
 《邪神》は、自らの邪悪なる意志に従う僕として、《神》へと反逆する生命である《魔物》を世界へと産み落とした。
 破壊の力を振るい世界を乱すその存在に対し、《神》の僕である人間達は余りにも非力であった。
 世界は《邪神》と《魔物》が支配する絶望によって終焉を迎えるかと思われた。
 しかし、世界には、その絶望に抗わんとする意思が在った。
 それは、自らの生命をも厭わず、力を求めて危険を冒し、希望の見えない戦いに挑みし者、『冒険者』であった。
 彼らは、その心に宿した不屈の意志を武器に、《魔物》達と戦い続け、終には《邪神》を討ち倒し、世界に平穏を取り戻した。
 否、取り戻した筈だった。
 《邪神》の脅威から解き放たれた『神蒼界』からは、秩序は完全に失われ、そこは力に溺れた者達の意志が支配する世界となっていた。
 世界を救った英雄である冒険者達は、その力に溺れた末に《秩序の光》と《力威の闇》と呼ばれる二つの意志に別れ、互いに相争っていた。
 二つの意志は、《王》と呼ばれる存在によって統べられ、その思惑の下で世界の覇権を握らんと戦い続けた。
 絶える事無き彼らの戦いによって生まれた混乱は、世界に在る多くの人々の意志を巻き込んで更なる争乱を引き起こした。

 そして、世界は自らの内に宿した全ての意志に問う。
『汝が求めるのは、《光》か?《闇》か?』と。


『始めまして、御主人様』
 その存在が口にした最初の言葉は、そんな穏やかな挨拶だった。
「ああ、こんにちは」
 俺は、少し無愛想な言葉を返して、相手の反応を待つ。
『ワタシは、貴方のナビ・パートナーです』
「ナビ・パートナー・・・?」
 個々の意味とその組み合わせから、その存在が言おうとしている事は何とはなく理解できた。
 しかし、聞き慣れない言葉に戸惑うように、俺は、それに疑問符を付けて反芻する。
『はい、そうです。ワタシは、貴方がこの世界で生きる上での案内を担い、そして、貴方の如何なる冒険の困難にも従う存在です。貴方に絶対の忠誠を誓う従者、それがワタシ、ナビ・パートナーです。如何か、よろしくお願いします。御主人様』
 その存在は、そうである事を誇るように語り、恭しくお辞儀をした。
 告げられたその言葉とそれに従う態度を、俺は、かなりこそばゆく感じていた。
「うーん、せめてその『御主人様』という莫迦丁寧な呼び方は如何にかならないか?」
 決してそう呼ばれる事が嫌いな訳ではない。
 寧ろ、そんな風に呼ばれる事は好きなくらいだ。
 しかし、初めて会った存在からそう呼ばれるのは、流石に多少の抵抗が在った。
『はい、分かりました。では、何とお呼びすれば?』
 そう尋ねられた俺は、自分にしては珍しく理性を働かせて応える。
「俺の名は、エン。だから、そのまま名前を呼んでくれれば良い」
『はい。では、エン様、改めてよろしくお願いします』
「ああ、宜しく・・・」
 示された挨拶の言葉に応えようとして俺は、まだその存在の名前を訊いていない事に気付く。
「えーと、キミの名前は・・・何?」
 我ながら、間の抜けた尋ね方だと思う。
 そんな俺の苦笑交じりの視線を受けて、その存在は、微笑み返す。
『ワタシには、まだ名前がありません。だから、主である貴方がお好きな名前を付けてください』
「うむぅ、そうは言われても急には思いつかないな・・・」
 これから先の同行者に対し、いい加減な名前を付ける訳にもいかず、俺は、暫し考え込む。
「(どうせなら、相応しい名前を真剣に考えるべきだな)」
 俺は内心でそう呟くと、真面目に遣るべく、目の前にいる対象の姿をじっと見詰めた。
 その愛嬌に満ちた姿は、俺の知る限りでは、或る生き物にそっくりであった。
 それは、『ネコ』である。
 その中でも、シャム猫という種類に良く似ていた。
「(だからと言って、『ネコ』から連想される名前を付けるのは、余りにも安直過ぎて詰まらないし・・・)」
 俺は、そんな事を考えながら、ふと別の事を口にする。
「先刻の言葉からすると、キミは、この世界でずっと俺と共にいる存在なのだよな?」
『はい、貴方が必要としてくれる限り、ワタシは貴方と共に在り続け、貴方と共に成長していきます』
「(『絶対の忠誠を誓う従者』としてか・・・)」
 返されたその真摯な思いに満ちた言葉に触れて、俺の頭に先刻聞いた言葉が甦る。
 そして、俺は、そこから思い浮かんだ言葉を少しだけ捻り、その存在の名前を決める。
「アユラ、だ」
『アユラ、ですか。はい、素敵な響きの名前です。ありがとうございます、エン様』
 それは『アズ・ユー・ライク(お気に召すまま)』という言葉を略しただけのモノだったが、喜んで貰えたみたいで何よりだ。
「という訳で、こちらこそ宜しくな、アユラ」
 そう告げて俺は、与えられた名前に嬉しそうにしているアユラへと微笑んだ。

『エン様の特性は、均整の取れた身体能力と柔軟な感性だと判断できます。そこから冒険者としての適正を考えると、先ずは戦士か盗賊系統の職業を得て前衛の能力を高め、その後で自分が求める力を持つ存在を目指すのが良いかと思われます』
「戦士に盗賊系か、確かに俺は、考えるより先に身体が動くタイプだし、それが良いかもな」
 アユラが指摘する通り、自分の性質を考えれば、後衛に居てチマチマと魔法を唱える魔導師系は余り好みではなかった。
 というか、正直、そういうのは何か面倒臭そうだ。
『では、戦士と盗賊のどちらの職業を選びますか?』
「その二つって、実際には如何いった感じで違うの?」
 何事も始めが肝心という訳で、俺は、取り敢えずそれだけは確認しておく。
『はい、戦士系は〈戦技〉と呼ばれる近接武具を用いた戦闘重視の技能を中心に獲得が出来、自身を成長させる事で様々な近接武具の装備や戦闘技能を扱える存在に至ります。具体的には、最初の修練を認められると、軽装による身軽さを活かした鋭い技で戦う《フリー・ファイター》。或いは、重厚な装備から繰り出す強力な一撃で戦う《ヘビー・ファイター》の職業を与えられます。そして更に自身を成長させれば、《フリー・ファイター》は、戦いの技を極めた存在である《ソード・マスター》。或いは、〈魔導〉の修練を積む事で、魔法を操る力を併せ持つ存在である《ルーン・ファイター》、強力な威力を持つ近接武具を自在に操る存在である《ナイト》となる事を許されます。《ヘビー・ファイター》は、その修練の末、《フリー・ファイター》と同じように、《ルーン・ファイター》と《ナイト》となる資格を与えられます』
「うむぅ・・・、ちょっと待った。その二つの職業を較べたら、選択肢が多い分、《フリー・ファイター》の方が良いんじゃないか?」
 俺は、アユラの説明にそんな疑問を抱き、その事を尋ねる。
『はい、確かにそうです。しかし、《フリー・ファイター》は、扱える初期近接武具の種類にある程度の制限を受けるのに対し、《ヘビー・ファイター》には、その制限が存在しません。それに加え、二つの職業には、最終的に至れる最高位の職業に於ける制限が存在します。全ての戦技を極める事が可能な純然たる戦士の最高位に位置する《マスター・ファイター》には、《ソード・マスター》を経た者のみが至れますが、それとは逆に、《ソード・マスター》となった者は、戦士としての力に高位魔導を操る力を併せ持つ存在である《ホリー・ナイト》に至る為の資格を得られません。《ヘビー・ファイター》は、《ナイト》を経る事によって、《フリー・ファイター》と同様に、《神》の加護を受けた強力な攻撃を繰り出す存在である《パラディン》へと至れるだけではなく、全ての近接武具を操り強力な戦技を誇る存在である《マスター・ナイト》に至る資格を得られます』
「要するに、最終的な目標として《マスター・ファイター》を目指すなら、最初に《フリー・ファイター》を選ぶ必要があるという事か。でも、それなら最初に《フリー・ファイター》を選んでおけば、最終的にはどの職業にも至れるだろう?」
 そう考えれば、又、話しが元に戻ってしまう。
『はい、そうですが、最高位の職業へと至るまでに、如何なる道を歩くかによって、培われる戦闘能力や獲得できる戦闘技能に幾らかの差が生じます。それに、選んだ職業のみに限らず、選んだ戦い方によってもそこに多少の差を生じる事となります』
「戦い方?」
『はい、そうです。それは言い換えるならば、この世界でどの様に生きるかの差とも言えます。力を求めて己を磨く事のみを選ぶ者。世界を深く知る為に冒険の旅を求める者。或いは、自らの求める『夢』を探す為に生きる者。其々が持つ様々な個性によって、千差万別の生き方が此処には存在します』
 アユラは、そこまで語ると一端言葉を切り、閉じた瞳と共にゆっくりと息を吸い込んだ。
 そして、その瞳を静かに開くと、そこに深い想いを込めた色を宿して、再び語り始める。
『《神》と呼ばれる存在が去り、この世界から秩序と平穏は失われました。しかし、それでも尚、生きる為の自由は在り続けています。だから、エン様。貴方は、この世界を自分らしく生きてください。ワタシは、貴方が抱くその意志を護り支え続ける為に存在しています』
 その言葉に俺は、目の前にある存在が『ナビ・パートナー』と呼ばれる意味を理解した。
「ありがとう、アユラ」
 アユラが示した想いを受けた俺は、素直な気持ちで感謝の言葉を紡ぎその頭を撫でる。
 それに対し、アユラは、嫌がる事無く嬉しそうに目を細めていた。

 アユラから、もう一つの前衛系職業である盗賊に関する説明を聴いた俺は、戦士となる事を選び、その資格を得る為の『試練』に挑戦する。
 それは、《冒険者ギルド》にもたらされた魔物討伐の『依頼』を果たす事であった。
 アユラの適切な支援を受けて、俺は、見事に洞窟へと巣食った魔者達の親玉を倒す事に成功する。
 そうして無事に課せられた試練を果たした俺は、《フリー・ファイター》となった。

『おめでとうございます、エン様』
 晴れて戦士となり、冒険者の一員に加わった俺に、アユラが歓びと祝いの気持ちを込めた言葉を掛けてくれる。
「ありがとう。こうして無事に冒険者となれたのも、アユラのお陰だ」
 俺は、感謝の言葉を口にして嬉しさ混じりに笑った。
『エン様、これから先は如何しましょうか?やはり、《秩序の光》か《力威の闇》の何れかの勢力の下、戦場で華々しい活躍を示す英雄となる事を選びますか?』
 アユラは、これからの冒険に於ける指針を求め、それを俺に尋ねる。
「否、アフラ。確かにその生き方には、『華』が在る。しかし、そこには、俺が求める『萌え』がない。そう、俺がこの世界に求めるモノ、それは『萌え』だ!」
 俺は、そう言い放って、我ながら莫迦な事を口にしたと少しだけ後悔する。
 そんな俺に対し、アユラは、困惑の表情を浮かべていた。
「(あーあ、これは呆れられたな。否、それ以上に軽蔑か・・・)」
 内心でそんな事を呟く俺に、真直ぐな視線を向けて、アユラが口を開く。
『・・・《萌え》ですか?それは、一体、どの様なモノなのでしょうか・・・?』
 その言葉の意味が分からなくて困惑気味に尋ねるアユラ。
 俺は、困ったように照れるアユラの仕草が可愛くて、調子に乗る。
「宜しい。アユラ君、キミに『萌え』が如何なるモノであるかを教えてあげよう」
『はい、お願いします!』
 嬉しそうな眼差しを返すアユラの反応に、俺は、益々調子に乗って行った。
「『萌え』と言うのは、そう、それは喩えて言うならば、人間にとって最高の嗜好を示す言葉。そして、その言葉を与えられる者にとっては、名誉の極みとなる最高の賛辞だ!」
『それは、とても素晴しいモノなのですね!』
 そう口にするアユラの瞳には、感動にも似た感情が存在していた。
「そうだ、『萌え』はサイコぉーに素晴しいモノだ!」
 更なる調子に乗った俺は、もう止まらなかった。
「『萌え』の形は十人十色、それこそ千差万別という言葉でも収まり切らない程に多様だ。その事は、俺自身も良く分かっている。それでも、否、それだからこそ、俺は声を大にしてこう主張したい。『ネコ耳メイド服は、漢のロマンだ!』」
 思わずそう叫んでいた俺に、周囲の冷たい視線が突き刺さる。
 それを反省したときには、もう遅かった。
 それは、この世界に於いて俺に対する周囲の評価が完全に大多下がりした瞬間であった。
 しかし、それは唯一の存在を除いてであった。
『エン様、ワタシにもその『萌え』はありますか?』
 アユラが真剣な表情で尋ねる。
 否、寧ろ、それは『真摯』と呼ぶに相応しいモノですらあった。
「ああ、ちゃんとあるよ。そう、俺にとって最高に魅力を感じる対象の『ネコ耳』がな!」
 『毒を喰らわば、皿まで』と完全に開き直った俺は、そう言い放つ。
 それによって、遠巻きに見る周囲の視線の冷たさが増すが、今の俺にとって、それ自体は大した問題ではなかった。
 しかし、それがアユラにまで向けられている事は、正直、忍びなかった。
「済まない、アユラ。キミにまで恥ずかしい思いをさせているな」
 冷静になって反省の言葉を口にした俺に、アユラは、キョトンとした表情を返す。
『エン様、如何してワタシに謝るのですか?』
「如何してって、周りの反応が気にならないのか?」
 俺は、逆にアユラへと尋ね返した。
『ワタシをワタシ足らしめる根源。その魂と呼ぶべきモノを与えてくれた存在が、嘗て《私》に、自分が好きなモノを好きと言える事は素晴しい事だと教えてくれました。そして、貴方にとっての『萌え』なるモノが、ワタシの身に少しでも存在すると言ってもらえた事は、名誉にして賛辞であり、誇りでもあります』
「『誇り』、・・・か」
『そうです。それが貴方にとっても誇りと呼べる想いであるのならば、貴方はそれを貫けば良いのです。貴方がそれを意志として持ち続ける限り、この世界に於いて、貴方を力で屈する事が出来る者が在ろうとも、貴方の誇りまでも屈する事が出来る者は在りません』
 その言葉に込められた深き想いを感じ、俺は、詰まらない事を考えたと反省し直す。
 思えば、今、俺の目の前にいる存在は、出逢ったその瞬間から、俺の全てを理解し受け入れる絶対の意志を示していた。
 それを俺は、理解しきれていなかった。
 俺との間に生じた僅かな沈黙を如何理解したのか、アユラが再び口を開く。
『エン様、この世界は、多分、貴方が考えている以上に残酷で非情な場所だと思います。だからこそ、強くなってください。如何なる意志の前にも、自らが抱いた意志を踏み躙られる事が無いように・・・。そして、ワタシも貴方と共に強くなります』
 それは、アユラが俺を想って抱いた一つの願いであり、又、自らに課した誓いであった。
 だから、それに対する俺の応えは決まっていた。
「ああ、分かった。一緒に強くなろう」
 そう口にした俺は、アユラの信頼に報いる為にも、必ず強くなるという誓いを自分の心に刻み込んだ。

 俺の『萌え』話を真剣に捉えたアユラは、世界の何処かに自らの姿を望むままに変える力を持つ《転化の宝珠》という秘宝が存在する事を教えてくれた。
 そして、俺は、その秘宝を探す冒険の旅に出る事を決意する。
 俺は、当ても無い秘宝を求めるその旅の困難よりも、純真な心を持つアユラと共に進む旅の喜びを自らの胸に抱いて、この世界に生れ落ちた場所である《始まりの街》を後にした。

 この先に待ち受ける幾多の試練を前に、俺は、微塵の恐れも抱いていなかった。
 それは、アユラという心強い味方の存在があればこそであった。


 こうして、後に数奇な運命へと至る俺とアユラの冒険の旅は始まった。

 そう、それは正に、俺にとって『運命』の始まりであった。

2008年4月13日日曜日

『M・O・D+えふ~ある冒険者の災難~』 (下編)

「否、済まない。笑い過ぎた。それにしても、君たちは、本当に最高だよ」
 ひとしきり笑い続けて尚、まだ笑い足りないのか必死にそれを抑えながら、彼は言葉を続けた。
「この俺に本気で戦いを挑んだ君達の勇気は、あの《怖れを知らぬ者》の異名を誇るナタルスすら凌ぐ無謀だよ。否、間違いなく、ヤツを超えたな」
・・・それ、全然、褒めていませんよね、ねぇ?
「あのぉ、そろそろ怒っても良いですよね?」
・・・冗談抜きで、否、マジで。
「ああ、好きにすればいい」
・・・そう言われるとこっちも困るのですが。
「しかし、久々に愉快だった」
・・・こりゃ、マジで駄目かもしれません。このヒト。
「少年、そう失敬な事を思わないように。まあ、それは良いとして」
・・・良いんですか?そこを普通に流して。
「本題に戻るとして、今回の問題に於ける君達の処分だが、『不問』という事で良いか?」
「・・・否、それは私たちに訊かれても困るんですが・・・って、えぇーっ!!」
・・・貴方というヒトは、全く以って意味不明な事を・・・って、えぇーっ!
『それで良いんですか!?』
・・・又、ハモった。
「駄目なら、ちゃんとペナルティー考えるけれど、正直、そんな事を考えるのも面倒くさいからな。それに他者の痴話喧嘩に首突っ込んで《恋の守護神獣・兎魔(うま)》に蹴られるのは、俺の趣味じゃない」
・・・だから、痴話喧嘩じゃないと言ってるでしょう。それ、わざと言ってますね。
「あのぉ、面倒ごとは厄介なんじゃ・・・?」
「ああ、それは安易に見逃せばの話だから、そう問題は無いだろう。忘れたのか、この世界に住む者の宿命は、『絶対なる自由』だ。『汝、望むべきを為せ』というその宿命は、《神》が人々に与えた福音であり、そして、呪いだよ」
 そう語る彼の瞳に皮肉の色が浮かぶ。
「『呪い』ですか?」
「そう『呪い』だ。望むモノの全てを許す代わりに、そこに生じるモノの全てを受け入れさせる宿命。それは『呪い』と呼ぶほうが相応しいだろう。この世界を統べる《神》は、人々に全ての自由を許した。ならば、君たちが如何なる罪を冒そうとも、そこに確かな想いや意志が存在する限り、それは許されるべきモノだという事だ」
「・・・」
 彼が語る言葉を受けて、彼女の表情が僅かに曇った。
「それでは、この世界に秩序は存在しないという事ですか?」
「《使徒》の一人である君がそれを俺に問うのか?」
 彼は、彼女の問い掛けに問い掛けで答える。
「それは・・・」
「まあ、良い。それに対する俺の答えは、既に定まっているからな」
 そう口にした彼の瞳に再び皮肉の色が浮かんだ。
「『秩序』なんてモノは、時に身勝手な支配の意志を助長する力しか持たないお為ごかしに過ぎない。『力無き正義が理想に過ぎず、正義無き力は暴力に過ぎない』、ならば、『真の正義』とは一体何処に存在し得るモノか。その答えを示した者こそが《マスター・オブ・ドリームズ》たる存在と呼ばれ、この世界に於ける真の秩序を成すのだろう」
「(彼が求める『秩序』とは、今、この世界には存在せず、これから生み出されるモノであるという事か・・・)」
 オレは、彼が時折見せる皮肉の正体が、この世界を知る者として抱いた絶望である事に気がつく。
「そして、俺がこの世界に見る『夢』は、その《夢喰らい》の皇たる者と刃を交える事だ」
 彼の口から出た『夢』という言葉に、オレは、深い意味がある事を感じる。
 彼が世界に抱いた『絶望』を贖うモノ、それが『夢』の実現なのだと。

「さて、一応は負った務めも果たした事だし、ここら辺で俺は消えるとしよう。少年、お嬢さん、元気でな。では、さらば!」
「ちょっと、待って!」
 立ち去ろうとする彼の背中を、彼女が呼び止める。
「まだ貴方の名前を聞いてないわ」
「おっと、それは失敬!・・・って、それはお互い様だ」
・・・確かに。
「まあ、良い。名乗るほどの者ではないが・・・」
・・・それは冗談かイヤミですか?
「オレは、リアト。通りすがりの《オーダー・キーパー》だ。で、そちらは?」
「私は、シィア。見た目通りの《魔司》です」
「オレは、エイシン。修行中の冒険者です」
 其々が別れの時になって、初めて名乗り合うその奇縁に、オレ達は苦笑を浮かべた。
「エイシンか、それは良い名前だ。これも何かの縁、一つ面白い冒険者の話をしてやろう」
「ええ、是非」

 そして、彼は、語り出した。

 それは、彼曰く、『この世界で最も愚かなる冒険者の物語』。

 その冒険者は、自らの身に魔導の素質を持たず、それ故に、魔導に対する耐性が皆無である事を他の冒険者より嘲られた。
 しかし、彼には、その非力を補う二つの存在が在った。
 その一つは、何者にも負けぬ強き意志。
 そして、もう一つは、彼を常に支え続けたパートナーたる者。
 彼は、戦士として唯ひたすらに剣の技のみを磨き上げ、終にはそれを極めるに至った。
 その彼の戦い振りは、力への渇望に満ちたモノであった。
 しかし、彼の戦いの意志は、《光と闇の争乱》に於いても、人間に向けられる事は無かった。
 それは、彼が《神の武具を鍛え上げる者》と讃えられた伝説の名工・イルグオードより託された剣《ガーディアン・ブレード(守護する者の魂に似た刃)》に、力の意味を教えられたからであった。
 その《ガーディアン・ブレード》を以って、邪神と呼ばれる存在を討ち倒した《神殺し》の偉業者。
 荒ぶれる彼の戦い振りに与えられた異名は、《雷斬り》。
 そして、その真の名は、雷聖。
 後に、前人未到である全大地の踏破を以って、《マスター・オブ・LOD(ろど・冒険皇)》の英称を冠する『達成者』の一人である。

「彼のどこが『最も愚かなる冒険者』なんですか?」
 オレは、語り終えた彼へと尋ねる。
「自ら、危険を冒して生きる存在の中で『皇』とまで呼ばれるまでに至った事。そして、未だに、自分をその最高の冒険者へと導いてくれた存在であるパートナーに、素直な感謝の想いすら告げられずに逃げ回っている事がその最たる理由だな」
 彼は、そう応えて笑った。
「エイシン、この世界では、誰も自分一人では強くなれない。お前が本気で強くなりたいと望むのならば、時に共に戦う仲間であり、時に自分を磨く好敵手となるそんな存在を見つけることだな」
「如何して、それをオレに教えてくれるのですか?」
 オレは、彼が手向ける餞別の言葉を受けて、それを尋ねずにはいられなかった。
「それは、先刻のお前と彼女の姿が、常に無謀を好んだその冒険者とそれを支えたパートナーの二人にどこか似ていたからだ」
 そう語った一瞬、彼は、何かを懐かしむ様に微笑む。
「そうね、彼の言うとおりだわ、エイシン。皆、誰かと一緒になって強くなるモノよ。という訳で、この私が貴方の先生になって、貴方を最高の冒険者へと導いて上げましょう。光栄に想いなさい!」
「それは良い。男として責任とケジメをつける為にも、黙ってそれを受け入れておけ、エイシン」
 シィアの言葉に賛同して愉快そうに笑うリアト。
 その瞳が意地悪く『ご愁傷様』と語っているのをオレは見逃さなかった。
・・・このヒト、確信犯だ。
 オレは、彼がこの展開になる事が分かっていて、件の話をした事に気がつく。
「そうそう、諦めなさい、エイシン」
「丁度、話しも纏まった事だし、君達の邪魔をするのも野暮なんで、俺は退散するとしよう。では、エイシン、シィア、さらばだ。良い、夢をみろよ!」
・・・否、話しが纏まるも何も、最初からオレに決定権は無かったんですが。
 恨みがましく去り行く彼の背中を見詰めるオレの想いが届いたのか、直ぐにリアトが立ち止まり振り替える。
「そうだ、若し猫っぽい生き物が俺を探しに現れたら、俺は、二人の思い出の場所に居ると伝えてくれ、頼んだぞ。では、さらば!」
 リアトは、無駄に爽やかな笑みを浮かべてそう言い残すと、今度こそ本当に去って行った。

 疾風のように現れたリアトが、疾風のように消えた後、去り際に言い残した言葉の通りにそのヒト(?)は現れた。
 真綿の如き純白の毛に、ケモノの耳を持つ亜人種。
 愛嬌のある顔立ちから成るその容姿は、リアトが語ったそれが最も相応しかった。
・・・確かに、猫っぽい(納得)
「ごめんなさい、ここら辺で妙に剣の腕が立つ割に、どこかしまらない《剣皇(マスター・ファイター)》を見なかった?」
・・・言われてますよ、リアト(ぷぷっ!)
「リアトなら、先刻、あっちの方へ行きましたよ」
 俺は、彼が去って行った方向を指差し応えた。
 それに対し、一瞬、怪訝そうな表情を浮かべた彼女(?)は、その表情を明らかな疑いの色に染めて俺を見詰める。
「嘘、ついてないわよね」
・・・いきなり、それは厳しいお言葉ですね。
 その俺の想いが伝わったのか、彼女(?)の表情が少し和らいだ。
「彼が言っている事は本当です」
・・・シィア、ナイス・フォロー!
「そうよね、エンくん達じゃあるまいし、嘘ついて庇う事なんてしないわよね。でも、若し、嘘だったらお仕置きよ」
・・・あの、笑っていない目が、スゴく怖いんですけど(冷汗)
「いや、嘘も何も、彼から貴女(?)への伝言も預かっています」
「彼は何て?」
・・・まだ、何か疑ってますですか?
「えーと、二人の思い出の場所で待っているそうです」
・・・あれ、少し違う?
「確か、そんな感じで間違いなかったわ」
 確認するように向けたオレの視線に気がついて、シィアは、思い出すように応える。
「うーん、『待っている』。これは、何かのワナ?『思い出の地』、それってどこよ?私を試す気かしら?うーん」
・・・『ワナ』、ですか、お二人は一体如何いう関係なんですか?
 彼女(?)は、頭を抱えるようにしてうずくまり考え込む。
「あの、考えても分からないのならば、一刻も早く追いかけた方が良いのでは?」
 シィアは彼女(?)の反応を見かねてそう提案する。
 それを聞いた」彼女(?)は、突然、すくっと立ち上がった。
「そうね、貴女の言う通りだわ。ありがと!」
 そう告げると、彼女(?)は猛然とした勢いで走り去って行った。
・・・捕獲が成功する事、陰ながら祈っております(合掌)。

「やっぱり、そうだ・・・」
 消えた見えなくなった彼女(?)の姿を見詰めるようにしたままで、シィアがふと呟いた。
「?」
「《秩序の管理者・リアト》、彼こそが《雷斬りの雷聖》。そして、彼を追いかけて行ったのが、そのパートナーである雪華さんに間違いないわね」
 シィアの言葉を聴いて、オレは、全てを納得する。
 否、若しかしたら、それを聴くまでもなくオレは、その事を分かっていたのかも知れなかった。
 その証拠に、オレの心には、彼の正体を知った事に対する驚きは微塵も存在していなかった。


 これが、後々までオレという存在に、色々な意味で大きな影響をもたらす人間たちとの最初の出逢いであった。

『M・O・D+えふ~ある冒険者の災難~』 (中編)

オレが奪われた視界を取り戻した時、そこに映ったのは、悠然と立つ男と、その足元に倒れ伏す女魔導師の姿であった。
「幾ら、猪みたいに襲い掛かって来たとはいえ、本気でやり過ぎたな」
 口にしたその言葉とは裏腹に、男の表情に反省の色は無かった。
「まあ、自業自得だし、仕方が無いか」
 男は、付け加えるように言って、快心の笑みを浮かべた。
・・・うわぁ、鬼畜。
「あっ、今、ヒトの事を『外道!』って、思っただろう?」
「(いえ、正確には『鬼畜』です)」
・・・なんて事は、口に出して言えないけれど。
 ってな感じで無言の視線を返すオレに、男は、満面の笑みを浮かべ返した。
「言っておくが、彼女が俺に対してやった事に較べれば、俺が彼女に仕返した事なんて、『優しい』を通り越して『甘い』くらいだぞ」
・・・ああ、それなりに、自分のした事の自覚はあるのですね。
「あの助けて貰っておいて何ですが、流石に戦闘不能状態の失神はやり過ぎなのでは・・・?」
 オレが思わず吐露してしまった言葉に、男の表情が一瞬にして和む。
 内心で、『しまった』と後悔していたオレは、男の反応に正直面食らう。
「少年、君は、莫迦に近いお人好しだな」
尋ね返すまでも無く、オレには、それが褒め言葉である事が分かっていた。
「まあ、モノのついでという事で言っておこう。若しもオレが彼女の魔法から君を庇ってなければ、到底失神では済まない大惨事の犠牲者になっていたのは、君の方だぞ」
 男は、そう語って愉快そうに笑った。
・・・否、そこ笑うトコじゃないんですが(苦笑)。
「ええ、それは良く分かっているのですが・・・」
「否、君は良く分かっていない。俺たちの使う戦技なら、時に手加減の入れようもあるが、魔導に情けや容赦は存在しないからな。多分」
・・・って、『多分』ですか。
「アレは、感情で動く生き物に与えるには、危険すぎる力だ。なのに、この『世界』を統べる《神》ってヤツはそれを理解していないみたいだな。全く、面倒な事だ」
・・・このヒト、《神》に対し、面と向かって文句を言ってるよ。
「それに、魔導師の中には、自分の操る力を誇る余り、傲慢に近い勘違いをしている人間も結構居るからな。戦士の端くれとして、『魔導、最強!戦技?何それ、脳ミソ筋肉のオマケ攻撃ですか?』とか思われるのも詰まらないから、究極の戦技による魔導回避ってモノを示してみたりしている訳よ」
「魔導師が嫌いなんですか?」
 オレがそんな事を尋ねると、男は、考え込むように一瞬沈黙する。
「うーん、正確に言えば、嫌いなのは、魔導師ではなく、魔導の力の方かな。だって、『アレ』、反則に近いだろう?」
 オレは、屈託の無い笑みで語られたその言葉の奥に、深い意味が存在している事を何となく感じる。
「まあ、俺は、『《神》の悪戯』ってヤツで、魔導耐性に欠しい体質をしている分、人一倍魔導に対する反発心が強いだけだけど」
・・・あれ、今、このヒト、何か引っかかる事を言わなかったか?
 しかし、それが『何』なのか分からないので、取り敢えず俺は、もう一つの疑問を口にした。
「だから、あんな『奇跡』みたいな事が出来るようになったのですか?」
「起こり得る『可能性』の中で最良の結果に至るから、それは『奇跡』なんだ。俺が使っているのは、唯単に自分の技を極限まで究めただけのモノ。その気になれば、あれぐらい誰でも出来るようになる『必然』だよ」
「・・・マジですか?」
 事無げに言ってのける男の言葉に、オレは、半信半疑で尋ね返した。
「ああ、必要なのは、その気になる気合いと根性だけだよ。まあ、格好の良い一言で言うならば、『真に抱いた想いは意志となり、その強き意志は全てを凌駕する』という事だな。この世界は、本気で強くなりたいと望めば、それが叶う場所だからな」
「正に『夢喰らい』ですね」
 それが持つ意味を体現した存在を前にして、オレの口から自然とそんな言葉が零れ出た。
「俺の場合、他者の『夢』を喰らったというより、自分の弱さに涙を呑んだという方が正しいけれどな」
 そう語る男の顔には、先刻の戦いに示した表情とは真逆の真摯に過ぎる笑みが浮かんでいた。
「オレでも、貴方のように強くなれますか?」
 それは、それこそ本の少し前に邂逅しただけの相手に尋ねる事ではないことは分かっていた。
 それでも、オレは、それを尋ねずにはいられなかった。
「ああ、君ならそれも叶うと思う。強くなければ優しくなれないし、優しくなければ強くなる意味は無い。強さの意味や求め得た力の使い方も人間それぞれだろうけど、本当に強くなる人間には、それだけの理由が在るモノだ」
「貴方にも、強くなる『理由』が在ったのですか?」
 オレは、男が語る言葉に込められたモノに、純粋な興味を抱いて尋ねる。
「ああ、勿論。だが、少年、それを訊くのは野暮ってモノだ」
 男は、少し照れたように笑い、そして、それを隠すように更なる言葉を続けた。
「それに、俺にとっての理由が、君にとっての理由になるモノでは無いだろう」
「確かに、そうですね」
 指摘された事実にオレは、それを踏み込むべき事ではなかったと自覚する。
「助言、という訳ではないが、一つ良い事を教えてあげよう。この世界に於いて、多くの人間が知る所の所謂『達成者』についてだが、彼等とてそれ程に崇高と言える理由を以って、強くなった訳では無い。《マスター・オブ・マスター(至高の英皇)》の英称を関する者ですら、最初は唯のお気楽冒険者に過ぎなかったし、他の面々にしてもそれとそう大差があった訳でも無いな」
「でも、それなら何故、彼等は今に至る偉業を達成できたのですか?」
 そこに結果へと及ぶ理由が無ければ、それが果たされる事は在り得ない。
 だから、オレは、その『答え』の一端を問う。
「それは多分、純粋な莫迦に優るモノは無いという事だろう。俺が知る限り、彼等以上の純粋に莫迦な目的を求める変り種は、この世界には未だ現れていないからな。何よりも、この世界を統べる《神》こそが、そんな伊達や酔狂を一番に好む存在だから、それもまた必然なんだろうさ」
 男は、そう言ってのけると愉快そうに笑った。
「貴方もその純粋なる愚者に連なる一人なのですか?」
「俺は、そんな格好の良いモノではなく、暇と退屈を何よりも厭う唯の物好きな人間というだけさ」
 そんな『大嘘』をついて、男は、再び愉快そうに笑う。
 『貴方は一体何者なのですか?』とは、何故か尋ねられなかった。
 代わりにオレは、こう尋ねた。
「貴方は、何故、オレを『助けた』のですか?」
 その問い掛けを聴いた男の表情が一瞬だけ真顔になる。
「言っただろう。俺は、唯の物好きだとな。気紛れだよ」
 直ぐに軽い調子に戻って応える男の言葉には、微塵の嘘も存在していなかった。
「敢えて理由が要るならば、それは、この世界で強い相手と戦いたいと望んでいるからだ」
 オレは、その大胆不敵な言葉を聴いても、不思議と不愉快には感じなかった。
 それは多分、目の前に居るこの男が本気でそれを渇望しているからだろう。
 その愛すべき愚望に対し、憧れにも似た想いを抱くオレの目の前で、すっかりその存在を忘れていた『ソレ』が目を覚ました。
「ちょっと!ちょっとぉ!貴方達、他者の頭上で何を男同士で良い雰囲気を醸し出してくれちゃっているのよぉ」
 気絶から復活した女魔導師は、開口一番で微妙な発言をかます。
「おお、お目覚めですか、眠り姫!」
・・・ああ、貴方は、そんな火に油を注ぐような事を。
「・・・殺す!」
「おー怖い。助けて、剣士様!」
・・・否、無理です。実際。
「と、まあ、冗談はさて置き。先刻の一戦でまだ目が醒めないというのならば、今度こそ真面目に相手をする事になりますよ、お嬢さん」
・・・あのぉー、それって先刻のはまだ遊びアリのレベルだったという事ですか?
「・・・分かったわ」
・・・おー、退いた。
「でも、それとは別に、彼には責任と言うか,ケジメと言うかは、ちゃんと取って貰います。男としてね!」
・・・あのぉー、如何してそこで妙に紅くなるんですか?
「だそうだ、少年」
・・・そして、貴方は何故、そんなに楽しそうなんですか?
「そもそも、君らの痴話喧嘩の原因は何なんだ?」
『痴話喧嘩なんかじゃないです!』
・・・うわぁっ、ハモった!
「ああ、そう。それは妙な誤解をして済まない」
・・・全然、済まないなんて思っていませんね?
「いや、男と女が命懸けで剣と魔法の攻防を繰り広げる理由と言ったら、それぐらいしか思い至らなくてね」
・・・如何いう思考ですか、それ。というか、オレが一方的に攻撃されていただけなんですが(悲哀)。
「それで、何が如何して、彼に男の責任とかケジメが必要なのかな?」
・・・うぬぅ、その満面の笑顔が怖いんですけれど。
「それは、このケダモノがドサクサに紛れて私を押し倒した上に、私の・・・、私の・・・、唇を奪ったのよぉー!」
・・・そう参りましたか。というか、押し倒されて唇を奪われたのはオレの方です。
「ほうほう、それは災難だったねぇー」
・・・スミマセン。何故、今一瞬やり遂げた者の笑みを浮かべたのですか?
「でしょ!でしょ!その上、このケダモノは、責任も取らずに逃げ出そうとしたのよ!」
・・・それは誤解です。正しくは、身の危険を感じて思わず逃げただけです。ハイ!
「成る程、成る程。それは酷いねぇー」
・・・否、そんな風に納得されても困るのですが(涙)。
「で、少年、実際の所は如何なんだ?」
・・・おおー、その言葉を待っていました!
「確かに、事実も含まれていますが、全部誤解です。彼女から逃げようとした拍子につまずいてバランスを崩し、その結果、彼女を巻き込んでもつれる様な形で倒れて、それでその・・・、そんな状況に・・・」
「ああ、そうか、そうか。所謂、『事故チュー』ってヤツだな」
・・・そうです!その通りです!全ては運命の悪戯、事故だったのです!
「二人共、ごめんねぇ」
『???』
・・・うぬぅ?何故、何を、貴方が謝る?
「君たちのそれ、不純行為として《天罰》の対象なんだ」
・・・えーと、《天罰》ですか?
「・・・」
 耳にしたその言葉の意味を理解できずに困惑するオレ。
それに対し、俺と同罪(?)となる彼女は、それまでの不遜な態度に反して、信じられない程に青ざめていた。
「少年はともかくとして、お嬢さん、君は流石に立場上、マズイでしょう、実際」
・・・スミマセン。全然、話に付いていけないんですけれど。
「・・・はい。その通りです」
「正直言って気の毒だとは思うけれど、こればっかりは仕方がないんだよな」
・・・あのぉー、《天罰》って何ですかぁー?
「少年、意味が分かってないな?」
・・・はい。
「そうか、ならば説明しよう!この世界には、その絶対的意志の存在である《神》によって定められた《真諦》と呼ばれる戒めがあってね。その中の一つに、『人の心を乱す不純なる器の接触を戒むべし』と定められている訳だ」
「・・・?」
・・・それは如何いう意味でしょうか?
「簡単に言えば、『他者の前でベタベタするな!』ということだな」
・・・うわぁ、スゴく分かりやすいです。って、あれ!?
「それって、まさか・・・?」
「ああ、今回の君たちも引っかかります」
・・・マジですか!
「だって、アレは明らかに事故じゃないですか!」
「ああ、そうだな」
・・・じゃ、セーフ?
「否、アウト!」
・・・お願いします。心を読まないで下さい。
「無理、君は思っている事が顔に出過ぎ」
・・・そうですか。
「まあ、それだけならば、唯の事故で片付くのだけれど、今回に至っては、それでは済まないんだよねぇ」
・・・そんな楽しそうにいわないで下さい。
「ごめん」
「?」
・・・今度は、貴女が何故、何を、謝るんですか?
「そうだね。君が悪い」
「はい。分かっています」
・・・オレには、さっぱり分からないのですが。
「了解、了解。少年、この世界の《神》はね、自分が《真諦》に定めた戒めを人々に護らせる存在として、《使徒》と呼ばれる代行者を選んだ。正確に言うとそれとは少し違うのだけれど、俺もその《使徒》と呼ばれる存在と同じ様な役目を与えられている訳だ。実際は不本意なんだけどな。それはさて置き、そこにいる彼女こそ、正真正銘の《使徒》だよ」
「えっ!?」
・・・マジ、ですか?
 驚き思わず視線を向けたオレに、彼女は無言で頷いてそれを肯定する。
「で、ここで考え見てくれ、少年。《使徒》という特別な使命を与えられた存在である彼女が、果たすべき使命を負って現れた俺へと、感情に任せて問答無用の攻撃を仕掛けた。その事実の重さは如何ほどのモノだろうね」
・・・洒落では済みませんね。
「そして、少年。君は、知らなかったとはいえ、《天罰》に値する罪を犯し、その上、それを酌量して見逃そうとした俺の申し出を敢えて拒んだ訳だ」
・・・えっ、そんな(ヒドイ)。
「ああ、そうだ、少年。君には、もう一つ罪が在ったな」
・・・えーと、何ですか?
「君は、彼女の攻撃から身を呈し庇ってまで事態の収拾に努めた俺に対し、礼を言うどころか『外道!』とか思ってくれてたな」
・・・否、正確には『鬼畜』です。
「ああ、そうそう、『鬼畜』だったな」
・・・心で思った分までカウントされても、ねぇ。
「否、俺個人としては、別に君らの事を咎めようなんて思ってはいないんだがなぁ。ここで安易に見逃して、こっちに面倒が転がり込んでも厄介だしなぁ。という事で、俺の幸せの為にも取り敢えず、君たち二人には大人しく消えて貰うとしようかな。本当に、ごめんねぇ」
・・・否、そんな風に、楽しそうに言われても全然、説得力がないのですが。
「じゃ、始めようか」
 事無げに言って、男は、手にした長剣を構える。
「(こうなれば、もう覚悟を決めるしかないのかな)」
 オレは、妙に悟って得物である剣を鞘から抜き放った。
「遣らなきゃ、遣られるだけです。犯した罪が消せないのならば、贖う事を選ぶより生きる事を求めるべきじゃないですか?」
・・・我ながら、何とも大それた事を言っているのだろうね。全く。
 しかし、それでも少しは意味があったみたいで、同じ罪を負った彼女も覚悟を決めて頷いた。
「私の魔法で彼の動きを出来る限り止める。彼を倒す役目は貴方に任せたわよ!」
「了解!」
 そんな遣り取りを交わして、オレと彼女は互いに不敵な笑みを浮かべ合う。
 正直、倒せる可能性は皆無に近い。
 それでも、それが零ではないならば、それに賭けてみるのも良い。
 そんな想いがオレに勇気の決断をさせたのだろう。
「(これで勝てたら、正に『奇跡』だな)」
・・・『可能性』に『奇跡』か、ならばその先に在るのは、『最良』か、或いは『必然』のどちらかなのだろうか?
「(倒すべき相手の言葉に縋るとは、本当、オレも全く以って情けないな)」
「覚悟も決まったみたいだし、そろそろ行くぞ!」
・・・いやはや、何ともニクらしいヒトだよ。貴方は!
「そうはさせないわよ!」
 言い放つと同時に、彼女が発動させた魔導の力が解き放たれる。
 そして、オレは、迷う事無く動いた。
「フッ、甘いな!」
 短く言って横薙ぎに振るわれた長剣によって、彼女が放った攻撃魔法が相殺される。
 これは、オレと彼女にとって予測の範疇にあり、そして、作戦の成功を意味していた。
「貰った!」
 オレは、男が柄を絞って振るう長剣を止めるその隙を狙って、決着となる快心の一撃を振り下ろす。
『《霧氷月華》!』
 オレの攻撃がその身体を捉えた刹那、その《力持つ真名》を示す声と共に、男の身体は剣氣の残滓である燐光のみを残し掻き消える。
 そして、次の瞬間、背後を取った男の長剣によってオレの身体が刺し貫かれる、・・・筈だった。
・・・えぇっ?

ふぁはっはっはぁー!

 オレが、恐る恐る振り返った時、男がそれまで必死に抑えていたのであろう爆笑をあげる。
 意味が分からず唖然とするオレと彼女を前に、男は、更に笑い続けていた。

『M・O・D+えふ~ある冒険者の災難~』 (上編)

ズッドォーン!

爆発に舞い散る土煙の中、オレと彼女は出会った。

・・・と言うか、
「こんなトコロで、ザコ相手に高位ランクの攻撃魔法なんてブチかますな!」
オレは、爆炎の熱に焼ける肺の痛みに不快を隠せず、その原因である女魔導師へとそう言い放った。
「おっほっほーっ!《魔司(ルーン・マスター)》たる者、何時如何なるときにも敵に対しては全力を尽くして臨むものよ」
「はいはい、そうですか・・・。(全くもって不可解な・・・。無駄な魔力の消費を美徳とするとは、魔法使い、恐るべし)」
 オレは、相手の返答に呆れる事すら疲れるような気がして、適当な返事で答える。
 理解できないモノに対しては、無理して理解しようとしない事、これがオレのこの世界に於ける処世術の要である。
「余り派手な魔法を使われると周囲にも迷惑なので、以後は気をつけてください。では、そういう事でさようなら」
 オレは、無駄なトラブルを起こさぬ最低限の気遣いを発揮して、大人しくその場を去る事にした。


『世界の混迷に惑わされる事無く、自分自身を生き抜け』

世界を創りし者は、その『託宣』の言葉を以って、世界に在る全ての存在に、『絶対の自由』を許した。
それは《秩序の光》と《力威の闇》と呼ばれた二つの相反する意志が争い、そして、《光と闇を征する英皇》と呼ばれる『達成者』によって、世界が統べられてより十数年の歳月が経ったある日の出来事であった。
 与えられた『絶対の自由』を受け入れ、この新たなる『世界』に生きる事を選んだ人々は、自らの抱いた想いや意志を叶えることを絶対の宿命として背負った。
 故に、人々は自らと自らの生きる世界をこう呼ぶ。
『マスター・オブ・ドリームズ(夢喰らい)』と。

『他者の抱く夢を喰らい潰してでも、自らの夢を貫き叶えよ』

 その許された『絶対なる自由』は、『夢』という名の『欲望』を人々に求めた。
 それは、平穏な日々に退屈していた人々にとって、歓喜の福音であり、世界に多くの冒険者と呼ばれる存在を生み出した。
 『冒険者』、その言葉の通り、力を求めて自らに危険を冒す者。
 そして、この世界には、彼等を相手にして、自らの『欲望』である『夢』の実現を求め生きる人々もまた存在していた。


 その昔に起きた《光》と《闇》の争乱は、冒険者同士の些細な諍いが始まりの原因だったらしい。
 オレは、自分がそんな馬鹿げた事の発端になるのも嫌なので、他者と揉めそうな時には、常に自分が退く事を選んできた。
 そして、それは今回もまた同じだ。
 そう何時もならそれで終わるはずだった。
 しかし、今回ばかりは相手が少し悪かったみたいだった。
「ちょっと、貴方、待ちなさいよ!」
「(ちっ、呼び止められた)」
 オレは、心の中で軽く舌打ちをする。
 ここで聞こえない振りをして、そのまま去ったとしても、略確実に着いて来られて、無視しただの言われ、何かしらの攻撃をされる可能性が高い。
 オレは、仕方が無いので立ち止まり、相手の方へと振り返った。
「えーと、何でしょうか?」
・・・まさか自分の方が加害者なのに、難癖を付けて慰謝料とかふんだくる気じゃないよな。
「『何でしょうか?』じゃないわよ」
「(ほーら、来た。一体、どんな言い掛かりを吐けるつもりだ)」
 予想通りの展開に、オレは、内心うんざりな気分になる。
「私がわざわざ振ったナイスなボケに、あんな気の抜けたツッコミを返すなんて如何いった了見よ!」
「(そう来ましたか。イヤハヤ、春も近いし変な人間が出始めたか・・・)」
 オレの脳ミソは、最早、返す言葉の糸口も見つける気になれないでいた。
「ちょっと、ちょっとぉ! 黙りこくっちゃって、何、私を放置しているのよ!」
・・・うーん、どうやら余りの出来事に、オレの脳ミソは、数秒間フリーズしていたみたいである。
「スミマセン、そんなダメダメな自分を改めるべく修行の旅に出ます。どうか探さないでください。では、そういう事でさらば!」 
 『三十六計逃げるにしかず』、オレは、古の先人が残した名言に従い、その場から逃げ出した。
「ちょっと!待ちなさいよ!」
・・・ちっ!
敵も然る者で、簡単には見逃してくれないようだった。
 しかし、何処の世の中に待てと言われて素直に待つ人間が居るモノか、否、居ない(反語)。
 という訳で、オレは、逃げるウサギも真っ青の瞬発力を以って敵を振り切るべく走り出す。
 目指すは、眼前に広がるあの雑木林だ!
 「ふっふっふっ、勝った・・・!」
 オレが背後へと消えた敵の気配に、自らの勝利を確信した時、『それ』は起こった。

ずっどぉーん!!

 先刻経験した爆発をはるかに凌ぐ威力の爆炎がオレの目の前に在った林を焦土に変えた。
 雑木林だったその焼け野原から燻る噴煙を吸って、オレは、咳き込む。
・・・マジ、死にますって、それ(恐涙)。
 その洒落にならない人災をもたらしたのは、言うまでも無くあの女魔導師である。
 恐怖に慄くオレの脳裏に、ある事柄が思い出される。
 それは、《光》と《闇》の争乱の時代に活躍し、今尚、多くの人間から最強と讃えられる存在である伝説の冒険者が、それまでに倒して来た何百何千の魔物達より、自分のパートナーである一人の魔導師を恐れていたという噂だ。
オレは、それを聞いて不思議に思っていた。
 しかし、今なら痛いほどに分かります。
 心の中でちょっぴり笑った事も猛省します。
『アレ』は確かに危険です。
 否、危険過ぎます。
 今直ぐ、災害認定して、何処か安全な場所に隔離してください。

「捕まえた!」
「(げっ!)」
 恐怖に逃避していたオレの意識は、一瞬にして現実に引き戻される。
 背後へと振り返ったオレの視線の先には、快心の笑みを浮かべる彼女の姿が在った。
「貴方がいきなり走り出すから、思わず攻撃魔法を使っちゃったけれど、少しやり過ぎちゃったかな」
「(・・・『これ』が貴女にとっては、『少し』のレベルなんですか!?)」
 オレは、恐ろしくて到底口には出せないツッコミを心の中で入れる。
「それにしても、キミ、凄く足が速いね。もう少しで、本当に当たっちゃうトコロだったわ」
・・・否、そんな軽いノリで言い表せる出来事ではないんですけど(冷汗)
「大丈夫?怪我とか無かった・・・?」
 それは恐らく本当にオレの事を気に掛けての言葉だったのだろう。
 しかし、恐怖に捉われていたオレは、情け無い事にその言葉と共に差し出された彼女の手の動きに思わず身を引いてしまった。
 そして、更についてない事にオレの足元には、つまずくのに最適な大きさの石が転がっていた。
「えっ!?」
 踵に感じた固い感触に驚きの声を洩らして、オレの身体が後ろへと倒れる。
「危ない!」
 彼女は、そう叫ぶと伸ばした手で、空を泳ぐオレの腕を掴んだ。
 両者の体格と体勢の結果、オレと彼女はもつれる様にして、そのまま地面へと倒れ込んだ。

ブチューっ!

「うひゃっ・・・?」
 オレは、顔面に受けた衝撃と、その奇妙な感触を伴う痛みに、やや情けのない声を洩らしながら、反射的に閉じていた瞼を開く。
 遮られていた視界が開かれた時、そこには、上天に広がる澄んだ青空とドアップになった彼女の顔があった。
「(・・・このヒト、良く観るとかなりの美人なんだな)」
 我ながら、何とも呑気な事を考えているオレ。
そのオレの顔を無言で見詰めていた彼女の表情が、みるみるうちに朱へと染まっていく。
「・・・よくも、乙女の唇を奪ってくれたわね!このケダモノ!!」
 オレの本能は、彼女が口にしたその言葉の意味を理解するより先に、危険を感じ取る。
 そして、それから逃れる為に、圧し掛かるように自分の上に乗っかっていた彼女の身体を押し退けた。
「きゃっ!」
 短い悲鳴を上げて尻餅をつく彼女の姿を目の当たりにして、オレは、乱暴にし過ぎたかと焦る。
 しかし、その情けが仇となった。
 魔導発動呪文である《力導く言葉》の詠唱を終えた彼女の意思に従い、その手に握られた杖へと宿った魔力の輝きに、オレは驚愕する。
「(このオンナ、本気で、オレを殺るつもりだ!)」
・・・マズイ、冗談抜きでマジにヤバイ。
 オレは、逃れる事の叶わない死を予感する。
 そして、彼女は、非情にもその予感を実現させようと力を解放した。
「(嗚呼、短く儚き我が人生よ・・・)うぬぅ?」
 迫り来る魔力の奔流を前に、最早これまでと覚悟するオレの視界を、突然現れた何かが遮る。
『《軍神烈波斬・改》っ!!』
 その男は、気合いを込めて振り放つ刃で、魔力の波を斬り裂いた。
 否、正確に言うならば、それは、剣に宿した氣をぶつける事で、相手の魔力を相殺する技であった。
「大丈夫か?」
 救いの主である男は、油断無い眼差しで彼の女魔導師を見詰めながら、オレへと、その無事を尋ねる。
「ええ、生命だけは何とか在るみたいです。でも、ちょっぴし漏らしちゃったかも・・・」
「そんな冗談が言えるくらいなら、平気だな」
・・・否、冗談ではないのですが。
 とは、余りにも情けなくて口に出せないので、取り敢えず苦笑だけ返しておく。
「助かりました・・・」
「・・・否、それを言うのは、まだ少し早いみたいだ」
 気を取り直してお礼の一つでも言わなくてとするオレの言葉を遮り、男は苦笑混じりに呟く。
 事の中心である彼女へと視線を向けたオレは、嫌でもその言葉の意味を理解する。
「うわぁ、凄く怒っている!」
「みたいだな」
 思わず洩らしたオレの言葉に応える男の眼差しが、戦いの意志に引き締められ鋭く冴えた。
 だが、男の瞳には、まるでこの状況を楽しむような色が存在していた。
「ここは、俺に任せて逃げろ」
・・・何ともありがたい言葉。
 しかし、それに甘える訳には行かなかった。
「不本意ですが、オレにも原因の一端は在ります。だから、簡単に逃げる訳には行きません。(本当は、直ぐにでも逃げたいけれど・・・)」
・・・嗚呼、マジに葛藤。
「ちょっと、貴方!何者かは知らないけれど、私の邪魔をするのなら、只では置かないわよ」
 息巻く女魔導師の恫喝を受けて、男の眼差しに狂暴な色が宿る。
「『只では置かない』とは、随分と言ってくれるじゃないか。面白い、こっちも本気で相手をしてやる。御託は無用だ。さっさと掛かって来い!」
 男は、相手の言葉尻を反芻して、好戦的な挑発をぶつけた。
「本当に、煩いハエね。いいわ、お望み通りに追い払ってあげるわ。覚悟しなさい!」
 挑発に応えていきり立つ女魔導師。
 彼女の手に握られた杖に、魔力の輝きが満ちる。
「少年、俺が動くと同時に、全速力で左右のどちらかに走れ。分かったな?」
 男が口にしたその言葉に、オレは、無言で頷いた。
「行くぞ!」
 それは、オレと女魔導師の両方に対し向けられた言葉であった。
 それと同時にオレは左に、そして、男は前へと動く。
「自分から突っ込んで来るとは、大莫迦ね!」
 女魔導師は、言い放ち、自分の勝利を確信した笑みを浮かべる。
 剣士が魔導師と戦う際のセオリーは、相手の魔導が発動する前に攻撃を加える事。
 それに従うのならば、男の行為は自殺行為に近かった。
 先刻の相殺技で防ごうにも、余りに間合いを詰めすぎていた。
 しかし、男は、不敵に笑って言い放つ。
「莫迦は、相手の力量も分からずに、喧嘩を売ったお前の方だ!」
 完成され、その魔力の波で全てを飲み込む彼女の攻撃魔法を前に、男は、微塵の恐れも無く突進する。
 そして、正に神速と呼ぶに相応しき動きで、戦いの場を支配していた魔力フィールドを突き抜けた。
・・・発動した魔導よりも早く、動いた!?
 それを一言でいうならば、『奇跡』という言葉以外、見付からなかった。
「・・・嘘、在り得ない!」
 彼女の表情に怯えの感情が浮かぶ。
「フッ、現実だ!」
 それに対し男は、傲慢に過ぎる勝利の笑みを浮かべて宣言する。
『《インテグラル・フレア》っ!』
 その《力持つ真名》に違わぬ峻烈な閃光を放ち、男の刃が彼女へと振り下ろされる。
オレは、眩しさに耐え切れず、瞳を閉じた。

2008年4月6日日曜日

第十一話・因縁

京也と《マナ》の二人は、重ね合わせた唇が離れ抱き締めた腕を放した後も、互いに寄り添い続けていた。
 そんな穏やかな静寂も、突然現れた闖入者達の存在によって破られる。
「京也、無事か!」
 その闖入者の声に驚いた京也と《マナ》の瞳に、征也とそれに数秒遅れるタイミングで、自分達の居る部屋に入って来る万理亜の姿が映った。
「・・・父さん、それに母さんまで・・・」
 一体何事かと驚きの色を隠せず言葉を洩らす京也。
しかし、それ以上に、征也達の方が何かに驚いていた。
「・・・ふっ、不潔よ。ふしだらよ。京也!」
 顔を真っ赤にしながら突如として叫ぶ母の言葉に、京也は、意味を理解出来ずに唖然とする。
「京也、お前の年頃を思えば、同じ男として多少の理解は出来る。しかし、万理亜のいう通り、他を憚らずにこんな場所でそういう事に及ぶのは、流石に感心できないな」
「???」
 母へと同調して困り顔で諭す父の言葉に、京也の思考は混乱を極めた。
「意味が、分からないのですが・・・」
 困惑の表情を浮かべて、その言わんとする所を尋ねる京也。
 それに対し、征也達は顔を見合わせると、アイコンタクトでどちらが『それ』を説明するのか互いに譲り合う。
 短くも長い遣り取りであるその行為を以ってしても、結論が出ない征也達二人の後ろに更なる闖入者が現れた。
「征也さん、万理亜さん、それに関しては誤解だと私が保証しますよ」
 その闖入者である環は、開口一番、京也に取っては更なる意味不明の言葉となるそれを口にする。
「そうか、変な事を言って悪かったな、京也」
環の言葉に納得し、安堵する征也。
 その隣では同じ様に万理亜が安堵の表情を浮かべていた。
 そんな二人の様子に最早、何を如何尋ねるべきなのかも分からずにいる京也に対し、環が意味深な笑みを浮かべる。
 それに気が付いた京也は、訝るような眼差しを環へと向けて、自分への説明を求める。
「京也、『李下に冠を正さず』だ。今の自分が《マナ》と共に作っている状況を考えてみれば、それが征也さん達に誤解を抱かせた原因だとお前にも分かるだろう。と言っても、本当に誤解か如何かは怪しいけれどな」
 最後に告げたその一言に、快心とも言える意地悪な含みを込めると、環は、愉快そうに笑った。
 環の指摘に、寝台の上で自分と《マナ》が寄り添いながら座っている事を思い出し、京也は、全てを悟る。
「本当の本当に、全くの誤解です!」
 京也は、恥ずかしさと心外の怒りに顔を朱に染めて、きっぱりと言い放った。
「ああ、分かっている。昨日、渡した特効薬には、滋養強壮の効果に加えて、体力回復の為の強力な催眠効果があるからな。飲んだら、朝までグッスリさ」
 その爽やか過ぎる環の笑顔に、京也がどっと疲れを感じる中、《マナ》だけはその場で交わされた遣り取りの意味が分からず唯笑っていた。
「まあ、それはさて置き、京也の生命を救ってくれてありがとう、環」
「《マナ》さんも一生懸命に頑張ってくれたそうで感謝のしようもありません。本当にありがとうございます」
 そう告げて頭を下げる父と母の姿に、京也は、二人が自分の身を心配して駆け付けてくれた事を知る。
「そうか、二人とも俺の事を心配して此処まで・・・。ありがとう」
 京也は、それまでの遣り取りによって胸の内に生じていた感情を一掃して、素直に感謝の言葉を口に出した。
「親が子供の身を案じるのは当たり前の事だ。それより、身体の具合の方は如何なんだ?」
「お陰様で、絶好調とまでは言えないモノのもう平気かな」
 身体の調子を尋ねる征也に、京也は、問題が無い程度に回復している事を応える。
「ええ、生気を取り戻して顔色も良くなっていますし、もう何の問題も無いでしょう」
 更に京也の言葉を聴いた環が、それを保証する言葉を付け加えた。
「ならば良いが、だからと言って余り無理はするな、京也」
 その言葉が、自分に対する純粋な気遣いだと理解して、京也は、黙ってそれに頷く。
「それで一体、何があった?」
 征也は父親としての顔から一族の総帥代行の顔に変わると、京也が瀕死の傷を負うに至った原因について尋ねる。
 それに応えて、京也は、件の研究施設で自分達の前に立ちはだかった香祥敦真という男の存在について語った。
「その剣士は、間違いなく香祥敦真と名乗ったのだな?」
 話を聴いた征也が、何かを思い考える様な表情で口にしたその問い掛けに、京也は無言で頷き肯定する。
「あの男が何者であるか知っているのですか?」
 環は、征也の反応から、彼が何かを知っていると察し、その事を尋ねた。
「ああ、正確に言えば『香祥』の名に思い当たる節がある。だが、それについて語る前に、もう一つだけ聞いておきたい事がある。京也、香祥を名乗ったその剣士、お前からみて強いと感じたか?」
 その存在によって、瀕死の重傷を受けた京也にとってそれは、問われるまでも無い事であったが、それが征也にとって問う意味のある事だと理解し応える。
「はい、畏怖に値する程の強さを感じました」
 京也の言葉には、相手の強さに対する恐れでは無く、それを賞賛する意味での畏れが込められていた。
「そうか、ならば、その剣士が、本物の『香祥』に連なる者である事、そして、自らの意志で〈カイザー〉に従っている事に間違いが無いな・・・。でも、それなら何故・・・?」
 征也は、返ってきた京也の応えに、それまで抱いていたモノとは別の疑問を抱く。
 その答えを求めて考えを巡らせていた征也は、京也達が自分へと向ける視線に気が付くと、『香祥』に関して自らが知る事を語り始めた。
「京也、お前も知っている通り、我々が受け継ぐ《神武流》の技は、その始まりを今よりも五百年近い昔、戦国乱世に持っている。開祖である神武榊が、《神武》の技を極めてより今日に至るまで受け継がれてきた流れは、決して一つではない。私が知る限り、我が《神武流》に存在する流派は全部で五つ。それは、久川和誠によって開眼された、振うその一撃に宿した無限の威力で敵を薙ぎ払う《神武断剣(たつるぎ)流》。御子神明が《神武》の合気柔術を極め編み出した《神武御子神流》。そして、榊司武が極め開眼した《真神武流》と、その《真神武流》の祖伝となる技より新たに生まれた二つの流派、《神武奏楽(かなく)流》と《神武無雅(むが)流》だ」
 征也は、そこまで語ると一旦、言葉を切って短く息を吸い込んだ。
「その五つの流派の内、今の《神武流》に完全な形で在るのは、唯一、本流とも言える《真神武流》のみ。《断剣流》と《御子神流》は、開祖である存在が招いた悲劇により、《神武流》の歴史から削られ、《奏楽流》と《無雅流》は、その皆伝を知る存在が潰えた筈だった」
「・・・『だった』?」
 京也は、語られたその言葉が指し示す意味を確認するように、征也へと尋ね返す。
 それに対し征也は、頷き返すと再び語り始めた。
「ああ、それは今から百年くらい前に起きた《神武流》の総司武継承に端を発した出来事だったらしい。私も伝承の内に知るのみの事であるが、当時の総司武には、三人の直弟子が居り、その三人の中から次の総司武が決まると黙されていた。それが、綾崎貴璃也(きりや)、長鳥剋輝(おさどりかつき)、香祥神明(あきら)の三人だ」
 征也の口から語られた三つの名前を聴き、京也達は、その最後に出た『香祥』の名に反応する。
 それを見て頷き征也は、更に言葉を続けた。
「その三人の誰もが若さに反する技量を誇り、中でも長鳥剋輝と香祥神明の実力は師である総司武を凌ぐ程であったそうだ。そして、その二人に於いては、長鳥剋輝にこそ分があったという。総司武は、その極められた技の美しさから、神に捧げる神楽舞の如きと讃えられる《奏楽流》を長鳥剋輝に、技に対する一切の拘りを捨て去り、剛の意志を以って敵を倒し退ける《無雅流》を香祥神明に伝え、二人はそれを会得する事で免許皆伝の司武として認められた。しかし、二人が免許皆伝の末に司武となった時、次の総司武として定められたのは、未熟の身として皆伝を許されていなかった綾崎貴璃也であった」
 征也は、再び一呼吸を取ると、それまで誰にとも向けていなかった眼差しを京也へと向け、言葉の続きを語り始める。
「綾崎貴璃也、彼は、私や京也の血祖の一人である滝司武の実父であり、彼の神崎政貴、そして、久川和誠と御子神明の師であった。確かに、彼の武人としての力量は、他の二人に及ばなかったのかもしれない。だが、他者を導きその力を引き出す師範としての才は、彼の教えに導かれた弟子達より、その技を受け継いだ我々にとって誉れと呼ぶべきだろう。彼が総司武に選ばれた事は、間違いなく師としての慧眼であった。しかし、その決断を受け入れられない者がいた。それが、長鳥剋輝だ。彼は、義理の父親でもあった師の生命を奪い、その師より《神武流》の最奥義である『真伝』を受け継いでいた綾崎貴璃也に戦いを挑んだ。否、挑もうとした。自らの技を以って《神武》最強の誉れを奪い示そうとした長鳥剋輝の前に立ちはだかったのが、他でもない香祥神明であった。その時、二人の間で何が在ったかは、私も知らない。だが、その時を期に《奏楽》、《無雅》の両者は、我等《真神武》と完全に袂を分かち、《神武流》の歴史から消える事となった。私が知るのは其処までだ」
「つまり、あの香祥敦真という男は、香祥神明という人物の血族であり、彼が会得していた《神武無雅流》の技を継承した存在であるという事ですか」
 話を聞き終えた京也達の中で最初に口を開いたのは、環であった。
「飽くまで推測に過ぎないが、そういう事になるな」
その言葉とは裏腹に、征也の表情には、確信の色が浮かんでいた。
其々が其々に考え込むようにして生まれた沈黙を、怪訝そうな顔をした京也が破る。
「父さんは、先刻、《無雅流》は、《奏楽流》と共に、既に潰えた筈の流派だと言った。でも、香祥敦真は《無雅流》の技を継承していた。それはおかしいじゃ?」
 京也は、征也へと、その話に語られた事実に存在する矛盾をぶつけた。
「ああ、それは私の話に対するお前のちょっとした勘違いだ。《無雅》、そして《奏楽》のどちらも、完全な皆伝が失われている筈というだけで、その全てが失われている訳でないという事だ。まあ、私が確かに知っているのは、《奏楽流》を伝承している存在の方だけだったが、これで《無雅流》も失われてはいない事が明らかになった訳だ」
「どちらも不完全な形でなら存在している。そういう事ですか?」
 言い換えられたその環の言葉に、征也は頷いて肯定する。
「ああ、そうだ。しかし、正確な事を言うならば、それは私がそう思っていただけで、完全な、否、それ以上の形で受け継がれている可能性すら存在している。特に《無雅》に関しては、その可能性が大きいと言えるな」
 征也は、曖昧とも遠まわしとも言える答えを返し、そのまま考え込む様に黙ってしまった。
 それによって、再び生まれた沈黙。
 その中に在って独りマイペースを保つ存在が口を開く。
「皆、唯考えていても仕方が無いし、それにお腹が空いているから、調子が出ないんじゃないのかしら。だから何か食べましょうよ」
 確かに正論、しかし、その場にそぐわない万理亜の能天気な発言に、京也は勿論、他の人間も少し呆けた苦笑を浮かべる。
 一人の例外を除いて。
「ああ、確かに、万理亜の言う通りだ。人間、脳も十分に働かないモノだしな。食事をとって、それから改めて答えを考えるとしよう」
 征也の同調によって、深刻に振舞う空気が薄れたと諦め、京也達もそれを受け入れる事にする。
「では、私自ら腕を振わせて貰うとしよう。という訳で環、少し調理場を借りるぞ」
 それに反対する必要もないと、環は快く了承の意味で頷き返した。
「征也さん、私もお手伝いしちゃうわよ」
 部屋から出て行く征也を追って、嬉しそうに走り出す万理亜の背中を見詰め、京也達は再び苦笑を浮かべた。

 食卓を囲んで暫しの団欒の時を過ごした後、征也は、其処に在った穏やかな雰囲気を変える真剣な表情で話を切り出した。
「京也、これ以上考えていても時間の無駄だと思う。それに今の我々にとって、重要な事は、香祥敦真という存在の正体ではなく、一刻も早く彼を倒し、〈カイザー〉の野望を打ち砕く事だ。その為には、味方の被害を恐れる訳にはいかない」
「それは俺にも分かっています。しかし、闇雲に戦いを仕掛けても、唯返り討ちにされるだけです。相手が危険な存在である事を知りながら、無謀無策に攻めるのは愚行としか呼べない。だからこそ、俺は、味方に被害を出さない為に、この手で彼を打ち破る術を見つけたいのです」
 互いに意見をぶつける京也達を見詰め、環は、重いものを吐き出すように口を開いた。
「京也、お前の気持ちは分かる。しかし、征也さんが考えている通り、時が経てば経つ程に、相手にとって状況が有利となるのは事実だろう。だから、間に合わなくなる前に、手を打つ必要がある。その覚悟だけは忘れるな」
 環の言葉には、十分すぎるくらいの重みが在り、そしてそれは、京也にとっても良く分かっている事であった。
 しかし、それでも容易に割り切れない想いが、京也の心の内には存在していた。
「確かに、父さんや環の言う通りかも知れない。それを甘い理想だと笑ってくれても構わない。それでも俺は、簡単に誰かの生命を切り捨てる決断だけはしたくないんだ」
「それは甘い考えだな、京也。だが、それでこそ、あの和維さんの後継者として選ばれた人間だ」
 突然、背後から掛けられた言葉に驚き振り返る京也の眼差しに、師である榊和泉の姿が映る。
「焔司武!」
「榊!」
 京也と征也、二人の口から驚きの声が重なり合う様にして洩れ出た。
「お久しぶりです、総司武。それに、京也」
 簡単な挨拶を返して、榊は、空いている適当な椅子に腰を下ろした。
「万理亜さんもお変わり無く、お元気そうで何よりです」
 更に征也の隣りに座っている万理亜へと親しみの籠もった挨拶をした榊は、残る環と《サラ》へと言葉を掛けようとして沈黙する。
「若しかして、あの蒼麻環なのか?」
「若しかしなくても、その蒼麻環です」
 驚いてあんぐりとしている榊に対し、環は、何時もの調子でそうだと答えた。
「そうか、本当に久しぶりだ。二十年ぶりというのは大袈裟かも知れないが、全然変わっていないな」
 環の年齢を考えれば、それは少し大袈裟過ぎると苦笑する京也の隣りで、当人である環も又、苦笑交じりで懐かしそうに笑う。
「それで、そちらの女性はどなたで?」
 気を取り直した様に視線を《マナ》へと移し、榊は、尋ねた。
『始めまして、私は、《マナ・フィースマーテ》です』
「彼女は、京也を護る女神です」
 榊へと名乗る《マナ》の言葉に付け加えて、環が一言で全てを説明する。
「こちらこそ、始めまして。私は、榊和泉、京也の武芸の師です」
 環が口にした《マナ》の正体を軽く受け流して、榊は、自らも名乗った。
 その榊の反応に、京也の方が逆に驚かされる。
「師匠、それに父さんも母さんも驚かないの・・・?」
 京也が口にしたその疑問を受けて、三人はそれぞれ応える。
「ああ、別に。今更、それ位では驚きはしないな」
「まあ、伊達に《鬼斬りの刃》などと呼ばれてはいないさ」
「ええ、もっと驚くモノも見た事あるから」
 三者三様ながら、三人は、正に平然とした口調でそう口にした。
「京也、そう驚くな。前にも言ったが、俺は勿論、征也さん達も又、《魔》という存在に深く関わってきたという事だ」
 環が語る言葉には、不思議なまでの説得力が存在していた。
 京也は、自らの一族が宿業として背負ってきた異形と呼ばれる存在達との因縁で全てを納得する。
「師匠、如何して此処に?」
「それなら、私が連絡したからだ」
 京也が抱いた疑問に、榊に代わって征也が応えた。
「だが、唯、京也の事を心配して、という訳でもないのだろう?」
 長い付き合いでその気心を良く知っている征也は、榊が自分達の前に現れた事に別の理由が在ると見抜いていた。
「はい、京也が大変な怪我を負ったと聞いて、心配はしていました。しかし、私が此処にこうして駆け付けたのは、その怪我を負わせた相手が、『香祥』の名と《無雅流》の技を受け継ぐ存在だと聞き及んだからです」
 何時も以上に真剣な面持ちでそう応える榊の態度と、何よりも語られた言葉に、京也は、重い意味を感じ取る。
 そして、それが勘違いで無い事は、唯一、彼が言わんとする真意を理解できる征也の表情が物語っていた。
「そうか、そうだったな。《無雅》の事を知るのに、お前以上の存在は・・・」
 榊と《無雅流》との関わりを思い出した征也は、呟くようにして洩らしたその言葉を濁らせ、代わりに視線で何かを問う。
「構いません。それは、私にとって切り捨てる事の許されない事実ですから」
 征也が視線で語る事の意味を察した榊は、それに落ち着いた笑みを浮かべて応えた。
「分かった。だが、それはやはりお前の口から語ってくれ」
 征也は、促すのではなく、そうするのが相応しい事だと考え、榊へと語り役を譲る。
 それに頷き応えて、榊は、自分と《無雅流》との因縁について語り始めた。
「先ず、余計な事を端折って話すならば、私は、嘗て《奏楽流》の長鳥剋輝の許で、彼よりその技を継承した者の一人である。彼は、野望とも言える執念を抱き、《真神武》を打ち倒すべく、私ともう一人の継承者を鍛え上げようとした。しかし、彼の心には、その執念以上に強い別の想いが存在していた。それは、嘗て自分と《真神武》の戦いの前に立ちはだかった《無雅》の剣士、香祥神明への復讐だ。彼は、その復讐を果たす為に、香祥神明の孫であり《無雅》の技を継承する者、香祥神威(かむい)へと戦いを挑んだ。その結果は、一度の勝利、そして、一度の完全なる敗北であった。彼は、自らが編み出し絶対と誇った《奏楽》の秘奥義を以ってしても、《無雅》への復讐を果たせず、その無念の末に戻らぬ身となった。傲慢なまでに孤高の生き方を求めた長鳥剋輝という剣士は、自らの最後を他者の前に晒す事を許さず、誰にも知られぬままにこの世から消え去った。そして、残されたのは、彼の野望と執念の想いに囚われた哀れな存在たるこの身だけだ」
 最後に紡がれたその言葉には、自嘲と共に何かを懐かしむ想いが込められていた。
 榊は、その胸中にあるそれを浮かべた苦笑で振り払い、さらに言葉を続ける。
「だが、魂の抜け殻となり果てたこの身にもまだ救いは存在した。それが、久川和維、彼との出会いだ。私は、彼の強さに惹かれ、失った筈の魂を取り戻し、生まれ変わった。否、あの時が私にとっての誕生の時だったのかもしれないな」
 そう語る榊の瞳には、激しいほどに輝く意志の光が宿っていた。
「長鳥剋輝を知り、久川和維と出逢い、そして、京也、お前の師となった私が、こうして《無雅》と関わる事となったのは、正に宿命なのかも知れないな」
 榊が口にした『宿命』という言葉に、京也は、奇縁というモノの存在を感じる。
「師匠、貴方は、俺が《無雅》の香祥敦真に敵うと思いますか?」
 その問いは、京也が師である榊に向けた深い信頼の証であった。
「正直、それは分からない。だが、嘗て和維さんは、自身に倍する岩をも打ち砕くと言われる《無雅》の剛剣を見て、『最も研鑽された美しき技』と読んだ。そして、《奏楽》と《無雅》の秘奥義である二つの秘剣を合わせて、『その性の如く、敵の生命の炎を消し去っても、剛雷の勢いに敵わず』と語り、総司武が誇る瀑布の如き流剣ならば、双流と並ぶだろうと評した。和維さんが《無雅》の本質を見抜き、その秘奥義を語った言葉を信じるならば、《無雅》を極めた存在に敵う者は、京也、お前以外にはいないだろう」
 そう語った榊は、不敵に笑んだ眼差しを京也へと返し、再び言葉を紡いだ。
「京也、お前は先刻、簡単に誰かの生命を切り捨てる決断だけはしたくないと言ったな。師として、その想いが本気である事を信じて良いか?」
 京也は、真剣にして威厳に満ちた榊の問い掛けを、強い覚悟の想いを込めた眼差しで受け止め頷く。
 示されたその意志に満足げに頷き返した榊の表情は、武の信奉者たる者の顔つきとなっていった。
「では、京也。これから私の道場に行き、お前との最後の修練を果たすとしよう。そして、そこでお前のその想いを以って、《奏楽流》の秘奥義、秘剣《水月》を打ち破ってみせろ」
 告げる榊の眼差しには、師が弟子へと向けるそれではなく、剣士が好敵手と認めた剣士へと向ける信頼にも似た熱い想いが存在していた。


 射し込む日差しの強さに気だるさすら覚える昼下がりの道場で、京也と榊は、互いの得物を手に対峙していた。
 既に《ラルグシア》の鞘を払い抜いている京也に対し、榊は、未だ得物である直刃刀を鞘に収めたままであった。
 常と違う榊の構えに京也は、それが《奏楽流》のモノである事を理解する。
「京也、言うまでも無いが焔は本気でやる気だ。だから、お前も本気で行け。真剣勝負で気を抜けば、大怪我だけでは済まないからな、それだけの覚悟をしてやれ」
 《マナ》達と共に見守る立場に身を置く征也は、息子へと気合いを入るべく忠告の言葉を投げ掛けた。
 それに無言で頷いた京也は、目の前に立つ榊から殺気に近い闘志を感じ取っていた。
「準備は良いな、京也」
「はい、何時でも」
 穏やかな口調で確認する榊。
 それに京也は、確かな態度で応える。
 互いに睨み合う両者の瞳には、戦いの炎が烈しい熱となって宿っていた。
 鞘入りの太刀を左肩に乗せる構えを取る榊。
 それに対し、京也は、両手に握った正眼の構えを取った。
「行くぞ!」
 榊は、その一声を気合いに代えると、俊敏な足裁きで一瞬にして間合いを詰める。
 そして、突進の勢いのままに鞘走る太刀を以って、上段斬りを繰り出した。
「ッ!」
 榊が放つ居合いの一撃を目の当たりにした京也の身体は、それを防ぐべく本能的に動いていた。
 自らの頭上に迫り来る刃を受け止めようと、神剣の刃を水平に構える京也。
 しかし、構えた刃に受ける筈の衝撃は、彼の脇腹へと叩き込まれた。
「っ!?」
 京也は、何が起きたのか理解出来ず、唯、苦痛に歪む驚きの表情を浮かべた。
「水面に映る月すら斬る冴えの剣、《水月》。だが、その本質は、寧ろ、掴む事の適わぬ水面の月の姿。幻に惑わされている限り、決して破る事は出来ない」
 自らが放った技の形を語る榊の瞳に、痛みに崩れる身体を神剣で支える京也の姿が映る。
「如何した、京也。お前の本気とは、その程度のモノなのか?」
 膝を付き痛みに耐える京也へと問う榊の眼差しは、非情とも言える冷たい色を宿していた。
「まだ、終わりじゃない!」
 言い放ち立ち上がる京也。
しかし、その身に受けた痛みが未だ消えていない事は、誰の目にも明らかであった。
「そうでなくては困る。私の不完全な技すら破れない様では、《無雅》の剣士の前に、再び敗北を喫するだけだからな」
「不完全・・・?」
 京也は、榊の口から語られたその言葉の意味を噛み締める様に、呟き洩らした。
「ああ、そうだ。私の《水月》が完全な技の冴えを持っていたならば、それを受けたお前の身は無事でなかっただろう」
 自身が受けた技が完全なモノで無いという事実に驚きを隠せない京也に対し、榊は、僅かな感情を持った口調でその言葉の続きを語り始める。
「私は、長鳥剋輝より《奏楽流》の技の全てを伝えられた身ではない。彼の技の全てを知る皆伝者は、私の兄である存在だが、彼は今や行方の知れぬ身だ。その彼が極めた《水月》の技の冴えに比べれば、私の《水月》など、児戯にも劣るモノ。その技を前にして生命を保つ者が存在しえないからこそ、知られる事の無い秘剣と呼べるのだ」
 榊の語るその言葉を真剣な面持ちで聴いていた京也は、そこに抱いた一つの疑問を口にした。
「その知る者の無い秘剣を、何故、久川和維という人間は、知り得たのでしょうか?」
「私も、和維さんと《奏楽》、《無雅》の間にどんな関わりが存在したのか詳しくは知らない。しかし、彼は、確かに二つの流派と対峙し、その技を見知っていた。そして、予見した。何時か《真神武》の流れを受ける者によって、《奏楽》と《無雅》の因縁が断ち切られると。それは恐らく、京也、お前の事なのだろう」
 応える榊の言葉に、京也は、榊が自分に対し抱いた想いの深さを知る。
「俺が、和維さんから託されたのは、背負うのに重いだけの宿命ではなく、それ以上に意味のあるモノだった。そういう事なのですね」
 京也は、呟いたその言葉の中で、もう二度と会う事の叶わない存在より、自分が託されたモノが何であるのかを、少しだけ理解していた。
「京也、和維さんが、お前に何を見て、自分の全てを委ねたのかまでは分からない。しかし、彼がお前という存在を信頼していた事だけは間違いがない。それがお前にとっての宿命だというのならば、お前はそれを受け入れなくてはならない。
宿命とは、そういうモノだ」
 何時に無く真剣過ぎる口調で語る環の言葉に、京也は、彼の久川和維という存在に対する想いの丈を知る。
 そして、それは、環だけに限らず、征也や榊の心にも同じ様に存在している想いであった。
「(俺は、和維さんが託した信頼の想いに報いる為にも、強くならなくてはならないんだ)」
「師匠、否、焔司武。もう一度、手合わせを!」
 京也は、抱いたその想いを胸に自らを奮い立たせる。
 その身体からは、先刻に受けた傷の痛みは既に消えていた。
 京也の示した意思を前に、再び得物を構えた榊は、対峙するその存在に違和を覚える。
「如何したんだ、京也? 手が震えているぞ」
「え・・・っ?」
 訝る様に問う榊の言葉を受け、京也は、自分で気がついていなかったその変調に戸惑っていた。
 誰の目にも異変と映る程に、神剣を握り構える京也の腕は、大きく震えていた。
 それが武者震いと異なる事を、京也が見せる困惑の表情が物語っていた。
「(この震えは、何だ・・・?)」
京也が抱く困惑が焦燥へと変わる中、征也と榊の表情は、それに対する一つの答えによって曇っていた。
 一瞬の躊躇いを示した後、征也は、覚悟を決めてそれを口にする。
「・・・京也、お前が香祥敦真から受けた傷は、私達が考えていた以上に大きかったようだ。そう、致命的な程にな」
「致命的・・・?」
 京也は、征也が言う言葉の意味が分からず、尋ねる視線を返した。
「ああ、今のお前の心には、戦いに対する無意識の懼れが生まれてしまっているんだ。それも剣士として致命的なまでに深い懼れがな」
 苦しそうに吐き出されたその言葉に、京也は、それが深刻な事であると理解させられる。
「それは仕方の無い事なのかも知れませんね」
 そう口にして榊は、京也へと憐憫の眼差しを向けた。
「京也、〈カイザー〉との決着は、私と《Lord‐Knights》で着ける。だから、お前はしっかりと心を休めるんだ」
「何を・・・、俺は戦えます!」
 京也は、食い下がる様に言い放ち、《ラルグシア》を構え直した。
 その姿を見た榊は、無言のままに手にした太刀を一閃する。
 絞られ眼前で寸止めされた横薙ぎの刃に目を見張る京也の手から、神剣が足元の床へと転がり落ちた。
「っ!?」
「そういう事だ。無理をするな、京也」
 驚き呆然とする京也に、榊は、殺気を解いた穏やかな視線を投げ掛けてそう告げた。
『待ってください。京也なら、どんな懼れも必ず克服出来ます。だから・・・っ!』
 京也を想い、見ていられずに詰め寄ろうとする《マナ》を、万理亜が無言で制止する。
「その事は、ここにいる誰もが分かっています。しかし、我々には、それを許す時間が無いんです」
 その征也の考えを肯定する様に、榊達は沈黙を守っていた。
「京也、辛いと思うが今は受け入れてくれ」
 告げられたその言葉に京也は黙って頷くと、俯いたまま足元に転がる神剣を拾い上げる。
 そして、その場から去る為に歩き出した。
『待って、京也!』
 京也は、呼び止める《マナ》の声に一瞬、その足を止めて僅かに身を震わせると、振り返る事無く再び歩き出した。
『京也・・・』
 《マナ》は震える様な声で呟くと、背を向けて出て行く京也を追い掛ける。
「器である肉体へと受けた死に至る傷が、その魂に刻み込まれた冷たい死の記憶を甦らせたか・・・。死に凍える魂を癒せる存在が在るとすれば、それは、同じ痛みを知る者のみ。これが彼の運命が望む導きなのか・・・」
 環の口から紡ぎ出されたその言葉を聞く者は無く、そして、それを聞いてそこに在る意味を理解する者も又、世界に存在してはいなかった。

第十話・宿業

 守りたいと望んだ大切な存在がいた

 何よりも信じた大切な仲間達がいた

 掛け替えのない大切な場所があった

 その全てが『仲間』であった筈の存在に奪われた

 裏切り者であるその存在は、盟友を殺し、愛する者を傷つけ、仲間達を楽園から追放した

 ワタシは、盟友の死を痛み、愛する者の苦しみに憤り、仲間達の無念を晴らす為に、その裏切り者に戦いを挑んだ

 ワタシは、己を己たらしめる誇りに縛られ、その裏切り者に敗れ去った

 その『死』は、重く冷たくワタシの魂に刻み込まれた

 己の器が朽ち、そこに宿る魂が滅び逝く中、ワタシの心に在ったのは、自らの無力さに対する嘆きのみであった

 ワタシは、何一つとして大切なモノを護れなかった

 ワタシは、自らの愚かなる誇りに絶望し、終焉の時を迎えた


『  』

 誰かの呼ぶ声がする

「    」・・・?

 それは誰の事だ

 ワタシの名は、***

 信じた者の裏切りに絶望し、自らの弱さに絶望した存在

 天高き楽園の守護者でありながら、その護るべき世界を失いし者

 我が魂に刻まれし、罪の名は『無力』

 その罪により、堕ちた存在である

『  、お願い・・・。目を覚まして・・・』

 再び、誰かの呼ぶ声がした

 とても哀しい声だ

 だが、何よりも懐かしい、そんな響きを持つ声であった

 ワタシではない、ワタシの名を呼ぶ者は誰だ?

 その声が余りにも切ない想いに満ちているから、ワタシは、その存在が何者であるのかを知るべく目覚めようとしていた

『  ・・・』
 その存在は、もう一度、ワタシの名を呼んだ

 そして、ワタシは、目覚める


 意識を取り戻した京也の瞳が、涙に濡れた女神の笑顔を映す。 
 息が掛かる程の間近に在る《マナ》の泣き顔。
 京也は、その気恥ずかしさに頬が熱を帯びるのを感じた。
 しかし、直ぐに自分の頬に在る熱の正体が、それだけで無い事に気が付く。
 それが《マナ》の瞳から零れ落ちた涙が伝える熱である事に。
『本当に、良かった・・・』
 安堵の言葉と共に《マナ》の瞳に浮かんだ笑みに、京也は、自分の頬を濡らす雫が、自分の覚醒に対する嬉し涙である事を知る。
「そうか、俺は、あの剣士に敗れて・・・」
 京也は、鈍い痛みに靄のかかる頭で、何とか自分の身に起きた事を思い出す。
 それは、香祥敦真との戦いに於いて、完全なる敗北を帰したという苦い記憶であった。
 その記憶を取り戻した京也の脳裏に、大きな疑問が浮かび上る。
「何故、俺は生きている?」
 あの時、自分の死すら覚悟した京也にとって、今、自分が生きている事は驚きであった。
『それは、環が助けてくれたからです』
 そう応えて、《マナ》は、背後にいた京也の生命の恩人へと視線を移す。
 京也は、《マナ》の言葉とその視線で、初めてそこに自分達以外の存在が在る事に気が付いた。
「良かった、何とか事無きを得たみたいだな」
 その安堵の笑みの中には、少なからぬ疲労の色が存在していた。
「ここは?」
 京也は、自分が寝かされている場所に全く見覚えが無い事もあり、環の疲労の理由も気にはなったが、まず先にその事を訪ねる。
「ああ。ここは、《Lord‐Knights》が管理する研究施設の一つ、正確に言えば、俺が借り受けている久川和維の遺産である場所だ」
『環は、瀕死の貴方をここに連れて来て、必死に治療してくれたのです』
「そうか・・・、ありがとう、環」
 京也は、《マナ》に補われる形で環の疲労の理由を知り、仲間である青年に、助けて貰った事への感謝を告げた。
「礼ならば、俺より、お前の守護女神に言うべきだな。彼女が何度も気絶を繰り返し、それでも尚、回復の魔法を使い続けて、お前が負った傷を塞いでくれたからこそ、俺の治療も功を奏したというモノだ」
 環が語るその口調から、京也は、自分の生命を救う為、《マナ》がそれこそ自身の身を削って尽くしてくれた事を知る。
「《マナ》、俺の為に無理をさせて済まなかった。ありがとう、本当に感謝しているよ」
『良いのです。持てる力の全てを尽くして貴方を護る事、それが、京也、貴方の守護闘神である私の使命なのですから』
 その言葉の奥には、京也の生命を助ける役に立った事、それだけで十分の喜びだという想いが込められていた。
 そんな風に自分の事を思ってくれる《マナ》の存在を愛おしく感じ、京也は、彼女の頬を濡らす涙を拭おうと手を伸ばす。
 《マナ》の頬に触れる為、起き上がろうとする京也を、環が慌てて止める。
「京也、お前はまだ動ける状態じゃないんだ、余り無理をするな」
 その制止の言葉に従うまでも無く、京也の身体には、まだ起き上がれるだけの力が戻っていなかった。
「・・・情けないな、全く」
 京也は、その状況に自分の不甲斐無さを感じて、自嘲気味に呟く。
「そう言うな、京也。こう言うのも変だが、あの状態からお前の生命が助かったのは、正に奇跡。正直言って、助けた俺も驚いているくらいだ。それを思えば、寧ろその生命力を誇るべきだな」
 何時もの口調で語る環。
  しかし、その言葉には、決して冗談として笑えないモノが込められていた。
「『奇跡』、か・・・。確かにあれだけの攻撃を受けて生命が助かったのだから、運が良かったと言うしかないな」
 そう独り言の様に呟いた京也の瞳に、悲愴の色が滲み出ていた。
 その京也の姿を黙って見詰めていた《マナ》は、小さな深呼吸をすると穏やかに微笑む。
『京也、知っていますか?奇跡とは、起こりうる可能性があるからこそ奇跡と言えるのです。若しも、それが起こりうる可能性が無いモノであったならば、そこに在るのは奇跡ではなく、必然です。貴方が今ここに在るのは、無限に存在する可能性の中から、その奇跡を掴み取ったのか、或いは、唯、それが貴方にとっての必然であったのかの違いだけです』
 《マナ》が語った言葉の意味を量れず困惑する京也。
それに対し、環は、何かを必死に堪えて苦笑を浮かべていた。
そんな環の態度に、京也は、更に怪訝の表情を浮かべるしかなかった。
「京也、彼女は、『運も実力の内』、否、違うな。そう全てはお前の実力が導いた必然の結果だと言って励ましてくれているんだよ。本当に愛されているな、お前は」
『か、からかわないで下さい、環!私は、唯、本当の事を言っているだけです』
 《マナ》は、環のからかい混じりの言葉に過剰とも言える半王を示し、その凛とした表情を崩して朱に染める。
 そんな環と《マナ》のやり取りが可笑しくて、京也は、自分もからかわれている事を忘れて笑みを浮かべていた。
「《マナ》、君は本当に可愛いね。これはどうやら、君という《戦女神》に対する俺の認識を改め直さないといけないみたいだ」
 環は、《マナ》が示した反応を面白がる様に笑って、更なるからかいの言葉を口にする。
『環、余り調子に乗り過ぎると、その身を以って私という存在に対する認識を改め直す事になりますよ』
 その言葉に違わず、《マナ》の表情に浮かんだ朱が恥じらいから怒りを示すモノに変わっていた。
「いや、済まない。少し悪ふざけが過ぎたみたいだ。しかし、京也が君という存在に惹かれる理由が良く分かったよ。だから、君には、《戦女神》として《魂の契約》とかそういう理由に縛られるのではなく、唯、今の《マナ・フィースマーテ》として京也の傍らに居続けてやって欲しい」
 真剣な表情で真摯な想いを込めた言葉を語る環。
それを向けられた《マナ》と、そして京也も又、それまでとは違うその態度に驚いていた。
 環が、京也の為に《マナ》へと願った想い。
 その言葉には、何故か、環が自分自身に対しても言い聞かせているような響きが存在していた。
『分かりました、環。京也の事を大切に思っている貴方が、私にそう望んでくれた事をとても嬉しく思います。だから、その貴方の想いに報いる為にも、これから先、再び、京也を今回のような窮地に陥らせる事をしないと約束します』
 《マナ》は、環の示す真摯な想いに応えて、真摯な想いの誓いを立てる。
「ありがとう、《マナ》。しかし、京也を護るのは俺の役目でもある。それを君独りに任せる積もりはないよ。それに、今回の事は、俺にも責任が在る事だ。京也を護り助けるなんて大言を吐いておきながら、この様だ。それは俺の驕りであり、油断が招いた結果である。今度こそ、絶対に護ってみせるよ。どんな手段を用いてもね」
 そう語る環の表情には、不敵ともいえる自信の色が在り、そして、それは何よりも頼もしさに満ちていた。
「二人共、ありがとう。でも、俺は、その優しさに甘える訳にはいかない」
 京也は、《マナ》と環の想いに感謝の気持ちを抱き、それと同時に、仲間である二人に負い目を感じさせている自分に憤慨していた。
「あの敗北は、全て俺自身の未熟さと弱さでしかない。だから、そんな風に自分を責めないでくれ」
 口にしたその言葉と共に、京也の心には、己の非力さに対する憾みが沸き起こる。
「《マナ》も環も、自分の身が危険に晒されるのも厭わずに俺を助け、その上、死の危険にあった俺の生命を救う為に、その身を尽くしてくれた。それだけで十分だ。本当に感謝している」
 それは京也にとって、偽らざる想いであった。
「しかし、二人共、良くあの男の許から、瀕死の俺を連れたままで逃れる事が出来たと思うよ」
香祥敦真という男の油断無さを思えば、それこそ奇跡の様なモノであった。
『私は、環が彼を足止めしている間に、京也を連れてその場から退いただけです』
「そうか・・・、なら環に一番、危険な役目を負わせてしまったんだな。済まない、環」
 《マナ》の言葉を受けて、京也は、正直、無謀にも近い選択を選んだ環の決断に驚かされる。
「否、それはあの場での状況を考えて、最良の方策を選んだだけの事。《マナ》は、お前の事を案じて本来の力を発揮できそうになかったし、俺には、《獣神》がいる。それにいざという時の為に、奥の手の一本や二本は隠し持っているからな」
 環の性格を理解している京也は、それが決して強がりでは無い事を分かっていた。
「それに、あの剣士からは、本来在るべき筈の殺気が感じられなかった。恐らくは、見逃された、そういう事だろう」
 苦笑ともいえる複雑な笑みを浮かべて、環は、そう結論付ける。
「・・・何時でも倒せる相手と侮られたか」
「流石にそこまでは、対峙した俺にも分からない。しかし、そうだとしたら、悔しいか、京也?」
 環が口にした問い掛けに対し、京也は、黙って頷く。
「そうか・・・。ならばお前を侮り、見逃した事を後悔させてやるんだな。『剣で失ったモノは、剣で取り戻す』、それがお前達剣士の遣り方なんだろう?」
 まるで挑む様な眼差しと共に京也へと向けられた環の言葉には、威厳にも似た響きが宿っていた。
「ああ、勿論だ。相手が手強い敵である事は分かっている。でも、必ずあの男を倒し、奪われた剣士としての誇りを取り戻して見せる」
 京也が示した意志に、環は、特別な言葉を返す事無く、唯、黙って満足そうに頷いた。
「(否、剣士としての誇りだけの問題じゃない。俺にとっての宿命に決着を着ける為にも、あの男を倒さなくてはならないんだ)」
 京也は、自らに課せられた宿命の鎖を断ち切る為に、避けては通れぬその戦いを覚悟する。
「京也、その為にも先ずは、疲れた身体を癒す事だ。今のお前の弱っている身体には、これが効くだろう。飲んでおけ」
 環は、告げて、懐から取り出した小瓶を京也に投げ渡す。
「・・・?」
「苦心に継ぐ苦心の末に作り出した俺特製の体力増強の特効薬だ。無論、危険な副作用の一切は無いから安心しろ」
 ラベルの貼ってないその小瓶の中身を探るようにしている京也に、環は、自信満々の顔で説明した。
「ありがとう」
 京也は、環の心遣いに感謝の言葉を告げて、薬の入った小瓶の蓋を開ける。
「じゃ、俺は、腹ごしらえに行って来るけど、《マナ》、君は如何する?」
『私は、もう少し京也の側に居ます』
 《マナ》の返事に、手を上げて了解と応えた環は、宣言通り食事を摂る為に部屋から出て行こうとする。
 そして、何かを思い出した表情を浮かべて立ち止まり、京也の方へと振り返った。
「そうそう、京也。その特効薬は、正に『良薬は口に苦し』ってヤツで味までは保証できない。凄く苦いから覚悟してから飲んでくれ」
 思い出したその事実を口にする環の瞳に、恨みがましい眼差しで『そういう大切な事は、もっと早く言ってくれ』と訴える京也の姿が在った。
「悪かった。そうだ、京也、忘れていた事がもう一つ在った。これは返しておくぞ!」
 環は、余り悪びれた様子も無く謝ると、まるで序でだと言わんばかりの軽い調子で、仕事机の陰に置いてあった《ラルグシア》を京也へと投げる。
「っ!」
 大切なそれを受け止めようと慌てて腕を伸ばす京也。
 しかし、目測を誤ったのか、伸ばした手は、触れたその感触を逃して空を切った。
「傷を塞ぎ流れ出た血を補っても、失われた体力までは癒しきれないか・・・。やはり、もう少し休息が必要なようだな。お前が美しき戦女神と語らうのを態々邪魔するのも無粋だし、俺は食べ終わったらそのまま寝るから、お前もしっかりと身体を休めておくんだぞ」
 心配する気持ちを隠した環の意地悪な言葉に、京也は、面目も無い想いで黙って頷くと、寝台の下に転がった神剣を拾おうと手を伸ばす。
『まだ動いては駄目です、京也』
 京也の身体を気遣った《マナ》が、京也を止める言葉と共に《ラルグシア》を拾い上げ、京也へと手渡した。
『それと環、この剣は紛う事無き《神》の力を宿すモノ。ですから、余り乱暴に扱わないで下さい』
 京也と環、窘められる理由は大きく違うが、どちらも《マナ》の言葉に神妙な顔で応える。
 そんな遣り取りが在ったが故に、《マナ》と環は勿論、京也自身ですら、《ラルグシア》を握るその手が微かに震えている事実に気が付かなかった。
「済まなかった。という事で、直ぐに反省する為にも、この場からさっさと退散しよう。では、さらば!」
 本気で反省する積りが在るのか疑わしい言葉を残し、環は、部屋から出て行く。
 そんな環の背中を見詰めていた京也は、強い眠気を覚える。
「済まない、《マナ》、眠くなってきたから、もう休むよ。君も疲れている筈だから、無理せず休んでくれ」
 京也は、そう告げると持っていた神剣をサイドテーブルの上に置いて、身体を寝台の奥へと潜り込ませた。
『分かりました。貴方が眠りに付いたら、私も身体を休めます。では、お休みなさい、京也』
「ああ、お休み、《マナ》」
 笑顔で就寝の挨拶を返した京也は、そのまま瞼を閉じて眠りに付く。
 《マナ》は、穏やか寝息を立てる京也の姿を見詰めて安堵の笑みを浮かべると、彼が眠る寝台に身体を凭せ掛けるようにして、自分も静かに眠りへと着いた。


 冷たく澄んだ朝の空気と、窓から差し込む陽の光に誘われて、京也は、目覚めの時を迎える。
「朝か・・・」
 京也は、爽やかな目覚めに満足して呟くと、大きく息を吸い込んだ。
 その深呼吸の息を吐き出そうとした京也は、自分の身体に感じる重みと、そこから伝わってくる柔らかな温もりに気が付く。
『おはよう、《マナ》』
 京也は、そっと囁くように語りかけると、静かに微笑みながら、すやすやと寝息を立てている女神の髪を撫でた。
 魂の邂逅ともいえる出逢いによって結ばれた《マナ》との縁を想いながら、京也は、今そこに在る穏やかな時を楽しむ。
 京也は、《マナ》を起こして、穏やかな時を壊してしまう事を惜しむ様に、その白銀の髪を優しく梳き続けた。
 そんな京也の想いも虚しく、閉じられていた《マナ》の瞼が微かに動く。
 そして、それは次の瞬間、ぱっと開かれた。
 互いに見詰め合う一瞬の沈黙の後、《マナ》は、京也が浮かべる笑みに、輝くような笑顔で応えた。
『おはようございます、京也。身体の方は如何ですか?』
 《マナ》は、京也へと目覚めの挨拶を告げ、それから直ぐに身体の具合を案じる言葉を続けた。
「おはよう。心配はいらない。もう平気だよ」
 応えて告げたその言葉に偽りは無く、昨日の事が嘘みたいだと感じるほどに、京也の身体は回復していた。
「これも全部、君と環のお陰だよ、《マナ》」
 そう告げて京也は、改めて《マナ》へと感謝の眼差しを向ける。
『私は大した事をした訳ではありません。全部、環のお陰です。本当に感謝のしようもありません』
 《マナ》が口にしたその言葉は、謙遜とは違い、本気でそう思っている意志の顕れを含んでいた。
「《マナ》、君は俺を助ける為に、自分の身を苦しめる事も厭わず、回復の魔法を使い続けてくれた。それは俺にとって、特別な事だよ。それなのに何故、そんな風に言うんだ?」
 それは京也にとって、決して納得する事が出来ないからこそ、口にした疑問であった。
 だから自分でも間違っていると思いつつ、問い掛ける言葉に気持ちの棘を込めてしまう。
『京也、貴方と初めて出逢ったあの時、私には,自分と近しき二つの存在がいるという話をしましたよね?』
 問い掛けに返されたその問い掛けの意味が分からなかったが、京也は、記憶を探ってその事実に頷く。
「ああ、確か《至高にして最も稀有なる守護者》と《最美なる守護者》だったかな?」
『はい、そうです』
 自分がそれを覚えていた事に満足して頷く《マナ》に対し、京也は、向けた眼差しでそれと先刻の問い掛けとどう関係あるのかを尋ねる。
『若し、私に彼らの様な《神》と呼ばれるに相応しき確かな力が有ったならば、あの時、戦いで瀕死の傷を負った貴方を直ぐに救う事が出来た筈です。でも戦女神である私には、貴方を敵から護る力は在っても、貴方の傷を癒し救う力は無く、苦しむ貴方の為に出来たのは、唯、傷を塞ぐ事だけでした。
貴方を救ったのは、環の力が在ればこそです』
 語る《マナ》の言葉からは、無力な自分に対する悔しさが滲み出ていた。
 京也は、自分の問い掛けが、目の前にいる女神を深く傷付けた事を理解する。
「(本当に、俺は何時もいつも君を傷付けてばかりだ)」
 心の中で自らの迂闊さ恨んだ京也は、誰よりも大切な存在である女神の為に、今、自分が告げるべき言葉を懸命に探した。
 そして、京也は、見つけたその言葉を口から紡ぐ事はせず、それ以外の方法で伝えた。
『京也!』
 《マナ》は、突然、京也にその身体を引き寄せられ、抱き締められると驚いて声を上げた。
 京也は、更に強く《マナ》の身体を抱き締めると、その唇に自分の唇を重ね合わせる。
 強引に交わされる口付けであったが、《マナ》は、そこから伝わってくる京也の優しい想いを感じ取った。
 《マナ》は微笑むように瞳を閉じると、自分の身体を抱き締める京也に負けないくらい、強くつよく力を込めて京也の身体を抱き締め返した。

第九話・剛敵

 京也達は、征也より示された情報に従い、目的とする政府機関の旧研究施設へと潜入を試みる。
「どうやら『アタリ』の様だな」
 不敵な笑みを浮かべて呟く環の言葉に違わず、封鎖された筈の施設内に大勢の気配が存在していた。
『あの中からは、何か妙な気配が感じられます。京也、環、気をつけてください』
 《マナ》が口にしたその警告に、京也は警戒と緊張を新たにし、環は特別に変わった様子も無く黙って頷いた。
「敵もそれなりの備えをしているみたいだし、ここは慎重に行くべきか・・・」
「否、京也。こちらは少数精鋭、ここは相手の度肝を抜くような派手な先手を打って、連中を混乱させてやろう」
『京也、私も彼の意見に賛成です。相手を混乱させ、その隙に攻め込む。それは戦の常道ですから』
 環と《マナ》、二人の意見の一致を前に、京也もその作戦に乗ることを決断する。
「じゃ、先ず俺が斬り込んで、それに続く形で《マナ》と環が中に突入するということで良いかな?」
 そう告げて《ラルグシア》の柄に手を伸ばす京也を、環が静止する。
「悪いが京也、その役目は俺達に譲ってくれないか。この《獣神》に先頭を任せ、それに続いて俺が中に踏み込むと同時にこの特製対人用鎮圧弾をお見舞いしてやる。それで連中が怯んだ所へお前達二人が突入して一気に勝負を着ける。そんな感じがベストだと思うが如何だ?」
 示した提案と共に手のひらサイズのそれを弄ぶ環の瞳には、悪戯を楽しむ悪ガキのような笑みが宿っていた。
「それの効果が確かな訳なら、俺としては異存なしだけど」
「大丈夫。これの威力は確かなお墨付きだから。特別な免疫も無く、これの餌食になって平気な生き物がいたら、それは最早、人外の化け物か何かだな」
 返ってきた言葉とその表情の笑みに、京也は、『悪魔の笑み』の意味を知る。
「しかし、そんな危険なモノを使ったら、こっちにも被害が生じるんじゃない?」
「それに関しては、この薬を飲んでもらえば全く問題なし。ほら、二人ともぐっといってくれ」
 環は言って、懐から出したタブレットケースの中身を、京也と《マナ》の掌へと転がす。
「どうした二人とも?危険な副作用は一切無いぞ。それに味の方だってかなりイケる出来だしな」
 環は、京也達に免疫耐性用薬である錠剤の服用を促し、自身もそれを飲み下した。
「・・・」
 京也は、掌の薬をじっと見詰める。
そして、次の瞬間、閉じた瞳に覚悟を決めて一気に飲んだ。
「うっ!」
 それは語られた言葉に嘘のない味であり、その効果も直ぐに現れた。
 身体の内から湧き上がってくる熱に、京也は、それまでに感じた事のない力の充足感を抱く。
「滋養強壮に体力増強、元気になり過ぎるというその副作用さえも、心強い限りだろう?」
 環は、京也が示した反応を読み取り、自慢げに言って笑う。
 その二人の様子を見て、《マナ》も又、渡された薬を口にした。
『なるほど環、貴方が得意とする〈科学〉とは、私の知る《魔導》に於ける魔法薬の研究に近しいモノなのですね』
「正確に言えば、生物種族の根源から、それらの発生と今に至るまでの過程を調べ、そこから生物の生成構造という仕組を知る為の研究かな。と言っても、何時の間にかその副産物である『怪しい薬』を造ることが専門みたいになってしまったけれどね」
 環は、《マナ》の理解に訂正補足を加えて、苦笑を浮かべた。
「噂には聞いていたけれど、それ以上に凄い才能だね」
「否、俺のこの薬学の研究は、一番に求めた結果を果たせずに終わった。だから、そう褒められるのには、値しないよ」
 環がその自嘲の言葉に込めた想いの重さを感じ、京也は、それ以上の言葉を口に出来なかった。
 環は、京也の気遣いに気が付くと、懐古に抱いた想いをその胸の内から吐き出すように大きく深呼吸をする。
「さて準備は整ったし、そろそろ行こうか」
 自分と京也との間に生じた空気の重さを振り払うように環は笑い、そして、今やるべきことを促した。
 京也は、環が持つその強さに改めて頼もしさを感じると、告げられた言葉に黙って頷いた。

 決められた作戦に従い、環の命令によって研究施設内に踏み込んだ《獣神》が、入口の奥に潜んでいた見張り役の敵を倒すと同時に、それに続く形で踏み込んだ環が自慢の特製鎮圧弾を投げ込む。
 一瞬の閃光と共に弾ける煙幕弾、それから発生した激しい噴煙が施設内に広がった。
 突然の出来事に冷静な反応を示す事も適わず、建物の一階にいた者の全てがその煙の餌食となる。
 その中の一人が吸い込んだ煙の味に咽ながらも、侵入者である環達を排除する為に、懐から武器を取り出した。
「これで一応、正当防衛になるかな」
 向けられた銃口に怯える事も無く不敵に笑う環、それを護るように《獣神》が彼の前で身構える。
「莫迦が、死んで後悔しろ!」
 《カイザー》の警備兵である男の言葉と共に放たれた銃弾は、狙う環の身体を大きく反れると、彼の背後の壁に突き刺さった。
「次は外さん」
 再び放たれる銃弾、しかし、それも又、狙いを大きく外して壁に更なる穴を開ける。
「無駄だよ。お前の視神経を始めとする神経の殆んどが、先刻の煙に含まれた成分の影響で麻痺しているからな」
 その言葉に合わせるように、警備兵は膝から崩れ落ちて床に突っ伏せた。
 それと同じ様に次々と倒れる敵の姿を見詰めながら、環は、快心の笑みを浮かべて《獣神》の頭を撫でた。

 聞こえた銃声に焦る心で施設内へと踏み込んできた京也と《マナ》は、悠然と構える一人と一匹に拍子抜けの表情を浮かべる。
「凄い・・・」
「即効の威力で体力減退に気力喪失、そして、最後は失神。名付けて〈脱力香〉。『本薬剤は大変な危険物なので使用の際には十分なご注意が必要です』といったところかな」
 目の前の状況に思わず驚歎の言葉を洩らす京也。
それに対し、環は、洒落になっていない冗談で応えた。
「まあ、何はさて置き、無事に潜入成功だ。新手が現れる前に、連中の尻尾に繋がる手掛かりを見つけ出すぞ」
 表情を引き締めた環は、本来の目的を果たすべく、施設内の調査を京也達へと促す。
 それに頷き動こうとした京也は、そこに生まれた違和を本能的に感じ取ると同時に身構えた。
 京也が自らの頭上へと掲げるように構えた神剣は、突然に現れた敵が繰り出したその鋭い攻撃を見事に受け止めた。
『京也!』
「っ!」
 《マナ》と環、二人の瞳が敵の存在を知って驚きに見開かれる。
 そして、それと対峙する京也自身も又、気配も無く現れた敵の姿に驚かずにはいられなかった。
 その『敵』は、京也に自分の正体が『何者』であるかを考える暇も許さず、次なる攻撃を放った。
「くっ!」
 京也は、無駄の無い僅かな身動ぎによって、敵が繰り出した斬撃を紙一重で避けると、その勢いのままに横へと跳んで敵との間合いを取る。
「噂に違わず、中々やるな。流石はあの神崎征也の血を受け継ぐ者だけはある」
 その言葉と共に、男は、抱いていた戦意を僅かに緩めて、自らの得物である細身の長刃剣の切っ先を足元へと下げた。
「何者だ!」
 京也は、油断無く《ラルグシア》を構え直すと、男へと鋭い視線を向けてその正体を探る。
「俺の名は、香祥敦真。それ以上の事を知りたければ、剣士として自らの振るう剣で探るしかないな。それが武の信奉者たる身の性というものだ。そうだろう?《真神武》の剣士、華神京也よ」
 そう語った男は、再び戦いの意志を身に纏い、手にしていた長刃剣を構えた。
 香祥敦真と名乗った男の口から出た父の名と『《真神武》』と呼ばれた自らの流派に、京也は、相手の正体が自分と関わりがあるモノである事だけは理解する。
「確かに、貴方の言うとおりだ。望みどおり、その正体、この剣を以って探り出させて貰おう!」
「俺の正体を知ったところで、ここで生命尽きるその身では無駄な事ではあるがな」
 構えた《ラルグシア》に闘志を宿し言い放つ京也。
その言葉を嘲るように嘯く敦真の瞳に、鋭い殺気が宿る。
 一瞬ともいえる短い睨み合いの後、先に動いたのは京也の方であった。
 先刻に交えた刃によって、相手の力量が並みのものでは無い事を知る京也は、小手先の技を抜きで本気の一撃を放つ。
「甘い!」
 敦真は、口にしたその言葉に違わず、京也が渾身の力を込めて振り放った攻撃を、繰り出した横薙ぎの斬撃で弾き返す。
 その技の冴えに京也は、相手の力量が自分の想像のそれを遥かに凌いでいる事を知る。
「ならば、これで決着を着ける!」
 京也は、弾かれた剣の切っ先をしなやかな身のこなしで制止すると、短く吸い込んだ息を吐いて更なる攻撃に転じる。
「《炎舞》、か・・・」
 示された一瞬の構えから、京也の狙いを見抜く敦真。
 しかし、その表情からそれまでの余裕が失われる事は無かった。
「行くぞ!」」
 京也は、言い放ったその言葉に裂帛の気合いを込めて、《真神武》の奥義を繰り出した。
 それに対する敦真の瞳に、鋭い意思の輝きが煌めく。
 繰り出される一撃一振りの全てに必殺の威力を宿した連斬たる秘技《炎舞》。
 敦真は、自らの身体を穿たんとする斬撃と刺突の連続攻撃を、水鏡の如く狙い違わぬ反撃の刃で次々に弾き返して行く。
 両者の繰り出す攻めと護りの連斬は、正にその魂を燃やし刹那を紡ぐ演舞であった。
 互いに一歩も譲らず繰り出す技の応酬に、京也と敦真の二人は少なからず精神を消耗させていた。
 両者共に、対峙する敵と同時に自分自身の心とも戦い続ける。
 そんな一瞬の油断が自らの生命すら危うくする死闘の中にありながら、しかし、両者の表情には歓喜の色が存在していた。
 それは、京也と敦真の二人が、剣士として自らの剣とそこに宿した武の魂を絶対のモノとする宿命を背負う証であった。
 その互いの誇りを懸けた剣と剣のぶつかり合いの決着は、護りから攻めへと転じた敦真の一撃によって齎される。
 京也の振るう一撃を軽い身のこなしで避けた敦真は、自らの攻撃の勢いに呑まれて僅かに構えを崩した京也へと流し斬りを放った。
 迫り来る刃を前に京也は、咄嗟の動きで《ラルグシア》の切っ先を返し回らせる。
 一瞬の後、京也が護りとして構えた神剣に、敦真の攻撃の衝撃が叩き込まれた。
 並みの流し斬りとは異なるその一撃の重みに、受け止めた京也の身体が背後へと押し返される。
「(莫迦な!)」
 自ら味わった現実に京也は、動揺にも近い驚きを抱かされた。
「ふっ、流石と言うべきか。少し侮りすぎていたみたいだな。そろそろ此方も本気を出そう」
 敦真の口から出たその言葉に、京也は、先刻の死闘すら目の前の男にとって、遊戯の如きモノに過ぎない事を思い知らされる。
 自分と敦真との間には、単純な技量の差とは異なる何か別の決定的な違いが存在する事を京也は感じていた。
 そして、それこそが自分と目の前の男との強さを分かつ大きな違いである事を。
「(一体、・・・何が違う?)」
 自らの心にその答えを問う京也。
 しかし、それを見つける事は出来なかった。
 尚もその答えを求める京也の心は、そこに僅かな疼きを感じていた。
 それは京也にとって、戦いの中で強さの意味を求める時、常に感じていた自らの魂に残る傷痕が与える痛みであった。
「(俺は、何時からこの痛みを知るようになったんだ?)」
『危ない、京也!』
 叫びにも似た《マナ》の警告の声。
 京也の身体は、それに反応して動いていた。
 次の瞬間、そこに在ったのは、敦真の長刃剣を神剣で受け止める京也の姿で在った。
 重く鋭い敦真の攻撃を受けて痺れる腕の痛みの中で、京也は、その答えを見付けていた。
「(そう、華神京也、お前は、《マナ》と出逢ったあの瞬間に、この痛みを思い出した。そして、お前が強さを求めた理由は?それは誰の為に、何の為に求めた?忘れたのか、京也!)」
 問い叱咤する自らの心の声に応えて、京也の心に意志の炎が燃え上がる。
「ほう、どうやら本気を出していなかったのは、華神京也、お前もまた同じという事か」
 敦真は、京也に宿る意志の変化を見抜くと、何かを楽しむような笑みをその表情に浮かべた。
「本気は既に出している。唯、それが少し足りていなかっただけだ」
「そうか、ならば俺が本気を出す前に倒せなかった、その己の未熟さを呪って逝くんだな!」
 言い放たれたその言葉と共に敦真の斬撃が京也へと迫る。
「その言葉、後悔するな!」
 返す言葉に込めた意志よりも利く鋭い一撃を以って、京也は、敦真の攻撃を弾き返す。
 京也が繰り出した一撃の威力に、今度は敦真の方が驚愕とも言える驚きの色を浮かべる。
 その意志の証たる自らの得物を奮ってぶつかり合う両者が繰り出す攻撃は、互いの力量を競い合う剣士の技ではなく、正に相手の生命を喰らい尽くそうとする猛き獣の爪牙であった。

 死を狩る獣の如き京也と敦真の戦いに対し、固唾を呑んで見守る《マナ》と環、その二人の目に両者の技量は略互角に映っていた。
 相手を自らの意志を以って捻じ伏せんとする二人の剣士は、互いに小手先の技を抜きにした剛剣を奮って鬩ぎぶつかり合う。
 その戦いは、千日万歳の時を経ても決着が着かないかと思われた。
 しかし、その決着の時は確実に存在していた。
「この斬り合いにも少々飽いた。決着を着けさせて貰おう」
 敦真は、そう宣言すると素早く身を引いて背後に退く。
 そこに存在する自信の正体を訝る京也に対し、敦真は、得物である長刃剣を片手に握り、その切っ先を足元に落とした異様に映る構えを取った。
「何の積もりだ?」
 身体に宿した力はおろか、その戦いの意志までも弛緩させている敦真の姿に、京也は、相手の真意を疑う。
「言った筈だ。決着を着けるとな。見せてやろう、《真神武》の奥義に勝る我が流派の秘奥義を!」
 その言葉と共に返された敦真の鋭い眼光に、京也は、相手が本気である事を知る。
「ならば、こちらも本気で行くのみ!」
 京也は、心に生まれた迷いを振り払うように言い放ち、握り締めた神剣に持てる力と意志の全てを込めて敦真へと振り下ろした。
「貰った!」
 その宣言に違う事無く、京也の渾身の一撃は、完全に相手の身体を間合いの内に捉えていた。
 京也のみならず、見守っていた《マナ》と環の二人もまたその勝利を確信する。
 その中で、唯一人、香祥敦真のみが自分の勝利を予見していた。

 京也の振るう《ラルグシア》は確かに、対峙する主の敵をその紅の刃に捉える。
 否、捉えた筈だった。
「っ!?」
まるで霞でも斬ったような手応えの無さに、京也は、驚き困惑する。
そして、反撃の刃をその身に受けた瞬間、自分が斬り裂いたのが、香祥敦真の陰影に過ぎない事を思い知らされた。
「(莫迦な・・・、俺の攻撃は、確かに、あの男の、身体、を、捉えていた。何が、起きた、・・・?)」
 背中に刻まれた攻撃の印たる痛みに耐え、京也は、鈍る思考で己の身に起きた出来事を探る。
『京也!』
 京也は、床に倒れ伏し、流れ出る自らの生命の源に濡れながら、薄れ行く意識の最後に愛する戦女神の悲鳴を聞いていた。
「(俺は、敗れたのか・・・)」
 自らの敗北という残酷な現実に晒されながら、京也の意識は、完全に途切れた。

あし@

参加ユーザー