21世紀末、最高の文明を誇る世界。 その文明社会の陰の礎となり、人知れず世界の闇に存在する異形、《魔》と呼ばれる存在と戦い続けてきた来た者達がいた。 卓越した戦闘技能を以って《魔》と戦い退ける者、《退魔師》と呼ばれる彼等を纏め上げる一族に生まれ、その長たる総帥となる宿命を背負った少年、華神京也。 しかし、京也は、その宿命に縛られる事を厭い、未だ自らの責務を果す覚悟を持てずにいた。 そんな、京也に対し、彼の武道の師である榊和泉を始めとする一族一党の者達の多くは理解を示し、その支えとなる事を望んでいた。 自らの宿命を受け入れられず、そして、その責務の重さに心惑う京也の心には、嘗て、突然の別離をもって失った存在への愛憎が大きな陰として今も残っていた。 自らの存在に課せられた宿命に惑う京也を嘲笑うが如く、彼の前に一族と因縁の深き宿敵、世界に混乱を齎す存在たる秘密結社の刺客が現れる。 その存在が操る《流血の邪神》の力に苦しむ京也の想いが、永き封印にその身を縛られし特異の存在《戦女神・マナ・フィースマーテ》を解き放つ。 その邂逅こそが、京也と《マナ》の運命の物語の始まりであった。

2007年12月23日日曜日

アルカナ・レジェンド‐始動編・叙‐

それは、啼きしきる蝉の声が眠りを邪魔するひどく暑かった真夏の記憶。
汗となって身体から抜け落ちていった水分を求めて、オアシスたる冷蔵庫に顔を突っ込んだオレは、そこにある現実に落胆と虚しさを覚える。
「あーあー、このまだクソ熱い中、水分を求めてさすらい人ですか・・・」
いくらそんな悪態を付いても、空っぽの冷蔵庫から求めるモノが沸いて出ることがないとわかっている以上、ここは諦めて外に買出しに行くしかなかった。
「ふー、相も変わらず外は暑いねぇー」
そんな軽口を叩ける程度の余裕が出来たのは、買出しに入った店の冷房のお陰というべきなのだろうか。
目的の飲み物を見繕い、ついでに、オツマミをいくつか買い込んだオレは、先刻までの不機嫌はどこへやら、多少の浮かれ気味で店を出る。
そんな調子が災いして、オレは、店に入ろうとした相手とすれ違いざまに片をぶつけてしまった。
『きゃっ、すみません!』
相手の女性の謝罪の言葉と共に、オレの手から抜け落ちた買い物袋が地面に転がる。
そして、その音にオレは中身のいくつかが割れたことを悟った。
『本当にごめんなさい。ダメになった分は、弁償しますから・・・』
「いや、こちらこそ、ぼぉーとしていて悪かったです。気にしないでください」
オレは、そう応えて、地面に転がる買い物袋を拾い上げた。
『それは、ダメです!せめて、半分くらいは弁償させてください』
オレは、彼女のその言葉に、今時の人間にしては珍しく律儀な人間だと好感を抱き、その申し出に従う事にした。
互いに買い物を済ませたオレと彼女は、帰る道筋が同じなので、そのまま連れ立って帰路に着く。
その道すがら、『斎(いつき)ゆづる』だと自分の名を名乗った彼女に対し、オレも自分の名前を告げる。
「俺は、久川和誠(ひさかわわせい)です」
正確に言えば、それは、オレにとっての本当の名前とは異なるモノだ。
しかし、嘘を付いているのとも少し違う。
その名前は、紛れもなく今の俺を指し示すモノであるのだから。
それから、ゆづると他愛もない内容の話を続けながら、オレは、日が傾き出した夏の小道を歩いて行く。
そして、何時しか逢魔ヶ刻が訪れようとしていた。
オレとゆづるの帰り道が分かれる場所に至った時、オレは、彼女が買った荷物を持って家の近くまで送る事を申し出る。
それを最初は遠慮していた彼女だったが、少し考えた後で、短い礼の言葉と共に受け入れた。
そして、オレと彼女は再び肩を並べて歩き出した。
彼女の家が近付き、ここで十分だと告げられたオレは、彼女に荷物を手渡すと、簡単な挨拶を告げて背を向けた。
それから、オレが数歩も行かないうちに、背後で彼女の短い悲鳴が聞こえる。
一瞬何事かと驚いて動きを止めたオレだったが、直ぐに振り返ると悲鳴が聞こえた場所へと走る。
時間から考えて彼女の居場所を推測したオレは、巡らせたその視線の先に求める姿を見つけて安堵した。
その瞬間、オレは背後に現れた何者かによって後頭部を殴打される。
再び、オレの耳に突き刺さる彼女の鋭い悲鳴。
それが、オレと彼女自身のどちらの為に発せられたモノか確める余裕すらなく、オレの意識は混濁の闇へと堕ちて行った。

そして、オレが失神からその意識の一部を甦らせたとき、そこに在った現実は異常にして異質なモノであった。
何かの儀式を執り行なうために作られた祭壇。
そこの上に置かれているのは、紛う事なきゆづるの存在であった。
僅かに動く胸の動きから、その生命がまだ無事であることだけは見て取れた。
自分が置かれている状況を知ろうと必死に意識の全てを覚醒させようとしたオレは、後ろ手に拘束され自由を奪われたその事実に嫌なモノを覚える。
その束縛は硬かったが、それでも何とかしようともがくオレの姿を嘲笑う視線の存在に気がつく。
古風ともいえる白装束に身を包み、手には波刃の短剣という怪しい武器を持ったその男は、嘲りの視線を冷酷な眼差しに変えてオレを見詰めた。
『フッ、我が儀式の生贄として、幾らでも足掻き続けるがよい。その抵抗が無駄な努力であったとお前が絶望すればする程、これから甦られる我等が主様への良き供物となるのだからな』
男が告げたその言葉を聴くまでも無く、オレは、その意味を良く理解していた。
この場に存在する『異質』は、オレにとっては良く知る現実であったからである。
だからこそオレは、これから起こる事の全てを予測することができた。
「逃げろ、ゆづる!」
オレは、それが無理であることを知りながら、叫ばずにはいられなかった。
「この狂信者が!やめろ!」
オレは、その結末を諦めることを許せず今度は男へと叫んだ。
『ほお・・・、貴様、この儀式の意味を少しは理解してるのか』
男は、僅かばかりに沸いた興味に、オレの方へと振り返る。
オレは、目の前にいる男が考えている以上に、男が行おうとしている事を理解していた。
「お前が呼び出した存在に何を求めようとしているのかは知らない。しかし、それは無駄な事だ。この程度の儀式で召喚できる存在に他者の願いを叶える程の力がある筈がないし、仮に、上級に位置する存在を呼び出せたとしてもそれを制御できなければ自滅するだけだ!」
オレは、それが無駄な努力だと知りながらも男に儀式を行う事を諦めさせようと言葉を紡ぐ。
『・・・それ程までの〈儀式〉に対する知識を持つとは、貴様も闇の異能に魅入られし者の一人か。何も特別な力こそ感じぬが、これは真に良い生贄を手に入れたみたいだな』
男の口から出た言葉に唯一つ存在する今の自分を示す真実が、オレの心に深く突き刺さる。
そして、自分の非力を憾み嘆くオレの目の前で、狂ったその儀式が行われていく。
男の口から紡がれる歪められた祝詞は、〈呪言〉となって依代たるゆづるの魂を汚す。
意識を奪われていて尚、その呪いの言葉に魂を侵される苦しみに耐えられずゆづるの身体が大きく痙攣する。
『これで《蛇神》様の復活の儀式は成った。ここに我が願いは成就するのだ!』
男は狂気に愉悦する宣言と共に、その儀式の終焉として、最後の一行をゆづるへと施す。
それは、祭具の長たる凶刃を依代へと下し、その産屋たる腹を割く行為に他ならなかった。
生きたまま、自らの腹を割かれ悲鳴にすらならない断末魔の叫びを上げるゆづる。
その苦しみの声を聴き、オレの中で何かが壊れたような気がした。
「(全てが虚しい・・・。自らの歪んだ欲望の為に外道の力を求めたあの男の姿も・・・、そして、何よりも彼女を救えなかったこのオレの非力さこそが・・・)」
その虚ろな心を映し出すように力無い光を宿すオレの瞳が、男の儀式によってゆづるの生命を糧に産まれ出でた醜悪なる《闇の獣》の姿を捉える。
そして、オレの耳には、まるで夢か現か分からない男の声で、復活した《蛇神》の最初の生贄に自分が選ばれたという詰まらない事実が聞こえた。
「(これがオレの最後に相応しい結末なのかも知れないな・・・)」
自らの力に溺れ、本当に必要な時にその力を失い、こうして後悔すら許されない絶望の中で生命を尽きていく。
それでも仕方ないと思う。
しかし、叶う事ならゆづるの生命を護ってやりたかった。
その想いが叶えられていたならば、オレは、間違いなく人間としての最後を迎えられたはずなのに。
オレは、自らの宿命に対する恨みの想いを抱く。
だが、そんな苦しみも今ここで全て終わりになると思えば、それも良いかも知れない。
人間として生きられないのならば、人ならざるモノにその最後を与えられるのが相応しい。
そして、その最後が訪れようとしていた。
《蛇神》と呼ばれたその獣は、オレの前に至ると、鰐の如く獰猛なる牙でオレの右腕に喰らいつく。
オレは、その激しい痛みに意識を失う。
そのオレの虚ろな瞳へと最後に映ったのは、死の苦しみに頬を涙で濡らしたゆづるの亡骸の姿であった。

そして、オレが再び目を覚ました時、そこに在ったのは、親友である神崎政貴(かんざきまさたか)の姿であった。
更に、その周囲に視線を回らせれば、羽水尚也(うすいなおや)と滝司武(たきしぶ)の姿が在った。
「お前達が助けてくれたのか・・・?」
オレは、嘗ての仲間達の姿に、自分が生きている理由をそう理解する。
『否、それは違う。俺たちは、ここで倒れていたお前の姿を見つけただけだ・・・」
「そうか、では、誰が・・・」
そう疑問に思うオレは、自分の身体にある違和に気がつく。
それは、傷一つ負っていない右腕の存在であり、そして、そこに残る異形の存在の死の臭いであった。
「(オレはまだ、この異能の力に生きる宿命から解き放たれることを許されないのか・・・)」
オレは、自分自身が失ったはずの《魔を殺す者》と呼ばれる異能の力を以って、《蛇神》とその力に魅入られたあの男を殺した事を悟る。
「(これがオレの宿命だというならば、オレはこの異能の力によって我が身を焼き尽くすその時まで戦い続けてやろう!)」
それは、オレが自らの宿命を受け入れ、逃れられない運命の歯車に対する戦いを誓う憎悪にも似た宣言であった。

そう、それは自らが護りたいと望みながら果せなかった想いを苛む『悪夢』であり、そして、自らが自らに課した贖罪の傷を刻むための忘れえぬ記憶であった。

「(オレは又、大切なモノを護れなかったのか・・・)」
その腕に抱いた最愛の女性(ひと)の亡骸を前に、オレは甦る『悪夢』の記憶に打ち震えていた。
そして、オレ自身にすら自らの内に宿ったその感情が、失った存在への深い悲哀なのか、それともそれを奪った存在への激しい憎悪なのかという答えが出せなかった
「最早、全てが虚しい・・・。だから、ここで全てを終わらせようか。なあ、神崎、お前にとって本当にこの世界は護るに値するのか?」
暗き絶望に虚ろとなったオレの眼差しの先には、嘗て、仲間として共に戦い、そして、今、許すことの出来ない仇敵となった男の姿が在った。


                                                       END

2007年12月1日土曜日

第八話・神剣

 征也は、京也達に食事を振舞うと、或る申し出を二人に告げる。
「京也、お前に渡したいモノがあるから着いて来てくれ。《マナ》さん、貴女も一緒に来てください」
 更に『少し離れた所に在るから』と付け加えて。征也は、二人を外に連れ出した。
 その征也に誘われる形で京也達が連れて行かれた先は、一族の管理する学園施設の敷地内にある古びた建物であった。
「ここは?」
「それは中に入れば嫌でも分かる。唯、入る前にそれなりの覚悟をしてくれ」
 如何してこんな所へ連れて来たのかを尋ねる京也に、征也は、意味深の言葉を返して施錠された建物の扉を取り出した鍵で開ける。
 その開け放たれた扉の先、建物の内に在ったのは纏わり憑く様に濃い闇であった。
『これは・・・!』
 その異質な空気に尋常なるモノを感じ取って、《マナ》は、驚愕ともいえる感情の言葉を洩らした。
 《神》という身に在って人知を遥かに越える《理》に関する知識を持つ《マナ》だからこそ、目の前に存在するモノが如何に異常であるかを理解する事が出来た。
『これ程までに歪められた《理の力》を感じるのは、正直を言って初めてです』
「やはり・・・そうですか。しかし、これでも幾重にも及ぶ結界で封じられている状態なのです」
 征也から返されたその言葉に、《マナ》は、最早驚きの言葉すら忘れて立ち竦んでいた。
 《マナ》と同様、その肌に感じる空気に嫌なモノを感じていた京也は、二人の交わす遣り取りに自分が目の当たりにしているモノの正体が只ならぬモノである事を思い知らされる。
「ここは異界へと通じる異次元の扉といわれる《業魔の門》を結界で封印した場所」
 征也は、そう京也達に説明して建物の扉の内へと歩みを進める。
 その征也の背中を追う形で、京也と《マナ》も建物の中へと足を踏み入れた。
 京也達二人の目が闇に慣れるより先に、征也が操作した照明の明かりが点される。
 人工の光に照らされそこに現れたのは、地面に大きく穿たれた穴の存在であった。
 そして、それはまるで魔物が獲物を喰らう為に巨大な口を開けているかの如く、その内へと底が見えない深い闇を孕んでいた。
 しかし、《業魔の門》と呼ばれるその存在の不気味さを際立たせているのは、そこから滲み洩れた闇の気配だけではなかった。
 その周囲の地面には、数多の武具が突き刺す様に埋められており、儀式の象徴としてのそれが持つ不可侵の雰囲気を生み出していた。
「京也、ここに在る全ての武具は、我が一族の退魔師達と共に戦い、そして、今尚、その主であった者達の意志に従って、この世界を異界の脅威から護る結界を成してくれている」
 征也が語るその言葉が示すように、そこに在る武具の全てから、その身に宿した守護の力が感じ取れた。
 京也の表情に在るモノから、その理解を察した征也は、向けた視線で京也に着いて来るように告げ、《業魔の門》へと近付いて行く。
 そして、征也は、《業魔の門》を封じる結界の中心を担う三つの武具の一つである剣の前で立ち止まった。
「この剣は、嘗て我等の血祖である神崎政貴がその退魔の戦いで振るったモノ。彼の方が亡き後、誰一人としてこの剣に新たなる主と認められ継承を果した者はいないが、お前ならばそれを果たせるかも、否、必ず果せるだろう」
 征也は、期待ではなく確信を以って、そう京也に告げると彼の為に道を開けた。
「分かりました。遣ってみます」
そう応えて剣の前へと進み出た京也は、一族の伝承に聞く最高の誉れ高き退魔師であった存在が遺した武具に対し、その敬意を示すべく一礼を捧げて恭しく両手を伸ばす。
そして、永き歳月を経て尚、朽ちる事無く清廉とした姿を持つその剣の柄へと掌を重ねた。
京也は、力強く握り締めたその掌から伝わってくる温もりに、魂の根源へと至る震撼の如き共鳴を覚える。
それは、剣に宿る意志が京也の魂へと語り掛けた言葉であった。
 その魂へと語り掛けてくる意志の存在に、京也は何故か身を切られるような懐古の想いを抱く。
 自らの魂を揺さ振る懐古の痛みに、京也は、遥か遠い古の記憶の断片を甦らせていた。
「《大いなる安逸へと導く、神々の裁き司る偉大なる審判者の杖》」
 それは、京也の魂に刻み込まれた深い絆で結ばれた存在と繋がる記憶であり、今、掌に触れている剣が持つ《力示す真銘》であった。
 京也は、何時の間にか祈るように閉じていたその瞳をしっかり見開くと、剣の柄を握り締める両腕に力を込めて一気に引き抜く。
 新たなる主となった京也の意志に従い、その全身を現した剣は血よりも鮮やかな紅の刃を神々しく煌かした。
『京也、その剣はまさか!』
 《マナ》は、京也の手にある剣を見詰めて驚きの声を上げる。
 そして、まるで何かに憑かれた様に、京也へと駆け寄った。
『嘗て《神》の御手に在り、そして、そこより零れ落ちた力の象徴。紛う事無き《神》の剣、《ラルグシア》!』
 自らが《ラルグシア》と呼んだその神剣の輝きを瞳に移し、《マナ》は、烈しいまでの歓喜の感情を顕わにする。
「《マナ》、一体・・・?」
 京也は、《マナ》が示す歓喜の意味が分からず、やや困ったようにそれを尋ねた。
『その《ラルグシア》は、《創造の双偉神》の一柱である《創世の光神皇》様の力の象徴たる剣。そこに宿す破邪の力は、彼の《流血の邪神》が持つ邪眼の魔力に抗する術となる筈です』
 《マナ》が語るその言葉を聴いた京也は、自分が継承した剣が持つ力の事よりも、剣の真なる主の方に興味を覚える。
「この剣の継承を果した時、そこに宿る意思の声を感じた様な気がしたんだけれど、それは《マナ》が今話してくれた剣の真の主である存在のモノだったのかな?」
『それは、私にも分かりません。でも、貴方がそう感じたのならば、そうなのかも知れませんね』
 京也の疑問に対し、《マナ》が示したのは、何処か曖昧な答えであった。
 しかし、何故か京也の心はそれでも構わないと感じていた。
 それは、握り締めた《ラルグシア》から今も僅かに伝わって来るその意志の温もりに、求める答えを感じられる気がしたからであった。
「やはり、その剣はお前を主と認めたか」
 征也は、期待に違わず京也が《ラルグシア》の継承を果した事を喜ぶ。
 そして、自らが手にしていた愛用の太刀を鞘から抜き放った征也は、それを逆手に握り直すと先刻まで《ラルグシア》が在った場所へと深く突き刺した。
「これで暫くの間は、結界の維持に問題は無いだろう」
 そう呟き身体を起こす征也の表情は、歴戦の退魔師のそれをしていた。
「京也、その剣が持つモノの重みは生半可では無い。それだけは忘れるな」
 一族の歴史とそれ以上のモノを背負い今日迄在り続けてきた神の剣《ラルグシア》、それを継承する事の意味を指して告げられた征也の言葉に、京也は、純粋な眼差しと共に無言で頷く。
「復讐の妄執に囚われた《カイザー》の残党達、特にあのファーロという男の存在は危険だ。その動きをこれまで追い続けていた一族の退魔師の多くが、この数日で帰らぬ身となってしまった。それは、奴が復活させた《流血の邪神》の力が増しているからに違いない。時は一刻を争う。奴の居所に関する情報を入手し次第、此方から討って出る積もりだ。京也、お前もそれにしっかりと備えておくようにな」
 そう語る征也は、《Lord‐Knights》の総帥代行として、《カイザー》の再生を阻止する戦いの犠牲となった一族の対魔師達に対する気持ちの焦燥を必死に抑えていた。
「既に戦いの覚悟は出来ています」
 本来ならば自分が負うべき苦しみを代わりに受けてくれている存在に報いる礼儀として、京也は、自らの果たすべき事への確かな覚悟を示す。
 征也は、京也が示した覚悟の言葉に宿る意志に満足し、再びその口を開いた。
「京也、あのファーロと《流血の邪神》を倒せる者はお前しかいない。その危険を思えばこの様な事を頼むのは残酷なことだと分かっている。だが、それでも頼む、世界の安寧の為、私達にお前が持つその力を貸してくれ」
「言った筈です。既に戦いの覚悟は出来ている、と」
 真摯に過ぎる程に真剣な眼差しで告げられた父、征也の言葉に対し、京也は揺ぎ無い意志を以って応えた。
 そして、京也は、傍らに居る《マナ》を一瞥して、更に言葉を続ける。
「確かに敵の力は強大で危険なモノです。でも、俺には《マナ》という力強い味方がいます。そして、今この《ラルグシア》を継承した。だから、敵が如何に強大な力持つ存在であろうとも、この身に在る戦いの意志と力を以って討ち倒して見せます」
 そう告げる京也の表情は、その言葉に違わぬ不敵な面魂をしていた。
「京也、お前の味方がもう一人ここにいる事を忘れているぞ」
「えっ!?」
 突然、背後に現れた存在より掛けられたその言葉に、京也は、思わず驚きの声を洩らす。
 そして、その存在の正体を確かめるべく背後へと振り返った。
「環!」
「済まない、遅くなったな。だが、約束通り、お前と共に戦う為の力を手に入れて来た」
 気さくな笑みを浮かべて京也へと応える環の眼差しには、告げたその言葉の真実を示すだけの強い意志の輝きが宿っていた。
「君は、蒼麻、環・・・なのか?」
 征也は、京也以上に目の前に現れた環の存在に驚いていた。
「はい、そうです。お久しぶりです、征也さん」
 環は、征也が示す反応を何処か楽しんでいるかのように笑って応えた。
「しかし、・・・否、何でもない。ああ、本当に久しぶりだ。元気そうで何よりだ」
 環に対し、何かを言おうとしてその言葉を飲み込んだ征也は、代わりに再会を喜ぶ言葉を続けた。
 そして、更に言葉を続けようとして征也に先んじて、京也が口を開く。
「環、本当に一緒に戦ってくれる積もりだったんだ・・・。でも、相手が悪すぎて危険じゃないかな」
「ふっ、京也、それは杞憂だ。否、寧ろ心外だな。言っただろう、俺は『お前を護り助ける為の力を手に入れてくる』と。それは、決して己惚れなどでは無い。まあ、論より証拠だな」
 環は、返したその言葉とは裏腹に、穏やかな表情で身に纏った長衣の上着の懐に手を入れ、そこから一つの宝珠を取り出す。
 そして、それを事も無げに自らの足元へと投げ落とした。
 宝珠は、地面に落ちる直前で眩い光を放ち、別のモノへとその姿を変える。
「まさか・・・?」
「その『まさか』だよ」
 目の前で起きたその現象と似たモノへの記憶を甦らせた京也の言葉に、環は、やや苦笑交じりの表情で肯定の言葉を返した。
 それは、以前《カイザー》のファーロが見せた〈魔獣〉召喚の術であった。
果たして、そこに現れたのは一匹の獣であった。
 しかし、その獣は、ファーロに従っていた〈魔獣〉の如き醜悪な狂暴さは微塵も無く、寧ろ、神聖なる気高さを身に纏っていた。
「この獣こそが、《カイザー》の人間が従えている紛い物とは違う本当の《合成獣》であり、《神獣》の名を冠するに相応しき本物の存在だ」
 《神獣》と呼ばれたその獣は、環の言葉に応える様に低く一声だけ咆えると、主の足元へと従い伏せる。
 その動きは勿論、神聖の白銀に輝くその全身から伝わってくる強烈な闘氣が、彼の獣が内に宿す力の有り様を示していた。
「俺は、この《神獣》と共に、《合成獣》の研究に対する誇りを汚す《カイザー》の人間達への報復を果さなくてならない。だから、京也、お前が何と言おうとも退く事は出来ないんだ」
 常と変わらぬその静かな口調の言葉の奥に、環が抱く激しい怒りの存在を感じて、京也の背筋にぞくりとした冷たいモノが走る。
「《カイザー》が《流血の邪神》を復活させ、〈魔獣〉を操り従える中、君というそれに縁在る存在が現れたという事は、これも又、『運命』の導きということなのだろう。京也、彼もお前と同じ様に宿命を背負う者。その力を借りて共に戦うのが良いだろう」
 征也は、環という存在の力とその戦いの意志を理解し、京也に彼と共に戦う事を勧めた。
 京也は、その征也の言葉を受け入れ、それに従う事にする。
「環、俺達と一緒に戦ってくれ」
「ああ、宜しく、京也、《マナ》」
『宜しく願います』
 三人は、互いに共闘の挨拶を交わし、その決意を新たにした。
「では、これから熾烈な戦いに望む者達への餞別として、久川和維から託された《運命の導き》を授けよう」
 征他は、京也達三人にそう告げて懐から取り出した一束のカードを差し出す。
「さあ、其々この中から一枚を選んで取ってくれ」
 その言葉に従い、京也、《マナ》、環の順番で其々が一枚ずつ差し出されたカードの束からそれを選び取った。
「タロウ・カードっていう物ですか・・・。俺のは、《魔術師》です」
『私のは、《女帝》です』
「俺のは、《世界》ですね」
 三人は、互いに自らの手にあるカードに描かれたモノが何であるかを口に出した。
「確かに、それは占術に用いられるモノと同じ意味を持つカードだが、そこには特殊な力が込められている。その事は、《マナ》さん、貴女なら良く分かるのではないかな」
 その征也の言葉に、《マナ》は、真剣な面持ちで頷く。
『はい。このカードからは、何か特別な力を感じます。それはまるで、魂へと直接に語り掛けられる導きの意志を示しているみたいです』
 《マナ》はそう応えた後、自分と京也達の手にあるそれらをもう一度見詰め、再び口を開いた。
『京也の持つ《魔術師》のカードからは、万能の力へと通じる意志の片鱗を持ちながら、未だそれに気が付かずに迷う者の姿、無限の可能性への導きを感じます。環が持つ《世界》のカードからは、万物を包み込み受け入れる大きな意志の存在とその力を以って魂を成長させる者へと至る為の導きを感じます。そして、私が持つ《女帝》のカードからは、他者に与える大きな庇護の力とそれを司る意志の存在、更には隠された自らの想いを貫こうとするもう一つの意志の存在、その二つの意志を果す為の導きを感じます』
 《マナ》の口から語られる其々のカードが持つ寓意とその導きの意味を、京也、環、そして、《マナ》自身がしっかりと自らの心に刻み込んだ。
 その時、自らの持つカードに向けていた眼差しを京也へと向けて、環がふと尋ねる。
「京也、お前は、自分の内に自分とは違う別の誰かの『痛み』を感じた事が無いか?」
「えっ・・・?」
 環から投げ掛けられたその言葉に京也は、強い驚きを覚えずにはいられなかった。
 それが、京也が剣を振るい戦う中で時に感じていた不可思議な意識、魂に刻み込まれた深層の感情の存在を指し示していたからだった。
「否、覚えが無いというなら気にするな。だが若しもそれを感じる事があったなら、その『痛み』を大切にしろ。それはお前をお前として存在させている根源にあるモノ。きっと、お前を本当のお前という存在の高みへと誘ってくれる筈だ」
 まるで謎掛けの様な言葉を口にして、環は、京也に向けた眼差しを細める。
 その細めた眼差しの奥に在る瞳が、一瞬だけ異質な色の輝きに変わっていた事には、そこにいた誰も気が付かなかった。
 そして、何も無かった様に普段の表情に戻った環は、更に言葉を続ける。
「そうそう、征也さん、《獣神》の封印を解く為の方法を調べている時、ずっと以前に封鎖された政府機関の研究施設に《カイザー》の息が掛かった研究者達が何人も出入りしていたらしいという話を聞きました。俺の考えでは、連中がそこで《合成獣》について研究し、あの〈魔獣〉を生み出したのだとおもうのですが、何かそれについての情報を貴方の方でも掴んでいませんか?」
「ああ、私もその情報を掴んで調べてみたが、特別怪しい所はなかったという報告を受けているが・・・」
「それは、貴方の配下にある退魔師の誰かが調査した結果ですか?」
 環は、征也の返答に何かを訝る様な表情を浮かべると、それに関する詳細を尋ねた。
「否、政府関連の施設という事で、一族の者で政府の役人との伝手がある人間に調べさせたのだが、何か問題でも?」
「ええ、少し言い難い事なんですが、《カイザー》は政府の高官達と闇取引をしており、その魔手は貴方の一族の内にも及んでいる可能性が在ります」
 征也は、環の口から語られた一族の裏切りの可能性に特別な感情を示す事無く、唯じっと何かを考え込む。
 そして、真剣な眼差しを環へと返し、その口を再び開いた。
「報告には、『怪しい所は無かった』とあったが、最初に掴んだ情報の許は確かだ。それで《カイザー》の関わりを示す痕跡すら無いのはおかしい。どうやら、君の言う通りのようだな。もう一度、改めて調べ直そう」
 冷静な判断でそう結論づけた征也の瞳には、一族を纏め上げる者としての冷徹な怒りの炎が宿っていた。
「それなんですが、貴方が本気で動いた事を知れば、敵も警戒を強めるでしょう。そこで、ここはノーマークの俺達だけで動くのが得策だと思います」
「成る程、確かにそれなら連中の裏をかけるかもしれないが、その分の危険も大きいな。如何する、京也?」
 妙案ではあるが、場合によっては大きな危険を伴う可能性の在る環の作戦に、征也は、その実行の最終判断を京也へと委ねる。
 そして、京也は、僅かな思案の後、それに頷き応えた。
「俺も環の考えに賛成です。先刻、父さんが言っていた様に、時は一刻を争う以上、多少の危険を覚悟で動くべきでしょう。それに、相手にどれだけの備えが在ろうとも、先制の有利を以って仕掛けられる此方に分があるのは間違いありません」
「そうか、分かった。だが、くれぐれも油断だけはしないようにな」
 征也は、京也の決断を受け入れると、一応の忠告だけは添えておく。
「はい。では、早速、準備を整えてその施設へと向かいます」
「ああ。施設の正確な場所の地図とその見取り図は、此方で既に入手済みのモノを用意させよう。他に何か此方でするべき事はあるかな?」
「移動手段は、ここからそう遠くない場所なので歩く方が目立たなくて良いとして、後は、此方の動きを連中に悟られない様、牽制の意味も込めて陽動の一手を打って貰えますか」
 その環の提案に征也は、不敵な笑みを浮かべる。
「陽動作戦か・・・。ならば序に、一族内に隠れる内通者の焙り出しも兼ねて、派手なヤツを連中に仕掛けてやるかな」
 何処か嬉嬉とした口調で呟く征也、しかし、その内に宿っているのは、鬼気に迫る真剣なまでの意志であった。
 その神崎征也という人間が持つ本質を目の当たりにして、京也は、それを頼もしく感じると同時に、一族の総帥としてその責務に臨む事の重さを感じていた。
 本来ならば、自分が背負う筈である重責。
 それを代わりに担う父に報いる為、自らが今出来る事を果すべく、京也は、今一度、これから臨む《カイザー》との戦いの覚悟を固め直す。
「(余計な事は考えず、今は唯、前に進む事だけを考えろ)」
 京也は、自らの身に降りかかる復讐の憎悪という火の粉を、自らの手で振り払う事、それが今の自分に出来る唯一の事だと己の心に刻み込む。
 その想いの火は、京也の心の中で烈しい闘志となって燃え上がり、剣士としての魂を奮い上がらせた。
 確かなる進むべき先を見極めた京也の意志に応える様に、《ラルグシア》の刃に神々しき輝きが煌く。
 それは、京也にとって本当の意味での戦いの幕開けを告げるべく、神剣に宿りし特異の意思が示したモノであったのかもしれなかった。

 

第七話・意志

 高野町と南方に隣接する町々を分かつ境界となる地脈の端、そのなだらかな丘陵の頂きに京也にとって実家となる神崎邸は存在していた。
 京也は、《神武流》の道場屋敷でもある神埼邸へと通じる石階段の前で立ち止まると、心中に在る複雑な思いを込めた眼差しで石段の先を見詰める。
「やはり、長い間訪れていないと生まれ育った実の家と雖も、妙に足を踏み入れ難いモノだな・・・」
 躊躇している自分の心を自嘲するかの様に呟いた京也は、もう一度苦笑を浮かべて石段の先を仰いだ。
 だが、何時までもこの場所に留まっている訳にはいかない事は分かっているので、覚悟を決めると石段の先へと第一歩を踏み出す。
 石階段を上り切った先に在る正門の厳格なる造りを目の当たりにすると、京也は、見慣れている筈のその姿に威圧感を覚えた。
 そして、京也の後ろに続く形で石階段を上って来た《マナ》も又、想像以上の様相をした見事な造りの門構えに、驚嘆の表情を浮かべていた。
「こうして改めて見てみると、ここが我が一門の総本山と呼ぶに相応しい場所なんだと実感させられるよ」
 その隠し難き思いを口にする京也だったが、既に覚悟は決めていると言わんばかりに、今度は躊躇う事無く門の内へと足を踏み入れた。
 その京也の姿に促され、《マナ》も歩みを進めて後に続く。
 京也とその後に続く《マナ》の二人を真っ先に見つけて出迎えたのは、他でも無い神埼邸の主にして《神武流》の頂点に立つ総司武である京也の父、神崎征也自身であった。
 その神埼征也という人物は、京也と並べば兄弟と見る者もいるだろう程に若々しい生命力に満ちており、それでいて実際の年齢以上に落ち着いた雰囲気を持つ好漢であった。
 彼を一言で表すには、『温和』という言葉が最も似つかわしかった。
 その容姿を一見した限りでは、京也とは余り似ていないが、良く見ると何処かしら血縁を感じさせる部分が在り、何よりもその身に纏う穏やかな雰囲気がとても良く似ていた。
「遅かったな、京也。お前が惑う気持ちも分からんでもないが、今の自分にとって何が大切であり、必要であるかだけには迷うな」
 征也が口にしたそれは厳しい響きのある言葉であったが、その内に込められた想いは何処までも温かく柔らかいモノであった。
 そして、その言葉は、まるで京也が自分を訪ねて来た理由の全てを理解している様にすら感じられた。
「父さん、貴方にとって全ては既にお見通しという事なのですか?」
 征也に対する京也の言葉は、自らの修める武の教えを統べる者への畏敬の故に、他人行儀とも取れる程に丁寧であった。
 しかし、その言葉には両者の間に在る隔たりを思わせる僅かな棘の存在が含まれていた。
「全ては『運命』の定める処と言う事だ。否寧ろ、宿命と呼ぶべきなのかもしれないな。これはお前や私を含めた『彼』と『彼等』に深い縁を持つ者達全てが背負う宿命と宿業の因果だろう」
 何処か咎める様な京也の言葉にも全くその表情を変える事無く、征也は応えとなる言葉を返した。
「京也、お前自身も又、それを理解し受け入れたからこそ、今こうして私の前に現れたのではないのか?」
 征也は、更に重ねた言葉と眼差しを以って、京也が心に宿す意志の在り様を探る。
「父さん、否、総司武。俺は確かに強くなる為の力を求めてここに遣って来ました。しかし、それは一族の宿命に臨む為ではありません。それ以上に大切なモノを見付けたから、それを護りたいからこそ俺は力を、強さを求めるのです」
 京也は、父たる存在にではなく、自らの知る最強の武人に対する言葉として、その心に在る純粋な意志を語り示した。
「そうか。京也、お前は『彼女』との約束以上に大切なモノを見付けたのだな。ならば、父親としてお前を支えてやれなかった償いは、同じ武の信奉者たる身を以って、《神武流》の礎である力の意味を示す事でさせて貰おう」
 征也は、目の前に在る息子の人間としての成長を目の当たりにして、自らの不明を悟る。
 そして、大きく成長した京也に対する想いは征也の武人としての心を烈しく猛らせた。

 邸宅の奥にある道場に場所を移し、《マナ》が見守る中、京也と征也は互いの得物を手に対峙する。
 京也の手に在るのは最早使い慣れた長剣、征也の手にあるのは生涯の盟友の如き業物の太刀、二人は、正にその得物をして真剣勝負を行おうとしていた。
 互いに《神武流》の誇りを背負う者として身に纏った《神武皇龍衣》が、果し合う両者の戦いに彩りを加える。
「総司武、俺は大切なモノを見付けた今だからこそ、仮令、貴方が相手と雖も敗れる訳にはいかない。そして、剣士として剣を以って互いの意志をぶつける以上、最強にして最高の力を誇る貴方とこそ戦いたい。だから、如何なる理由が在ろうとも一切の手加減抜きで願います」
 京也は、自らの本気を示すと共に、神崎征也という強者にその本気を求めた。
「見損なうな、京也。私も又、自らの剣に誇りを捧げ、その剣を以って大切なモノを護る為に生きる存在。真の強者を相手に手加減する愚かさは持ち得ていない。それに、今のお前を相手にして手加減などしたら、交わす刃の一撃で倒されるのは私の方になるだろう」
 征也は、不敵に笑って返す眼差しに偽りの無き意志の光を宿して京也の求めに応える。
 その眼光の鋭さこそが、征也の内に在る紛う事無き本気の顕れであった。
 互いに正眼位に構えた両者は、己の得物たる刃にも劣らぬ眼光の鋭利さを以って、間合いの先に在る存在が持つ全てを探る。
 そして、その眼力という名の鋭刃を用いた戦いを己の物として、相手に先んじて動いたのは征也の方であった。
「はっ!」
 征也は、短くも鋭い裂帛の気合いを吐くと同時に京也との間合いを詰め、軽快にして絶妙な動きで繰り出す小手狙いの一撃を放つ。
 それは、正に『小手調べ』と呼ぶべき先手となる攻撃でありながら、油断無く相手を制するだけの鋭さを持っていた。
 京也は、それを一瞬にして見抜くと素早い足裁きで後ろに退く動きを示し、更には残したままの構えを活かして放つ横薙ぎの一撃で相手の攻撃の刃を打ち弾く。
 そして、退いた両足が床を掴み体重を受け止めると同時に、京也は、反撃となる上段斬りを繰り出した。
 それを見て取った征也は、一瞬だけ驚きと歓喜の笑みを浮かべると、崩れかけた姿勢のままで得物の刃を地に下げて柄の頭で受け止める。
 踏ん張り、辛うじて床に膝が着き完全に体勢が崩れるのを防いだ征也は、更なる反撃が困難だと判断すると、巧みに反した太刀の刃で受け止めていた京也の長剣の刃を受け止め直した。
「こちらの攻撃を唯避けるのではなく、自らも攻撃を繰り出して二の手を完全に封じ込めるとは、中々遣るな、京也」
「それを活かして繰り出したあの一撃を、ああ易々と防がれては、流石という言葉しかありません」
 鍔迫り合い力比べをしながら、京也と征也は互いに相手の技量を賞賛した。
「(今日までに培ってきたモノの差を考えれば、このまま力比べを続けるのは危険か・・・)」
 京也は、自分と征也との間に在る経験の差を計り知ると、相手の得物が曲刃の太刀という鍔迫り合いに有利な形状をしている事を踏まえて、半ば強引な力押しで征也を押し返し自らも背後に退く。
 両者は、再び間合いを取って互いに睨み合う。
 その膠着状態に固唾を呑んで見守る形となっていた《マナ》は、道場に近付く存在の気配に気付く。
「やはり、ここに居たのね」
 道場に入って来たその女性は京也達の姿を見付けて、やや苦笑混じりに呟いた。
 それから、《マナ》の存在に気が付くと少し驚いた様な表情を浮かべるが、直ぐに穏やかな表情になる。
「こんにちは、私は京也の母親で万理亜と言います」
『始めまして、私は《マナ・フィースマーテ》です』
 ややおっとりとした雰囲気で挨拶する京也の母に、《マナ》は、自分の存在と京也との関係をどう説明すれば良いのか考えあぐねて名前だけ名乗った。
 万理亜は、《マナ》が居る所まで遣ってくると、その隣にちょこんと座る。
「征也さん、頑張れー!」
 突然ともいえる万理亜の声援に、それを受ける征也が不敵な笑みで応える。
 それに対し、京也は、一瞬やや複雑な苦笑を浮かべた。
「《マナ》さんは、この勝負、どっちが勝つと思う?」
 万理亜は、声援と共に振っていた手を止めると、《マナ》へと視線を移し、対峙する両者の勝負の行方を問う。
「勿論、私は、征也さんが勝つと思っているわ」
 《マナ》が答えるのに先んじてそう口にする万理亜の瞳には、その言葉通りに征也の勝利を信じて疑わない色が満ちていた。
『私は、京也が負けるとは思っていません』
 戦女神である《マナ》から見ても、征也の実力が並々ならないモノである事は確かだったが、それでも京也が負けるとは思えなかった。
 だから、《マナ》が万理亜へと答えた言葉は、純粋に両者の戦いが互角である事を指し示していた。
 そして、正直を言って《マナ》には、目の前に在る戦いの勝敗に対する明確な答えが見付かっていなかった。
 だが、万理亜が征也の勝利を信じる様に、《マナ》も京也の勝利を信じ願っていた。
 そんな《マナ》と万理亜の眼差しの先では、京也と征也が互いに攻撃の機会を狙う睨み合いの対峙が今も続いていた。
「良い面構えをするようになったな、京也」
 まるで挑発するようなその言葉に反し、征也が京也へと向けた眼差しは、僅かに穏やかな色を帯びる。
 そして、その眼差しの穏やかさは、何かを懐かしむかの様な色へと変わった。
「京也、《神武流》の教えに、お前が始めて触れた日の事を覚えているか?」
 京也へと向けた対峙の闘志を崩さぬまま、征也は、独白の様な口調でそう尋ね、嘗ての記憶に思いを馳せる。
「私は、武の道に身を置く者としての心構えを教える為に、未だ幼さを残していたお前にこの太刀を握らせ、真剣に対する怖れを以って戒め諭そうとした。しかし、お前は自らの手に握った真剣に怖じる事無く、唯、純粋にその存在を受け入れていた。真剣が持つ諸刃の性を怖れず且つ驕る訳でも無いお前の姿を前にして、私は正直、お前が持つ剣士としての秀でた資質に嫉妬と羨望を抱かずには居られなかった。お前が天性に持つ才能は、私が目指し積み重ねた修練によって至った武人としての高みを越え、その先へと至れる程のモノだ。他者が私の武人としての才を評した『天才』という言葉は、お前にこそ相応しいと思う。だからこそ、一人の武人としてお前と力を競う日が来る事を心待ちにしていた。《鬼斬りの刃》と讃えられた己の技を尽くし、自らの誇りに恥じぬ決着を着けさせて貰おう」
 過去の思い出を懐かしみ、そして、今日まで抱き続けてきたその想いを語った征也の瞳には、武に生き武に死する宿命を求めた者としての烈しい闘志が燃え宿っていた。
 征也が内に宿した想いを知り、京也は、本当の意味で神崎征也という存在を理解する。
 それは、子としてでは無く、同じ武人としての理解であった。
「総司武、俺は親子という関係に甘えて、今日まで貴方という存在を真直ぐな眼差しで見る事が出来なかった自分の不明を今、思い知らされました。やはり、貴方は武人として誰よりも偉大な存在です。俺は、貴方に認められ、こうして刃を交える事が出来た事を誇りに思います。だから、その誇りに懸けて、今ここで貴方を越えてみせる!」
 そう征也の想いに応える京也の眼差しは静かに澄み、しかし、内に宿した意志は蒼き炎の如く烈しかった。
 京也の心に《神武流》最強の存在に対する畏れは今や微塵も無く、在るのは自らが持つモノの全てを尽くして尚余りある相手と戦える事への高揚のみであった。
 最早、両者の間にそれ以上の言葉は無用であり、そして、語るべきは自らの振るう刃に宿した意志という言葉を以ってであった。
 そして両者は、自らの有利を求めての探り合いを愚として、その意志の力を以って勝機を掴み取る為にそれぞれが動く。
 互いの間にあった間合いが一気に詰められ、その勢いに乗せた渾身の一撃が両者から放たれる。
 豪快にして強烈なその一撃は、両者の眼前で烈しくぶつかり合い、火花を散らして周囲の空気を震わせた。
 正に互角の力でぶつかり合った両者は、その攻撃の威力を相殺されて一瞬、その動きを止める。
 互いに睨み合う形で静止した体勢から、次の攻撃への移行に先んじたのは、征也の方であった。
 征也は、太刀の反りを活かして素早く身体を回転させると、その動きの勢いに乗せた横薙ぎの一撃を京也の脇腹目掛けて放つ。
「っ!」
 京也は、攻撃の為に踏み込んでいた足を踏ん張ると、略、反射的に身体を回らせて繰り出した一振りで、征也の攻撃を弾き返した。
「はっ!」
 征也は、自分の攻撃を防いだ京也の反射神経に、一瞬、驚きながらも直ぐに握った太刀を構え直し、鋭い気合いと共に更なる攻撃を繰り出す。
 その征也の攻撃は、流水の如くしなやかにして、瀑布の如く力強い熾烈な連斬の刃を誇る彼の真骨頂を示していた。
 それは、征也が《鬼斬りの刃》と呼ばれる異名の真髄を以って、《鬼寄せ》の宿命を背負った万理亜を護る為に、数多の異形達を斬り伏せた嘗ての伝説的戦いを彷彿させる神技であった。
 自らの真髄たるその技に武人としての魂を高揚させる征也が繰り出す連続攻撃は、更にその技の鋭さを増して行く。
 しかし、自らの身を置く戦いの中で、その魂を奮わせ高揚を覚えていたのは京也も又、同じであった。
 それを示すかの様に京也は、一部の油断も無く繰り出される征也の連斬の刃を、構えた長剣の刀身で一振り、又一振りと確実に受け防いでいた。
 攻める征也と守る京也、両者のぶつかり合いは、まるで剣による舞いを踊っているかの如き美しさを醸し出していた。
「(これが《神武流》が誇る最高の技を極めた者の姿か・・・)」
 京也は、征也が示すその神技に強い驚嘆と心酔の感を抱く。
 そして、それでも尚、その感情に自らが死闘の内に在る事への怖れを抱いていないことを知り、京也は、自分という存在の異質を思う。
「(《鬼斬りの刃》と呼ばれる『神崎征也』という人間が、その魂に宿すモノが《鬼》であるならば、『華神京也』という人間がこの魂に宿すモノとは一体如何なるモノなのだろうか・・・?)」
 京也は、自らの心にその『異質』の正体を問う。
 だが、その答えが見つかる事は無く、唯、在るのは自らの魂に宿る戦いへの純然たる想いだけであった。
「(そう、それだけが俺の全てだった)」
 その想いに、京也は、酷く懐かしいモノを覚える。
 しかし、それと同時に、そこには確かな悲哀が存在していた。
 その深い悲しみの想いは、京也という存在の魂に刻み込まれて消えない傷痕であった。
「(俺は、何故、戦う。何の為に、戦う。俺が護りたいモノは何だ)」
 魂に残る傷痕の記憶が、京也の心に『痛み』を与える。
 その『痛み』は、京也に自分が何者であるのかの『理由』を求めていた。
「(俺は、唯、大切なモノを護りたいだけだ!)」
 答えにならない答え、それでも京也は、そこに求めるモノが何であるのかを確かに見出す。
 そして、京也は、自分にとって今一番に大切な護りたい存在が誰であるのかを思い出した。
「(俺は、『彼女』の前で敗れる訳にはいかない!)」
 その力を求める理由をもって、京也は、反撃の第一歩を踏み出す。
 相手に隙が生じるのを待つのでは無く、自ら相手の隙を生み出す為に、京也は、正に決死ともいえる反撃の一撃を、征也へと放った。
 京也が繰り出した強烈な振り上げの一振りは、渾身の力を以って振り下ろされる征也の太刀を見事に弾き返す。
 そして、更に中空で返した刃を以って、京也は、勝負を決する一撃を放った。
「これで終わりだ!」
 京也は、会心の想いを込めた気合いの言葉と共に、最後の一撃を放つ。
 万全の体制で放たれる京也の攻撃を前に、征也は、崩された体勢を立て直す暇も無く、自らの得物である太刀を手放した。
「(貰った!)」
 自らの勝利を確信する京也の眼差しの先に、未だ快心の笑みを保つ征也の姿が在った。
 それを訝る京也だったが、振り放つ攻撃の冴えを失う事は無かった。
「はっ!」
 征也は、放つその短い気合いの息の流れよりも早く、自らの身体を回転させて襲撃を繰り出すと、それを京也が振り下ろす長剣の剣腹へとぶつける。
 そして、見事に京也の攻撃を弾き飛ばすと、更に畳み掛ける形で、隙の生じた京也の腕を取り床に投げ伏せた。
 《神武流》の奥義である《雷鬼》、その技の冴えは、以前に京也が用いたモノより尚、鋭かった。
「参りました」
 組み伏せられ完全に身動きを封じられた京也は、素直の自分の敗北を認める。
 その言葉を受けて、征也は、一瞬だけ勝利を誇る快心の笑みを浮かべると、直ぐに京也を技から解き放った。
「わーい、征也さんが勝ったー!」
 万理亜が発したその歓びの声が、その場に居た全員の緊張を一気に解きほぐす。
 そして、それに応えて笑顔を作った征也は、喜びはしゃぐ万理亜の許へと歩み寄り、その勝利を讃える彼女の抱擁を受け取った。
「万理亜、私の勝利を喜んでくれるのは嬉しいが、ここの手合せに勝ったのは、京也の方だよ」
 万理亜を優しく嗜める征也のその言葉に一番驚いたのは、他でも無く京也であった。
 『何故?』という疑問の眼差しを向ける京也。
 それに対し、征也は、抱き締めていた万理亜の身体を離して、驚くほどに真剣な表情を浮かべる。
「戦いに於ける禁忌を廃する事で自らの武を律する我等《神武流》の誉から考えれば、今の手合わせで勝ったのはこの私となる。しかし、剣士として純粋にその強さを計るのならば、勝負の最中に自らの得物を捨てた時点で私の負けと言うことだ」
 『戦いには勝ったが、勝負には負けた』という事実を、征也は、言っているのであった。
 それは、征也の武人としての誇り高さと、その器の大きさを示す高潔な態度であった。
「暫く見ない内に、本当に大きく成長したな、京也」
「ええ、本当に・・・。それは、ここに居る《マナ》さんのお陰かしら?」
 父親として、《神武流》の総司武として、京也の成長を認め喜ぶ征也の言葉に重ねる様にして告げられた万理亜の言葉には、僅かに意地悪な含みが込められていた。
「母さん、からかって遊ぶ相手は、父さんだけにしておいてください」
 京也は、歳に似合わない幼さを持つ万理亜の悪癖が出る前に、やんわりとした反撃を込めて嗜めた。
「でも、俺が成長したというのならば、確かに《マナ》の存在があればこそです」
 その事実を素直に認め口にする事で京也は、自分にとっての《マナ》という存在の大きさを再認識する。
 互いの抱く『痛み』を理解し、魂の絆を以って結ばれた存在、そして、何よりも大切で護りたい存在。
 京也は、師である榊が言った征也に在って自分に無い、その欠けたモノが何であったのかを知る。
 それは、誰かを護りたいという想いを意志に変えて戦う強さであった。
 嘗て、征也が万理亜を苦難の宿命から解き放つ為に戦った、その想いと意志の強さを知っていたからこそ、榊も環も征也なら自らの想いに惑う京也を導けると信じていたのである。
「(言葉では伝えられない想いを剣を以って伝える。自らの言葉に嘘を付けても、その剣には嘘を付けない剣士という存在への信頼。そして、伝えるべき想いを持つ者)」
 京也は、自分という存在を見守り続けて来てくれた人達の深い想いに感謝した。
「父さん、ありがとう」
 心に満ちる感謝の想いを込めて京也が呟いたその言葉に、征也は、全てを理解しているかの如く唯、穏やかに笑って応えた。
 そして、征也は、その笑顔を再び真剣なモノに戻して京也を見詰める。
「京也、お前の後見人たる者として尋ねるが、まだ一族の総帥の地位に就く積もりは無いのか?」
「・・・」
 征也の問い掛けは、京也にとって予想外なモノという訳では無かったが、それでも返す答えに窮するモノであった。
「そうか・・・。まだ、覚悟は決まって無いようだな」
 それは父親としての感情なのか、征也は、仕方が無いという感の苦笑を浮かべてそう呟いた。
 征也の求めに応えられない心苦しさに詰まる胸の想いを抑えて、京也は、何とかその口を開く。
「覚悟の以前に、俺は自分が一族を統べるに値する身だとは思えません。俺から見れば、父さん、貴方が代理等ではなく正式に総帥となるのが、一族の為にも一番好ましいと思います」
 《神武流》の総司武としてその実力は疑いなく、本来ならば総帥の地位に在る筈だった久川和維が最も信頼していた存在である征也ならば、一族の総帥の地位に就いても誰も異を唱える事は無いと京也は思う。
 そして、何よりも征也が自分の後見人として、総帥の務めを代行してくれているからこそ、一族が治まっている事を京也は良く理解していた。
「確かに、一族の者の中には、お前が総帥になる事に不安や不満を抱いている人間もいる。しかし、それは飽くまで一族の責務を理解していない一部の者達だけだ。それに、我々は血の繋がりを持つ唯の一族ではなく、果すべき使命の為に集った異能者達の集団だ。それを統べる存在として、お前以上に相応しい者は何処にもいない。勿論、私自身を含めてもだ」
 京也は、その征也の言葉を買い被りでしかないと思っていた。
「如何して、そんな事を言えるのですか?」
 それは、京也にとって、父である征也や師である榊が自分へと向ける信頼に対し、常々抱いていた疑問であった。
 そして、それに対する征也の答えは、正に京也自身が予想していた通りのモノであった。
「それは、お前が、久川和維から正式に後継者として認められた存在だからだ」
「唯それだけで、一族の命運を俺なんかに預けられるモノなんですか・・・?」
 京也の口から出たそれは、疑問というよりは自分自身に対する不信の念であった。
「ああ、そうだ」
 微塵の迷いも無く答えた征也の言葉に、京也は、驚かずには居られなかった。
「久川和維という人間は、それ程までに父さん達に信頼されながら何故、俺なんかを自分の後継者に選んだんですか?」
 京也は、それを征也に尋ねる事は、或る意味で愚問だと知りながらも、その疑問を口にする。
「私から見ても、和維はその多くに於いて特出した存在だったが、その中でも他者の本質とか、或いは資質というモノを見極める事に長けていた。その和維が生まれたばかりのお前を見て、自分が遠く及ばない資質を持った存在だと明言した時には、最初は冗談でも言っているのかと疑ったくらいだ。だが、それが本気で言っている言葉だと分かったのは、お前の名付け親を頼んだ際だ」
 征也は、今は亡き親友の事を懐かしむ笑みを浮かべ、その思い出でもある京也の由来を語り始めた。
「和維がお前の為に考えてくれた『京也』という名前の『京』という字は、神を奉った岡を中心に人々が集う場所である『みやこ』を指し、それを転じて『おおきい』という意味を持っている。そして、『京』の『みやこ』は『師』という字に通じ、これは『おさ』や『かしら』という他者を統べる者を指す意味と他者を導く程に優れた才能を持つ者という意味を指し示している。今思えば、和維は、自らの短命を知り、それを覚悟していたからこそ、自分に代わって一族を統べる存在になる者として、お前にその深い意味を持つ名前を与えたのかもしれないな」
 京也は、征也が語ったその言葉に、それまで久川和維という人間との間にあった距離が少し近付いた様に感じる。
 そんな京也の感情を読み取ったのか、征也の表情もより穏やかなモノになっていた。
「私や榊を始めとする和維の身近に居て、その早すぎる死を悼む者達は、誰もが彼の苦しみを癒せなかった己の非力さを恨み呪って来た。だからこそ、皆が彼の意思を受け継ぎ一族の総帥となる者として選ばれたお前を支える事で、果せなかった想いを果したいと望んでいるのだ」
「それなら何故、静音さんは、突然に俺の前から姿を消したのですか?」
 それは京也がずっと前から胸に抱き、その答えを求めて已まなかった疑問であった。
「それは多分、お前が余りにも和維に似すぎていたから、その姿を見守り続ける事が辛かったのだろう。和維を失って一番に傷付いたのは彼女だったからな。それに彼女には、如何しても護りたい、否、護らなくてはならない存在があった。だからだろう」
 答えて征也が語ったその理由を聞いて、京也は、複雑な感情の入り混じった眼差しを返す。
 それに促される様に征也は、更に言葉を続けた。
「あの時、彼女は和維の子を身篭っていて、それを一族の悪意在る者達から守る為に、失踪したのだと私は考えている」
 征也の口から語られたその考えは、実際に一族の人間が抱く思惑に煩わされて来た京也にとって、説得力の在るモノであった。
「正統な総帥となるべき存在を失い統制を欠いた一族の混乱に、幼い我が子を巻き込まない為に、誰にも頼る事無く一人で姿を消すなんて、本当に静音さんらしいですね」
 それは、京也の静音に対する純粋な想いを込めた賛辞であった。
「(静音さんは、久川和維という人間を誰よりも深く愛していたからこそ、持てる物の全てを捨てて、彼が遺した大切な存在の為に生きる事を選んだ。唯それだけの事だったんだ・・・)」
 京也は、そう自分の心の中で認める事で、静音という存在に対し抱いた思慕の想いが生んだその痛みを昇華する。
「京也、静音さんが自らの想いを貫けたのは、そこにお前という存在に対する信頼があったからだろう。そして、その信頼は、和維も又、同じ様に抱いていた筈。お前は、幼い頃から和維と静音さんに良く懐いていた。それは、お前が幼いながら、二人が、誰よりも自分を理解してくれる存在だと分かっていたからだろう」
 征也が語るその言葉に、京也は、自分が幼い頃に慕っていた存在が、静音とは別にもう一人居た事をおぼろげながらに思い出す。
 そして、それが久川和維である事は、その存在と静音が常に共に居た事実で全て明らかであった。
「俺は、和維さんと共に過ごした時間が在った事を今日まで忘れていたのか・・・」
 その大切な記憶を忘れて、和維の事を憎んでいた自分の身勝手さに京也は、自分の愚かさを呪う。
「お前も幼かったが故に、和維との死別とそれを悲しむ静音さんの姿に耐え切れなかったのだろう」
 京也の想いを察し、征也は、そう慰めるように言った。
 そして、その表情にある穏やかな笑みに相応しい落ち着いた口調で更なる言葉を重ねた。
「京也、和維は、お前を信じて一族の行く末を託した。そして、それは静音さんが望んだ事でも在る。今直ぐにと焦らせる積もりは無いが、しかし、そう遠くない将来には、二人の想いに応えて我等が一族、《Lord‐Knights》の総帥の務めを果たして欲しい」
 人知れず異形の存在達を狩る退魔師集団《Lord‐Knights》の総帥代行として、その務めを今日まで果たして来た征也のその言葉は、京也にとって他の誰の言葉よりも思い意味を持っていた。
 だからこそ、京也も今度こそは曖昧な意志を示して逃げる事はしなかった。
「父さん、俺はまだまだ未熟者で、一族の総帥の責務を果すには早すぎると思います。しかし、それに相応しい力を培い、何時かはその責務を果す覚悟は今日出来ました。だから、その時まで、今暫く俺に代わって一族の統率を願います」
 京也は、自分の事を信じそれを託した存在達と、自分を支える為に力を尽くしてくれている存在達の想いに応えるべく抱いた覚悟をしっかりと口にした。
「分かった、京也。もう少しだけ、一族の事はこの私が預かろう」
 征也は、京也の示した意志に満足の表情を浮かべて、その求めを承知する。
「ありがとう、父さん」
「何、礼には及ばない。これは、俺が和維に代わって出来る唯一の事だし、それにお前に対して、父親らしい事を殆んどしてやれなかったことへの罪滅ぼしだと思えば安いモノだ」
 感謝する京也に対し、そう応えて征也は苦笑した。
「俺こそ、今日まで詰まらない感情に拘って、父さん達には色々と面倒をかけました」
 京也は、他者と比べて余りにも仲睦まじ過ぎる両親に対し、子供として距離を取り過ぎていた事を反省する。
 それを聞いて、征也は浮かべていた苦笑を更に深めた。
「京也、私も万理亜も決してお前の事を蔑ろにしていた訳ではない。唯、お前という存在に如何やって接するべきか分からなかったのだ。だから、お前を本当に理解していた和維や静音さんの存在に甘えて、自分達の役目を疎かにしてしまった。それは今でも後悔している事だ」
「征也さんが今言った通り、私達は、貴方に親としてするべき接し方が出来なかった。でもね、京也。私も征也さんも貴方の事を大切に想っているのは本当よ。それだけは信じて」
 征也と万理亜の二人は、そう自分の胸の内に在った想いを口にして、京也をじっと見詰めた。
「俺も、変に大人しく構えずに、子供として二人に甘えておけば良かったのかもしれません。でも、俺は自分の気持ちに素直になれなかった。唯それだけの事なんでしょう」
 京也は、誰を責めるのでもなく、唯穏やかに笑って応えた。
『言葉にしなくても伝わる想いも在れば、言葉にしなくては伝わらない想いも在る。そういう事なのでしょうね』
 何時の間にか京也の傍らに寄り添う様に立っていた《マナ》が、そっと囁くように呟いたその言葉に、京也と征也の表情がはっとなる。
 それは、その言葉が嘗て、一つの悲劇を引き起こした人間が、掛け替えの無い仲間であった者達に遺したモノと同じであったからだった。
「そうだね、《マナ》。君の言う通りだ。想いはちゃんと伝えなくてはならない。それが大切な相手に対するモノであるならば、尚更に」
 京也は、そう自らに言い聞かせる様に呟き、そして、征也と万理亜を見詰めて再び言葉を紡ぐ。
「父さん、母さん、俺達は互いに唯、血の繋がりだけで成り立つ親子という関係ではいられなかった。そして、其々が其々の想いを以ってこれからも生きていかなくてはならない。だから、もうこれ以上、過去に捉われる事を忘れましょう。俺は、ここにいる《マナ》と共に、自分の宿命と戦う為に生きます。だから、父さん達も自分の為に生きる事を選んでください」
 それは決して『決別』では無く、進むべき先を見極めた者としての『決意』であった。
「分かった。私にとっての宿命とは、万理亜を護るという誓いを果す事。だから、それをこれから先も貫き通そう」
「征也さん・・・。ありがとう」
征也と万理亜の二人の間に在る絆の深さを理解した筈の京也だったが、その遣り取りを前にして、息子としての気恥ずかしさから自然と苦笑を洩らす。
 そんな京也の傍らでは、《マナ》が征也達に穏やかな笑顔と優しい眼差しを向けていた。

第六話・想い

 カーテン越しに射し込む朝日と鳥達の元気な囀りが、眠る京也に目覚めの刻を告げる。
「(もう、朝か・・・)」
 昨日の出来事を思えば、もう少し眠っていたい気分の京也だったが、その誘惑を振り払う様にベッドの中で大きな背伸びをした。
 それは京也にとって、朝の都度に行う習慣として繰り返してきた目覚めの行為だったが、今朝に限っては何時もと違う妙な違和感を抱かせた。
 半覚醒状態のまま、何気無く自分の周囲を視線で探っていた京也は、その身体に柔らかな感触とそこから伝わってくる温もりを感じ取る。
 そして、その正体に気が付いた瞬間、京也は激しい驚きの為に言葉を忘れて口をパクパクさせた。
「!?!?!?」
何故か自らの隣で眠っている《マナ》の姿を驚愕に見開かれた瞳に映し、京也は、必死に今の状況に対する答えを求める。
しかし、京也の脳は、その『何故』に対する答えを導き出す事が出来なかった。
更なる自問自答の末、京也は、ある一つの結論へと達する。
「(そうか!これは夢だ!夢なんだ!)」
 京也は、その結論に苦笑を浮かべつつ、真実を確かめる為、眠る《マナ》の頬に指先で触れてみた。
 そして、指先に感じる確かな感触によって、京也は、今現在自分が置かれている状況が決して夢でない事を知る。
 次の瞬間、眠りに閉じられていた《マナ》の瞳が、ぱっと開らかれた。
『お早うございます、京也』
 《マナ》は、穏やか且つ自然な笑みを浮かべて、京也へと朝の挨拶を告げた。
「お、お早う、《マナ》。気持ちの良い朝だね!」
 心中の動揺を必死に抑えつつ、京也は、《マナ》へと挨拶を返す。
『はい、本当に気持ちの良い朝ですね。私がこの様に気持ちの良い朝の目覚めを迎えられるのも皆、京也、貴方の御陰です』
 《マナ》は、見る者を魅了する最高の笑顔で嬉しそうにそう言うと、特別ともいえる熱を帯びた眼差しで京也を見詰めた。
 その《マナ》の態度が、混乱した京也の思考に止めを刺す。
 そして、限界を超えた京也の脳は、その極限状態によって逆に妙な冷静さを得ていた。
「《マナ》、正直に答えてくれ。君は何故、ここに居る?」
 現状に至る経緯を尋ねるその言葉は、それを口にした京也自身も信じられない程に冷静沈着にして、正に明確で単刀直入であった。
 その言葉の意味を理解した《マナ》は、一瞬、困惑とも取れる曇りの表情を浮かべるが、直ぐに穏やかな表情に戻って応えとなる言葉を紡ぐ。
『私は、京也、貴方の強き意志の導きによって封印から解き放たれ、守護闘神として貴方を守る為、今こうしてここにいます』
 その言葉に込められた《マナ》の真摯な想いに、京也は、自分自身の邪さを思い知らされた気分になる。
 そして、反省の代わりに浮かべた苦笑の表情を引き締め、再び尋ね直した。
「《マナ》、そうじゃなくて、俺が訊きたいのは、如何して君が俺の隣で眠っていたかだよ」
 そう京也から尋ねられた《マナ》は、まるで悪戯が見付かった子供の様に視線を僅かに逸らす。
 それから、上目遣いの仕草で少し恥かしそうに、《マナ》は、京也の顔を見詰め返した。
『それは・・・、独りで眠るのが恐くて淋しかったからです』
 京也にとって《マナ》が口にしたその一言だけで、全てを理解するのに十分であった。
 その身を呪縛する封印によって、永い歳月を独り《守護石》の内に耐えてきた《マナ》は、自由を得た後も独り過ごす夜の闇に苦しみを抱かずにはいられなかったのである。
 京也は、その事に気が付かなかった自分の不明を情けなく思った。
「済まない、《マナ》。俺は、君が苛まれている孤独の想いに気付かずにいたんだな」
 《魂の契約者》として、《マナ》が抱いていた魂が凍える程の孤独を知りながら、その痛みに気付かずにいた自らの愚かさを償う様に、京也は、彼女の身体を抱き上げると力強く抱擁した。
「でも、《マナ》、これだけは忘れないでくれ。仮令、俺達が離れ離れになったとしても、俺の想いは何時でも君の傍らに在り続ける。だから、君はもう決して独りではないという事を」
 そして、京也は、更に『この先何があろうとも《マナ》と離れ離れになる積もりは無い』という誓いの言葉を重ねる。
 京也は、《マナ》へとそう語り誓いながら、その腕の中にある女神を愛おしく想わずにはいられない自分の心を強く感じていた。
 そして、それは京也に抱き締められている《マナ》も又、同じであった。
『京也、私は唯、貴方の守護闘神たる者としてだけでは無く、それ以上の想いを以って、ずっと貴方と共に在り続けたい。そう想っています』
 その想いを込めて互いに交わした誓いの言葉は、京也と《マナ》の二人を更なる固き絆で結び付け、そして、その想いは二人の間にある距離を近付ける。
 純粋と呼ぶに相応しい想いに背中を押されて京也と《マナ》は、そうする事が当たり前であるかの如く自然に、その唇を重ね合わせていた。
 今、互いの存在を確かめ合う様に口付けを交わす二人にとって、そこに在る想いは何者にも勝る魂の結び付きを約束する絶対の証であった。


 シンプル且つオードソックスなメニューの朝食を済ませると、京也と《マナ》の二人は、環の勧めに従い、京也の父である神崎征也に会いに行く為、その住まいを目指す。
 京也にとっては実家となる神埼邸は、現在、京也が独り暮らしをしている家と同じ高野町内に在り、二人は歩いてそこに向かう事にした。
『京也、貴方はお父上と余り仲が宜しく無いのですか?』
 その道すがらの沈黙を破って、《マナ》が道案内も兼ねて少し先を歩く京也へと、昨日の環の言葉から抱いたのであろう疑問を口にする。
 それが自分に対する彼女の純粋な関心である事を理解している京也は、そのストレートさに対して苦笑を浮かべつつも、直ぐに真剣な表情になって考え込む。
「否、俺とあの人の関係は、仲が悪いのとは違うかな。一言で言うのなら、只単に俺があの人の事を苦手に感じているだけだと思うよ」
『苦手、ですか?』
 《マナ》は、京也の示すその態度から、語られた言葉が偽りの無い正直な想いだと理解すると、改めてその核心に当たる言葉が持つ意味を尋ねた。
「そう、『苦手』。あの人は俺とは違い、正直で何処までも真直ぐな人間だ。だから、俺は如何しても苦手で仕方が無い。まあ、あの人と馴染めなに理由は、それだけじゃ無いんだけど。どちらにしろ、実際にあの人に会って見れば、俺の言いたい事も分かると思うよ」
 京也は、そう語って最後に浮かべた複雑な苦笑で、やんわりと《マナ》のそれ以上の追求から逃れる。
 そんな京也の内に在る繊細な部分を感じ取り、《マナ》は少し申し訳なさそうに俯き無言となった。
 再びの沈黙が齎した静寂の中、京也達二人はゆっくりと歩き続ける。
 その沈黙を今度は京也が破り、僅かに廻らした後目の視線で《マナ》の方を顧みて口を開く。
「なあ、《マナ》。苦手といえば、女神である君にも何かを苦手と感じる事はあるのか?」
 京也にとって、その疑問は先刻の会話での事を引き摺った訳では無く、純粋な興味を覚えてのモノであった。
 それを理解している《マナ》は、和らぎ、それでいて真摯な表情で返す答えの言葉を探す。
『苦手と感じるモノではありませんが、忌み恐れるモノならば、私にもあります』
 《マナ》はそう答えると、一旦その言葉を区切り止めて、悲哀と憂いが入り混じった表情で前を行く京也の背中を見詰めた。
『それは孤独であり、そして、戦う事の宿命です。叶う事ならば、私は、孤独と戦いの日々に苛まれる事の無い、そんな宿命に生きたかったです』
 戦女神である《マナ》が、自らの背負うその宿命に『恐れ』を抱いているという事に、京也は、少なからず驚きを覚えた。
 しかし、それが決して以外で無い事は、《マナ》が封じられていた《闘神の守護石》に始めて触れた時にその魂の言葉によって、既に京也へと示されていた。
 京也は、その邂逅の時より幾度と示されていた《マナ》の苦しみを知りながら、迂闊な事で傷付けてしまった自分の愚かさを呪う。
「済まない、《マナ》。俺は何時も、君の気持ちを考えずに傷付けてばかりだ」
 足を止め振り返って京也が告げたその謝罪の言葉に、《マナ》は、黙って首を横に振る。
『いいえ。京也。貴方は他の誰よりも私の心を理解してくれています。だからこそ、貴方だけはこれまでに私が出会った主の中で唯一人、私を完全なる封印から解き放つ事が出来たのです』
 その言葉に違わず《マナ》は、京也が自らの痛みを以って、《闘神の守護石》に封じられた自分の痛みを理解する強さと優しさを持っていたからこそ、解放の奇跡が起こったのだと信じていた。
「ありがとう。でもあの時、俺は唯、自分と同じ様に呪縛の苦しみを抱く君がその苦しみから解き放たれる事を望んだだけだ。君が封印の呪縛から解き放たれたのは、君自身の力だよ」
 自らの《マナ》に対する至らなさを痛感している京也は、自らを戒める為、それは買いかぶり過ぎだと謙遜に過ぎたる言葉で彼女へと応えた。
『京也、貴方はあの時、私を封印から解き放った後も戦女神である私の《神》としての力に頼り縋ろうとはせず、自らの誇りを以って彼の《流血の邪神》の力を操る存在へと戦いを挑んだ。人間の身を以って邪神の力に立ち向かい、それを退ける程に強き貴方の意志こそが、永き封印によって《神》としての力を失っていた私にその力の片鱗を取り戻させてくれたのです。そして何より、貴方は私の《魂の契約者》として、自らの宿命に惑い苦しむ私の孤独をその想いを以って癒してくれました。戦女神としての宿命から解き放たれたいと望む私の想いを護ってくれると言った貴方のその言葉が、私が私で在り続ける為の希望を与えてくれたのです。だからこそ私は、私の存在の全てを以って貴方を護りたいと望んだのです』 
 自らの想いを語る《マナ》から向けられた真直ぐな眼差し、そこに込められたその哀しい程に誠実で純粋な意志に、京也は、目の前にいる女神が《大いなる慈愛を以って全てを守護する者》という《真名》を持つ理由を知る。
 そしてそれと同時に京也は、これ程までに心優しき存在が戦女神としての孤独に満ちた宿命を与えられた事を思い、その非情にして残酷な仕打ちに激しい憤りを覚えた。
「それならば、《マナ》。俺は、君と交わしたその約束通りに君の想いを護る為、今よりももっと強くなる。だから、ずっと俺の傍でそれを見守っていてくれ」
 京也は、自らに揺ぎ無き強さを求める絶対の誓いとして、その想いを確かな意志に変えて《マナ》へと告げる。
 そして、それは《マナ》と共に生きる永遠を誓い求める言葉でも在った。
「(そう、俺は強くならなくてはならない。それは『あの女性(ひと)』の為ではなく、今、目の前に居る大切な存在の為に・・・)」
 京也は、自らのうちに芽生えたその真実の想いに、過去との決別を果たし自らの弱さを克服する為の光明を見出す。
 その京也の眼差しに見詰められる《マナ》の心にも、京也に語る事の出来ない一つの真実の想いが存在していた。
『(京也、私が本当に恐れるのは、孤独や戦いではありません。貴方を戦いの果てに失い、孤独になるかも知れ無い宿命こそが今の私にとっての本当の耐え難き恐怖なのです。)』
 その想いに怯える自らの心の弱さを打ち払う為、密かにその唇を噛んだ《マナ》は、京也が自分へと示した誓いに対し、笑顔で頷き応えた。
 互いに相手へと今は語り聞かせる事の出来ないその想いを胸に秘し、京也と《マナ》は、その進むべき未来を目指して再び歩き出した。

第五話・休息

 《マナ》に戦装束を解く事を勧めた京也は、自らも持っていた荷物袋を適当な場所に置くと、楽な格好になった《マナ》をリビングの一室まで案内する。
「これから食事の用意をするけど、何か食べられない物とかある?」
 京也は、妙に馴染んで似合っているエプロン姿で腕捲りしながら、《マナ》へと苦手な食べ物について尋ねた。
『えっ、あの私は別に食べなくても平気なのですが・・・』
 その困惑気味な《マナ》の返事に、京也は、彼女が《神》という特異の身である事を思い出す。
「ああ、そうか・・・。でも食べなくても平気という事は、逆に言えば食べても平気という事だよね。人間の食べ物を食べた事はある?」
 京也は、少しの沈黙と思考の後にそう答えを出し、それを確認する為に《マナ》へと尋ねた。
『はい、神殿へと捧げられた物を何度か食べた事はあります』
 《マナ》は、今となっては遠い過去の記憶である出来事を思い起こして、京也へと答えた。
「なら、決まりだ。二人分作るから、一緒に食べよう。やっぱり、一人だけで食べるよりも、二人で食べる方が楽しいからね」
 京也は、そう《マナ》に告げると、早速、台所に行って料理の準備を始める。
「《マナ》、待っているのが退屈だったら、テレビで何か観てると良いよ」
ガサゴソと音を立てながら料理の食材を物色する京也は、隣の部屋で待っている《マナ》を気遣って、寛いでいるようにと声を掛ける。
その数秒後、台所で静寂が生まれた。
「ごめん、『テレビ』って言うのは、あの四角い形をしたヤツの事だよ」
 京也は、履いていたスリッパをパタパタと鳴らして、台所から戻って来ると、苦笑混じりに自分の迂闊さを謝った。
『はい、分かりました』
 《マナ》は、京也が謝っている理由が分からずに笑っていたが、素直に彼の視線を追って視線をテレビへと移す。
 京也は、《マナ》の無垢な反応を見て、その心にちょっとした悪戯心を芽生えさせた。
「《マナ》、これから俺が魔法を一つ見せてあげるよ」
『えっ、魔法・・・ですか?貴方も魔法を使えるのですか?』
 《マナ》は、京也の魔法を使ってみせるという言葉に、少なからぬ驚きを示し、不思議そうな顔で尋ね返す。
「ああ、今からあの『テレビ』に俺が『魔法』を掛けるから、良く見ているんだよ」
『はいっ!』
 先刻と同じ素直な返事をして、《マナ》は、期待に満ちた視線をテレビへと戻した。
「では、やるよ。えいっ!」
 京也は、ちょっと大袈裟な掛け声と共に、後ろ手で背中に隠していたリモコンのボタンを押す。
 リモコンから発信された電波を受信してテレビの電源が入り、その画面には、大自然を駆ける動物達の姿を紹介する番組の映像が映し出された。
『凄いです!一瞬であれ程に沢山の獣達が現れるなんて・・・っ!』
 目の前で起きた現象に、《マナ》は、大いに驚き息を呑む。
 そんな《マナ》の反応に、京也は、自分達の文明もそう捨てたモノではないのかもしれないと感じつつ、悪戯を悪戯で止めた。
「《マナ》、本当の事を言うとこれは、『魔法』とは違うんだ」
『そうなのですか?しかし、これが魔法でなければ、一体どうやって・・・』
 真実を告げられて頻りに不思議がる《マナ》の姿を見て、京也は、《神》と呼ばれる存在も未知なるモノに対する反応は、自分たち人間とそう変わらない事を知る。
「うん。確かに『魔法』と似ているけれど、正確に言えば、これは俺達が『科学』と呼んでいるモノなんだ」
『〈科学〉・・・ですか?』
 その始めて聴く言葉を当然の事に理解出来る筈も無く、《マナ》は、不思議そうにその言葉を反芻した。
「そう、『科学』だよ。えーと、例えば、燃えている炎に木の枝を近づけると、そこに火が燃え移るだろう?」
『はい』
 《マナ》は、京也が何を伝えたいのかは分からなかったが、言っている事の意味は理解して相槌を打つ。
「それは、その枝を近づけた者が誰であろうと、変わらずに起こる現象だろう?」
『はい、《理》の一端です』
「そう、『科学』は《理》というモノによって自然に起こる現象を利用しているだけで、『魔法』の様に、特別な力を以ってその《理》自体に変化を与える事は出来ないんだ。存在する炎を使って木の枝を燃やすのが『科学』で、存在しない炎を使って木の枝を燃やすのが『魔法』。それに、『科学』は『魔法』と違い、特別な力を必要としないから誰にでも使えるモノだしね」
 京也は、その説明で完璧とは言えずとも要点は押えていると判断し、《マナ》の反応を確かめる。
『では、京也。この世界の人々は、誰でも〈科学〉の力を用いて、〈魔法〉の如く《理》を動かせるという事ですか?』
 《マナ》は、それこそ不思議だと言わんばかりに驚き尋ねた。
 その質問の答えは、単純に考えれば『イエス』であり、複雑に考えれば『ノー』である。
「『科学』によって生み出された物は、その仕組さえ理解すれば余程に複雑なモノでない限り誰でも使う事が出来るよ。でも、その仕組を理解していても、それを造り出すのには特別な知識とか技術を必要とするから、誰にでも出来るわけでもないのかな」
『それならば、貴方の言う〈科学〉も、私の知る《魔導》もそう大差は無いモノです。そのどちらも、単純な知識のみで用いられるモノではないのですから』
 京也の言葉から多くを理解し応える《マナ》の言葉には、京也が考えている以上に深い意味が込められていた。
『京也、貴方は、《魔導》を特別な資質を持つ者のみに許された力のように考えているみたいですが、それは少し違います。生まれた世界に違いがあれども、人間は、誰でも《魔導》を操る為の資質を有しているものです。唯、それを純粋な力として発動させるのに必要な素養を欠いているだけであり、それは、天賦の才能や或いは日々の研鑽によって定められるモノなのです』
「《魔導》が誰にでも操れる可能性のある力なら、俺も努力すれば『魔法』が使えるようになるのか?」
 真理に触れる存在である《神》の知識を以って語られた《マナ》の言葉に、京也は、自分でも馬鹿げていると思うその問いを口にした。
『この世界のように魔導的力量が乏しい環境を条件から除けば、その可能性が無いとは思いません。しかし、貴方にはそれを求める意味が無いのではありませんか?』
 《マナ》は、京也の魔導的才能の有無よりも、それを求める必要性の有無について口にした。
 それに対し京也は、彼女が口にした言葉の意味が分からず困惑する。
 京也の困惑を表情から察した《マナ》は、その瞳に穏やかな感情を宿して微かに微笑むと、再び言葉を紡ぐ。
『京也、貴方からは、魔導的素養など必要としない程に特別な力の存在を感じます。そう、それは私達《神》と呼ばれる存在の根底にあるモノにも似た純然たる力。私を呪縛から解き放ち、彼の邪神を退けたその意志こそが、貴方が持つ力の顕れだと私は思います』
 そう語る《マナ》の瞳には、京也に対する羨望にも似た熱が篭もっていた。
 それを真直ぐに受け止めた京也は、向けられた想いの意味を知る前に、気恥ずかしさからその視線を逸らしてしまった。
『・・・京也?どうかしましたか・・・?』
 《マナ》は、京也が見せた反応を不思議に思って問い掛ける。
「いや、何でも無いよ。それより、腹ペコだから料理の続きしてくる」
 自分の内心に芽生えた感情を茶目っ気混じりの言葉で誤魔化し、京也は、台所へと逃げ込んだ。

「お待たせ、《マナ》」
 台所から戻った京也は、そんな一言を添えて、備えられたテーブルに、料理の乗った盆を置いた。
「・・・《マナ》?」
 無反応な《マナ》の態度を訝った京也の視線が、彼女の心を魅了している『ソレ』へと向けられる。
 折しも液晶高画質テレビの画面に映し出されていたのは、恋愛ドラマに於けるお約束の濃厚なキスシーンであった。
 それを認識した瞬間、京也の脳裏に危惧ともいえる予知が生じた。
 そして、『ソレ』は現実のモノとなる。
『ねえ、京也。あの二人は何をしているのですか?』
 《マナ》は、残酷なまでに純粋な眼差しを京也へと向け、その知識欲から生まれた疑問を口にした。
「(これが『濡れ場』でないだけ好運だったのだろうか・・・)」
 京也は、己が置かれたある種の危機的状況を前にして、ふとそんな思いを抱いた。
 だが、何にしろ、色恋に初心である京也にとって、それは正に過酷な試練でしかなかった。
「うっ、・・・」
 京也は、何と説明するべきか悩み、そして、その答えを口にする事への羞恥に赤面する。
 しかし、ここで嘘を吐く訳にもいかず、京也は、深く深呼吸するとその覚悟を決めた。
「《マナ》、あれはね、互いに愛し合う者同士が、その想いを確かめ合う為にする特別な儀式の様なモノだよ。うん」
 京也は、我ながら美しく飾り過ぎた説明だと思うが、それでも今の自分に出来る精一杯の成果だと自ら納得する。
 そして、自分は人間として、一つの大きな試練に打ち克ったのだと自負した。
 だが、《マナ》の無垢なる魂は、京也に更なる試練を与える。
『互いを想う心を確かめる為の儀式ですか・・・。それはとても素晴しい行為ですね。京也、貴方は、私の事を気高い魂を持つ存在であると褒めてくれました。それは私の魂を愛するに値すると認めてくれたという事ですよね。私も貴方の魂とそこに宿る意志に敬愛の想いを抱いています。それならば、私達もより強い絆を結ぶ為に、その儀式を行うべきなのではありませんか?』
 そう熱っぽく語る《マナ》の言葉を、京也は、熱病に浮かされる様な思いで聴いていた。
 そこに込められた想いが真摯であるが故に、京也にとって、その言葉は重い意味を持ち、真剣な想いで応えなくてはならなかった。
 今度は先刻のように、飾った言葉で誤魔化すわけにはいかない。
 京也は、その事を自らの心に諭し、ひたむきに自分が今どうするべきなのかを考える。
「(《マナ》の真摯な想いを真直ぐに受け容れる事が出来なくて、如何して彼女と対等の立場に在るパートナーと言えるんだ。そう、これは俺達がこの先も共に戦う為の強い絆を結ぶのに必要な儀式なんだ)」
 応えは最初から出ていた。
 様々な邪念を紛う事無き想いで打ち払い、京也は、その応えを示す為の行動に出る。
「《マナ》、瞳を閉じてくれ」
 京也の真直ぐな眼差しと共に向けられたその求めの言葉に従い、《マナ》は、ゆっくりと瞳を閉じる。
 京也は、《マナ》の肩にそっと手を掛けると、僅かに込めた力でその身体を自分の方へと引き寄せた。
 そして、自らの身体をゆっくりと《マナ》の方へと近付けて行った京也は、互いの鼻先が触れようとするまでに接近したタイミングで瞳を閉じる。
 一寸にも足らない距離にまで近付いた互いの唇がいよいよ触れようとした瞬間、それを邪魔するように静寂の中、微かに妙な金属音がしたように京也は感じた。
 僅かながら驚くように瞳を開けて周囲の気配を探った京也は、変わらず静寂が支配する空間にそれを家鳴りか幻聴であったのかと疑う。
 瞳を閉じたままじっと待つ《マナ》を前にして、京也は、本来の為すべき事に意識を集中させる為、再びその瞳を閉じた。
 そして、今度こそ本当に両者の唇が重なり合わんとした時、『それ』は起こった。
「京也!元気だった・・・か・・・?」
 突如として開かれた部屋のドアから現れた一人の青年、その青年は、目の当たりにした光景に面食らいながらも、何とか最後まで挨拶の言葉を言い切った。
 そして、同じ様に突然の出来事に面食らっていた京也の口から言葉が洩れる。
「た、環・・・?」
 それが良く知る相手でありながらも、激しい混乱が京也の言葉を半ば疑問系にした。
「悪い、邪魔したな。出直す!」
 『環』と呼ばれた青年は、妙に爽やかな笑顔でそう告げると、素早い身のこなしで背中を向けて、そのまま後ろ手に部屋のドアを閉めた。
「・・・」
 完全に凍り付いた静寂の中、京也は、呆然とした無言の視線で、青年が消えたドアを見詰める。
 その数秒後、不意に部屋のドアが再び開かれた。
「十五分位で良いか?」
「えっ・・・?」
 再びの闖入者となった青年が、意地の悪そうな笑みを浮かべて問うその言葉の意味が分からず、京也は、疑問の声を返す。
「じゃあ、三十分か一時間位?それとも、やはり気を利かせて一晩か?」
 更に青年が口にした言葉を聞いて、京也は、やっとその意味を理解した。
「環!」
 先刻と同じ様に青年の名前を呼ぶ京也、しかし、そこにはからかわれた事に対する怒りが込められていた。
「冗談だ、京也。そう真剣になるな」
 相も変わらず意地悪な笑みを浮かべたまま、そう告げて青年は首を竦める。
 恥かしい場面を見られて真っ赤になる京也と、愉快そうに笑う環との間に挟まれた《マナ》は、状況を今一つ理解出来ずに両者を交互に見回していた。
「まあ、冗談はさて置き、いきなり現れて驚かせてやろうと思ったんだが、逆にこちらの方が驚かされてしまったな」
「十分、驚かされましたよ」
 表情だけは正しながら尚も目で笑っている環の言葉に、京也は、羞恥と怒りの入り混じった視線で、恨みがましく突っ込み返す。
「そうか、それは本当に悪かった。それと特別、何事も起きていないみたいだし、どうやら俺の取り越し苦労だったみたいだな」
 今度こそ本当に真剣な眼差しになって、環は、京也へと意味深な安堵の言葉を掛けた。
「取り越し苦労って、どういう意味?」
 環の視線と言葉の意味を測り兼ね、京也は、訝るように尋ねる。
「否何、《カイザー》の残党が息を吹き返して、お前達の一族に対し不穏な企てを計っているという情報を耳にしてな。それで念の為に、一番に狙われる危険の在るお前の無事を確かめに来たんだが、それも杞憂に過ぎなかったみたいで安心したよ」
「ああ、それなら本当に襲われたけれど」
 環の心配と安堵を他所に、京也は、事無げに《カイザー》の襲撃を受けた事実を口にした。
 それを聞いた環の表情が驚きで一変する。
「本当なのか!それで怪我とかしてないのか?」
 その反応だけで、環が京也の事を大切に思っていることは一目瞭然であった。
「完全に無傷という訳では無いけれど、大した怪我はしてないよ。それも全て、そこに居る《マナ》のお陰かな」
 京也は、そう環の尋ねに応えると、改めて傍らに在る守護闘神へと感謝の視線を向ける。
 それ故に、京也は、環が《マナ》の姿を見詰めて、別の意味で驚いている事には気が付かなかった。
「科学者である環には、信じられないかもしれないけれど,そこにいる《マナ・フィースマーテ》は、異世界の地に於いて《神》と呼ばれる存在なんだ。そして、俺は、封印されていた彼女を呪縛から解き放ち、《魂の契約》によってその守護を受ける身となった。彼女との邂逅によって、その戦女神としての力に助けられたからこそ、《カイザー》の襲撃を退ける事が出来たんだよ」
『初めまして、《マナ・フィースマーテ》です。永き封印の呪縛により、この身は戦女神としての力の多くを失っておりますが、守護闘神として残された力の全てを以って、京也を護る為に戦う覚悟はしております』
 京也の紹介の言葉に続く形で、《マナ》が挨拶として名乗る。
「私は、蒼麻環。生物の派生や根源を研究する特殊遺伝学に携わる学者で、京也とは歳の離れた友達みたいな関係の者だ。以後、宜しくお見知り置きを、美しき戦女神殿」
 環は、返礼の挨拶として《マナ》に対し自分も名乗ると、少し悪戯っぽく微笑んだ。
 そして、その笑んだ眼差しを京也へと移し、更に言葉を続ける。
「言っておくが京也、『科学者』だから《神》と呼ばれる存在を否定するという考えは偏見だぞ。他の学者達がどう考えているかは知らないが、私個人に於いては《神》の存在を肯定している。それこそ私の研究は、《神》の御手ともいえる領域を解明し、それによる理論の構成と実践の完成を目的とするモノだからな」
 環は、そう自らの研究の一端を興に乗った熱い想いで語り示した。
「でも、以前、この世界に《神》は存在しないって言ってなかった?」
「ああ、確かにそう言ったな。しかし、それはこの世界とは異なる地にこそ真なる《神》の存在があると言いたかったんだ」
 そう応える環の眼差しは真剣なモノであった。
「じゃあ、環は、《マナ》が《神》と呼ばれる存在である事を信じてくれるんだ」
「勿論、信じるさ。寧ろ彼女を私達と同じ人間だと言う事の方が無理だな」
 環は、やはり真剣以外の何者でもない眼差しでそう応える。
 しかし、京也にしてみると、そこ迄あっさりとした態度で受け入れられると、逆に疑わしく思えるモノであった。
「環には、《マナ》が人間とは違う特別な存在で在ることが見ただけで分かるの?」
「『美を知って、醜を知る』という言葉があるように、《魔》を知って《神》を知るという事も有り得るモノだ。故に、本物の《魔》と呼ばれる存在を知る身ならば、本物の《神》と呼ばれる存在を知る事が出来る訳だ。まあ、正確な事を言うならば、私自身が《魔》と呼ばれる存在を知っている訳では無いのだがな。要するに、私の血族も又、お前の一族と同様に人外の者達と関わりが深いという事だ」
 そう淡々とした口調で語る環だったが、その言葉の奥底にはそれ以上の事を尋ねるのを躊躇わせるモノが存在していた。
「まあ、何はともあれ、お前はこの先の戦いに於ける心強い味方を既に得ている訳だし、これで私も一先ずは安心して良い訳だ」
 環の口から続けて語られたその言葉は、安堵と共に先刻の《カイザー》の襲撃が京也の戦いの序章でしかないという事を示唆していた。
 そして、その事は京也自身が最も良く理解していた。
「あのファーロという男と《カイザー》が存在する限り、戦いは何時迄も終わらないという事か・・・」
「或いは、京也、お前が力尽きる迄はだな」
 京也は、環の口から語られたその不吉な言葉を聞き、それを彼が敢えて口にしたモノであると理解しながらも、少なからず驚かずにはいられなかった。
 そして、それは京也の守護闘神たる《マナ》にしてみても同じで、感情を抑えながらもその表情を険しくする。
「二人ともそんな顔をするな。京也が容易く敵に屈するような漢ではない事は、私も良く知っている。だが、敵の持つ力の強大さを考えれば、今のままでは危うい事も又、紛れも無い事実だ」
『京也には、私がついています。敵が如何に強くとも、守護闘神して私が必ず護ってみせます』
 《マナ》は、環の更なる不吉な言葉を咎めるように、誓いと想いの証であるその言葉を口にした。
「《マナ・フィースマーテ》、確かに君は、強い力を持つ戦女神なのかもしれない。しかし、君のその力を以ってしても、今の京也を《流血の邪神》の力を得たあのファーロという男から護り抜く事は困難な筈だ。そう、今の京也では・・・」
 環は、まるで子供を諭す親の如く、優しい眼差しを《マナ》に向けて、自分の内にある確信ともいえるモノが示す言葉を紡いだ。
「それは、今の俺にこそ問題が在るという事なのか・・・?」
 京也は、環が今の自分に対し、不安にも似たモノを抱いている事を感じ取ると、それに自らも妙な怯えを覚えて応える声を微かに震わせていた。
「はっきりと言ってしまえば、そういう事になるな。そして、本当はお前自身が既にその事に気が付いているんじゃないのか、京也?」
 更なる形で向けられた環の真直ぐな問い掛けが、京也の心に深く突き刺さる。
 それは、環の言葉が紛れも無き真実を指し示していたから。
 京也は、じっと環の瞳を見詰めたまま、沈黙するしかなかった。
 無言のままで重ね合わされたその視線を先に逸らしたのは、意外にも京也ではなく環の方であった。
 正確には、視線を逸らしたのでは無く、環は、真直ぐに京也へと向けていた眼差しを笑みで細めたのである。
「京也、私にとってお前は何にも替え難い大切な存在だ。だからこそ私は、お前に本当の意味で強くなって欲しいと思っている。それは他の誰よりも純粋な心を持つお前に、身勝手な我儘を押し付けているだけかもしれない。しかし、それでも私は望まずにはいられないんだ。お前が誰にも、そして何にも屈しない程に強くなる事を」
 環は、その言葉以上に切実な想いが滲むその瞳の輝きを細めた眼差しの奥に隠し、唯穏やかに、そして優しく微笑んでいた。
「・・・俺は、本当に貴方が望むように強くなれるのか・・・」
「ああ、私は信じている。お前が誰よりも強くなる事を。そして、今のお前をその強さへと導ける存在が在るとすれば、それは残念ながら私ではなく『彼』だろう」
 京也の惑う想いに対し、環は、そう確かな応えを返すと、本の少しだけ淋しそうに笑った。
 京也は、環が言わんとする存在が誰であるかを敢えて尋ねる迄も無く分かっていた。
 その存在だけが唯一、武に生きる者として、今の自分に真なる強さの意味を示せる相手だと知っているから。
「分かったよ、環。明日になったら、あの人の許を訪ねに行って来る。父さん、否、《神武流》最強の剣士である神崎征也の許へ」
 子として知る父の姿を思えば、多少は複雑な思いもあるが、剣士としては師である榊も認めるその存在の名を口にして、京也は、真の意味で強くなる為の第一歩を踏み出す決意を固めた。
 環は、その示された決意の応えに満足し、笑って頷くと徐に口を開いた。
「さてと、これ以上の長居は無用だな。では、私はこれで失礼するよ。京也、お前は征也さんとの和合を果たす事で、今とは異なる形の更なる戦いの力を手にする筈だ。その為にも、素直な気持ちを大切にするんだぞ」
 予言と呼ぶには確信的過ぎる言葉を残し、環は、京也と《マナ》に背を向けて立ち去ろうとする。
 その背中に、少し慌てた様子で京也が声を掛けた。
「ありがとう、環。でも、又直ぐに会えるんだろう?」
 そこには少なからぬ期待の思いが込められていた。
「ああ、勿論だ。お前を真の強さへと導く役目は大人しく征也さんに譲るが、お前を護り助ける役目までも譲る積もりは無いからな。だから、私はこれからその為に必要となる力を手に入れに行って来る」
 京也の言葉を背に受けた環は、軽く振り返ってそう応える。
 そして、最後にもう少しだけ短い言葉を付け加えた。
「それを果たしたら、直ぐに戻って来る。嘗ての約束と《契約》を守る為にな・・・」
 京也は、環が口にした言葉の最後までを聴き取る事が出来なかったが、それでも必ず戻って来るというその約束の言葉だけで十分だった。
「本当にありがとう、環」
 多くの意味を込めて京也は、去って行く環の背中に向けてもう一度感謝の言葉を告げる。
 それに軽く手を上げて応える環の姿が、閉じる扉の外に消えて行った後も、京也は暫くの間それをじっと見送り続けた。

 環が去った後、京也と《マナ》は、少し冷めてしまったとはいえ美味しい事には代わりのない食事を十分に楽しむ。
 幸か不幸か、先刻の恋愛ドラマの放映は既に終わっていた。
 食事の団欒を終え、《マナ》の為の寝所を用意した京也は、彼女へと簡単な就寝の挨拶を告げ、寝室のベッドに潜り込む。
 そして、今日一日に起きた様々な出来事と明日一日に起こるであろう様々な出来事を思い興奮する心を胸に、京也は眠る為その瞳を静かに閉じた。

第四話・宿命

「目立たないという点で最良とは言えないけれど、仕方が無いから、これを上に羽織って」
 京也は、《マナ》の衣装問題の解決手段として、持っていた荷物袋の中から武道衣を取り出して手渡す。
 《神武流》に於いて、皆伝を果たした証に与えられるその武道衣《神武皇龍衣》は、《霊糸》と呼ばれる特殊な素材を堅固な編み方で織り上げた《神精布》という素材で出来ており、防刃・防弾に加えて耐火・耐寒・耐電等の機能を備える優れたモノであった。
 その優秀な機能を持つ《神武皇龍衣》の唯一とも言える欠点は、時代錯誤に近い古風にして奇抜なデザインである。
 武道衣としては、正に和洋折衷とも言えるバランスの取れたデザインで颯爽としているが、普通の衣服として考えれば、エキゾチックを通り越して、エキセントリック以外の何者でもなかった。
 それでも、《マナ》の明らかな戦装束の異様さを隠すには十分である。
 そして、意外な事に、《.マナ》が実際にそれを身に着けてみると、寧ろその風変わりな部分が良い働きとなって、彼女が持つ凛とした雰囲気を一層際立たせる事になった。
「良かった、これなら問題無さそうだな。じゃ、行こうか」
 荷物袋を背負いながら京也は、簡単とも言える安堵の言葉を《マナ》に掛けると、帰路を促して歩き出す。
 頷き返して自分の背中を追う形で歩き出した《マナ》に、自分が彼女の装いに見蕩れていた事を知られるのが恥かしくて、京也は、自然と何時もよりも早い足取りになっていた。


 京也は《マナ》を伴い、高野町南区に在る我が家へと戻り着いた。
 高野町は、二十一世紀の中頃に始まった副都心計画よるインフラの整備に反し、それまでの自然を大切に残した土地柄の街造りを進めてきた地域である。
 その経緯により、京也の住む家も周囲を木々に囲まれた環境にある一軒家で、他と特別変わっている事と言えば、一階が修練の為の道場施設で、二階が居住空間となっている造り位であった。
 京也は、十五歳の頃に親元を離れて一人暮らしを始めてより、その後の今日まで約三年半の歳月をこの家で過ごしていた。
『静かな良い雰囲気に満ちた処ですね』
「ありがとう。俺もここの落ち着いた空気は気に入っているよ」
 《マナ》の素直な感想に応えた言葉の通り、京也自身、その閑静な生活環境を大いに気に入っていた。
『貴方の他には、誰も暮らしていないのですか?』
「ああ、ちょっとした訳有りで、俺独りだけで暮らしているんだ」
 京也は、《マナ》から投げ掛けられた疑問に苦笑混じりで応え、家の外側に備え付けられた階段を上っていく。
 そして、取り出した鍵で入り口の錠を外すと共に、《マナ》へと上って来るよう手招きで示した。
 それに従い階段を上ってくる《マナ》の姿を確認するし、京也は、入り口の扉を開ける。
「さあ、他に誰も居ないから遠慮はせず、そのまま中へどうぞ」
 京也は、入り口の扉を押さえたままで通り道を開け、紳士的な仕草で《マナ》に中へと入るよう誘った。
 軽くお辞儀をする様にして《マナ》が入った後、京也もそれに続く形で扉を閉めながら、家の中へと入って行く。
 家の顔とも言える玄関は、男の一人暮らしとは思えないほどにしっかりと片付けられており、脇の壁に飾られている見事な細工を施された装飾鏡が、殺風景になりそうな雰囲気に巧みな彩りを与えていた。
『不思議な形を持つ鏡ですね。まるで神々の祭器の如き異質ともいえる美しさが・・・』
「《神》である貴女の目にも、その鏡は特別なモノに見えるのか」
 京也は、《マナ》が語った言葉を聞いて、本の少しだけ以外だという表情を浮かべながら呟くと、自らの視線を鏡に移し、再びその口を開く。
「その鏡は、その昔にある人間がこの世界とは異なる別の世界から持ち帰った物で、邪なる存在の力を奪い封じる破邪の鏡だと言い伝えられている。その言い伝えが本当かどうかは分からないけれど、その鏡の素材となっている物質の一部は、この世界に存在していなかったり、現在の技術を以ってしても合成する事が難しい特殊なモノらしいんだ」
『触れても構いませんか?』
 京也が語った言葉の内容に少なからぬ興味を覚えた《マナ》は、彼の方へと振り返えると、手にとって詳しく調べて良いかを尋ねる。
「ああ、別に構いはしないよ。俺も時々は暇を見つけて磨いたりしているしね」
 京也は、笑って《マナ》の求めを承諾した。
 許可を得た《マナ》は、早速、鏡を手に取ると、真剣な眼差しでまじまじと見詰めたり、所々を指先でなぞる様に触れたりして調べる。
『精錬された純然な魔銀に神聖魔法の魔力付加を行った後に形を成し、更に古代神聖文字を用いた《魔呪》を添え重ねています。これは、並みの錬金術とは異なる、正に神の御技とも呼ぶべき高次の技術で造られた稀代の逸品です。しかし、魔銀の性質をここまで活かして形を成す事すら容易ではないのに、その上、このように完璧な形の《魔呪》を古代神聖文字で編めるとは本当に驚きです。この鏡の造り主は、私達《継承の神族》以上に《神明の理》と《創造の技法》に通じる存在なのかも知れませんね』
 そう手にした鏡の鑑定結果を語る《マナ》の表情には、歓喜にも似た強い熱が宿っていた。
「その鏡は、貴方達、《神》と呼ばれる存在が造った物、《神器》の類いとは違うモノなのか?」
『はい、私達《継承の神族》は勿論、最高位神である《創造の双偉神》様達も、この鏡の様に一度《魔導》の付加を以って形を成した物に、更なる《魔導》の付加を重ねる事はしません。仮に、私達が《神器》となる物を造るとしたら、求める《理》の全てを編み上げた《魔呪》を付加させて、その一度で完全なる形の器を創り上げます。』
 それは、一度の行いを以って完全なるモノを造り出す《神》という完成された存在にとって、その根源に存在する意志を示す言葉であった。
『しかし、この鏡は、魔力付加を行って一度その形が出来上がった後に,《魔呪》を用いた更なる魔力付加が行われています。普通、効力の異なる《理》を重ねようとすると、互いにその効力を相殺されるか、或いは不安定な形になって暴走を起したりするモノです。それなのに、この鏡に付加されている《魔導》は、完全なる力の効力とその安定を果たしています。これが人間の力に於いて成されたのならば、偶然では起こり得ない奇跡と呼ぶに相応しい技法によるモノと言うしかありません。それにしても何より奇妙なのは、この鏡に付加されている《魔導》の効力です。この様な特異な《理》を求める魔導師も珍しい・・・』
 京也の尋ねに答える為に思考を廻らせていた《マナ》は、そこまで語ると余りにも不可解すぎるその疑問への答えに窮して沈黙してしまう。
「その鏡は、それ程に不思議な力を持っているのか?」
『はい、先刻、貴方が話してくれたように、この鏡には破邪の力が確かに存在しています。正確に言えば、この鏡に付加されている《魔導》は破邪の力ではなく、その《魔導》が及ぶ範囲の内に在る全ての存在が持つ魔力を退け、或いは封じる封魔の力です。そして、もう一つ付加されているのが、余程に強大な力を以ってしなければその器自体を破壊する事が出来ないようにする強化の《魔導》です。魔力を頼みとする存在である魔導師が、他者だけでなく自分自身の力までも封じてしまう《魔導器》を造り出す。それは違和という以上に矛盾を感じさせませんか』
「《魔導》が持つ力を良く知り、それを畏れる魔導師という存在だからこそ、その力を封じる術を求めてもおかしくはないんじゃないのかな」
 先刻の《流血の邪神》との戦いで、魔力という特異の力に触れた京也は、その力の恐ろしさを思い起こしてそう口にした。
『確かに、そう考える事も出来ます。しかし、《魔導》とは正に魔の領域という特異に在る力、一度その力の存在を知った者が、それを封じる術を求めるのは希な事でしょう。自らの力までも封じてしまう強大な力を持つ《魔導器》、京也、仮に貴方が一瞬にして己が磨いて来た戦いの力の全てを失うとしたら、一体どの様な想いを抱きますか?』
「底知れぬ不安・・・、否、寧ろ恐怖かな」
 京也は、不意とも言える《マナ》の尋ねに対し、真剣な面持ちでそう答えた。
『私も嘗ての力を失っている事に、少なからぬ不安を抱いています。それを思えば、この鏡を造り出した存在の意図を計り知る事は到底出来ません』
「ああ、確かに、己が持つ力を失う事に不安を抱かない者はいないだろう。それが心に弱さを持つ人間という存在であれば尚更の事だ」
 《神》と呼ばれる存在である《マナ》ですら、自らが持つその特異の力を失う事に不安を抱くと知り、鏡が持つ力が如何に奇異なるモノであるかを理解する。
「そう考えると、その鏡をこの世界に持ち帰った『あの人』の意図も又、大いに不可解と言えるな・・・」
『誰か、人間がこの鏡を異界の地から、この世界に持ち帰ったと言うのですか?』
独り言の様に呟いて物思いに耽る京也の心を、直ぐに驚きに満ちた《マナ》の声が現実へと引き戻した。
 《マナ》が驚愕ともいえる表情をしているのに気が付いた京也は、彼女がそこまでの反応を示した事を不思議に思いながらも、尋ねられたことに答えるべく口を開く。
「ああ、嘗て俺の先祖達と共に、《カイザー》の人間が召喚した《流血の邪神》と戦って倒し退けた英雄にして、人類が犯した罪に憤り、それを裁こうとした魔王。『救済』と『復讐』の相反する術によって、人類へと報いた稀代の天才魔導師・久川和誠。その鏡は、彼が異界と呼ばれる世界から、この世界へと持ち帰った数々の神聖遺物の一つだと一族の伝承に語られている」
『人間が、《理の力》に乏しきこの世界に在って、《神》の名を冠する存在を倒し、異界渡りの《魔導》を成す程の力を持っていたというのですか!』
 《マナ》は、京也が語った事実を聴いて更なる驚きの言葉を上げて、信じられないという顔をした。
「一族の伝承を信じるのならば、彼こそ正に真の魔導師だよ。《カイザー》の一党との最終決戦に於いて、完全なる力を誇っていたあの《流血の邪神》を唯一人で退けただけではなく、人類への復讐戦に於いては、《魔王》と呼ばれる程に強大な力を持つ存在までも従えて戦ったというのだから」
 《マナ》に対し、自らの一族の伝承に於いて最大の禁忌とされるその存在の事を語る京也の口調は、何処か冷めたモノであった。
「そして、彼は、この世界の《理》に干渉する《魔導》を操れたとまで言われている」
 京也は、到底信じられないという反応を示している《マナ》に対し、更なる拍車をかける事実を告げた。
『人間の身で、特異の存在達を倒し、或いは従え、更には世界の《理》にまで干渉する力を持つ者・・・。それは最早、人間の領域を逸脱した存在では・・・』
「ああ、確かにそうかもしれない。しかし、それでも彼は、人間の心を持った紛れも無い人間という存在であった。だからこそ、彼の人類に対する復讐、否、『裁き』は果たされなかった・・・」
 《マナ》が言わんとする事を最後まで言わせずに、京也は、久川和誠と戦い彼を倒した自分の先祖たる者達が、その戦いの果に抱いた想いを代弁者として語った。
「人類への復讐者として彼が決断し行った事は、その大きな悲劇の結果として、彼の血族と俺達一族に多くの使命を残した。それは、この人類が支配する世界の運命すら左右するモノだ。その使命の重さを思えば、それが希望という名の慈悲なのか、それとも非情な宿命に絶望する為の呪詛なのかも、俺には分からない」
『その人間(ひと)は、貴方達の一族にとって特別な存在だったのですね』
 《マナ》は、京也が語った言葉の内から滲み出た複雑ともいえるその感情を読み取って、そこに存在する想いが負では無いモノだと知る。
「許されざる罪をその身に刻み込んだその身勝手を、憎んでも憎み切れない裏切り者。しかし、何よりも大切な仲間であった存在。彼と共に同じ時を生きた俺の先祖達は、彼が犯した裏切り以上に、自分達人類が彼に対し犯した裏切りを憎み、彼の罪以上に、自分達の彼に対する罪を責めていた。だからこそ、彼の事を知る誰もが彼の最後の願いを叶える事に懸命となり、彼が『贖罪』として残した希望を護るという使命に全てを尽くした。『彼等』の後継者として、その意志を受け継ぐ立場にある俺も又、その重い宿命から身勝手に逃げ出す訳にはいかない。正に『宿命』という断ち切れぬ枷に繋がれた虜人だな」
 宿命背負う者達の後継者である自らの立場を語る京也の眼差しは、真摯であると同時に悲哀すら感じさせる儚さを微かに含んでいた。
 それを具に感じ取り、《マナ》が口を開く。
『京也、貴方にとって宿命の為に生きる事が苦しみだというならば、私が貴方をその苦しみから・・・』
「ありがとう、《マナ》。でも、その必要はないよ。俺は、背負った一族の宿命に耐えられないのではなく、その宿命を果たす為の力が無い自分の弱さに耐えられないのだから・・・」
 求められる期待とそれに応える力、果たすべき事を知りなら、それを果たす為の術を見付けられない自分は、期待を裏切るだけの非力な存在でしか無い事。
 自分を知らない子供の頃なら、将来という未来への希望を信じていれば良かったが、自分を知った今となってはそれも許されない事である。
 だからこそ、今、《マナ》が口にした言葉は、期待してくれる人間達に報いる術に苦しむ京也にとって救いとなる言葉であった。
「(本当にありがとう、《マナ》)」
 自らも背負った宿命に苦しみながら、それでも他者の苦しみを思い遣るその心優しさに、京也は、ここの中でもう一度患者の言葉を呟いた。
「さてと、暗い話はこれ位にして、中で御飯にしよう!」
 京也は、そう告げると、《マナ》の手に握られていた鏡を取り上げて元の位置に戻す。
『京也・・・』
「さあ、入って、入って!」
 戸惑う《マナ》の背中を妙に明るいノリで押しながら、京也は、家の奥へと入って行く。
 半ば強引に自分の背中を押す京也の態度を訝りながらも、
《マナ》は、京也の想いを察すると直ぐに笑ってそれに従った。

第三話・誓い

「これで全て片付いたか・・・」
 京也は、灰燼と化して消えた魔獣達の残滓を見詰め、大きく吐いた息と共に勝利に安堵する言葉を口にした。
『彼の者を逃がしたのは残念です・・・。しかし、我が主よ、彼の者を相手にしての貴方の戦い振りは、誠に見事なモノでした』
 京也と同様に戦いの終結を見極めた《マナ・フィースマーテ》は、具現化させていた守護剣を消納し、傍らに在る京也に賛辞の言葉を掛ける。
 それに対して京也は、穏やかな笑みを浮かべて首を左右に振った。
「《マナ・フィースマーテ神》、貴女の助けが在ればこそ得られた勝利だ」
 京也にとって、その言葉は決して謙遜などでは無く、偽り無き本心であった。
 剣士として己の武の技に懸けた純粋なる誇りは、《流血の邪神・ラルシュ》の操る魔力の前によって、粉々に打ち砕かれた。
 その事実に、京也は、自分でも信じられない程の屈辱と憤りを感じ、打ちのめされた想いで一杯であった。
『我が主よ。貴方は、真に誇り高き心の持ち主なのですね。
でも、私は、何も特別な助けをしておりません。貴方は、自らの力のみで彼の者を倒し退けたのです』
 《マナ》は、そう応えて優しくも穏やかな眼差しで、京也にその実力で得た勝利を誇る事を求める。
「確かに、俺は、戦いには勝利したが、奴の操る《魔力》という特異の力には敵わなかった。あれは、唯、自らの敗北を恐れ、己の生命をも顧みずに意地を通しただけで、決して誇れるような勝利では無いよ・・・」
 『だから、貴方の賞賛には値しない』、憂いに満ちた京也の心が、彼にその一言を口にする事を躊躇わせた。
『己の力を以って抗し難き力を操る敵を前にして、自らの生命を失う事すら恐れずそれに立ち向かう勇気。そして、勝利を得て尚も驕らぬその心の気高さ。貴方が、それを自らの誇りとする事を厭うのならば、私が、貴方に代わって誇りとしてこの胸に抱きましょう。だから、我が主よ、もうこれ以上、自らに傷つかないでください・・・』
 《マナ》は、自らの想いを持て余して苦笑している京也に、慈愛に満ちた瞳を向けてそう語り掛けると、自然な仕草でその身体を優しく抱き締めた。
 京也は、突然の出来事に驚き、身動きをする事も忘れて、無言のまま《マナ》の抱擁に包まれる。
 冷静さを取り戻した京也は、その身に起きている現実を認知すると同時に、今度はこれ以上無い程真っ赤になって《マナ》の腕から抜け出した。
 京也は、何とか自らを落ち着けさせようとして、二度三度と深呼吸を繰り返すと、それから極めて平静な振りをした表情を作って、《マナ》に視線を向ける、
「ありがとう、《マナ・フィースマーテ神》。貴方の気持ちはよく分かりました。だから、もう心配は無用です」
 まだ動揺している心を必死に落ち着けながら、京也は、どうにかそれだけを応えた。
 京也は、それから、ほんの少しの時間を経て本当の落ち着きを取り戻すと、再びその口を開いた。
「それと、俺の事を『主』などと呼ぶのは止めて欲しい」
 如何に自分が《マナ・フィースマーテ》にとって、《魂の契約》を結んだ者であろうとも、《神》という位置にある存在から、『主』などと呼ばれる事に京也は、少なからず違和感を覚えていた。
『では、どの様にお呼びすれば?』
「そうだな・・・、俺も貴女の事は『マナ』と呼ばせて貰うから、俺の事は『京也』と呼んでくれれば良い。それから、俺と貴女は、共に戦う仲間なのだから、互いに特別な気遣いは抜きで行こう。そうしないと、俺はこの先、貴女の《神》としての力に頼り縋ってしまうかもしれないから」
 そんな風に《マナ》へと答える京也は、見る者が惚れずにはいられない気高き笑みを浮かべていた。
『はい、分かりました、京也』
 《マナ》は、今までに仕え護って来た者達とは違う何かを京也の内に感じ取り、永き封印からの解放によって齎されたこの出会いに大きな喜びを抱いた。
「まだ少し固いけれど、まあ、それは仕方の無い事かな。では、改めて宜しく、我が守護女神様」
 京也は、握っていた長剣を地面へと突き刺すと、冗談口調の言葉と共に目の前に在る美しき戦女神に挨拶の手を差し出す。
 その言葉とは裏腹な京也の真摯な眼差しに魅入られた《マナ》は、特別な言葉を返す事も出来ず、唯、素直に差し出されるその手を握り返した。

 戦いで消耗した体力と気力に、烈しい疲労感を覚えながらも京也は、《マナ》と共にしっかりとした足取りで鎮守の森を抜けて社へと戻る。
 何時の間にか夕立の上がった空から注す陽の光が、社の鳥居越しに見える街並を眩しい位に輝かせていた。
『美しい眺め。私の世界とは大違い・・・』
 雨上がりの空気に濡れて幻想的な雰囲気を醸し出す街の景色に目を細めて感嘆する《マナ》、しかし、その瞳の奥には自らのいた世界を想っての憂いが存在していた。
 京也は、その事に気が付いたが、《マナ》の瞳が憂いに曇る姿を見たくないと思い、無言のまま先刻の戦いで捨てた鞘を拾って長剣の刃を納める。
「うーん、流石にその格好は目立ちすぎるよな・・・」
 取り敢えず当面の事として京也が考えなくてはならなかったのは、古代か中世欧州の民族衣装の如く豪奢な《マナ》の戦装束姿を如何するかであった。
「《マナ》、周囲の目を眩ませる魔法とか使える?」
 話に《魔導》という力の中にはそういう効果を持つモノが在ると聞いていたので、京也は、それを尋ねてみる。
『いえ、以前ならば使えたかも知れませんが、今の私は永きに渡る封印によって殆どの力を失ってしまっています。それに、この世界は《魔導》の源となる力の存在が余りにも希薄過ぎて、私が本来の力を持っていたとしても効力を持つ魔法を発動させるのはかなり困難な筈です』
 《マナ》の返事から、魔導的手段による問題解決は無理だと知った京也だったが、その言葉に語られた内容に幾つかの興味と違和感を覚えた。
「《マナ》は本来ならば、今以上に強い力を備えた存在なんだな」
 京也にしてみれば、《流血の邪神・ラルシュ》の呪縛の魔力を易々と破ったその力に驚嘆すら覚えているのである。
 それが封印によって殆どの力を失っていると知って、驚くしかなかった。
『自分の持つ力に己惚れる積もりはありません。しかし、戦女神としてこの身に与えられた力は、《天界》・《地界》・《魔界》の三界に在りし神々の中に於いても誇りを抱くに値するモノと自負しています』
 応える《マナ》の言葉からは、揺ぎ無き誇りが存在していた。
「そうか、《マナ》がいた世界には、他にも《神》と呼ばれる存在がいるのか」
 京也は、自分の世界に於いては、伝説や信仰の象徴としてしか語られる事のない存在が、当たり前のように実在する世界とは、如何なる処なのかというそれこそ想像もつかない事に思いをはせる。
『はい、その中でも私にとって最も身近であり、そして、信頼する存在といえば、《セトリトア・クシュリシス・トゥオーン・フィースマート・アルンヴィアス・スキュトリア》と《エルキア・フィースマーテ・ラリアスティア》の二神です』
 懐かしむようにして《マナ》が口にしたその二つの名前を耳にした京也は、ある事に気がついてそれを口に出してみる。
「《フィースマート》と《フィースマーテ》という《真名》を持つ存在という事は・・・」
『はい、私にとって、彼の二神は、言わば同じ魂を分かちし兄姉となる存在です』
 応えとして返されたのは、京也の想像を肯定する言葉であった。
「《マナ》に近い存在なら、美しい《神》なんだろうね」
 純粋な気持ちから出た京也のその言葉は、話に語られた存在達に対するのと同時に、《マナ》自身への誉め言葉ともなる言葉であった。
『私など、《至高にして最も稀有なる守護者》、《最美なる守護者》と詠い讃えられる彼の二神の美しさには到底及びません』
 褒められた恥かしさに紅くなりながらも、《マナ》は、何処か淋しげな瞳で自分を卑下するような言葉を返す。
「そんな事は無いさ、《マナ》。俺は、貴女が持つ魂の気高さを純粋に美しいと感じているよ」
 京也は、《マナ》が抱いた感情の理由を尋ねる事が出来ない代わりに、真摯な想いでそう告げて《マナ》の身体をそっと抱き締めた。
『ありがとう、京也。貴方の心は優しく、そして、とても温かいです。私は、こうして貴方と出会えた運命に心から感謝します』
《マナ》は、京也の想い溢れる言葉に対する嬉しさを抑えきれずに、その柔らかな抱擁の腕の中で満面の笑みを浮かべる。
 そして、京也も又、《マナ》が自分の言葉に喜んでくれている事を嬉しく感じると共に、自分の言動を少し照れ臭く思ってそれを隠すように微笑んだ。
 ゆったりとした穏やかな空気を感じる中で、京也は、《マナ》の身体を抱擁していた自分の腕を静かに解く。
「そう言えば、《マナ》。先刻、貴女は、この世界では《魔導》の力を発動させる事は困難なことだと言っていたけれど、それは如何なる存在に於いても同じ様に言える事なのか?」
『はい。でも、何故その様な事を・・・?』
 《マナ》は、それを改めて尋ねられた理由を量りかねて、不思議そうにその事を尋ね返した。
 一方、京也は、《マナ》から返ってきた答えを聞いて、最初にその事を聞いた時に抱いた違和感の理由に気が付く。
 そして、その違和感の理由こそが《マナ》の疑問に対する答えでもあった。
「その真実までは分からないが、俺の先祖や一族の者の中には、《魔導》の類である特異の力を扱えた存在がいたらしいんだ」
『この世界に於いても、魔導的資質を持つ存在が生まれる事はあるでしょう。しかし、それを確かな効力を持つ力として発動させる為に必要な《理の力》となるエネルギーが、この世界には少な過ぎます』
 京也の言葉に対し、《マナ》は、冷静ではあるがある種の驚きを以って応えを返す。
「それは足りていない力を補う事が出来れば、そう例えば、あのファーロという男の様に、特異の存在の力を借りたりすれば、この世界でも《魔導》の力を使えるという事なのだろう?」
『確かに、その通りです。特異の存在に頼らずとも、《魔導器》と呼ばれる魔導的エネルギーの増幅を助ける道具の存在が在れば、この世界でも《魔導》を発動させる事も可能と言えます。しかし、それで使える力には限界が在り、高位の力を持つ《魔導》を発動するのは不可能に近い筈です』
 《神》と呼ばれる存在として、《神明の理》の多くを知る《マナ》は、京也の言わんとする事をよく理解して正確な答えを導き出していた。
「俺の先祖は、嘗てあの《流血の邪神》と戦い、それを退けたといわれている。そして、その戦いの助けとなった武具の幾つかは、今も一族の宝として残されている筈。それを用いれば、《マナ》、貴女の失われた《神》としての力を補えるんじゃないかな」
 京也は、抱いた一つの疑問から、今の自分達の助けとなる大きな答えを見つけ出す。
 しかし、その言葉を聴いた《マナ》の表情は僅かに曇っていた。
『・・・貴方も、私に戦いの力を求めるのですね・・・』
「えっ・・・?」
 京也は、《マナ》が消え入りそうな声で呟いた言葉と、その曇った表情の意味を理解できずに、困惑と疑問が入り混じった言葉を洩らす。
『・・・済みません。私は貴方の守護闘神なのですから、戦う為の力を求められて当然なのですよね』
 《マナ》は、まるで自分自身に言い聞かせるように告げて穏やかな笑みを浮かべるが、その瞳に宿った憂えの色は未だ晴れてはいなかった。
 京也は、一瞬の沈黙の後、その脳裏に《マナ》が封じられていた《守護石》へと触れた時に聞いた言葉を甦らせる。
 その身を縛る封印の呪いと、自らに課せられた戦いの宿命からの解放、《マナ》が渇望する願いを示す言葉を。
「済まない、《マナ》。俺は、貴女が戦いの日々を望んでいない事を知りながら、貴女を苦しめる様な事を言ってしまった」
『良いのです、京也。貴方を護る為に戦う事は、戦女神である私に与えられた唯一無二の宿命なのですから。寧ろ、その事から逃れようとした私の弱さを叱ってください』
 自分の迂闊さを知って詫びた京也の心に、《マナ》から返された応えである『宿命』というその言葉が深く突き刺さる。
「《マナ》、俺は、宿命とか運命というモノを理由に、自分の想いを諦めるのは嫌だ。貴女が自由を求めて自らの宿命と戦うのなら、俺は貴女の《魂の契約者》として、その想いを護り助けたい。だから、俺は貴女に、その素直な想いを大切にして欲しいんだ」
 京也が《マナ》の為に告げたその言葉には、自分自身が背負った宿命に対する想いと共に、嘗て、運命を理由に自分の前から姿を消した久川静音という女性に対する深い想いも又込められていた。
『ありがとう、京也。私は、永き封印の中で孤独に苛まれ、その苦しみに耐えられずに、自らを縛る戦いの宿命から解き放たれる事を切望しました。でも、今、こうして貴方と出会い、その心に触れる事でその苦しみが癒されました。だから、私は、自らの宿命としてでは無く、この心に抱いた想いを以って、貴方を苦しめようとするモノの全てから貴方を護る為、
何時までも貴方の傍に在り続けます』
 京也が《マナ》に対し示した誓い、そして、それに応えて《マナ》が京也に対し示した誓い、その二つの誓いは、京也と《マナ》に、より固い絆となる意志の力を与える。
 京也達は、互いが共に在る限り、如何なる宿命の苦難にも耐えられると、その心に感じていた。
 それは、京也達が、揺るぎ無き信頼によって、真の意味での《魂の契約》を結んだ証しであった。

第二話・邂逅

 京也は、榊の自分に対する思い遣りを踏み躙るようにして去って来た事に、大きな自己嫌悪と罪悪感を抱きながら、住み慣れた高野町の市外通りをとぼとぼと歩いていた。
 そんな京也の沈んだ気持ちを映すかの如く、空の様子も暗澹たる雲行きへと移り変わって行く。
「夕立でも来るかな・・・」
 独りごつる京也の瞳に、家路を急いで歩みを早める者達や、慌て気味に路地へと並べてあった商品を片付け始める露店商達の姿が映る。
「ど、泥棒だ!誰か、捕まえてくれっ!」
 前方から聞こえてきた突然の叫び声、それに反応して自分の方へ猛然たる勢いで走って来る男の姿を捉えた京也は、ゆっくりとした動作で持っていた荷物を足元へと置いた。
 そして、露店商から盗んだのであろう手提げ金庫を手にした男の前に立ちはだかる。
「莫迦が、退けっ!」
 男は、目の前に立ちはだかる京也の意図を計り知ると、その正義を嘲笑って、持っていた手提げ金庫で殴り掛かって来た。
 京也は、相手の攻撃を一瞥で見切ると、何気無い行為の如くその懐へと踏み込み、振り降ろされた腕を掴み取る。
 そして、京也がその身体を廻らせた次の瞬間、男は地面へと組み伏せられ気絶していた。
 柔術の投げ技の一つと良く似ていながら、決して相手に受身を許さない点で、それと大いに異なる《神武流》の奥義の一つである技、《雷鬼》。
 京也が繰り出した電光石火の早業に、騒ぎを聞いて足を止めて見守っていた人々は、誰もが驚嘆して言葉を失っていた。
 そんな衆人の反応を余所に、京也は、気を失っている泥棒の手から手提げ金庫を取り上げると、他の人々と同じ様に呆然としていた被害者の露店商へ、それを差し出す。
「最近は、この街も随分と物騒になったみたいですね。これからは気を付けてください」
 京也は、そう告げて手提げ金庫を露店商に返すと、置いてあった自分の荷物を拾い上げ、その場から去ろうとした。
 その京也を慌てて露店商が呼び止める。
「待ってくれ、君!是非、お礼をさせてくれ」
「礼には、及びませんよ。特別な事をした訳ではありませんから、気にしないでください」
 一応、呼び止められて振り返った京也だったが、本心からその言葉通りに思っていたので、応え終えると再び背を向けて歩き出した。
「君にとって当然な事だとしても、助けられて、何のお礼もしなくては、私の気持ちが納まらん。ちゃんと、お礼をさせて貰うぞ」
 露店商の男性は、そう告げると、京也の腕を取って、半ば強引に自らの露天へと連れて行く。
「自慢にならないが、こういう商売なんで、特別な謝礼なんて出来ない。という訳なんで、せめてもの気持ちとして、ここに在る品物のどれでも、気に入ったヤツを一つ君に上げよう。遠慮せずに一番高そうな物を選ぶと良い。と言っても本当に高価な物なんて、一つも無いかも知れないがね」
 自らの売る品物達を前に、苦笑交じりにそう言う露店の主につられて、京也も苦笑を浮かべた。
「(確かに、どれもそれなりの年代を経ているが、殆んどは模造宝石か非稀少石を使ったアクセサリーばかりだな・・・)」
 京也は、心の中でそんな即興の鑑定をしながら、目の前に並ぶ数十点の品々を見回して行く。
 何の気なしにそんな行為を続けていた京也は、陳列されたアクセサリー群の内の一つに、自然と意識を奪われた。
 それは、明らかに模造宝石と分かる材質の飾り石を使った首飾りだったが、その青玉(サファイヤ)に似た石からは、本物に勝る魅力的な力(パワー)が感じられた。
「おじさん、本当にどれでも貰って良いんですよね?ダメなら買いますけど」
「ふむ、男に二言は無い。それがどんなに高価な物だと分かっても、後から『返せ』などと言ったりはせんし、無論只で良いに決まっておるよ。気に入った物が在ったみたいで何よりだ」
 露店の主は、京也の言葉に含まれた熱を感じ取ると、満足そうに笑って応える。
「ええ。では、これをください」
 京也は、そう告げて伸ばした手の指で、先刻、心奪われた青玉の首飾りを指し示した。
「それは、《封神の守護石》と呼ばれているモノだよ。私がその石の前の持ち主から、それを譲り受ける時に聞いた話によると、その石には、勇敢なる戦士を戦場で護る不思議な力が在るらしい。先刻の事から察すると、君も武術を嗜んでいるみたいだし、その石の加護を受けられるかもしれないな」
 露店の主は、何処か冗談めかした表情でそう語ると、首飾りを手に取り、京也へ手渡そうとする。
「(《封神の守護石》、か・・・。確かに、この石からは、優しくも厳しい、そんな凛としたモノを感じる。そして、何故か言いようの無い寂しさも・・・)」
 心の中で、そんな事を感じながら、差し出された首飾りへと伸ばした指が、それに触れた瞬間、京也は、一瞬、全身に電流が走った様な感覚に捉われる。
 それは、正確に言えば、肉体ではなく魂を激しい力の奔流によって揺さ振られる、そんな衝撃であった。
『ココハ嫌、暗クテ寒イ・・・。心マデ、凍エテシマイソウ。誰カ、私ヲ、ココカラ解キ放ッテ・・・。私ハ、コノ永遠ト続ク戦イノ宿命ニ、モウ耐エラレソウニ無イ・・・』
 京也は、突如として語られたその言葉に、驚き言葉を失いながらも、半ば無意識に首飾りを自らの手に握り締める。
 その不思議な声は、確かに京也の掌中にある首飾りの石から聞こえて来たモノであった。
「如何かしたのかね?」
「貴方には、聞こえなかったのですか?」
 驚きに固まる自分の姿を訝る露店の主の尋ねに対し、京也は、反対にそう尋ね返した。
 何の事か分からずにいる相手の視線に応えて、京也は、再び口を開く。
「今、この石から不思議な声が聞こえませんでしたか?」
「否、残念だが私には、聞こえなかったよ。だが、先刻も話した様に、その石には不思議な力が在るみたいだ。そして、
その石の加護を受け護られた人間は、時に石が自分に語り掛ける事があったと言っていたそうだ。だから、君がその石の声を聞いたというならば、それは紛れも無い真実で、そして、君には、その石が持つ不思議な力の加護を受ける資質が在るのだろうね」
 先刻に話したのと似た言葉を語る露店の主の言葉は、その時には無かった純粋な何かを信じる想いを含んでいた。
「(護りの加護か・・・。それにしては、先刻の言葉は余りにも弱弱しかった・・・)」
 自分だけに聞こえたその不思議な声について思い返した京也は、その声に在ったのは、孤独にも似たモノだったと感じ、それを甦らせて切なさすら覚えていた。
 それに対する応えのようなモノを求めて、《封神の守護石》を見詰める京也に、石が再びその何かを語る事は無かった。

 予感通りに降り出した夕暮れの雨、それを凌ぐため京也は、街の一角にある鎮守の社の下に雨宿りしていた。
 まだ止む気配の無い雨空を不意に仰いでいた京也は、先刻からその胸に嫌な胸騒ぎを感じていた。
 それは、まるで『悪意』という名の生き物に見詰められている様な、危険で居心地の悪い感覚であった。
「気の所為か・・・」
 誰かが何処かで本当に自分を見つめているのではないか、そんな事を考えた京也だったが、周囲に他の誰かが居る気配は感じられなかった。
 一向に晴れないその胸騒ぎを、暗澹とした天気の為だと思おうとする京也の前に、突然、一人の男が現れる。
 特別な警戒の意識を払っていた訳ではないが、それでも日々の自己鍛錬によって他者の気配を敏感に感じ取る自分が、全く相手の気配に気付かなかった事に、京也は、少なからず驚いていた。
「華神、京也だな?」
 男は、無遠慮とも言える短い言葉で、京也へとその存在を尋ねる。
 訳が在って父親の姓である『神崎』ではなく、母親の姓である『華神』の方を名乗っている京也にとって、見ず知らずの人間から不躾にそう呼ばれる事は驚きであり、そして、それ以上に不快なことであった。
「貴方が誰は知りませんが、他者に名前を尋ねる時は、先ず自分の方から名乗るべきではありませんか」
 それでも京也は、相手に抱いた不快感を抑えて、礼儀に反しない言葉で何者かを尋ね返す。
 それに対し、男は何が可笑しいのか、京也を嘲るかの如くその表情に薄笑いを浮かべた。
 そして、男はその表情に浮かべた嘲りを侮蔑に変えて、徐に口を開く。
「これから、死ぬ人間に態々名乗る必要も無いだろう」
「ふざけるな!」
 相手から告げられたその言葉と態度に、京也は、憤慨して激しい一喝をぶつける。
 しかし、京也は、それと同時に、相手が冗談の類いを言っている訳ではない事を本能的に感じ取っていた。
 その理由は分からないが、目の前に居る男は、本気で自分の命を奪おうとしている。
 それも、全くの罪悪感を懐く事なく、寧ろ自分が当たり前の事をしているかの如くの様子であった。
 京也は、相手のその正気が恐ろしい狂気だと思い知らされ、
戦わなければ自分が殺される事を悟る。
 戦士として、戦いの意志を懐いた京也の判断と、それに対する行動は素早かった。
 京也は、油断無く相手の姿をその鋭い視線の内に捉えたまま、唯一の武器である長剣を拾い上げる。
そして、それを収める布袋の封を解くと、布袋ごと鞘を男に向けて振り放った。
 それは、正に相手の意表を衝く筈の行動であった。
 しかし、男は、軽い身のこなしでそれを難無く避ける。
「(口先だけでなく、かなりの手練か・・・)」
 相手に隙が出来たら一気に決着を着けようと狙っていた京也は、男の身のこなしにその技量が並でない事を見抜いた。
「中々、面白い。流石は、神崎征也の息子といった処か。では、今度はこちらの番だな」
 男は、反撃の意思を示して、身に着けていたロング・コートの懐へと、その手を差し込んだ。
 再び現れた男の手には、試験管に似た形状をした数本の小瓶が握られていた。
 拳銃か或いは短剣の類いが現れる事を予測していた京也は、その予想外の出来事を僅かばかり訝る。
「(猛毒の類いか・・・?)」
 心の内で更なる処を予測した京也だったが、それが的中していたとしても、この天候を考えれば、余程接近されなければ大丈夫だろうと判断した。
「我が忠実なる僕たちの爪牙に引き裂かれて、醜く死に逝くが良い!」
 男は残忍な笑みと共に死の宣告を告げて、手にしていた小瓶を足元へと落す。
 京也は、男が示したその行動に、小瓶の中身が細菌の類いの生物兵器で、相手が自らの生命を犠牲にしての道連れを狙ったモノかと一瞬は疑った。
 しかし、男が口にした『爪牙に引き裂かれて』という言葉に訝る。
 そして、その言葉の意味が、京也の目の前で現実を成そうとしていた。
 地面に落ちた衝撃により、粉々に割れ砕けた小瓶から、その中身である黒銀の粉がばら撒かれた瞬間、奇怪な光がそこに生まれる。
 その光が消滅した時、それに代わって鋭い爪牙を持つ異形の存在達の姿が在った。
「〈魔獣〉召喚の術・・・!」
 京也にとって、今、目の前で起きた現実は、決して未知の出来事ではなかった。
 しかし、それは飽くまでも、御伽噺に近い一族の伝承に語られるだけのモノの筈であった。
「お前は、《カイザー》の人間だな?」
「ほう、我々の組織の事を知っているのか。如何にも、私は、お前達の一族に理想を打ち砕かれてより、この数十年の間、絶えずお前達の一族への復讐を果たさんと求め続けてきた《カイザー》の者達の一人だ」
 京也は、返された男の答えに、自分が命を狙われた理由を悟る。
「俺の生命を奪い、一族が混乱した隙に、再び歪んだ野望を果たそうとする積もりか」
「『歪んだ野望』とは許し難い物言いだな。我等は真に優れた者達が、他の愚者達を支配する世界、正に完成されたその理想郷を築き上げるという崇高なる意志の下に集いし者達。そして、今、我々は、新たなる世界を統べる指導者となる存在を見つけ出した。その方の許で、我等は、再び嘗ての栄華を取り戻すのだ」
 男は、恍惚にも似た感情をその瞳に宿して、京也を見詰めながら、自らを絶対者とする傲慢な言葉を重ねる。
 そして、その言葉の余韻を楽しむように、一呼吸の時を置いた後、再びおとかの口が開かれる。
 その魂の根底に刻み込まれた、京也達一族に対する深き憎悪の眼差しと共に。
「新生《カイザー》の誕生を祝う生贄として、憎き我等が宿敵の末、華神京也よ、貴様の生命を我等が主へと捧げてもらおう」
「完成された理想郷だと!暴力で人々を支配しようとする暗黒の狂信者に捧げるほど安い生命は持ち合わせていない。貴様の御託は聞き飽きた。さっさとかかって来い!」
 京也は、男が自分と自分の一族に懐く身勝手な憎悪に憤り、
それを示す威勢の良い言葉と共に、手にしていた剣を構え直した。
 京也は、眼前に男を鋭く睨みながら、それと同時に相手の足許に従う魔獣達の能力を探る。
 その姿形は、大型の犬か狼に似ているが、鋭敏であろう肉体に備えた爪牙の鋭さは、金属を思わせる輝きを持っていた。
 「(数は全部で七体。爪牙を武器とした戦闘能力は、普通の獣を遥かに凌ぐレベルだとして、後はその知性の程か・・・)」
 目では測り切れない部分、それを天性の研ぎ澄まされた勘で探ろうとする京也は、異形の獣達が身に纏う異質の妖氣を感じ取り、改めてこれから自分が相手にしようとしている存在の危険さを知らされる。
 如何に相手が、〈魔獣〉と呼ばれる程の力持つ存在であろうとも、その数が一体か二体ならば、難無く倒せるだけの自身が京也には在った。
 しかし、目の前にいる魔獣達の数は、それを大きく上回り、更に敵はそれ以外にも存在していた。
 正に大きな窮地に立たされている京也は、それを打破するべく更なる思考を回らせる。
「(数を考えればこちらが絶対的に不利・・・。しかも、あの男が更なる召喚を行う可能性も十分に考えられる。ここで戦えば他の人間を巻き込むかもしれない。・・・となれば、ここで取るべき行動は唯一つだな)」
 京也は、自らが導き出したその答えに対し、不敵な笑みを浮かべると、それを実行するべく背後の森へと走り出した。
「逃がしはしない。追え、《ランヴィル》!」
 京也の行動からその意図を察した男は、足許に従う魔獣達を支配する力を秘めた〈従縛の魔名〉を呼んで、追撃を命じる。
 低く一声を吼え、死の猟犬と化した魔獣達は、京也を追って疾風の如く駆け出した。
「己、華神京也めっ!小賢しい真似を・・・」
 男は、京也が逃げた鎮守の森を睨んで忌々しげに呟く。
 その怒りの瞳には、血の色にも似た禍々しき紅の妖光が宿っていた。

 人の往来によって出来たのであろう獣道、お世辞にも良い道とは言えないそれを、大した苦も無く京也は走り続けていた。
 しかし、その京也を追って駆ける魔獣達の速度は、普通の獣のそれを明らかに上回り、徐々に両者の距離は縮まって行く。
「(やはり、逃げ切るのは無理か・・・)」
 相手の虚を衝く事に成功したので、若しかしたらと考えていた京也だったが、背後に迫る魔獣達の息遣いを感じ取り、それが甘い考えであった事を悟った。
「(ならば、残された手段はコレのみ!)」
京也は、自らが生き残る術を瞬時に計ると、それを己の意志へと決する。
覚悟を決めた京也の行動は早く、そして鋭かった。
 一瞬の間にして走る足を止めると、全くの躊躇も無く背後に在った魔獣達に目掛け、振り向き様の一撃を振り放つ。
 京也の放った横薙ぎの刃は、魔獣達の先頭に在った一体の身体を見事に捉えて、敵の群れへと弾き返した。
 斬り伏せられた仲間の姿をその双眸に映した魔獣達は、並の獣に勝る知性によって、目の前に在る現実へと恐れを抱く。
 その瞬間、追う者と追われる者という両者の関係が大きく逆転した。
 京也は、相手が怯んだその隙を逃さず、続く攻撃を放つ。
 最初の犠牲となって地面をのたうちまわる魔獣の存在を無視すると、京也は、最も近くにいた一体の頭部を唐竹割りで叩き潰し、返す一振りでその背後にいたもう一体に斜め上へと振り上げる形の斬撃を叩き込んだ。
 刃を潰されている武器であるが故に、京也の放つ攻撃は絶対の致命傷を敵に与えるまでは至らなかった。
しかし、その卓越した技量によって繰り出される正確無比の一撃は、餌食となった敵の再起を十分に封じるだけの威力を持っていた。
「これで、残るは四体!」
 大逆転を果たした事を言葉にする事で、京也は、自らの戦意を弥が上に高める。
 そして、それは対峙する魔獣達への威圧(プレッシャー)となった。
 仲間を次々に倒した京也への警戒心は、魔獣達をこれ以上無い程に慎重にさせる。
 四体の魔獣達の全てが、二歩三歩と後退り、京也との間に十分な間合いを取った。
 そんな、魔獣達の反応を見て取った京也の心に生まれたのは、勝利への確信では無く、敵を侮るなという自らに対する戒めであった。
 四体の敵の内で一体でも、仲間を倒された事に怒って襲い掛かって来るか、或いは、恐れを抱いて逃げ出すかしていれば、自分が確実に勝つ。
 京也は、そう戦いの状況を計っていた。
 しかし、相手はこれ以上無い位に慎重な構えを取り、自分はそんな相手へと絶対の攻撃を決める要素を持ち得ていない。
 状況は正に一進一退、否、正確に言えば、それまでに倒した敵も何時復活するか分からない以上、自分の方が遥かに不利。
 そして、あの謎の男の存在も決して無視できるモノではない。
 京也は、短い状況分析と思案の結果から、次に自分が取るべき行動の幾つかを導き出す。
 そして、一か八かの危険な賭けを避け、最も戦い易い状況を得る為、再びその場をから退く事を選んで駆け出した。
 先刻の大逆転に繋がる行動が幸いしたのか、魔獣達の追撃は極めて慎重で、走る京也は、そのまま鎮守の森の最奥にある草原へと抜け出る。
 敵の数が勝る事を考えれば、障害物の多い森の中で戦う方が良いのだが、京也は、その障害物が逆に自分の動きを封じる事になると考え、敢えて敵の動きも自由にするこの場所を決戦の地として選んだのであった。
 京也は、草原の中央に踏み入ると、油断無く剣を構えて敵の来襲に備える。
 京也を追って草原へと現れた魔獣達は、ゆっくりとした警戒の動きで、其々が京也の前後左右を囲む形に散り分かれた。
 改めて対峙の形を取った京也と魔獣達の間で、戦いの緊張が大きく膨らんで行く。
 一対四という自分にとって明らかに不利なその状況にありながら、京也の心には、不思議と何の恐れも無かった。
(『強くならなければダメよ。特に男の子はね』)
 嘗て、他の誰よりも慕った一人の女性から告げられた言葉が、ふと無意識に京也の脳裏に甦る。
「男は強くならなければダメ、か・・・」
 京也は、懐かしくも残酷な想い出の言葉を、自分の口で紡ぎ出して苦笑した。
 その想い出の主である久川静音との別れから、十年近い歳月が流れた今でも、自分は未だ強くなれずにいると京也は思っていた。
 しかし、今ここで己の弱さに屈したのならば、全ての未来(さき)が失われてしまう。
 そんな確信ともいえる想いが、京也の心には在った。
「弱い自分ならば、強くなれば良い。その為に、俺は、自らの身を〈神武〉の内に置き、修練を重ねて武を磨き、そして、剣を握って戦う事を選んだ。そう、何時如何なる時にも、自らの力で生きられる強さを求めて!」
 その言葉に示された〈神武〉の剣士たる想いが、そして、自らの剣に捧げた誇りが京也の心を満たす。
 京也にとって、剣の道こそが、物心ついた時に知った人間の世の醜さから、自分という存在を今日まで支え続けてきてくれたモノであった。
 想えば、この世界に生まれる以前より、自分は剣と武によって成り立つ魂を持つ存在で在ったのかもしれないと、今、京也は感じていた。
「戦いに生き、戦いに死す。それこそが、俺に与えられた宿命なのかもしれないな」
 京也は、遠き天空を仰いで語った自らの言葉に、酷く懐かしい戦いへの高揚感を覚えた。
 再び、生命の遣り取りをする相手である魔獣達へと戻された京也の瞳には、人間の領域を超えた純粋な意志の輝きが宿っていた。
 そして、それは、京也の戦士としての魂に新たなるモノが芽生えた事への証しであった。
 京也は、無為に瞼を閉じると、その手に握った剣の切っ先が地面へと触れる位に腕を下げた自然な構えを取る。
 それは他者が見れば、勝負を捨て諦めたとも思える構えであった。
 しかし、京也が身に纏う闘氣は、それまで以上に鋭く烈しかった。
 京也を取り囲んだ魔獣達は、本能的に危険を感じ取ったのか、その双眸に畏怖にも似た警戒の色を浮かべる。
「どうした、怖じ気づいたのか?」
 京也は、相手の反応を気配から察すると、威圧的ともいえる口調で挑発をした。
 それに対し、魔獣達は、怒りの唸り声を洩らすと、互いに視線を交し合って、其々が攻撃の意志を確め高めた。
『グウォッ!』
 狂暴な咆哮を上げ、鋭い牙を剥いた四体の魔獣が一斉に京也へと襲い掛かる。
 それは、正に一糸乱れぬ同時攻撃であった。
「異形の者達よ、その在るべき処へ逝け!」
 京也は、迫り来る魔獣達への一喝を咆えると、その瞳を閉じたまま正面の敵に向けて突進する。
 そして、その先にある敵の気配のみで、相手を自らの間合いの内に捉えた京也は、微塵の迷いを無く鋭い気合いと共に剣を薙いだ。
 京也の研ぎ澄まされた魂の想いに叶った一振りは、見事なまでに冴えある一撃となって、その敵である魔獣を退ける。
 閉じていた瞳を再び開いた京也は、次の瞬間には、無明の鋭敏な感覚によって、既に己の掌中のモノとしていた残り三対の気配を追って、続く攻撃へと動いていた。
 振り向いた勢いをそのまま剣に乗せ振り放たれた一撃によって、背後に在った一体を切り伏せた京也は、更に残る二体を反撃は疎か体勢を変える隙さえ許さない神速の連続攻撃によって続け様に屠る。
 冴えに冴えた京也の剣技は、正に〈神の武〉と呼ぶに相応しく、その姿はまるで神楽を舞っていたかの如く美しいモノであった。
 《神武流》の奥義の一つ、《炎舞》、烈しくも美しき剣の舞は、それを受けた敵の鮮血を以って、炎の如く彩られるとその名を由来される技であった。
 そんな、峻烈なる技を放って猶、京也の呼吸には一切の乱れも無く、その胸の鼓動は静かな律動を保ち続けていた。
「フッ、見事な腕だと誉めるべきか・・・」
 その声の主の出現が、〈神武〉の真髄に触れて、酩酊にも似た高揚感に心酔していた京也の魂を醒ます。
「否、我が僕達を退けた事で、更なる苦痛に苛まれた死を与えられる事となったその不幸を哀れむべきだな」
 その言葉とは裏腹に、男の表情には、特別な感情など存在していなかった。
「罪深き者達の血を受け継ぐ者、華神京也よ。我が《カイザー》の偉大なる力を示すべく、このファーロ自らが、貴様に最高の苦痛と恥辱に満ちた死を刻み込んでやろう!」
 ファーロと名乗った男は、その言葉通り自らが直接京也に手を下すべく、身に着けていた長外套(ロングコート)の懐から、武器である長鞭を取り出した。
 再び魔獣の召喚を行うか、或いは、今度こそ銃器の類いが現れる事を推測していた京也は、相手が用いようとしている武器が鞭である事を訝る。
「今、俺の戦いを見ていたのだろう。それとも、先刻の言葉は、伊達か酔狂だったのか?」
 京也は、目の前にいるファーロという男が、先刻の自分と魔獣達戦い振りを見ていながら、近接戦を仕掛けようとしているその意図を計るべく探りを入れた。
 その京也の言葉に、ファーロは、嘲りの鼻笑いを洩らす。
「私は、伊達も酔狂も好みはしない。貴様如きの相手なら、これで十分だ。それに、獣にも劣る愚か者を躾けるのに相応しい道具だろう」
 ファーロは、詰まらない事を言わせるなと、見下した視線を京也に向け、手にした長鞭を鋭く鳴らして、挑発的な戦いの意志を示した。
 そのファーロの自信に満ちた態度を見て、京也は、強い警戒心を抱く。
「(確かに、鞭の扱いに十分な心得が在るみたいだが、それ以外に何らかの奥の手を隠し持っている。それが、ヤツにとっての絶対的な自信となっているモノに間違いない)」
 京也は、相手が隠し持つモノの正体が分からない以上、迂闊に動くべきではないと判断した。
「そうか、俺は貴様と違い、伊達と酔狂を好む性質でね。敵が武器を持って目の前に立てば、如何なる理由があろうとも、全力を以ってそれを退ける。自らの戦いに誇りを求め、剣を以っては何者にも屈する積もりは無い。だから、剣を握った俺に手加減の一切を望むな」
 それは剣士である京也にとっての不可侵領域であり、《神武流》に於ける本質でもあった
 一切の禁じ手を廃する代わりに、何よりも己自身の武を律する事で、自らに恥じない戦いを貫く。
 その《神武流》の本質は、戦国乱世の世に生まれて以来、数百年の歳月を経て今に至るまで、形を変える事無く護り伝えられてきた。
 それ故に、《神武流》の真髄を求める者は、伊達と酔狂を好む嫌いがあった。
 《神武流》に於ける唯一の『禁じ』は、己の誇りを懸けた戦いに敗れる事のみ。
《神武》の名を受ける武の信奉者として、京也は、《神武》の誇りに懸けて、目の前に立ちはだかる敵、《カイザー》のファーロを倒し退ける事を誓う。
その迷う事無き戦いの意志は、京也の魂を再び鋭く研ぎ澄ました。
 京也は、相手が如何なる奥の手を隠し持っていようとも、必ずそれを打ち破ってみせると、自らの心に宿した戦士としての魂を高ぶらせて武者震いしていた。
「フッ、言わせておけば、減らず口を。貴様こそ、楽に死ねると思うな、行くぞ!」
 ファーロは、嘲りと侮蔑を込めて咆えると共に、宣言通りに長鞭を振り放つ。
 その意志に操られて、長鞭は、空を切り裂く鋭い唸りを上げて、京也へと襲い掛かった。
 純粋なる古武術の流れを組む《神武流》は、異国にて生まれた長鞭という武器への対処法に欠しいが、それに似た武器に対する術ならば、長い歴史の中で確立してきていた。
「(鎖を用いた武器の使い手に備えるのに近いか)」
 京也は、冷静に判断する心の内に違わず、既にファーロの攻撃を見切り、それに対する構えを取っていた。
 ファーロの用いる長鞭という武器の特性は、その攻撃範囲の広さと柔軟性を生かした自由自在な攻撃にある。
 相手との間合いを生かし、予測の困難な軌道を描く攻撃を繰り出す、それが長鞭を用いる者の戦闘スタイルであった。
 しかし、攻撃範囲が広く柔軟であるという長鞭の特性は、一度相手に攻撃を防がれれば、再びの攻撃へと転じる為に必ず隙が出来るという大きな弱点を持っていた。
 京也は、その長鞭が持つ弱点を最大限に生かした反撃の手段を心中に秘めて、敵の攻撃を迎え撃つ。
「ハァッ!」
 京也は、気合いの息を吐くと同時に振り放った剣の刃を、迫り来た鞭の先へと叩き込む。
 そして、狙い通りに攻撃の軌道を、自分の身体から逸らす事に成功すると、透かさず逆手に持ち替えた剣の刃で、伸び切った鞭を地面に押さえ込んだ。
 鞭を剣に絡め取れば、相手の武器だけでなく、自らの武器も封じてしまう事を考え、京也は、この方法を選んだのだった。
 狙いに違わぬ成果に、京也は、相手の攻撃の手段を完全に封じ込めたと確信する。
 若しも、相手が力ずくで鞭を引き戻そうとすれば、自分は一瞬で攻撃へと転じて、身体のバランスを崩したその懐へと勝利を決する一撃を叩き込めば良い。
 京也は、相手が鞭を手放し、別の攻撃手段をとる事も考えながら、慎重に反撃を仕掛けるタイミングを窺う。
 果たして、ファーロは、強引に鞭を引き戻す事を選んだ。
「素手となるよりもそっちを選んだか」
 京也は、相手の選択を知ると、その引き戻そうとする力が最も強くなった瞬間を見て、剣の込めていた力を解く。
 ファーロの望み通りに自由を得て勢い良く引き戻される鞭、しかし、それは京也の計算通り、身体のバランスを崩させる結果となった。
「ファーロ、覚悟!」
 京也は、剣を逆手から握り直すと、迷う事無く反撃のために相手の懐を目掛けて突進する。
 そして、防御の構えも取れず隙だらけとなった敵の懐を狙って、会心の一振りを放った。
「フッ、甘いな」
 京也の反撃を視線に捉えるファーロの口から、不思議なまでの自信に満ちた言葉が洩れる。
 だが、京也は、躊躇する事無く、渾身の力を込めた一撃を相手へと叩き込んだ。
 紛う事無き絶対の一撃によって、自らの勝利を確信した京也の心を、目の前に在る現実が裏切る。
 その完璧とも言える京也の攻撃は、ファーロの身体を捉える事無く、一寸程の手前で止まっていた・
「何故・・・?」
 疑問の言葉を洩らした京也は、自分の身体がまるで石になったかの如くに、硬直して動かせないという異変に気が付いた。
 そんな京也を見下すようにして、眼前のファーロが嘲笑を浮かべる。
「私は、手に入れたのだよ。何者をも屈服させる絶対の力をな。この力は、正に《神》の力だ!」
 ファーロは、優越感に酔い痴れた口調で京也へと、己の力への絶対的自信を言い放った。
 そこには、狂気にも似た何か得体の知れない危険なモノが存在していた。
 京也は、ファーロが内に宿すモノの異質さを本能的に感じ取り、背筋にゾロリとした嫌な感覚を覚える。
「(俺は、この男に恐怖を感じているのか?)」
 半ば無意識の内に、京也は、自らの身体を支配する異変の正体を探ろうと、自分自身の心に問い掛けていた。
 その脳裏に、ファーロに対する『恐怖』という答えを、一瞬は浮かべた京也だったが、それを直ぐに打ち消す。
 それは決して強がり等ではなく、純粋な感覚による否定だった。
 そして、京也は、その自らを支配している感覚の正体を、『嫌悪』であると推し量る。
「(そう、これは嫌悪だ。俺は、このファーロという男に、決して恐れを抱いてはいない。ならば、何故、身体が動かない?)」
 推測は確信へと変わり、そして、再び疑問へと至った。
 その答えを求め、自由となる視覚を働かせた京也は、一つの異常に気付く。
 自分を見下すようにしているファーロの瞳が、人間に在り得ないモノへと変わっていたのである。
 それは、血の色の如く紅く、何よりも禍々しき輝きを宿していた。
 京也は、ファーロの瞳に宿ったその『異質』に、既知感を覚える。
「まさか、《流血の邪神》の力か・・・?」
 自らの瞳に驚愕の色を浮かべ、京也は、正に信じられないモノを見たかの如く、独り言にも似た疑問の言葉を洩らした。
 《流血の邪神・ラルシュ》。
 京也にとってそれは、自らの一族に語り継がれてきた御伽噺の如き伝承に必ず語られる存在であり、その中でも異彩を放つ特異の存在の一つで在った。
 京也は、現実とは人間が抱く幻想以上に酷なモノである事を思い知らされる。
 〈人間〉が《神》と呼ばれる存在を目の当たりのするのだから。
「ほう、《ラルシュ》の存在までも知っているとは、流石は、奴等の直系にある者だな。しかし、その力の強大さまでは知り得てはいまい」
 自らの絶対的な有利を確信して、更なる絶望を与えるべくファーロが口にしたその言葉が京也を目の前の現実へと引き戻す。
「邪神の力を借りてこの身を縛り、優越感に浸るのも結構だが、己の力で戦えない人間が、《神》の威を借りて自らを絶対者とするのは少し浅ましくはないか?」
 そうファーロへと問い掛けの言葉を返した京也は、自らの身体の自由を奪ったモノの正体を知り、自然と自分の心の中で何かが冷めていくのを感じていた。
「黙れ!己の無力さを認められずにそんな口を叩くか・・・」
 ファーロの怒りを示すが如く、振るわれた鞭が烈しく京也の頬を打つ。
 打たれて裂けた京也の皮膚から、じわりと血が滲み出る。
 京也の肉体は受けた攻撃に痛みを覚えたが、しかし、その心は何も感じていなかった。
 そんな京也の心を、ファーロへと真直ぐに向けられた静かなまなざしが代弁する。
「《ラルシュ》の呪縛にその身の自由を奪われても、心までは屈服しないという積もりか・・・。良いだろう、ならば、最大の苦痛と恥辱を以って、貴様に絶望に満ちた醜い死を与えてやろう」
 ファーロは、京也の瞳に宿る意志の意味を感じ取ると、その身に抱いた憤りを晴らすべく、残酷な死の宣告を突きつけた。
「俺も容易く殺される積もりは無い。それに、他者の力を借りてそれに驕っているような相手に、決して俺は屈服したりはしない!」
 京也は、不敵に笑って己の意志を示す。
 それこそが、他者に踏み躙る事を許さぬ、京也の誇りの有り様であった。
「指先一つすら動かせぬ身で何をほざく。悔し紛れに減らず口を叩くな!」
 京也の反応にプライドを刺激されて、ファーロの感情は更に昂ぶり、それは振るう鞭に更なる力を加える。
 それに対し、京也の心は更に冷めたモノへと変わっていった。
「ああ、確かに悔しいさ。こんな風に自分の戦いも出来ない現実も、この程度の事で戦えなくなる自分自身の力無さもな!」
 京也はその言葉が示す通り、ファーロの振るう鞭に打たれ続ける中で、唯々己の無力さを悔しく思っていた。
 容赦なく加え続けられるファーロの攻撃に、肉体の限界が近付き京也の意識は少しずつ薄れ始めて行く。
「(俺は又、《魔力》という力の前に、己の無力さを思い知らされるだけで終わるのか・・・)」
 京也は、自分自身でも知らない心の深淵に在る記憶を甦らせ、烈しいまでの悔しさを覚える。
 それは、京也の魂へと深く刻み込まれた悔恨の傷痕であった。
 遥か遠い古の昔、自分は自らの誇りを、《魔力》という特異の力の前に為す術も無く打ち砕かれ敗れた。
 それは、魂に刻み込まれた傷痕が甦らせたモノ、京也が『華神京也』としてこの世界に存在する以前の記憶であった。
「(あの時の想いは、そして、あの願いは再びここで虚しく潰えるだけなのか・・・)」
 その記憶が齎した痛みは、京也の意識の別なる部分に新たなる記憶を甦らせる。
 それは、京也の『華神京也』としての過去に繋がる記憶であった。
「(俺は何時から、こんな風に自分を押し殺し、涙を流してなく事の出来ない人間になってしまったんだ・・・)」
 そんな抱いた想いに違わず、今、目の前に在る現実をどれ程悔しく思おうとも、京也の瞳から涙が流れる事は無かった。
 母親以上に慕った久川静音が突然の別れを告げた時にも、自分は決して泣く事が出来なかったことを京也は、確かな記憶として覚えている。
 『漢は容易く泣く者では無い』、硬派を語る者ならそう言って笑っていれば良い。
 だが、自分は違う。
 自分は、泣く事も出来なければ、笑う事も出来なかった。
 どんなに辛い時にも、素直に無く事も出来なければ、強がって笑う事も出来ない人間は、哀しく憐れな存在でしかない。
 京也の心は、そんな自分自身の憐れさに気付き、更に冷めて行く。
 一層の事、このまま自分の心が凍えて無くなってしまえば良いのにとさえ思ってしまう。
「(そう、心が凍えて空っぽな器になれたら楽なのに・・・)」
 京也は、虚ろな心を抱えながら猶、戦い事から逃げられない自分の意志を呪わしく思う。
 しかし、その一方で、今、自分の残されたこの意志だけは、決して失ってはならない事を京也は知っていた。
 『もう終わらせたい』、『まだ終わらせたくない』、二つの相反する意志と想いが、京也の心の中で互いに鬩ぎ合う。
 戦いによって生命を失う事を決して恐れはしない、しかし、それは望む戦いの末にならばであった。
「(戦いたい、力の限り思う存分に。そして、生命尽きるのは、戦い抜いた果てに力及ばなかった時だ)」
『強くならなくてはダメよ。特に男の子はね』
 戦いの意志によって覚醒した京也の心に、忘れえぬ想い出の言葉が再び甦る。
 そして、その言葉には続きが在った。
「『強くならなくてはダメよ。特に男の子はね。何時でも笑って、大切なモノを護れる位にね』、か・・・」
 静音が残した言葉を思い出して呟き、京也は笑った。
 それは以前の時に浮かべた苦笑とは違う、光り輝くような明るい意志に満ちた笑みであった。
 悔しさに泣く事が出来ないのならば、せめて笑っておこう。
 京也は、そんな想いを胸にして笑うことを選んだ。
 そして目の前に在る敵、《カイザー》のファーロとそれに力を与える《流血の邪神・ラルシュ》を倒し退ける為、京也は、自らの心とその身に背負う宿命から逃げる事無く、最後まで諦めずに戦い抜く事を心に誓った。
「恐怖と苦痛に耐え切れず、気が狂ったか」
 ファーロは、京也が笑っている事に気が付くと、歪んだ愉悦を浮かべてそう呟く。
「ならば、そろそろ決着を着けてやろう。忌まわしき者達の血を受け継ぐ貴様には、それに相応しい死に様を与えてやらんとな」
 暗き情念に満ちた言葉を吐いて、ファーロは、懐から出した小瓶より、再び魔獣達を召喚する。
「今度こそ大人しく我が僕たちの爪牙に引き裂かれて、醜い屍を晒すが良い!」
 ファーロは、最早揺らぐ事の無い自らの勝利を確信すると、残忍な笑みを浮かべ、京也へと最後の宣告を突きつけた。
 召喚された魔獣達は、身動きの出来ない京也を取り囲むと、牙を剥き出しにして好戦的な唸り声をあげる。
 絶体絶命の窮地を前にして、京也は、逃れられない死が近付いている事を意識する。
 だが、京也の心には、己の死に対する恐怖は無かった。
 京也がその心に唯一抱いたのは、《神武流》の剣士としての誇りを失う事無く、最後まで戦い続けるという意志のみであった。
 ファーロと《ラルシュ》、それに従う魔獣達が齎さんとする死に抗うべく戦い続ける事を誓った京也の意志。
 その峻烈なる闘志は心の刃となり、それを宿した京也の眼差しに鋭く睨まれた魔獣達は射竦められる。
 己の気迫に怯み踏み止まった魔獣達の様子に、京也は、《流血の邪神》の呪縛によって奪われた身体の自由をもどかしく思わずにはいられなかった。
「この身体さえ動けば・・・」
 身を焦がすような悔しさに、京也は、無意識にその唇を噛み締める。
 しかし、その唇の痛み以上に、京也の心に宿る戦士の魂が痛みを感じていた。
「(死を決して恐れはしない。だが、こんな形での終焉は嫌だ!)」
 自らの最後を意識する京也の魂が、切ないほどに誇りある死を渇望する。
 邪神の呪縛からの解放を、そして、その先にある望むべき戦いを求める京也の想いに、もう一つの『呪縛からの解放』を求める存在の想いが重なり合う。
『誰か私をここから解き放って・・・』
 京也は、心に響いたその声に、確かな意志の存在と、そこに込められた切実なる想いを感じ取った。
「そうか、アナタも今の俺と同じ様に自由を、その身を捕える呪縛からの解放を望んでいるのか」
 同じ想いの許、共鳴する魂の存在、それが己の懐にある《闘神の守護石》の中に宿っている事を悟った京也は、無意識にその存在へと語り掛ける。
 その時、京也の心は不思議なまでに穏やかな想いで満たされていた。
 そして、京也は望む、この世に真の意味での《神》と呼ばれる存在が在るのならば、非情なる力によって自由を奪われ苦しんでいるこの哀しき魂をその苦しみから解き放ってやって欲しいと。
 京也の想いは、温かな奇跡の光となって《闘神の守護石》へと注ぎ込まれた。
 奇跡の光を受けた守護石は、その身に宿した輝きを増し、内に封じ込められた存在は解放の力となる意志に目覚める。
『意志強き者よ。あなたの想いが私の力を呼び覚ましてくれました。さあ、私の名を、《真実の名》を以って解放の扉を開け放って下さい』
 その捕われし存在は、京也に凛とした響きを持つ声で語り掛け、最後の解放の鍵となる儀式を、《魂の契約》を求める。
 《闘神の守護石》の内に宿る者が示す意志の神聖さを、魂の共鳴により感じ取った京也は、迷う事無くその言葉に従う。
 そして、京也は、《魂の契約》を結ぶ為の言葉を紡ぐ。
『《大いなる慈愛を以って全てを守護する者》よ。我、《魂の契約》の誓いにより、その身を縛る呪いの力から汝を解き放たん』
 京也は、魂の共鳴によって得た知識に従い、《力持つ言葉》でその存在の《真名》を呼ぶ事により、《魂の契約》を完成させる。
 次の瞬間、京也の懐から《闘神の守護石》が中空へと飛び出し、清浄なる光を発して砕け散った。
 消滅した守護石に代わって、そこに現れたのは、華麗な戦装束を身に纏った《女神》であった。
『私の名は、《マナ・フィースマーテ》。《魂の契約》に従い、貴方を全ての災厄から護る守護闘神となりましょう』
 自らを《マナ・フィースマーテ》と名乗った《女神》は、京也に穏やかな笑みを向けて、その《聖約の誓い》を捧げる。
 目の前で起きた正に『神の奇跡』と呼ぶべき現象に、京也は驚き一瞬その現実を疑うが、《彼女》が身に宿す魂の輝きが紛う事無きその《神格》を語り示していた。
 京也は、正気を取り戻すと、自らの《守護者》となった存在から向けられた笑みに応えるように、その表情へと微笑みを浮かべる。
 《マナ》は、京也に向けていた視線をファーロへと移し、その表情を凛としたモノに変えた。
『邪悪なる存在の力を操り、大いなる理に逆らい乱さんとする者よ。我が守護剣の前に疾く退け!』
 戦いを宣誓する《マナ》の意志に従い、その御手に守護の力を具現化させた剣が現れる。
『永き封印によって、その力を失っている貴様如きを恐れるモノか!我が力の前に退き消滅するのは貴様の方だ!』
 ファーロの身体を器として宿る《流血の邪神・ラルシュ》は、《マナ》に対し烈しく咆えて、その紅き邪眼が持つ呪縛の魔力を放った。
 その不可視の魔力が縛めの鎖となって、京也と同様に《マナ》の身体の自由を奪う。
「さあ、我が僕たちよ。その女神とやら共々、華神京也の生命と魂の全てを喰らい尽くすが良い!」
 主たる者の命令に従い、魔獣達が京也達へと襲い掛かる。
 猛る魔獣達の動きは、先刻までの怖じていた姿が嘘の様に、素早く、そして、鋭かった。
 しかし、それに対峙する《マナ》が身に宿した戦いに意志は、魔獣達の殺気を遥かに凌ぐ覇気をそこに従えていた。
『禍々しき牙の獣達よ。滅びの海へと還れ!』
 《マナ》は、その言葉へと込めた気合いの力で、身体の自由を奪っている《ラルシュ》の呪縛を断ち切ると、身を翻すようにして繰り出だした連続攻撃で、次々に魔獣達を薙ぎ倒して行く。
 強き意志を以って美しき剣技を奮う《マナ》の姿に、京也は無言のまま見蕩れていた。
『我が主よ。今、邪悪なる魔力の縛めより解き放ちます』
 《マナ》は、魔獣達を尽く退けると、そう告げて振り下ろした守護剣で、京也の身体を絡めている《ラルシュ》の魔力の鎖を断ち切った。
 自由を取り戻した京也の瞳に、歓喜にも似た闘志の炎が燃え上がる。
「ありがとう、《マナ・フィースマーテ神》。これで、望み通り、この男との戦いに決着が着けられる」
「莫迦め、まだ己の力が《ラルシュ》の力に及ばぬ事が分からないのか!その愚かさを以って、死地に赴くが良い!」
 ファーロは、猶も自分と戦おうとする京也の愚を嘲笑い、その紅き瞳に邪悪な殺気を宿した。
『あの者の言うように、《流血の邪神》の力は強大です。どうか、ここは私に任せて下さい』
 《マナ》は、邪神の力を操るファーロという異能者に、人間の身で戦いを挑まんとする京也の無謀に近い行為を止めるべく、その間へと割って入り背中で説得の言葉を告げる。
「確かに、ここは貴女に任せ、俺は退くのが一番の得策だろう。しかし、ここで退いたら、俺はこれから先、全ての戦いから逃げて生きて行かなくてはならなくなる。そして、今の俺にとって護るべき大切なモノは、この生命ではなく《神武流》の・・・否、唯一人の剣士としての誇りのみ。だからこそ、俺は今ここで決して退く訳に行かないんだ」
 《マナ》へと応える京也の言葉、それは何処か独白めいており、そして、何故か悲愴ともいえる哀しい響きを持っていた。
『我が主よ。貴方の想い、能く分かりました。貴方の気高き誇り持つ魂に報い、彼の者の魔力に抗するべく、我が守護の剣を託しましょう』
 《マナ》は、京也が示した意志の言葉を真直ぐに受け止め、その戦いの助けとするべく、自らの守護剣を差し出す。
 しかし、京也は、それを受け取る事を拒んだ。
「ありがとう。しかし、奴を倒すのに、その剣の力を借りるまでも無い。唯、この剣さえあれば十分だ」
 京也は、そう告げながら《マナ》の脇を抜けると、自らの手にある剣を武器に、改めてファーロと対峙した。
「愚かさもそこ迄いけば、滑稽か、或いは憐れと言うべきだな。華神京也よ、愚かに過ぎた貴様に、勇気と無謀は違う事を教えてやろう。その生命と引き換えにな!」
「ならば、《カイザー》のファーロよ。《流血の邪神》が持つ力に溺れ驕るお前に、《神武》の真髄を以って、本当の強さというモノが如何なるモノであるかを示してやろう」
 昂ぶるファーロとは対照的に、京也は、悠然とした態度で自らの内に宿した意志を示す言葉を語り、これから始まる戦いの為の構えを取る。
 京也の背に控える形となった《マナ》は、自分の申し出を断わった京也の決断に少なからず驚きながらも、彼が示す意志の中に勇気や無謀という範疇の次元を超えた領域に存在するモノを感じていた。
「行くぞ、ファーロ!」
 京也は、堂々たる威勢に満ちたその言葉と共に、自らの意志を静から動へと転じて、ファーロ目掛けて突進する。
「フッ、愚かな・・・。死ね!」
 猪突猛進の構えで突進して来る京也を嘲り、ファーロは、邪神の力を持つ紅の瞳を京也へと向けた。
 そのファーロの邪眼を睨み返す京也の瞳には、微塵の恐れも無く、其処に在るのは自らの勝利を信じる意志のみであった。
「無駄だ!」
 京也は、鋭い気合いを以ってそう言い放つと同時に、自らの身体を素早く翻す。
 ファーロと、そして、《マナ》の両者が驚きに目を見開く。
 そして、次の瞬間、両者の感情は、『驚き』から相反するモノへと変化した。
 それは、ファーロにとっては焦燥、《マナ》にとっては歓喜であった。
 京也は、正に神速、そして神技と呼ぶに相応しい身のこなしで、ファーロが操る邪眼の魔力を回避し、一気に間合いを詰める。
 文字通り、目にも止まらぬ速さで、そのままファーロの身体を攻撃の間合いに捉えた京也は、裂帛の気合いを吐いて剣を振り放った。
「甘いわ!」
 ファーロは言い放ち、超人的ともいえる動きで後ろへと退き、京也の攻撃の餌食から逃れる。
「貰った!」
 空しくも空を切る京也の剣を眼前に掠め見ながら、ファーロは、再び《ラルシュ》の魔力を以って、京也を呪縛しようと邪眼を発動させる。
 渾身の一撃を既の処で回避されながら京也の表情には、焦りの色は一切無かった、
 ファーロは、京也の平静を訝るも自らの勝利を確信していた。
 だが、京也が示した次の一手が、そのファーロの確信を叩き壊す。
 それは、余りにも全ての想像を裏切る程に意表を衝いた攻撃であった。
 京也は、唯一の武器である長剣を回避された攻撃の勢いのままに地面へと叩き刺すと、その柄から放した拳をファーロの懐深く叩き込む。
 その拳は、強烈な一撃となってファーロの内臓を抉った。
 そして、京也は、前にのめり倒れ込む相手の身体に、後転の要領で繰り出した鋭い蹴撃を放ち、更なるダメージを加える。
「これで終わりだ!」
 京也は、蹴撃で浮いた自らの身体が地面に着くと同時に、その手を伸ばして長剣を引き抜くと、受けたダメージの重さに耐え切れず膝を突いたファーロへ止めの一撃を放つ。
 これで戦いの決着が着くと確信した京也へ、ファーロが窮地からの脱出手段として、魔獣を封じた小瓶を投げつけた。
「くっ・・・!」
 京也は、敵の反撃を見て取ると、悔しさに呻き声を洩らしながら、振り放つ一撃を止めて素早く後ろに退いた。
 召喚によって現れた魔獣達の全てを京也と《マナ》の両者が退け終えた時、そこには既にファーロの姿は無かった。

第一話・胎動

『アルカナ・レジェンド
   ~紅き剣の神剣士~ 』



 昏冥の深き闇に閉ざされた魂の煉獄、その何者をも浄化する終焉の闇に包まれて尚、創始の光への回帰を果たさぬ魂の存在がそこに在った。
 嘗て《流血の邪神》と呼ばれたその魂は、己が周囲を満たす純然たる闇の力が齎す浄化を、自らの憎悪という負の力で拒み続けていた。
『ニクイ・・・、ユルサン・・・、ニンゲンゴトキガ、《神》タルコノワレニ、コノヨウナクツジョクヲ、アタエテヨイハズガナイ。ソウダ、スベテマチガッテイル。コノセカイヲミタス、スベテノコトワリガ・・・。ワレハ、カナラズヤフクシュウヲシテヤル。ワレニ、コノヨウナクツジョクトクルシミヲアタエタスベテニ・・・。フッフッフッ、マッテイルガヨイ、《魂欠の司性》ヨ、キサマガマモロウトシタスベテヲ、コノテデコワシテクレル。ソレガ、ワガフクシュウノジョショウトナルノダ』
 古の昔に、己を討ち倒したる者への呪いの言葉を吐き、その邪悪なる《神》の魂は、昏冥の深き闇の懐で僅かに蠢いた。
 そして、暗き復讐心を抱きしその魂は、救われる事無き混沌の闇へと堕ちて行った。


 誰もが汗ばむ真夏の日差しの下、更なる熱気が満ちる道場の中で、二人の剣士が木刀を手に睨み合っていた。
 両者は、正眼に静止の構えを取ったまま、互いに相手の存在のみを己の意志の内に置く。
 自然と流れ落ちる己の汗の感触にも、心を乱され集中力を欠く事無きその姿のみで、この二人が内に秘める力が並々ならぬモノである事は明らかであった。
 両者の睨み合いが永遠と続くのを厭うかのように、道場の庭へと植えられていた樹から飛び立った一匹の蝉の声が、そこに在った静寂を破った。
「ハァッ!」
 破られた静寂を合図とするかの如く、睨みあう両者の内、歳若き方の剣士が、短くも鋭い気合いの声を発して、一気に間合いを詰めると共に、両手で握った得物を振り下ろす。
 もう一方の剣士は、相手の動きを一瞬にして捉えると、吐き出した気合いの息の鋭さに相応しい一振りを相手へと放った。
 両者が振り放った木刀は、激しくぶつかり合い、鼓膜を突き刺す程に強烈な音を響かせ、互いに弾き返された。
 正に渾身の力で放たれた一撃、そのぶつかり合いの勢いにも、両者は鍛え抜かれた強き足腰によって見事に耐え、易々と次の一撃を放つ為に体勢を整えていた。
 そして、瞬きすらする暇なく、次の瞬間には、両者共に相手への責め処を決め、互いに続く攻撃を繰り出していた。
 若き剣士は、流れる風の如きしなやかな動きで放つ、相手の胴許を狙った撫で斬り。
 それに対する、もう一方の剣士は、豪快な振り上げの勢いを一気に返した、真直ぐに相手を捉えた唐竹割り。
 両者が選んだそのどちらも、小手先抜きで真正面から勝敗を決する為の技であった。
 見る者が在れば、息を呑まずにはいられない、そんな峻烈なぶつかり合いの一瞬一瞬の中で、僅かに先んじたのは、若き剣士の一撃であった。
「くっ、浅い!」
 思わず洩れた悔恨の言葉の通り、その一撃は、勝負を決するには、威力が足りなかった。
 次の瞬間、相手が振り下ろした鋭い上段斬りが、若き剣士の背中を打つ。
 若き剣士は、身に受けた痛みと打撃の勢いに圧されて、体勢を保つ事が出来ずにその片膝を床へと突いた。
 握ったままの木刀を支えに、体勢を立て直そうとした若き剣士の肩口を、軽く相手の木刀が打つ。
「参りました」
 若き剣士は、潔く己の負けを認めると共に、その手に握っていた木刀を、静かに床へと置いて立ち上がった。
「焔司武、まだまだ未熟な私の腕では、貴方に及ばないようですね」
「それは謙遜が過ぎるというモノだ、京也。流石は、天賦の剣才と、その腕を評される総司武の血を受け継いでいるだけはあるな」
 二人が口にした言葉にある『司武』とは、彼等が備える古武術の《神武流》にて、免許皆伝を果たした者のみに許される尊称であった。
 京也と呼ばれた若き剣士は、師である焔司武こと、榊和泉の口から出た父の事に、表情へ僅かに不快の色を浮かべる。
 その事に気が付いて、榊は、困惑の苦笑を洩らした。
「京也、お前の気持ちも分からんでもないが、征也さんは、紛うこと無き当代随一の力を持つ剣士。やはり、私の許ではなく、父上の許で剣の道を極めるべきではないか」
「司武、私も父の実力が並々ならぬ事は十分に知っています。しかし、あの日々の姿を目の当たりにしては、師として仰ぐ気にはなれません」
 京也の返答に、彼がそう思う理由を知る榊は、それ以上の言葉は無意味だとして話題を変える。
「では、我ら〈神武〉の一党を率い、一族を統べる総帥となる意志も、今は全く無いという事になるのかな?」
「二十歳にも満たぬ私の如き若輩が、我が一族と〈神武〉の一党を率いる事など、出来る筈もありません。そんな事をしても、皆に混乱を齎すだけです」
「本当にそうか、京也。正直、私もお前を知らない身ならば、司武の名を受ける者として、若輩者に我が一党の命運を委ねる気にはならないだろう。しかし、私は、お前の事を良く知っている。だからこそ言える、兵揃いの我等が一党を纏め上げる才、即ち、武の才では、あの総司武以上のモノを、お前は、その内に秘めている。我等、〈神武〉の一党は、自らの武に対する誇りを以って、誰一人として、その年齢の若さを理由に、お前を認めようとしないものはいない」
 己の飾らぬ想いを語る榊の瞳には、武に生きる者が、武に生きる者に示す、偽り無き色が宿っていた。
 そんな、真直ぐな榊の想いに耐え切れず、京也は瞳を逸らす。
「本当に、俺が父以上の才を持つ身なら、先刻の貴方との手合わせで、あのように無様な負け方をする筈がありません」
「先刻も言ったが、それこそ謙遜だ。結果を見れば、勝ったのは私かもしれない。しかし、私は、お前から先手の一撃を、確かに貰っているんだ。あれが、真剣での勝負なら、そして、お前自身が本気で戦っていたのならば、勝ったのはお前のほうだった」
「司武、俺は本気で戦い、そして、敗れた。それが真実です!」
京也は、師である榊の自分が本気で戦っていなかったと指摘する言葉に、まるで、侮辱されたような気持ちになって、思わず口調をきつくする。
「京也、確かにお前は、全力を以って、先刻の手合わせに臨んだ。しかし、お前は、未だ自分の心に欠いているモノに気付かず、そして、その為に真の実力を出せずにいる事すら気付いていない」
「私の心が欠いているモノ、それは何ですか?」
「それを言葉で教える事は出来ない。唯一つ言える事は、お前の父である神崎征也という存在が誇る強さの理由こそが、『それ』であるという事だけだ。京也、お前が、その心に欠いているモノを得たならば、間違いなくお前は、《神武流》の長き歴史の中でも、最強となる存在へと成長するだろう」
 そう語る榊の瞳には、京也の武人としての才に対する希望と、そして、自分に与えられなかったモノを持つ者への羨望の色が存在していた。
「師匠、俺は・・・」
向けられたモノの大きさに戸惑い、その動揺から言葉を崩した京也に、榊は温かな眼差しで応える。
「何、そう焦る事は無い。京也、お前なら何時か必ずその答えを見付けるだろう」
 更に続けたその言葉で、榊は、弟子である少年を励まし、穏やかに笑った。
「さて、今日の修練は此処までにしよう。心身共に疲れただろから、家に帰ってゆっくりと休め」
 榊は、そう京也へと告げると、持っていた木刀を壁掛けに納めて、道場から出て行く。
 床から拾い上げた自分の木刀を同じ様に壁掛けへと戻し、京也は、着替える為に道場の隣にある一室へと歩いて行った。

「京也、忘れ物だ!」
 帰り仕度を終え、帰路に着こうとする京也を、榊が呼び止める。
 京也は、それに気付くと、歩みを止めて師の方へと振り返った。
「ほら、コレを忘れていくなんて、〈神武流〉の剣士失格だぞ」
 そう告げて、榊が京也へと手渡したのは、一本の長剣であった。
 勿論、その刃は潰されているが、紛うこと無き真剣であった。
「師匠、それは忘れたのではなく、置いていったんです。最近では、木刀でさえ所持するのに、国の許可が要るのですよ。そんなモノを持って歩いていたら、確実に職務質問されて大変な事になります」
「剣士が剣を持っていなかったら、剣士たる意味が無いだろう。何、見付かったその時は、『今度、映画のオーディションがあるんです』とでも言っておけば問題ないだろう」
 理屈になっているのか、なっていないのか分からない、そのいい加減ともいえる発言に、京也は返す言葉を失う。
 そんな、京也の心中を知る由も無く、榊は、更に言葉を続けた。
「それに、今のこの国の政府には、何か嫌なモノを感じる。だから、容易に国家や官権の言いなりとなるべきではないな」
 何気無い口調で語る榊だが、その言葉に深く重い意味が含まれている事を、京也は感じ取る。
 それは、特別な立場に在る京也に、己の身を己の手で護る為の用心が必要である事を、暗に示唆している言葉であった。
「分かりました。しかし、私一人に危害を加えた処で、大した意味も無いと思いますが・・・」
「それは違うぞ、京也。お前は、一族の要たる神崎・羽水・滝司武の正統なる血筋を受け継ぎ、久川宗家より正式に総帥候補として認められている存在なんのだぞ。そのお前の身に万が一の事があれば、それこそ一大事となるだろう」
 その榊の言葉が真剣なものになる程に、京也の心には、鬱屈したモノが湧き上ってくる。
「その万が一を望んでいるのは、外の者だけではありませんよね・・・」
 一族の者である身内の中にも、自分の存在を疎ましく思っている人間はいる。
 京也は、物心のつく頃から今日に至るまでに、一族内に自分という存在に対する妬みや悪意が在る事を、嫌というほどに感じていた。
「酷な言い方をしてしまえば、それがお前に与えられた宿命だな」
 榊は、自分が武の道を通じて、守り育てて来た目の前の少年が、性根のしっかりとした者である事を知っているが故に、
厳しく残酷とも思える言葉を返した。
「なあ、京也。私や征也さんでは、総帥となるお前を支え助ける存在になれないのか?」
 そう尋ねる榊の穏やかな眼差しには、何処か淋しげな色が宿っていた。
 自分へと向けられる師である榊の真摯な眼差し。
 それに応える術を見付けられず、京也は、それから逃げるように視線を逸らした。
「済まない。お前を追い詰めてしまったみたいだな」
「師匠、貴方の所為ではありません。これは俺の弱さです・・・」
 詫びる榊に対し、京也は、視線を合わせられぬまま、その心中の想いを告げた。
「それがお前の『弱さ』だというのなら、自分の果たせなかった想いを贖う為に、その身代わりをお前に求める私の心も又、『弱さ』以外の何者でもないのだろう」
「『身代わり』ですか・・・。それ程までに、俺は、久川和維という人間に似ていますか?」
 榊は、京也から尋ねられたその名前に、一瞬驚きの表情を浮かべたが、直ぐに常の穏やかな笑みを浮かべなおす。
「ああ、とても良く似ているよ。優し過ぎるが故に不器用にしか生きられない所なんて、まるでそっくりだ。喩えるならば、お前と和維さんは、〈魂の双子〉みたいに似通っている存在だ」
 父である神崎征也の親友であり、本当ならば一族の正統なる総帥となる立場にあった存在。
 稀代の天才退魔師としてその力を誇りながら、夭逝の身を惜しまれる事となった存在。
 そして、自分が母親以上に思慕していた女性を奪った存在。
 それが、京也が知る久川和維という存在であった。
 京也は、自らの劣等感を最も刺激するその存在に対し、苦しそうな表情を浮かべた。
「俺は、あのヒトのように、己の望むままに生きられる程、強くはありません」
「『望むままに生きる』、か・・・。確かに、あの人は、自らの人生を望むままに生きたのかもしれない。しかし、先刻も言ったように、それは、残酷としか言えない運命の内で、自らの望む自由の為に生きる、そんな不器用な生き方だったよ」
 京也が洩らした言葉を追い繰り返すように、榊は、亡き存在を想う言葉を語り始める。
「それに、他の人間が思っている程、あの人の心は強いものでは無かった。否、寧ろ、本当は臆病で脆い心の持ち主だったのかもしれないな。その真実を知っている人間は、静音さん唯一人だけだろう」
 榊の口から出た一人の女性の名に、京也の表情に浮かぶ苦悶の色が濃くなる。
 亡き夫である久川和維に代わって、一族の総帥としての全権限を自分に譲り渡した後、突如失踪した大切な存在だった女性。
 京也にとって久川静音とは、今も自分を特別なる愛憎の感情で縛る存在であった。
「師匠、俺にとって久川和維という人間は、見知らぬ相手でしかありません。だから、これ以上・・・」
「分かっているよ、京也。だからこそ、私は、お前に知って欲しいと思っている。私や征也さん、そして、静音さんが、心惹かれて止まなかった彼の事を」
 榊は、京也にとって、久川静音という女性が如何に大きな存在であったかを知っているからこそ、尚更に彼女が愛した和維という人間から目を背けて欲しく無いと思っていた。
「貴方から見て、久川和維という人間は、それ程までに魅力的な人物だったのですか?」
 京也は、それが自分にとっての純粋な興味では無く、彼の存在に対する否定的な想いから来るモノだと知りながらも、問い掛けずにはいられなかった。
「ああ、彼と出会い、彼から本当の意味での強さを教えられなかったのならば、私は、今のように純粋な気持ちで己の強さを追い求められはしなかっただろう」
 榊にとって久川和維とは、嘗て、己の武に溺れ、無謀な戦いを続けていた自分に、戦う事の意味を教えてくれた存在であった。
 その彼の姿を想い起こす榊の瞳には、懐古と悔恨の二つの感情が入り混じっていた。
「それなのに、私は、深い苦しみに苛まれる彼の心を微塵も救う事が出来なかった。誰にも理解する事の出来ない、自らの遠くない未来に約束された絶対の死に対する恐怖。それに耐える日々の中で、彼は唯、一族の退魔師として、人間の世界の安定を護る為だけに戦い続ける道を選んだ。その強き意志を持って生きる姿に惹かれない筈が無い」
 榊は、久川和維という人間に対する想いを語り終えると、温かく優しい眼差しで京也を見詰め、更なる言葉を紡ぐ。
「京也、お前も又、彼に似て、自分の事以上に他者の事を思ってしまうタイプの人間だ。だからこそ、静音さんもお前を信じて、一族の行く末を委ねたのだろう。お前が、彼女の事を今も許せない程に愛し慕っているのならば、その想いを以って我々の新たなる導き手となって欲しい」
「俺は、貴方達が思っている程、優しい人間ではありません。
それに、俺には、一族の皆を導く為の強さなんて存在していない!」
 京也は、自らの心の苦しさに耐え兼ねてそう言い放つと、
榊の手にあった長剣の袋を掴み取り、小声で『失礼します』と告げて逃げるように走り去った。
「京也、お前は分かっていない。本当に強い者程、自分という存在に対して臆病となってしまう。それが、強き者の他者を想えばこその優しさというモノだ」
 榊は、自らの人生に於ける宿命に苦しみ、立ち向かう為の勇気を見つけられずにいる弟子の背中を見詰めて、届くことの無い諭しの言葉を投げ掛ける。
「(失ってしまった想いに縛られるのではなく、叶えられなかったその想いを、自らの強さに変える意思こそが、今のお前には必要なのだろうな、京也・・・)」
 嘗て久川静音から与えられた、愛情という名の鎖に呪縛される京也の想いを、解き放つ存在が何時現れる事を、榊は、同じ様に叶えられなかった想いに縛られる者として、願わずにはいられなかった。

あし@

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