21世紀末、最高の文明を誇る世界。 その文明社会の陰の礎となり、人知れず世界の闇に存在する異形、《魔》と呼ばれる存在と戦い続けてきた来た者達がいた。 卓越した戦闘技能を以って《魔》と戦い退ける者、《退魔師》と呼ばれる彼等を纏め上げる一族に生まれ、その長たる総帥となる宿命を背負った少年、華神京也。 しかし、京也は、その宿命に縛られる事を厭い、未だ自らの責務を果す覚悟を持てずにいた。 そんな、京也に対し、彼の武道の師である榊和泉を始めとする一族一党の者達の多くは理解を示し、その支えとなる事を望んでいた。 自らの宿命を受け入れられず、そして、その責務の重さに心惑う京也の心には、嘗て、突然の別離をもって失った存在への愛憎が大きな陰として今も残っていた。 自らの存在に課せられた宿命に惑う京也を嘲笑うが如く、彼の前に一族と因縁の深き宿敵、世界に混乱を齎す存在たる秘密結社の刺客が現れる。 その存在が操る《流血の邪神》の力に苦しむ京也の想いが、永き封印にその身を縛られし特異の存在《戦女神・マナ・フィースマーテ》を解き放つ。 その邂逅こそが、京也と《マナ》の運命の物語の始まりであった。

2007年12月1日土曜日

第五話・休息

 《マナ》に戦装束を解く事を勧めた京也は、自らも持っていた荷物袋を適当な場所に置くと、楽な格好になった《マナ》をリビングの一室まで案内する。
「これから食事の用意をするけど、何か食べられない物とかある?」
 京也は、妙に馴染んで似合っているエプロン姿で腕捲りしながら、《マナ》へと苦手な食べ物について尋ねた。
『えっ、あの私は別に食べなくても平気なのですが・・・』
 その困惑気味な《マナ》の返事に、京也は、彼女が《神》という特異の身である事を思い出す。
「ああ、そうか・・・。でも食べなくても平気という事は、逆に言えば食べても平気という事だよね。人間の食べ物を食べた事はある?」
 京也は、少しの沈黙と思考の後にそう答えを出し、それを確認する為に《マナ》へと尋ねた。
『はい、神殿へと捧げられた物を何度か食べた事はあります』
 《マナ》は、今となっては遠い過去の記憶である出来事を思い起こして、京也へと答えた。
「なら、決まりだ。二人分作るから、一緒に食べよう。やっぱり、一人だけで食べるよりも、二人で食べる方が楽しいからね」
 京也は、そう《マナ》に告げると、早速、台所に行って料理の準備を始める。
「《マナ》、待っているのが退屈だったら、テレビで何か観てると良いよ」
ガサゴソと音を立てながら料理の食材を物色する京也は、隣の部屋で待っている《マナ》を気遣って、寛いでいるようにと声を掛ける。
その数秒後、台所で静寂が生まれた。
「ごめん、『テレビ』って言うのは、あの四角い形をしたヤツの事だよ」
 京也は、履いていたスリッパをパタパタと鳴らして、台所から戻って来ると、苦笑混じりに自分の迂闊さを謝った。
『はい、分かりました』
 《マナ》は、京也が謝っている理由が分からずに笑っていたが、素直に彼の視線を追って視線をテレビへと移す。
 京也は、《マナ》の無垢な反応を見て、その心にちょっとした悪戯心を芽生えさせた。
「《マナ》、これから俺が魔法を一つ見せてあげるよ」
『えっ、魔法・・・ですか?貴方も魔法を使えるのですか?』
 《マナ》は、京也の魔法を使ってみせるという言葉に、少なからぬ驚きを示し、不思議そうな顔で尋ね返す。
「ああ、今からあの『テレビ』に俺が『魔法』を掛けるから、良く見ているんだよ」
『はいっ!』
 先刻と同じ素直な返事をして、《マナ》は、期待に満ちた視線をテレビへと戻した。
「では、やるよ。えいっ!」
 京也は、ちょっと大袈裟な掛け声と共に、後ろ手で背中に隠していたリモコンのボタンを押す。
 リモコンから発信された電波を受信してテレビの電源が入り、その画面には、大自然を駆ける動物達の姿を紹介する番組の映像が映し出された。
『凄いです!一瞬であれ程に沢山の獣達が現れるなんて・・・っ!』
 目の前で起きた現象に、《マナ》は、大いに驚き息を呑む。
 そんな《マナ》の反応に、京也は、自分達の文明もそう捨てたモノではないのかもしれないと感じつつ、悪戯を悪戯で止めた。
「《マナ》、本当の事を言うとこれは、『魔法』とは違うんだ」
『そうなのですか?しかし、これが魔法でなければ、一体どうやって・・・』
 真実を告げられて頻りに不思議がる《マナ》の姿を見て、京也は、《神》と呼ばれる存在も未知なるモノに対する反応は、自分たち人間とそう変わらない事を知る。
「うん。確かに『魔法』と似ているけれど、正確に言えば、これは俺達が『科学』と呼んでいるモノなんだ」
『〈科学〉・・・ですか?』
 その始めて聴く言葉を当然の事に理解出来る筈も無く、《マナ》は、不思議そうにその言葉を反芻した。
「そう、『科学』だよ。えーと、例えば、燃えている炎に木の枝を近づけると、そこに火が燃え移るだろう?」
『はい』
 《マナ》は、京也が何を伝えたいのかは分からなかったが、言っている事の意味は理解して相槌を打つ。
「それは、その枝を近づけた者が誰であろうと、変わらずに起こる現象だろう?」
『はい、《理》の一端です』
「そう、『科学』は《理》というモノによって自然に起こる現象を利用しているだけで、『魔法』の様に、特別な力を以ってその《理》自体に変化を与える事は出来ないんだ。存在する炎を使って木の枝を燃やすのが『科学』で、存在しない炎を使って木の枝を燃やすのが『魔法』。それに、『科学』は『魔法』と違い、特別な力を必要としないから誰にでも使えるモノだしね」
 京也は、その説明で完璧とは言えずとも要点は押えていると判断し、《マナ》の反応を確かめる。
『では、京也。この世界の人々は、誰でも〈科学〉の力を用いて、〈魔法〉の如く《理》を動かせるという事ですか?』
 《マナ》は、それこそ不思議だと言わんばかりに驚き尋ねた。
 その質問の答えは、単純に考えれば『イエス』であり、複雑に考えれば『ノー』である。
「『科学』によって生み出された物は、その仕組さえ理解すれば余程に複雑なモノでない限り誰でも使う事が出来るよ。でも、その仕組を理解していても、それを造り出すのには特別な知識とか技術を必要とするから、誰にでも出来るわけでもないのかな」
『それならば、貴方の言う〈科学〉も、私の知る《魔導》もそう大差は無いモノです。そのどちらも、単純な知識のみで用いられるモノではないのですから』
 京也の言葉から多くを理解し応える《マナ》の言葉には、京也が考えている以上に深い意味が込められていた。
『京也、貴方は、《魔導》を特別な資質を持つ者のみに許された力のように考えているみたいですが、それは少し違います。生まれた世界に違いがあれども、人間は、誰でも《魔導》を操る為の資質を有しているものです。唯、それを純粋な力として発動させるのに必要な素養を欠いているだけであり、それは、天賦の才能や或いは日々の研鑽によって定められるモノなのです』
「《魔導》が誰にでも操れる可能性のある力なら、俺も努力すれば『魔法』が使えるようになるのか?」
 真理に触れる存在である《神》の知識を以って語られた《マナ》の言葉に、京也は、自分でも馬鹿げていると思うその問いを口にした。
『この世界のように魔導的力量が乏しい環境を条件から除けば、その可能性が無いとは思いません。しかし、貴方にはそれを求める意味が無いのではありませんか?』
 《マナ》は、京也の魔導的才能の有無よりも、それを求める必要性の有無について口にした。
 それに対し京也は、彼女が口にした言葉の意味が分からず困惑する。
 京也の困惑を表情から察した《マナ》は、その瞳に穏やかな感情を宿して微かに微笑むと、再び言葉を紡ぐ。
『京也、貴方からは、魔導的素養など必要としない程に特別な力の存在を感じます。そう、それは私達《神》と呼ばれる存在の根底にあるモノにも似た純然たる力。私を呪縛から解き放ち、彼の邪神を退けたその意志こそが、貴方が持つ力の顕れだと私は思います』
 そう語る《マナ》の瞳には、京也に対する羨望にも似た熱が篭もっていた。
 それを真直ぐに受け止めた京也は、向けられた想いの意味を知る前に、気恥ずかしさからその視線を逸らしてしまった。
『・・・京也?どうかしましたか・・・?』
 《マナ》は、京也が見せた反応を不思議に思って問い掛ける。
「いや、何でも無いよ。それより、腹ペコだから料理の続きしてくる」
 自分の内心に芽生えた感情を茶目っ気混じりの言葉で誤魔化し、京也は、台所へと逃げ込んだ。

「お待たせ、《マナ》」
 台所から戻った京也は、そんな一言を添えて、備えられたテーブルに、料理の乗った盆を置いた。
「・・・《マナ》?」
 無反応な《マナ》の態度を訝った京也の視線が、彼女の心を魅了している『ソレ』へと向けられる。
 折しも液晶高画質テレビの画面に映し出されていたのは、恋愛ドラマに於けるお約束の濃厚なキスシーンであった。
 それを認識した瞬間、京也の脳裏に危惧ともいえる予知が生じた。
 そして、『ソレ』は現実のモノとなる。
『ねえ、京也。あの二人は何をしているのですか?』
 《マナ》は、残酷なまでに純粋な眼差しを京也へと向け、その知識欲から生まれた疑問を口にした。
「(これが『濡れ場』でないだけ好運だったのだろうか・・・)」
 京也は、己が置かれたある種の危機的状況を前にして、ふとそんな思いを抱いた。
 だが、何にしろ、色恋に初心である京也にとって、それは正に過酷な試練でしかなかった。
「うっ、・・・」
 京也は、何と説明するべきか悩み、そして、その答えを口にする事への羞恥に赤面する。
 しかし、ここで嘘を吐く訳にもいかず、京也は、深く深呼吸するとその覚悟を決めた。
「《マナ》、あれはね、互いに愛し合う者同士が、その想いを確かめ合う為にする特別な儀式の様なモノだよ。うん」
 京也は、我ながら美しく飾り過ぎた説明だと思うが、それでも今の自分に出来る精一杯の成果だと自ら納得する。
 そして、自分は人間として、一つの大きな試練に打ち克ったのだと自負した。
 だが、《マナ》の無垢なる魂は、京也に更なる試練を与える。
『互いを想う心を確かめる為の儀式ですか・・・。それはとても素晴しい行為ですね。京也、貴方は、私の事を気高い魂を持つ存在であると褒めてくれました。それは私の魂を愛するに値すると認めてくれたという事ですよね。私も貴方の魂とそこに宿る意志に敬愛の想いを抱いています。それならば、私達もより強い絆を結ぶ為に、その儀式を行うべきなのではありませんか?』
 そう熱っぽく語る《マナ》の言葉を、京也は、熱病に浮かされる様な思いで聴いていた。
 そこに込められた想いが真摯であるが故に、京也にとって、その言葉は重い意味を持ち、真剣な想いで応えなくてはならなかった。
 今度は先刻のように、飾った言葉で誤魔化すわけにはいかない。
 京也は、その事を自らの心に諭し、ひたむきに自分が今どうするべきなのかを考える。
「(《マナ》の真摯な想いを真直ぐに受け容れる事が出来なくて、如何して彼女と対等の立場に在るパートナーと言えるんだ。そう、これは俺達がこの先も共に戦う為の強い絆を結ぶのに必要な儀式なんだ)」
 応えは最初から出ていた。
 様々な邪念を紛う事無き想いで打ち払い、京也は、その応えを示す為の行動に出る。
「《マナ》、瞳を閉じてくれ」
 京也の真直ぐな眼差しと共に向けられたその求めの言葉に従い、《マナ》は、ゆっくりと瞳を閉じる。
 京也は、《マナ》の肩にそっと手を掛けると、僅かに込めた力でその身体を自分の方へと引き寄せた。
 そして、自らの身体をゆっくりと《マナ》の方へと近付けて行った京也は、互いの鼻先が触れようとするまでに接近したタイミングで瞳を閉じる。
 一寸にも足らない距離にまで近付いた互いの唇がいよいよ触れようとした瞬間、それを邪魔するように静寂の中、微かに妙な金属音がしたように京也は感じた。
 僅かながら驚くように瞳を開けて周囲の気配を探った京也は、変わらず静寂が支配する空間にそれを家鳴りか幻聴であったのかと疑う。
 瞳を閉じたままじっと待つ《マナ》を前にして、京也は、本来の為すべき事に意識を集中させる為、再びその瞳を閉じた。
 そして、今度こそ本当に両者の唇が重なり合わんとした時、『それ』は起こった。
「京也!元気だった・・・か・・・?」
 突如として開かれた部屋のドアから現れた一人の青年、その青年は、目の当たりにした光景に面食らいながらも、何とか最後まで挨拶の言葉を言い切った。
 そして、同じ様に突然の出来事に面食らっていた京也の口から言葉が洩れる。
「た、環・・・?」
 それが良く知る相手でありながらも、激しい混乱が京也の言葉を半ば疑問系にした。
「悪い、邪魔したな。出直す!」
 『環』と呼ばれた青年は、妙に爽やかな笑顔でそう告げると、素早い身のこなしで背中を向けて、そのまま後ろ手に部屋のドアを閉めた。
「・・・」
 完全に凍り付いた静寂の中、京也は、呆然とした無言の視線で、青年が消えたドアを見詰める。
 その数秒後、不意に部屋のドアが再び開かれた。
「十五分位で良いか?」
「えっ・・・?」
 再びの闖入者となった青年が、意地の悪そうな笑みを浮かべて問うその言葉の意味が分からず、京也は、疑問の声を返す。
「じゃあ、三十分か一時間位?それとも、やはり気を利かせて一晩か?」
 更に青年が口にした言葉を聞いて、京也は、やっとその意味を理解した。
「環!」
 先刻と同じ様に青年の名前を呼ぶ京也、しかし、そこにはからかわれた事に対する怒りが込められていた。
「冗談だ、京也。そう真剣になるな」
 相も変わらず意地悪な笑みを浮かべたまま、そう告げて青年は首を竦める。
 恥かしい場面を見られて真っ赤になる京也と、愉快そうに笑う環との間に挟まれた《マナ》は、状況を今一つ理解出来ずに両者を交互に見回していた。
「まあ、冗談はさて置き、いきなり現れて驚かせてやろうと思ったんだが、逆にこちらの方が驚かされてしまったな」
「十分、驚かされましたよ」
 表情だけは正しながら尚も目で笑っている環の言葉に、京也は、羞恥と怒りの入り混じった視線で、恨みがましく突っ込み返す。
「そうか、それは本当に悪かった。それと特別、何事も起きていないみたいだし、どうやら俺の取り越し苦労だったみたいだな」
 今度こそ本当に真剣な眼差しになって、環は、京也へと意味深な安堵の言葉を掛けた。
「取り越し苦労って、どういう意味?」
 環の視線と言葉の意味を測り兼ね、京也は、訝るように尋ねる。
「否何、《カイザー》の残党が息を吹き返して、お前達の一族に対し不穏な企てを計っているという情報を耳にしてな。それで念の為に、一番に狙われる危険の在るお前の無事を確かめに来たんだが、それも杞憂に過ぎなかったみたいで安心したよ」
「ああ、それなら本当に襲われたけれど」
 環の心配と安堵を他所に、京也は、事無げに《カイザー》の襲撃を受けた事実を口にした。
 それを聞いた環の表情が驚きで一変する。
「本当なのか!それで怪我とかしてないのか?」
 その反応だけで、環が京也の事を大切に思っていることは一目瞭然であった。
「完全に無傷という訳では無いけれど、大した怪我はしてないよ。それも全て、そこに居る《マナ》のお陰かな」
 京也は、そう環の尋ねに応えると、改めて傍らに在る守護闘神へと感謝の視線を向ける。
 それ故に、京也は、環が《マナ》の姿を見詰めて、別の意味で驚いている事には気が付かなかった。
「科学者である環には、信じられないかもしれないけれど,そこにいる《マナ・フィースマーテ》は、異世界の地に於いて《神》と呼ばれる存在なんだ。そして、俺は、封印されていた彼女を呪縛から解き放ち、《魂の契約》によってその守護を受ける身となった。彼女との邂逅によって、その戦女神としての力に助けられたからこそ、《カイザー》の襲撃を退ける事が出来たんだよ」
『初めまして、《マナ・フィースマーテ》です。永き封印の呪縛により、この身は戦女神としての力の多くを失っておりますが、守護闘神として残された力の全てを以って、京也を護る為に戦う覚悟はしております』
 京也の紹介の言葉に続く形で、《マナ》が挨拶として名乗る。
「私は、蒼麻環。生物の派生や根源を研究する特殊遺伝学に携わる学者で、京也とは歳の離れた友達みたいな関係の者だ。以後、宜しくお見知り置きを、美しき戦女神殿」
 環は、返礼の挨拶として《マナ》に対し自分も名乗ると、少し悪戯っぽく微笑んだ。
 そして、その笑んだ眼差しを京也へと移し、更に言葉を続ける。
「言っておくが京也、『科学者』だから《神》と呼ばれる存在を否定するという考えは偏見だぞ。他の学者達がどう考えているかは知らないが、私個人に於いては《神》の存在を肯定している。それこそ私の研究は、《神》の御手ともいえる領域を解明し、それによる理論の構成と実践の完成を目的とするモノだからな」
 環は、そう自らの研究の一端を興に乗った熱い想いで語り示した。
「でも、以前、この世界に《神》は存在しないって言ってなかった?」
「ああ、確かにそう言ったな。しかし、それはこの世界とは異なる地にこそ真なる《神》の存在があると言いたかったんだ」
 そう応える環の眼差しは真剣なモノであった。
「じゃあ、環は、《マナ》が《神》と呼ばれる存在である事を信じてくれるんだ」
「勿論、信じるさ。寧ろ彼女を私達と同じ人間だと言う事の方が無理だな」
 環は、やはり真剣以外の何者でもない眼差しでそう応える。
 しかし、京也にしてみると、そこ迄あっさりとした態度で受け入れられると、逆に疑わしく思えるモノであった。
「環には、《マナ》が人間とは違う特別な存在で在ることが見ただけで分かるの?」
「『美を知って、醜を知る』という言葉があるように、《魔》を知って《神》を知るという事も有り得るモノだ。故に、本物の《魔》と呼ばれる存在を知る身ならば、本物の《神》と呼ばれる存在を知る事が出来る訳だ。まあ、正確な事を言うならば、私自身が《魔》と呼ばれる存在を知っている訳では無いのだがな。要するに、私の血族も又、お前の一族と同様に人外の者達と関わりが深いという事だ」
 そう淡々とした口調で語る環だったが、その言葉の奥底にはそれ以上の事を尋ねるのを躊躇わせるモノが存在していた。
「まあ、何はともあれ、お前はこの先の戦いに於ける心強い味方を既に得ている訳だし、これで私も一先ずは安心して良い訳だ」
 環の口から続けて語られたその言葉は、安堵と共に先刻の《カイザー》の襲撃が京也の戦いの序章でしかないという事を示唆していた。
 そして、その事は京也自身が最も良く理解していた。
「あのファーロという男と《カイザー》が存在する限り、戦いは何時迄も終わらないという事か・・・」
「或いは、京也、お前が力尽きる迄はだな」
 京也は、環の口から語られたその不吉な言葉を聞き、それを彼が敢えて口にしたモノであると理解しながらも、少なからず驚かずにはいられなかった。
 そして、それは京也の守護闘神たる《マナ》にしてみても同じで、感情を抑えながらもその表情を険しくする。
「二人ともそんな顔をするな。京也が容易く敵に屈するような漢ではない事は、私も良く知っている。だが、敵の持つ力の強大さを考えれば、今のままでは危うい事も又、紛れも無い事実だ」
『京也には、私がついています。敵が如何に強くとも、守護闘神して私が必ず護ってみせます』
 《マナ》は、環の更なる不吉な言葉を咎めるように、誓いと想いの証であるその言葉を口にした。
「《マナ・フィースマーテ》、確かに君は、強い力を持つ戦女神なのかもしれない。しかし、君のその力を以ってしても、今の京也を《流血の邪神》の力を得たあのファーロという男から護り抜く事は困難な筈だ。そう、今の京也では・・・」
 環は、まるで子供を諭す親の如く、優しい眼差しを《マナ》に向けて、自分の内にある確信ともいえるモノが示す言葉を紡いだ。
「それは、今の俺にこそ問題が在るという事なのか・・・?」
 京也は、環が今の自分に対し、不安にも似たモノを抱いている事を感じ取ると、それに自らも妙な怯えを覚えて応える声を微かに震わせていた。
「はっきりと言ってしまえば、そういう事になるな。そして、本当はお前自身が既にその事に気が付いているんじゃないのか、京也?」
 更なる形で向けられた環の真直ぐな問い掛けが、京也の心に深く突き刺さる。
 それは、環の言葉が紛れも無き真実を指し示していたから。
 京也は、じっと環の瞳を見詰めたまま、沈黙するしかなかった。
 無言のままで重ね合わされたその視線を先に逸らしたのは、意外にも京也ではなく環の方であった。
 正確には、視線を逸らしたのでは無く、環は、真直ぐに京也へと向けていた眼差しを笑みで細めたのである。
「京也、私にとってお前は何にも替え難い大切な存在だ。だからこそ私は、お前に本当の意味で強くなって欲しいと思っている。それは他の誰よりも純粋な心を持つお前に、身勝手な我儘を押し付けているだけかもしれない。しかし、それでも私は望まずにはいられないんだ。お前が誰にも、そして何にも屈しない程に強くなる事を」
 環は、その言葉以上に切実な想いが滲むその瞳の輝きを細めた眼差しの奥に隠し、唯穏やかに、そして優しく微笑んでいた。
「・・・俺は、本当に貴方が望むように強くなれるのか・・・」
「ああ、私は信じている。お前が誰よりも強くなる事を。そして、今のお前をその強さへと導ける存在が在るとすれば、それは残念ながら私ではなく『彼』だろう」
 京也の惑う想いに対し、環は、そう確かな応えを返すと、本の少しだけ淋しそうに笑った。
 京也は、環が言わんとする存在が誰であるかを敢えて尋ねる迄も無く分かっていた。
 その存在だけが唯一、武に生きる者として、今の自分に真なる強さの意味を示せる相手だと知っているから。
「分かったよ、環。明日になったら、あの人の許を訪ねに行って来る。父さん、否、《神武流》最強の剣士である神崎征也の許へ」
 子として知る父の姿を思えば、多少は複雑な思いもあるが、剣士としては師である榊も認めるその存在の名を口にして、京也は、真の意味で強くなる為の第一歩を踏み出す決意を固めた。
 環は、その示された決意の応えに満足し、笑って頷くと徐に口を開いた。
「さてと、これ以上の長居は無用だな。では、私はこれで失礼するよ。京也、お前は征也さんとの和合を果たす事で、今とは異なる形の更なる戦いの力を手にする筈だ。その為にも、素直な気持ちを大切にするんだぞ」
 予言と呼ぶには確信的過ぎる言葉を残し、環は、京也と《マナ》に背を向けて立ち去ろうとする。
 その背中に、少し慌てた様子で京也が声を掛けた。
「ありがとう、環。でも、又直ぐに会えるんだろう?」
 そこには少なからぬ期待の思いが込められていた。
「ああ、勿論だ。お前を真の強さへと導く役目は大人しく征也さんに譲るが、お前を護り助ける役目までも譲る積もりは無いからな。だから、私はこれからその為に必要となる力を手に入れに行って来る」
 京也の言葉を背に受けた環は、軽く振り返ってそう応える。
 そして、最後にもう少しだけ短い言葉を付け加えた。
「それを果たしたら、直ぐに戻って来る。嘗ての約束と《契約》を守る為にな・・・」
 京也は、環が口にした言葉の最後までを聴き取る事が出来なかったが、それでも必ず戻って来るというその約束の言葉だけで十分だった。
「本当にありがとう、環」
 多くの意味を込めて京也は、去って行く環の背中に向けてもう一度感謝の言葉を告げる。
 それに軽く手を上げて応える環の姿が、閉じる扉の外に消えて行った後も、京也は暫くの間それをじっと見送り続けた。

 環が去った後、京也と《マナ》は、少し冷めてしまったとはいえ美味しい事には代わりのない食事を十分に楽しむ。
 幸か不幸か、先刻の恋愛ドラマの放映は既に終わっていた。
 食事の団欒を終え、《マナ》の為の寝所を用意した京也は、彼女へと簡単な就寝の挨拶を告げ、寝室のベッドに潜り込む。
 そして、今日一日に起きた様々な出来事と明日一日に起こるであろう様々な出来事を思い興奮する心を胸に、京也は眠る為その瞳を静かに閉じた。

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