21世紀末、最高の文明を誇る世界。 その文明社会の陰の礎となり、人知れず世界の闇に存在する異形、《魔》と呼ばれる存在と戦い続けてきた来た者達がいた。 卓越した戦闘技能を以って《魔》と戦い退ける者、《退魔師》と呼ばれる彼等を纏め上げる一族に生まれ、その長たる総帥となる宿命を背負った少年、華神京也。 しかし、京也は、その宿命に縛られる事を厭い、未だ自らの責務を果す覚悟を持てずにいた。 そんな、京也に対し、彼の武道の師である榊和泉を始めとする一族一党の者達の多くは理解を示し、その支えとなる事を望んでいた。 自らの宿命を受け入れられず、そして、その責務の重さに心惑う京也の心には、嘗て、突然の別離をもって失った存在への愛憎が大きな陰として今も残っていた。 自らの存在に課せられた宿命に惑う京也を嘲笑うが如く、彼の前に一族と因縁の深き宿敵、世界に混乱を齎す存在たる秘密結社の刺客が現れる。 その存在が操る《流血の邪神》の力に苦しむ京也の想いが、永き封印にその身を縛られし特異の存在《戦女神・マナ・フィースマーテ》を解き放つ。 その邂逅こそが、京也と《マナ》の運命の物語の始まりであった。

2007年12月1日土曜日

第七話・意志

 高野町と南方に隣接する町々を分かつ境界となる地脈の端、そのなだらかな丘陵の頂きに京也にとって実家となる神崎邸は存在していた。
 京也は、《神武流》の道場屋敷でもある神埼邸へと通じる石階段の前で立ち止まると、心中に在る複雑な思いを込めた眼差しで石段の先を見詰める。
「やはり、長い間訪れていないと生まれ育った実の家と雖も、妙に足を踏み入れ難いモノだな・・・」
 躊躇している自分の心を自嘲するかの様に呟いた京也は、もう一度苦笑を浮かべて石段の先を仰いだ。
 だが、何時までもこの場所に留まっている訳にはいかない事は分かっているので、覚悟を決めると石段の先へと第一歩を踏み出す。
 石階段を上り切った先に在る正門の厳格なる造りを目の当たりにすると、京也は、見慣れている筈のその姿に威圧感を覚えた。
 そして、京也の後ろに続く形で石階段を上って来た《マナ》も又、想像以上の様相をした見事な造りの門構えに、驚嘆の表情を浮かべていた。
「こうして改めて見てみると、ここが我が一門の総本山と呼ぶに相応しい場所なんだと実感させられるよ」
 その隠し難き思いを口にする京也だったが、既に覚悟は決めていると言わんばかりに、今度は躊躇う事無く門の内へと足を踏み入れた。
 その京也の姿に促され、《マナ》も歩みを進めて後に続く。
 京也とその後に続く《マナ》の二人を真っ先に見つけて出迎えたのは、他でも無い神埼邸の主にして《神武流》の頂点に立つ総司武である京也の父、神崎征也自身であった。
 その神埼征也という人物は、京也と並べば兄弟と見る者もいるだろう程に若々しい生命力に満ちており、それでいて実際の年齢以上に落ち着いた雰囲気を持つ好漢であった。
 彼を一言で表すには、『温和』という言葉が最も似つかわしかった。
 その容姿を一見した限りでは、京也とは余り似ていないが、良く見ると何処かしら血縁を感じさせる部分が在り、何よりもその身に纏う穏やかな雰囲気がとても良く似ていた。
「遅かったな、京也。お前が惑う気持ちも分からんでもないが、今の自分にとって何が大切であり、必要であるかだけには迷うな」
 征也が口にしたそれは厳しい響きのある言葉であったが、その内に込められた想いは何処までも温かく柔らかいモノであった。
 そして、その言葉は、まるで京也が自分を訪ねて来た理由の全てを理解している様にすら感じられた。
「父さん、貴方にとって全ては既にお見通しという事なのですか?」
 征也に対する京也の言葉は、自らの修める武の教えを統べる者への畏敬の故に、他人行儀とも取れる程に丁寧であった。
 しかし、その言葉には両者の間に在る隔たりを思わせる僅かな棘の存在が含まれていた。
「全ては『運命』の定める処と言う事だ。否寧ろ、宿命と呼ぶべきなのかもしれないな。これはお前や私を含めた『彼』と『彼等』に深い縁を持つ者達全てが背負う宿命と宿業の因果だろう」
 何処か咎める様な京也の言葉にも全くその表情を変える事無く、征也は応えとなる言葉を返した。
「京也、お前自身も又、それを理解し受け入れたからこそ、今こうして私の前に現れたのではないのか?」
 征也は、更に重ねた言葉と眼差しを以って、京也が心に宿す意志の在り様を探る。
「父さん、否、総司武。俺は確かに強くなる為の力を求めてここに遣って来ました。しかし、それは一族の宿命に臨む為ではありません。それ以上に大切なモノを見付けたから、それを護りたいからこそ俺は力を、強さを求めるのです」
 京也は、父たる存在にではなく、自らの知る最強の武人に対する言葉として、その心に在る純粋な意志を語り示した。
「そうか。京也、お前は『彼女』との約束以上に大切なモノを見付けたのだな。ならば、父親としてお前を支えてやれなかった償いは、同じ武の信奉者たる身を以って、《神武流》の礎である力の意味を示す事でさせて貰おう」
 征也は、目の前に在る息子の人間としての成長を目の当たりにして、自らの不明を悟る。
 そして、大きく成長した京也に対する想いは征也の武人としての心を烈しく猛らせた。

 邸宅の奥にある道場に場所を移し、《マナ》が見守る中、京也と征也は互いの得物を手に対峙する。
 京也の手に在るのは最早使い慣れた長剣、征也の手にあるのは生涯の盟友の如き業物の太刀、二人は、正にその得物をして真剣勝負を行おうとしていた。
 互いに《神武流》の誇りを背負う者として身に纏った《神武皇龍衣》が、果し合う両者の戦いに彩りを加える。
「総司武、俺は大切なモノを見付けた今だからこそ、仮令、貴方が相手と雖も敗れる訳にはいかない。そして、剣士として剣を以って互いの意志をぶつける以上、最強にして最高の力を誇る貴方とこそ戦いたい。だから、如何なる理由が在ろうとも一切の手加減抜きで願います」
 京也は、自らの本気を示すと共に、神崎征也という強者にその本気を求めた。
「見損なうな、京也。私も又、自らの剣に誇りを捧げ、その剣を以って大切なモノを護る為に生きる存在。真の強者を相手に手加減する愚かさは持ち得ていない。それに、今のお前を相手にして手加減などしたら、交わす刃の一撃で倒されるのは私の方になるだろう」
 征也は、不敵に笑って返す眼差しに偽りの無き意志の光を宿して京也の求めに応える。
 その眼光の鋭さこそが、征也の内に在る紛う事無き本気の顕れであった。
 互いに正眼位に構えた両者は、己の得物たる刃にも劣らぬ眼光の鋭利さを以って、間合いの先に在る存在が持つ全てを探る。
 そして、その眼力という名の鋭刃を用いた戦いを己の物として、相手に先んじて動いたのは征也の方であった。
「はっ!」
 征也は、短くも鋭い裂帛の気合いを吐くと同時に京也との間合いを詰め、軽快にして絶妙な動きで繰り出す小手狙いの一撃を放つ。
 それは、正に『小手調べ』と呼ぶべき先手となる攻撃でありながら、油断無く相手を制するだけの鋭さを持っていた。
 京也は、それを一瞬にして見抜くと素早い足裁きで後ろに退く動きを示し、更には残したままの構えを活かして放つ横薙ぎの一撃で相手の攻撃の刃を打ち弾く。
 そして、退いた両足が床を掴み体重を受け止めると同時に、京也は、反撃となる上段斬りを繰り出した。
 それを見て取った征也は、一瞬だけ驚きと歓喜の笑みを浮かべると、崩れかけた姿勢のままで得物の刃を地に下げて柄の頭で受け止める。
 踏ん張り、辛うじて床に膝が着き完全に体勢が崩れるのを防いだ征也は、更なる反撃が困難だと判断すると、巧みに反した太刀の刃で受け止めていた京也の長剣の刃を受け止め直した。
「こちらの攻撃を唯避けるのではなく、自らも攻撃を繰り出して二の手を完全に封じ込めるとは、中々遣るな、京也」
「それを活かして繰り出したあの一撃を、ああ易々と防がれては、流石という言葉しかありません」
 鍔迫り合い力比べをしながら、京也と征也は互いに相手の技量を賞賛した。
「(今日までに培ってきたモノの差を考えれば、このまま力比べを続けるのは危険か・・・)」
 京也は、自分と征也との間に在る経験の差を計り知ると、相手の得物が曲刃の太刀という鍔迫り合いに有利な形状をしている事を踏まえて、半ば強引な力押しで征也を押し返し自らも背後に退く。
 両者は、再び間合いを取って互いに睨み合う。
 その膠着状態に固唾を呑んで見守る形となっていた《マナ》は、道場に近付く存在の気配に気付く。
「やはり、ここに居たのね」
 道場に入って来たその女性は京也達の姿を見付けて、やや苦笑混じりに呟いた。
 それから、《マナ》の存在に気が付くと少し驚いた様な表情を浮かべるが、直ぐに穏やかな表情になる。
「こんにちは、私は京也の母親で万理亜と言います」
『始めまして、私は《マナ・フィースマーテ》です』
 ややおっとりとした雰囲気で挨拶する京也の母に、《マナ》は、自分の存在と京也との関係をどう説明すれば良いのか考えあぐねて名前だけ名乗った。
 万理亜は、《マナ》が居る所まで遣ってくると、その隣にちょこんと座る。
「征也さん、頑張れー!」
 突然ともいえる万理亜の声援に、それを受ける征也が不敵な笑みで応える。
 それに対し、京也は、一瞬やや複雑な苦笑を浮かべた。
「《マナ》さんは、この勝負、どっちが勝つと思う?」
 万理亜は、声援と共に振っていた手を止めると、《マナ》へと視線を移し、対峙する両者の勝負の行方を問う。
「勿論、私は、征也さんが勝つと思っているわ」
 《マナ》が答えるのに先んじてそう口にする万理亜の瞳には、その言葉通りに征也の勝利を信じて疑わない色が満ちていた。
『私は、京也が負けるとは思っていません』
 戦女神である《マナ》から見ても、征也の実力が並々ならないモノである事は確かだったが、それでも京也が負けるとは思えなかった。
 だから、《マナ》が万理亜へと答えた言葉は、純粋に両者の戦いが互角である事を指し示していた。
 そして、正直を言って《マナ》には、目の前に在る戦いの勝敗に対する明確な答えが見付かっていなかった。
 だが、万理亜が征也の勝利を信じる様に、《マナ》も京也の勝利を信じ願っていた。
 そんな《マナ》と万理亜の眼差しの先では、京也と征也が互いに攻撃の機会を狙う睨み合いの対峙が今も続いていた。
「良い面構えをするようになったな、京也」
 まるで挑発するようなその言葉に反し、征也が京也へと向けた眼差しは、僅かに穏やかな色を帯びる。
 そして、その眼差しの穏やかさは、何かを懐かしむかの様な色へと変わった。
「京也、《神武流》の教えに、お前が始めて触れた日の事を覚えているか?」
 京也へと向けた対峙の闘志を崩さぬまま、征也は、独白の様な口調でそう尋ね、嘗ての記憶に思いを馳せる。
「私は、武の道に身を置く者としての心構えを教える為に、未だ幼さを残していたお前にこの太刀を握らせ、真剣に対する怖れを以って戒め諭そうとした。しかし、お前は自らの手に握った真剣に怖じる事無く、唯、純粋にその存在を受け入れていた。真剣が持つ諸刃の性を怖れず且つ驕る訳でも無いお前の姿を前にして、私は正直、お前が持つ剣士としての秀でた資質に嫉妬と羨望を抱かずには居られなかった。お前が天性に持つ才能は、私が目指し積み重ねた修練によって至った武人としての高みを越え、その先へと至れる程のモノだ。他者が私の武人としての才を評した『天才』という言葉は、お前にこそ相応しいと思う。だからこそ、一人の武人としてお前と力を競う日が来る事を心待ちにしていた。《鬼斬りの刃》と讃えられた己の技を尽くし、自らの誇りに恥じぬ決着を着けさせて貰おう」
 過去の思い出を懐かしみ、そして、今日まで抱き続けてきたその想いを語った征也の瞳には、武に生き武に死する宿命を求めた者としての烈しい闘志が燃え宿っていた。
 征也が内に宿した想いを知り、京也は、本当の意味で神崎征也という存在を理解する。
 それは、子としてでは無く、同じ武人としての理解であった。
「総司武、俺は親子という関係に甘えて、今日まで貴方という存在を真直ぐな眼差しで見る事が出来なかった自分の不明を今、思い知らされました。やはり、貴方は武人として誰よりも偉大な存在です。俺は、貴方に認められ、こうして刃を交える事が出来た事を誇りに思います。だから、その誇りに懸けて、今ここで貴方を越えてみせる!」
 そう征也の想いに応える京也の眼差しは静かに澄み、しかし、内に宿した意志は蒼き炎の如く烈しかった。
 京也の心に《神武流》最強の存在に対する畏れは今や微塵も無く、在るのは自らが持つモノの全てを尽くして尚余りある相手と戦える事への高揚のみであった。
 最早、両者の間にそれ以上の言葉は無用であり、そして、語るべきは自らの振るう刃に宿した意志という言葉を以ってであった。
 そして両者は、自らの有利を求めての探り合いを愚として、その意志の力を以って勝機を掴み取る為にそれぞれが動く。
 互いの間にあった間合いが一気に詰められ、その勢いに乗せた渾身の一撃が両者から放たれる。
 豪快にして強烈なその一撃は、両者の眼前で烈しくぶつかり合い、火花を散らして周囲の空気を震わせた。
 正に互角の力でぶつかり合った両者は、その攻撃の威力を相殺されて一瞬、その動きを止める。
 互いに睨み合う形で静止した体勢から、次の攻撃への移行に先んじたのは、征也の方であった。
 征也は、太刀の反りを活かして素早く身体を回転させると、その動きの勢いに乗せた横薙ぎの一撃を京也の脇腹目掛けて放つ。
「っ!」
 京也は、攻撃の為に踏み込んでいた足を踏ん張ると、略、反射的に身体を回らせて繰り出した一振りで、征也の攻撃を弾き返した。
「はっ!」
 征也は、自分の攻撃を防いだ京也の反射神経に、一瞬、驚きながらも直ぐに握った太刀を構え直し、鋭い気合いと共に更なる攻撃を繰り出す。
 その征也の攻撃は、流水の如くしなやかにして、瀑布の如く力強い熾烈な連斬の刃を誇る彼の真骨頂を示していた。
 それは、征也が《鬼斬りの刃》と呼ばれる異名の真髄を以って、《鬼寄せ》の宿命を背負った万理亜を護る為に、数多の異形達を斬り伏せた嘗ての伝説的戦いを彷彿させる神技であった。
 自らの真髄たるその技に武人としての魂を高揚させる征也が繰り出す連続攻撃は、更にその技の鋭さを増して行く。
 しかし、自らの身を置く戦いの中で、その魂を奮わせ高揚を覚えていたのは京也も又、同じであった。
 それを示すかの様に京也は、一部の油断も無く繰り出される征也の連斬の刃を、構えた長剣の刀身で一振り、又一振りと確実に受け防いでいた。
 攻める征也と守る京也、両者のぶつかり合いは、まるで剣による舞いを踊っているかの如き美しさを醸し出していた。
「(これが《神武流》が誇る最高の技を極めた者の姿か・・・)」
 京也は、征也が示すその神技に強い驚嘆と心酔の感を抱く。
 そして、それでも尚、その感情に自らが死闘の内に在る事への怖れを抱いていないことを知り、京也は、自分という存在の異質を思う。
「(《鬼斬りの刃》と呼ばれる『神崎征也』という人間が、その魂に宿すモノが《鬼》であるならば、『華神京也』という人間がこの魂に宿すモノとは一体如何なるモノなのだろうか・・・?)」
 京也は、自らの心にその『異質』の正体を問う。
 だが、その答えが見つかる事は無く、唯、在るのは自らの魂に宿る戦いへの純然たる想いだけであった。
「(そう、それだけが俺の全てだった)」
 その想いに、京也は、酷く懐かしいモノを覚える。
 しかし、それと同時に、そこには確かな悲哀が存在していた。
 その深い悲しみの想いは、京也という存在の魂に刻み込まれて消えない傷痕であった。
「(俺は、何故、戦う。何の為に、戦う。俺が護りたいモノは何だ)」
 魂に残る傷痕の記憶が、京也の心に『痛み』を与える。
 その『痛み』は、京也に自分が何者であるのかの『理由』を求めていた。
「(俺は、唯、大切なモノを護りたいだけだ!)」
 答えにならない答え、それでも京也は、そこに求めるモノが何であるのかを確かに見出す。
 そして、京也は、自分にとって今一番に大切な護りたい存在が誰であるのかを思い出した。
「(俺は、『彼女』の前で敗れる訳にはいかない!)」
 その力を求める理由をもって、京也は、反撃の第一歩を踏み出す。
 相手に隙が生じるのを待つのでは無く、自ら相手の隙を生み出す為に、京也は、正に決死ともいえる反撃の一撃を、征也へと放った。
 京也が繰り出した強烈な振り上げの一振りは、渾身の力を以って振り下ろされる征也の太刀を見事に弾き返す。
 そして、更に中空で返した刃を以って、京也は、勝負を決する一撃を放った。
「これで終わりだ!」
 京也は、会心の想いを込めた気合いの言葉と共に、最後の一撃を放つ。
 万全の体制で放たれる京也の攻撃を前に、征也は、崩された体勢を立て直す暇も無く、自らの得物である太刀を手放した。
「(貰った!)」
 自らの勝利を確信する京也の眼差しの先に、未だ快心の笑みを保つ征也の姿が在った。
 それを訝る京也だったが、振り放つ攻撃の冴えを失う事は無かった。
「はっ!」
 征也は、放つその短い気合いの息の流れよりも早く、自らの身体を回転させて襲撃を繰り出すと、それを京也が振り下ろす長剣の剣腹へとぶつける。
 そして、見事に京也の攻撃を弾き飛ばすと、更に畳み掛ける形で、隙の生じた京也の腕を取り床に投げ伏せた。
 《神武流》の奥義である《雷鬼》、その技の冴えは、以前に京也が用いたモノより尚、鋭かった。
「参りました」
 組み伏せられ完全に身動きを封じられた京也は、素直の自分の敗北を認める。
 その言葉を受けて、征也は、一瞬だけ勝利を誇る快心の笑みを浮かべると、直ぐに京也を技から解き放った。
「わーい、征也さんが勝ったー!」
 万理亜が発したその歓びの声が、その場に居た全員の緊張を一気に解きほぐす。
 そして、それに応えて笑顔を作った征也は、喜びはしゃぐ万理亜の許へと歩み寄り、その勝利を讃える彼女の抱擁を受け取った。
「万理亜、私の勝利を喜んでくれるのは嬉しいが、ここの手合せに勝ったのは、京也の方だよ」
 万理亜を優しく嗜める征也のその言葉に一番驚いたのは、他でも無く京也であった。
 『何故?』という疑問の眼差しを向ける京也。
 それに対し、征也は、抱き締めていた万理亜の身体を離して、驚くほどに真剣な表情を浮かべる。
「戦いに於ける禁忌を廃する事で自らの武を律する我等《神武流》の誉から考えれば、今の手合わせで勝ったのはこの私となる。しかし、剣士として純粋にその強さを計るのならば、勝負の最中に自らの得物を捨てた時点で私の負けと言うことだ」
 『戦いには勝ったが、勝負には負けた』という事実を、征也は、言っているのであった。
 それは、征也の武人としての誇り高さと、その器の大きさを示す高潔な態度であった。
「暫く見ない内に、本当に大きく成長したな、京也」
「ええ、本当に・・・。それは、ここに居る《マナ》さんのお陰かしら?」
 父親として、《神武流》の総司武として、京也の成長を認め喜ぶ征也の言葉に重ねる様にして告げられた万理亜の言葉には、僅かに意地悪な含みが込められていた。
「母さん、からかって遊ぶ相手は、父さんだけにしておいてください」
 京也は、歳に似合わない幼さを持つ万理亜の悪癖が出る前に、やんわりとした反撃を込めて嗜めた。
「でも、俺が成長したというのならば、確かに《マナ》の存在があればこそです」
 その事実を素直に認め口にする事で京也は、自分にとっての《マナ》という存在の大きさを再認識する。
 互いの抱く『痛み』を理解し、魂の絆を以って結ばれた存在、そして、何よりも大切で護りたい存在。
 京也は、師である榊が言った征也に在って自分に無い、その欠けたモノが何であったのかを知る。
 それは、誰かを護りたいという想いを意志に変えて戦う強さであった。
 嘗て、征也が万理亜を苦難の宿命から解き放つ為に戦った、その想いと意志の強さを知っていたからこそ、榊も環も征也なら自らの想いに惑う京也を導けると信じていたのである。
「(言葉では伝えられない想いを剣を以って伝える。自らの言葉に嘘を付けても、その剣には嘘を付けない剣士という存在への信頼。そして、伝えるべき想いを持つ者)」
 京也は、自分という存在を見守り続けて来てくれた人達の深い想いに感謝した。
「父さん、ありがとう」
 心に満ちる感謝の想いを込めて京也が呟いたその言葉に、征也は、全てを理解しているかの如く唯、穏やかに笑って応えた。
 そして、征也は、その笑顔を再び真剣なモノに戻して京也を見詰める。
「京也、お前の後見人たる者として尋ねるが、まだ一族の総帥の地位に就く積もりは無いのか?」
「・・・」
 征也の問い掛けは、京也にとって予想外なモノという訳では無かったが、それでも返す答えに窮するモノであった。
「そうか・・・。まだ、覚悟は決まって無いようだな」
 それは父親としての感情なのか、征也は、仕方が無いという感の苦笑を浮かべてそう呟いた。
 征也の求めに応えられない心苦しさに詰まる胸の想いを抑えて、京也は、何とかその口を開く。
「覚悟の以前に、俺は自分が一族を統べるに値する身だとは思えません。俺から見れば、父さん、貴方が代理等ではなく正式に総帥となるのが、一族の為にも一番好ましいと思います」
 《神武流》の総司武としてその実力は疑いなく、本来ならば総帥の地位に在る筈だった久川和維が最も信頼していた存在である征也ならば、一族の総帥の地位に就いても誰も異を唱える事は無いと京也は思う。
 そして、何よりも征也が自分の後見人として、総帥の務めを代行してくれているからこそ、一族が治まっている事を京也は良く理解していた。
「確かに、一族の者の中には、お前が総帥になる事に不安や不満を抱いている人間もいる。しかし、それは飽くまで一族の責務を理解していない一部の者達だけだ。それに、我々は血の繋がりを持つ唯の一族ではなく、果すべき使命の為に集った異能者達の集団だ。それを統べる存在として、お前以上に相応しい者は何処にもいない。勿論、私自身を含めてもだ」
 京也は、その征也の言葉を買い被りでしかないと思っていた。
「如何して、そんな事を言えるのですか?」
 それは、京也にとって、父である征也や師である榊が自分へと向ける信頼に対し、常々抱いていた疑問であった。
 そして、それに対する征也の答えは、正に京也自身が予想していた通りのモノであった。
「それは、お前が、久川和維から正式に後継者として認められた存在だからだ」
「唯それだけで、一族の命運を俺なんかに預けられるモノなんですか・・・?」
 京也の口から出たそれは、疑問というよりは自分自身に対する不信の念であった。
「ああ、そうだ」
 微塵の迷いも無く答えた征也の言葉に、京也は、驚かずには居られなかった。
「久川和維という人間は、それ程までに父さん達に信頼されながら何故、俺なんかを自分の後継者に選んだんですか?」
 京也は、それを征也に尋ねる事は、或る意味で愚問だと知りながらも、その疑問を口にする。
「私から見ても、和維はその多くに於いて特出した存在だったが、その中でも他者の本質とか、或いは資質というモノを見極める事に長けていた。その和維が生まれたばかりのお前を見て、自分が遠く及ばない資質を持った存在だと明言した時には、最初は冗談でも言っているのかと疑ったくらいだ。だが、それが本気で言っている言葉だと分かったのは、お前の名付け親を頼んだ際だ」
 征也は、今は亡き親友の事を懐かしむ笑みを浮かべ、その思い出でもある京也の由来を語り始めた。
「和維がお前の為に考えてくれた『京也』という名前の『京』という字は、神を奉った岡を中心に人々が集う場所である『みやこ』を指し、それを転じて『おおきい』という意味を持っている。そして、『京』の『みやこ』は『師』という字に通じ、これは『おさ』や『かしら』という他者を統べる者を指す意味と他者を導く程に優れた才能を持つ者という意味を指し示している。今思えば、和維は、自らの短命を知り、それを覚悟していたからこそ、自分に代わって一族を統べる存在になる者として、お前にその深い意味を持つ名前を与えたのかもしれないな」
 京也は、征也が語ったその言葉に、それまで久川和維という人間との間にあった距離が少し近付いた様に感じる。
 そんな京也の感情を読み取ったのか、征也の表情もより穏やかなモノになっていた。
「私や榊を始めとする和維の身近に居て、その早すぎる死を悼む者達は、誰もが彼の苦しみを癒せなかった己の非力さを恨み呪って来た。だからこそ、皆が彼の意思を受け継ぎ一族の総帥となる者として選ばれたお前を支える事で、果せなかった想いを果したいと望んでいるのだ」
「それなら何故、静音さんは、突然に俺の前から姿を消したのですか?」
 それは京也がずっと前から胸に抱き、その答えを求めて已まなかった疑問であった。
「それは多分、お前が余りにも和維に似すぎていたから、その姿を見守り続ける事が辛かったのだろう。和維を失って一番に傷付いたのは彼女だったからな。それに彼女には、如何しても護りたい、否、護らなくてはならない存在があった。だからだろう」
 答えて征也が語ったその理由を聞いて、京也は、複雑な感情の入り混じった眼差しを返す。
 それに促される様に征也は、更に言葉を続けた。
「あの時、彼女は和維の子を身篭っていて、それを一族の悪意在る者達から守る為に、失踪したのだと私は考えている」
 征也の口から語られたその考えは、実際に一族の人間が抱く思惑に煩わされて来た京也にとって、説得力の在るモノであった。
「正統な総帥となるべき存在を失い統制を欠いた一族の混乱に、幼い我が子を巻き込まない為に、誰にも頼る事無く一人で姿を消すなんて、本当に静音さんらしいですね」
 それは、京也の静音に対する純粋な想いを込めた賛辞であった。
「(静音さんは、久川和維という人間を誰よりも深く愛していたからこそ、持てる物の全てを捨てて、彼が遺した大切な存在の為に生きる事を選んだ。唯それだけの事だったんだ・・・)」
 京也は、そう自分の心の中で認める事で、静音という存在に対し抱いた思慕の想いが生んだその痛みを昇華する。
「京也、静音さんが自らの想いを貫けたのは、そこにお前という存在に対する信頼があったからだろう。そして、その信頼は、和維も又、同じ様に抱いていた筈。お前は、幼い頃から和維と静音さんに良く懐いていた。それは、お前が幼いながら、二人が、誰よりも自分を理解してくれる存在だと分かっていたからだろう」
 征也が語るその言葉に、京也は、自分が幼い頃に慕っていた存在が、静音とは別にもう一人居た事をおぼろげながらに思い出す。
 そして、それが久川和維である事は、その存在と静音が常に共に居た事実で全て明らかであった。
「俺は、和維さんと共に過ごした時間が在った事を今日まで忘れていたのか・・・」
 その大切な記憶を忘れて、和維の事を憎んでいた自分の身勝手さに京也は、自分の愚かさを呪う。
「お前も幼かったが故に、和維との死別とそれを悲しむ静音さんの姿に耐え切れなかったのだろう」
 京也の想いを察し、征也は、そう慰めるように言った。
 そして、その表情にある穏やかな笑みに相応しい落ち着いた口調で更なる言葉を重ねた。
「京也、和維は、お前を信じて一族の行く末を託した。そして、それは静音さんが望んだ事でも在る。今直ぐにと焦らせる積もりは無いが、しかし、そう遠くない将来には、二人の想いに応えて我等が一族、《Lord‐Knights》の総帥の務めを果たして欲しい」
 人知れず異形の存在達を狩る退魔師集団《Lord‐Knights》の総帥代行として、その務めを今日まで果たして来た征也のその言葉は、京也にとって他の誰の言葉よりも思い意味を持っていた。
 だからこそ、京也も今度こそは曖昧な意志を示して逃げる事はしなかった。
「父さん、俺はまだまだ未熟者で、一族の総帥の責務を果すには早すぎると思います。しかし、それに相応しい力を培い、何時かはその責務を果す覚悟は今日出来ました。だから、その時まで、今暫く俺に代わって一族の統率を願います」
 京也は、自分の事を信じそれを託した存在達と、自分を支える為に力を尽くしてくれている存在達の想いに応えるべく抱いた覚悟をしっかりと口にした。
「分かった、京也。もう少しだけ、一族の事はこの私が預かろう」
 征也は、京也の示した意志に満足の表情を浮かべて、その求めを承知する。
「ありがとう、父さん」
「何、礼には及ばない。これは、俺が和維に代わって出来る唯一の事だし、それにお前に対して、父親らしい事を殆んどしてやれなかったことへの罪滅ぼしだと思えば安いモノだ」
 感謝する京也に対し、そう応えて征也は苦笑した。
「俺こそ、今日まで詰まらない感情に拘って、父さん達には色々と面倒をかけました」
 京也は、他者と比べて余りにも仲睦まじ過ぎる両親に対し、子供として距離を取り過ぎていた事を反省する。
 それを聞いて、征也は浮かべていた苦笑を更に深めた。
「京也、私も万理亜も決してお前の事を蔑ろにしていた訳ではない。唯、お前という存在に如何やって接するべきか分からなかったのだ。だから、お前を本当に理解していた和維や静音さんの存在に甘えて、自分達の役目を疎かにしてしまった。それは今でも後悔している事だ」
「征也さんが今言った通り、私達は、貴方に親としてするべき接し方が出来なかった。でもね、京也。私も征也さんも貴方の事を大切に想っているのは本当よ。それだけは信じて」
 征也と万理亜の二人は、そう自分の胸の内に在った想いを口にして、京也をじっと見詰めた。
「俺も、変に大人しく構えずに、子供として二人に甘えておけば良かったのかもしれません。でも、俺は自分の気持ちに素直になれなかった。唯それだけの事なんでしょう」
 京也は、誰を責めるのでもなく、唯穏やかに笑って応えた。
『言葉にしなくても伝わる想いも在れば、言葉にしなくては伝わらない想いも在る。そういう事なのでしょうね』
 何時の間にか京也の傍らに寄り添う様に立っていた《マナ》が、そっと囁くように呟いたその言葉に、京也と征也の表情がはっとなる。
 それは、その言葉が嘗て、一つの悲劇を引き起こした人間が、掛け替えの無い仲間であった者達に遺したモノと同じであったからだった。
「そうだね、《マナ》。君の言う通りだ。想いはちゃんと伝えなくてはならない。それが大切な相手に対するモノであるならば、尚更に」
 京也は、そう自らに言い聞かせる様に呟き、そして、征也と万理亜を見詰めて再び言葉を紡ぐ。
「父さん、母さん、俺達は互いに唯、血の繋がりだけで成り立つ親子という関係ではいられなかった。そして、其々が其々の想いを以ってこれからも生きていかなくてはならない。だから、もうこれ以上、過去に捉われる事を忘れましょう。俺は、ここにいる《マナ》と共に、自分の宿命と戦う為に生きます。だから、父さん達も自分の為に生きる事を選んでください」
 それは決して『決別』では無く、進むべき先を見極めた者としての『決意』であった。
「分かった。私にとっての宿命とは、万理亜を護るという誓いを果す事。だから、それをこれから先も貫き通そう」
「征也さん・・・。ありがとう」
征也と万理亜の二人の間に在る絆の深さを理解した筈の京也だったが、その遣り取りを前にして、息子としての気恥ずかしさから自然と苦笑を洩らす。
 そんな京也の傍らでは、《マナ》が征也達に穏やかな笑顔と優しい眼差しを向けていた。

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