21世紀末、最高の文明を誇る世界。 その文明社会の陰の礎となり、人知れず世界の闇に存在する異形、《魔》と呼ばれる存在と戦い続けてきた来た者達がいた。 卓越した戦闘技能を以って《魔》と戦い退ける者、《退魔師》と呼ばれる彼等を纏め上げる一族に生まれ、その長たる総帥となる宿命を背負った少年、華神京也。 しかし、京也は、その宿命に縛られる事を厭い、未だ自らの責務を果す覚悟を持てずにいた。 そんな、京也に対し、彼の武道の師である榊和泉を始めとする一族一党の者達の多くは理解を示し、その支えとなる事を望んでいた。 自らの宿命を受け入れられず、そして、その責務の重さに心惑う京也の心には、嘗て、突然の別離をもって失った存在への愛憎が大きな陰として今も残っていた。 自らの存在に課せられた宿命に惑う京也を嘲笑うが如く、彼の前に一族と因縁の深き宿敵、世界に混乱を齎す存在たる秘密結社の刺客が現れる。 その存在が操る《流血の邪神》の力に苦しむ京也の想いが、永き封印にその身を縛られし特異の存在《戦女神・マナ・フィースマーテ》を解き放つ。 その邂逅こそが、京也と《マナ》の運命の物語の始まりであった。

2007年12月1日土曜日

第一話・胎動

『アルカナ・レジェンド
   ~紅き剣の神剣士~ 』



 昏冥の深き闇に閉ざされた魂の煉獄、その何者をも浄化する終焉の闇に包まれて尚、創始の光への回帰を果たさぬ魂の存在がそこに在った。
 嘗て《流血の邪神》と呼ばれたその魂は、己が周囲を満たす純然たる闇の力が齎す浄化を、自らの憎悪という負の力で拒み続けていた。
『ニクイ・・・、ユルサン・・・、ニンゲンゴトキガ、《神》タルコノワレニ、コノヨウナクツジョクヲ、アタエテヨイハズガナイ。ソウダ、スベテマチガッテイル。コノセカイヲミタス、スベテノコトワリガ・・・。ワレハ、カナラズヤフクシュウヲシテヤル。ワレニ、コノヨウナクツジョクトクルシミヲアタエタスベテニ・・・。フッフッフッ、マッテイルガヨイ、《魂欠の司性》ヨ、キサマガマモロウトシタスベテヲ、コノテデコワシテクレル。ソレガ、ワガフクシュウノジョショウトナルノダ』
 古の昔に、己を討ち倒したる者への呪いの言葉を吐き、その邪悪なる《神》の魂は、昏冥の深き闇の懐で僅かに蠢いた。
 そして、暗き復讐心を抱きしその魂は、救われる事無き混沌の闇へと堕ちて行った。


 誰もが汗ばむ真夏の日差しの下、更なる熱気が満ちる道場の中で、二人の剣士が木刀を手に睨み合っていた。
 両者は、正眼に静止の構えを取ったまま、互いに相手の存在のみを己の意志の内に置く。
 自然と流れ落ちる己の汗の感触にも、心を乱され集中力を欠く事無きその姿のみで、この二人が内に秘める力が並々ならぬモノである事は明らかであった。
 両者の睨み合いが永遠と続くのを厭うかのように、道場の庭へと植えられていた樹から飛び立った一匹の蝉の声が、そこに在った静寂を破った。
「ハァッ!」
 破られた静寂を合図とするかの如く、睨みあう両者の内、歳若き方の剣士が、短くも鋭い気合いの声を発して、一気に間合いを詰めると共に、両手で握った得物を振り下ろす。
 もう一方の剣士は、相手の動きを一瞬にして捉えると、吐き出した気合いの息の鋭さに相応しい一振りを相手へと放った。
 両者が振り放った木刀は、激しくぶつかり合い、鼓膜を突き刺す程に強烈な音を響かせ、互いに弾き返された。
 正に渾身の力で放たれた一撃、そのぶつかり合いの勢いにも、両者は鍛え抜かれた強き足腰によって見事に耐え、易々と次の一撃を放つ為に体勢を整えていた。
 そして、瞬きすらする暇なく、次の瞬間には、両者共に相手への責め処を決め、互いに続く攻撃を繰り出していた。
 若き剣士は、流れる風の如きしなやかな動きで放つ、相手の胴許を狙った撫で斬り。
 それに対する、もう一方の剣士は、豪快な振り上げの勢いを一気に返した、真直ぐに相手を捉えた唐竹割り。
 両者が選んだそのどちらも、小手先抜きで真正面から勝敗を決する為の技であった。
 見る者が在れば、息を呑まずにはいられない、そんな峻烈なぶつかり合いの一瞬一瞬の中で、僅かに先んじたのは、若き剣士の一撃であった。
「くっ、浅い!」
 思わず洩れた悔恨の言葉の通り、その一撃は、勝負を決するには、威力が足りなかった。
 次の瞬間、相手が振り下ろした鋭い上段斬りが、若き剣士の背中を打つ。
 若き剣士は、身に受けた痛みと打撃の勢いに圧されて、体勢を保つ事が出来ずにその片膝を床へと突いた。
 握ったままの木刀を支えに、体勢を立て直そうとした若き剣士の肩口を、軽く相手の木刀が打つ。
「参りました」
 若き剣士は、潔く己の負けを認めると共に、その手に握っていた木刀を、静かに床へと置いて立ち上がった。
「焔司武、まだまだ未熟な私の腕では、貴方に及ばないようですね」
「それは謙遜が過ぎるというモノだ、京也。流石は、天賦の剣才と、その腕を評される総司武の血を受け継いでいるだけはあるな」
 二人が口にした言葉にある『司武』とは、彼等が備える古武術の《神武流》にて、免許皆伝を果たした者のみに許される尊称であった。
 京也と呼ばれた若き剣士は、師である焔司武こと、榊和泉の口から出た父の事に、表情へ僅かに不快の色を浮かべる。
 その事に気が付いて、榊は、困惑の苦笑を洩らした。
「京也、お前の気持ちも分からんでもないが、征也さんは、紛うこと無き当代随一の力を持つ剣士。やはり、私の許ではなく、父上の許で剣の道を極めるべきではないか」
「司武、私も父の実力が並々ならぬ事は十分に知っています。しかし、あの日々の姿を目の当たりにしては、師として仰ぐ気にはなれません」
 京也の返答に、彼がそう思う理由を知る榊は、それ以上の言葉は無意味だとして話題を変える。
「では、我ら〈神武〉の一党を率い、一族を統べる総帥となる意志も、今は全く無いという事になるのかな?」
「二十歳にも満たぬ私の如き若輩が、我が一族と〈神武〉の一党を率いる事など、出来る筈もありません。そんな事をしても、皆に混乱を齎すだけです」
「本当にそうか、京也。正直、私もお前を知らない身ならば、司武の名を受ける者として、若輩者に我が一党の命運を委ねる気にはならないだろう。しかし、私は、お前の事を良く知っている。だからこそ言える、兵揃いの我等が一党を纏め上げる才、即ち、武の才では、あの総司武以上のモノを、お前は、その内に秘めている。我等、〈神武〉の一党は、自らの武に対する誇りを以って、誰一人として、その年齢の若さを理由に、お前を認めようとしないものはいない」
 己の飾らぬ想いを語る榊の瞳には、武に生きる者が、武に生きる者に示す、偽り無き色が宿っていた。
 そんな、真直ぐな榊の想いに耐え切れず、京也は瞳を逸らす。
「本当に、俺が父以上の才を持つ身なら、先刻の貴方との手合わせで、あのように無様な負け方をする筈がありません」
「先刻も言ったが、それこそ謙遜だ。結果を見れば、勝ったのは私かもしれない。しかし、私は、お前から先手の一撃を、確かに貰っているんだ。あれが、真剣での勝負なら、そして、お前自身が本気で戦っていたのならば、勝ったのはお前のほうだった」
「司武、俺は本気で戦い、そして、敗れた。それが真実です!」
京也は、師である榊の自分が本気で戦っていなかったと指摘する言葉に、まるで、侮辱されたような気持ちになって、思わず口調をきつくする。
「京也、確かにお前は、全力を以って、先刻の手合わせに臨んだ。しかし、お前は、未だ自分の心に欠いているモノに気付かず、そして、その為に真の実力を出せずにいる事すら気付いていない」
「私の心が欠いているモノ、それは何ですか?」
「それを言葉で教える事は出来ない。唯一つ言える事は、お前の父である神崎征也という存在が誇る強さの理由こそが、『それ』であるという事だけだ。京也、お前が、その心に欠いているモノを得たならば、間違いなくお前は、《神武流》の長き歴史の中でも、最強となる存在へと成長するだろう」
 そう語る榊の瞳には、京也の武人としての才に対する希望と、そして、自分に与えられなかったモノを持つ者への羨望の色が存在していた。
「師匠、俺は・・・」
向けられたモノの大きさに戸惑い、その動揺から言葉を崩した京也に、榊は温かな眼差しで応える。
「何、そう焦る事は無い。京也、お前なら何時か必ずその答えを見付けるだろう」
 更に続けたその言葉で、榊は、弟子である少年を励まし、穏やかに笑った。
「さて、今日の修練は此処までにしよう。心身共に疲れただろから、家に帰ってゆっくりと休め」
 榊は、そう京也へと告げると、持っていた木刀を壁掛けに納めて、道場から出て行く。
 床から拾い上げた自分の木刀を同じ様に壁掛けへと戻し、京也は、着替える為に道場の隣にある一室へと歩いて行った。

「京也、忘れ物だ!」
 帰り仕度を終え、帰路に着こうとする京也を、榊が呼び止める。
 京也は、それに気付くと、歩みを止めて師の方へと振り返った。
「ほら、コレを忘れていくなんて、〈神武流〉の剣士失格だぞ」
 そう告げて、榊が京也へと手渡したのは、一本の長剣であった。
 勿論、その刃は潰されているが、紛うこと無き真剣であった。
「師匠、それは忘れたのではなく、置いていったんです。最近では、木刀でさえ所持するのに、国の許可が要るのですよ。そんなモノを持って歩いていたら、確実に職務質問されて大変な事になります」
「剣士が剣を持っていなかったら、剣士たる意味が無いだろう。何、見付かったその時は、『今度、映画のオーディションがあるんです』とでも言っておけば問題ないだろう」
 理屈になっているのか、なっていないのか分からない、そのいい加減ともいえる発言に、京也は返す言葉を失う。
 そんな、京也の心中を知る由も無く、榊は、更に言葉を続けた。
「それに、今のこの国の政府には、何か嫌なモノを感じる。だから、容易に国家や官権の言いなりとなるべきではないな」
 何気無い口調で語る榊だが、その言葉に深く重い意味が含まれている事を、京也は感じ取る。
 それは、特別な立場に在る京也に、己の身を己の手で護る為の用心が必要である事を、暗に示唆している言葉であった。
「分かりました。しかし、私一人に危害を加えた処で、大した意味も無いと思いますが・・・」
「それは違うぞ、京也。お前は、一族の要たる神崎・羽水・滝司武の正統なる血筋を受け継ぎ、久川宗家より正式に総帥候補として認められている存在なんのだぞ。そのお前の身に万が一の事があれば、それこそ一大事となるだろう」
 その榊の言葉が真剣なものになる程に、京也の心には、鬱屈したモノが湧き上ってくる。
「その万が一を望んでいるのは、外の者だけではありませんよね・・・」
 一族の者である身内の中にも、自分の存在を疎ましく思っている人間はいる。
 京也は、物心のつく頃から今日に至るまでに、一族内に自分という存在に対する妬みや悪意が在る事を、嫌というほどに感じていた。
「酷な言い方をしてしまえば、それがお前に与えられた宿命だな」
 榊は、自分が武の道を通じて、守り育てて来た目の前の少年が、性根のしっかりとした者である事を知っているが故に、
厳しく残酷とも思える言葉を返した。
「なあ、京也。私や征也さんでは、総帥となるお前を支え助ける存在になれないのか?」
 そう尋ねる榊の穏やかな眼差しには、何処か淋しげな色が宿っていた。
 自分へと向けられる師である榊の真摯な眼差し。
 それに応える術を見付けられず、京也は、それから逃げるように視線を逸らした。
「済まない。お前を追い詰めてしまったみたいだな」
「師匠、貴方の所為ではありません。これは俺の弱さです・・・」
 詫びる榊に対し、京也は、視線を合わせられぬまま、その心中の想いを告げた。
「それがお前の『弱さ』だというのなら、自分の果たせなかった想いを贖う為に、その身代わりをお前に求める私の心も又、『弱さ』以外の何者でもないのだろう」
「『身代わり』ですか・・・。それ程までに、俺は、久川和維という人間に似ていますか?」
 榊は、京也から尋ねられたその名前に、一瞬驚きの表情を浮かべたが、直ぐに常の穏やかな笑みを浮かべなおす。
「ああ、とても良く似ているよ。優し過ぎるが故に不器用にしか生きられない所なんて、まるでそっくりだ。喩えるならば、お前と和維さんは、〈魂の双子〉みたいに似通っている存在だ」
 父である神崎征也の親友であり、本当ならば一族の正統なる総帥となる立場にあった存在。
 稀代の天才退魔師としてその力を誇りながら、夭逝の身を惜しまれる事となった存在。
 そして、自分が母親以上に思慕していた女性を奪った存在。
 それが、京也が知る久川和維という存在であった。
 京也は、自らの劣等感を最も刺激するその存在に対し、苦しそうな表情を浮かべた。
「俺は、あのヒトのように、己の望むままに生きられる程、強くはありません」
「『望むままに生きる』、か・・・。確かに、あの人は、自らの人生を望むままに生きたのかもしれない。しかし、先刻も言ったように、それは、残酷としか言えない運命の内で、自らの望む自由の為に生きる、そんな不器用な生き方だったよ」
 京也が洩らした言葉を追い繰り返すように、榊は、亡き存在を想う言葉を語り始める。
「それに、他の人間が思っている程、あの人の心は強いものでは無かった。否、寧ろ、本当は臆病で脆い心の持ち主だったのかもしれないな。その真実を知っている人間は、静音さん唯一人だけだろう」
 榊の口から出た一人の女性の名に、京也の表情に浮かぶ苦悶の色が濃くなる。
 亡き夫である久川和維に代わって、一族の総帥としての全権限を自分に譲り渡した後、突如失踪した大切な存在だった女性。
 京也にとって久川静音とは、今も自分を特別なる愛憎の感情で縛る存在であった。
「師匠、俺にとって久川和維という人間は、見知らぬ相手でしかありません。だから、これ以上・・・」
「分かっているよ、京也。だからこそ、私は、お前に知って欲しいと思っている。私や征也さん、そして、静音さんが、心惹かれて止まなかった彼の事を」
 榊は、京也にとって、久川静音という女性が如何に大きな存在であったかを知っているからこそ、尚更に彼女が愛した和維という人間から目を背けて欲しく無いと思っていた。
「貴方から見て、久川和維という人間は、それ程までに魅力的な人物だったのですか?」
 京也は、それが自分にとっての純粋な興味では無く、彼の存在に対する否定的な想いから来るモノだと知りながらも、問い掛けずにはいられなかった。
「ああ、彼と出会い、彼から本当の意味での強さを教えられなかったのならば、私は、今のように純粋な気持ちで己の強さを追い求められはしなかっただろう」
 榊にとって久川和維とは、嘗て、己の武に溺れ、無謀な戦いを続けていた自分に、戦う事の意味を教えてくれた存在であった。
 その彼の姿を想い起こす榊の瞳には、懐古と悔恨の二つの感情が入り混じっていた。
「それなのに、私は、深い苦しみに苛まれる彼の心を微塵も救う事が出来なかった。誰にも理解する事の出来ない、自らの遠くない未来に約束された絶対の死に対する恐怖。それに耐える日々の中で、彼は唯、一族の退魔師として、人間の世界の安定を護る為だけに戦い続ける道を選んだ。その強き意志を持って生きる姿に惹かれない筈が無い」
 榊は、久川和維という人間に対する想いを語り終えると、温かく優しい眼差しで京也を見詰め、更なる言葉を紡ぐ。
「京也、お前も又、彼に似て、自分の事以上に他者の事を思ってしまうタイプの人間だ。だからこそ、静音さんもお前を信じて、一族の行く末を委ねたのだろう。お前が、彼女の事を今も許せない程に愛し慕っているのならば、その想いを以って我々の新たなる導き手となって欲しい」
「俺は、貴方達が思っている程、優しい人間ではありません。
それに、俺には、一族の皆を導く為の強さなんて存在していない!」
 京也は、自らの心の苦しさに耐え兼ねてそう言い放つと、
榊の手にあった長剣の袋を掴み取り、小声で『失礼します』と告げて逃げるように走り去った。
「京也、お前は分かっていない。本当に強い者程、自分という存在に対して臆病となってしまう。それが、強き者の他者を想えばこその優しさというモノだ」
 榊は、自らの人生に於ける宿命に苦しみ、立ち向かう為の勇気を見つけられずにいる弟子の背中を見詰めて、届くことの無い諭しの言葉を投げ掛ける。
「(失ってしまった想いに縛られるのではなく、叶えられなかったその想いを、自らの強さに変える意思こそが、今のお前には必要なのだろうな、京也・・・)」
 嘗て久川静音から与えられた、愛情という名の鎖に呪縛される京也の想いを、解き放つ存在が何時現れる事を、榊は、同じ様に叶えられなかった想いに縛られる者として、願わずにはいられなかった。

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