21世紀末、最高の文明を誇る世界。 その文明社会の陰の礎となり、人知れず世界の闇に存在する異形、《魔》と呼ばれる存在と戦い続けてきた来た者達がいた。 卓越した戦闘技能を以って《魔》と戦い退ける者、《退魔師》と呼ばれる彼等を纏め上げる一族に生まれ、その長たる総帥となる宿命を背負った少年、華神京也。 しかし、京也は、その宿命に縛られる事を厭い、未だ自らの責務を果す覚悟を持てずにいた。 そんな、京也に対し、彼の武道の師である榊和泉を始めとする一族一党の者達の多くは理解を示し、その支えとなる事を望んでいた。 自らの宿命を受け入れられず、そして、その責務の重さに心惑う京也の心には、嘗て、突然の別離をもって失った存在への愛憎が大きな陰として今も残っていた。 自らの存在に課せられた宿命に惑う京也を嘲笑うが如く、彼の前に一族と因縁の深き宿敵、世界に混乱を齎す存在たる秘密結社の刺客が現れる。 その存在が操る《流血の邪神》の力に苦しむ京也の想いが、永き封印にその身を縛られし特異の存在《戦女神・マナ・フィースマーテ》を解き放つ。 その邂逅こそが、京也と《マナ》の運命の物語の始まりであった。

2007年12月23日日曜日

アルカナ・レジェンド‐始動編・叙‐

それは、啼きしきる蝉の声が眠りを邪魔するひどく暑かった真夏の記憶。
汗となって身体から抜け落ちていった水分を求めて、オアシスたる冷蔵庫に顔を突っ込んだオレは、そこにある現実に落胆と虚しさを覚える。
「あーあー、このまだクソ熱い中、水分を求めてさすらい人ですか・・・」
いくらそんな悪態を付いても、空っぽの冷蔵庫から求めるモノが沸いて出ることがないとわかっている以上、ここは諦めて外に買出しに行くしかなかった。
「ふー、相も変わらず外は暑いねぇー」
そんな軽口を叩ける程度の余裕が出来たのは、買出しに入った店の冷房のお陰というべきなのだろうか。
目的の飲み物を見繕い、ついでに、オツマミをいくつか買い込んだオレは、先刻までの不機嫌はどこへやら、多少の浮かれ気味で店を出る。
そんな調子が災いして、オレは、店に入ろうとした相手とすれ違いざまに片をぶつけてしまった。
『きゃっ、すみません!』
相手の女性の謝罪の言葉と共に、オレの手から抜け落ちた買い物袋が地面に転がる。
そして、その音にオレは中身のいくつかが割れたことを悟った。
『本当にごめんなさい。ダメになった分は、弁償しますから・・・』
「いや、こちらこそ、ぼぉーとしていて悪かったです。気にしないでください」
オレは、そう応えて、地面に転がる買い物袋を拾い上げた。
『それは、ダメです!せめて、半分くらいは弁償させてください』
オレは、彼女のその言葉に、今時の人間にしては珍しく律儀な人間だと好感を抱き、その申し出に従う事にした。
互いに買い物を済ませたオレと彼女は、帰る道筋が同じなので、そのまま連れ立って帰路に着く。
その道すがら、『斎(いつき)ゆづる』だと自分の名を名乗った彼女に対し、オレも自分の名前を告げる。
「俺は、久川和誠(ひさかわわせい)です」
正確に言えば、それは、オレにとっての本当の名前とは異なるモノだ。
しかし、嘘を付いているのとも少し違う。
その名前は、紛れもなく今の俺を指し示すモノであるのだから。
それから、ゆづると他愛もない内容の話を続けながら、オレは、日が傾き出した夏の小道を歩いて行く。
そして、何時しか逢魔ヶ刻が訪れようとしていた。
オレとゆづるの帰り道が分かれる場所に至った時、オレは、彼女が買った荷物を持って家の近くまで送る事を申し出る。
それを最初は遠慮していた彼女だったが、少し考えた後で、短い礼の言葉と共に受け入れた。
そして、オレと彼女は再び肩を並べて歩き出した。
彼女の家が近付き、ここで十分だと告げられたオレは、彼女に荷物を手渡すと、簡単な挨拶を告げて背を向けた。
それから、オレが数歩も行かないうちに、背後で彼女の短い悲鳴が聞こえる。
一瞬何事かと驚いて動きを止めたオレだったが、直ぐに振り返ると悲鳴が聞こえた場所へと走る。
時間から考えて彼女の居場所を推測したオレは、巡らせたその視線の先に求める姿を見つけて安堵した。
その瞬間、オレは背後に現れた何者かによって後頭部を殴打される。
再び、オレの耳に突き刺さる彼女の鋭い悲鳴。
それが、オレと彼女自身のどちらの為に発せられたモノか確める余裕すらなく、オレの意識は混濁の闇へと堕ちて行った。

そして、オレが失神からその意識の一部を甦らせたとき、そこに在った現実は異常にして異質なモノであった。
何かの儀式を執り行なうために作られた祭壇。
そこの上に置かれているのは、紛う事なきゆづるの存在であった。
僅かに動く胸の動きから、その生命がまだ無事であることだけは見て取れた。
自分が置かれている状況を知ろうと必死に意識の全てを覚醒させようとしたオレは、後ろ手に拘束され自由を奪われたその事実に嫌なモノを覚える。
その束縛は硬かったが、それでも何とかしようともがくオレの姿を嘲笑う視線の存在に気がつく。
古風ともいえる白装束に身を包み、手には波刃の短剣という怪しい武器を持ったその男は、嘲りの視線を冷酷な眼差しに変えてオレを見詰めた。
『フッ、我が儀式の生贄として、幾らでも足掻き続けるがよい。その抵抗が無駄な努力であったとお前が絶望すればする程、これから甦られる我等が主様への良き供物となるのだからな』
男が告げたその言葉を聴くまでも無く、オレは、その意味を良く理解していた。
この場に存在する『異質』は、オレにとっては良く知る現実であったからである。
だからこそオレは、これから起こる事の全てを予測することができた。
「逃げろ、ゆづる!」
オレは、それが無理であることを知りながら、叫ばずにはいられなかった。
「この狂信者が!やめろ!」
オレは、その結末を諦めることを許せず今度は男へと叫んだ。
『ほお・・・、貴様、この儀式の意味を少しは理解してるのか』
男は、僅かばかりに沸いた興味に、オレの方へと振り返る。
オレは、目の前にいる男が考えている以上に、男が行おうとしている事を理解していた。
「お前が呼び出した存在に何を求めようとしているのかは知らない。しかし、それは無駄な事だ。この程度の儀式で召喚できる存在に他者の願いを叶える程の力がある筈がないし、仮に、上級に位置する存在を呼び出せたとしてもそれを制御できなければ自滅するだけだ!」
オレは、それが無駄な努力だと知りながらも男に儀式を行う事を諦めさせようと言葉を紡ぐ。
『・・・それ程までの〈儀式〉に対する知識を持つとは、貴様も闇の異能に魅入られし者の一人か。何も特別な力こそ感じぬが、これは真に良い生贄を手に入れたみたいだな』
男の口から出た言葉に唯一つ存在する今の自分を示す真実が、オレの心に深く突き刺さる。
そして、自分の非力を憾み嘆くオレの目の前で、狂ったその儀式が行われていく。
男の口から紡がれる歪められた祝詞は、〈呪言〉となって依代たるゆづるの魂を汚す。
意識を奪われていて尚、その呪いの言葉に魂を侵される苦しみに耐えられずゆづるの身体が大きく痙攣する。
『これで《蛇神》様の復活の儀式は成った。ここに我が願いは成就するのだ!』
男は狂気に愉悦する宣言と共に、その儀式の終焉として、最後の一行をゆづるへと施す。
それは、祭具の長たる凶刃を依代へと下し、その産屋たる腹を割く行為に他ならなかった。
生きたまま、自らの腹を割かれ悲鳴にすらならない断末魔の叫びを上げるゆづる。
その苦しみの声を聴き、オレの中で何かが壊れたような気がした。
「(全てが虚しい・・・。自らの歪んだ欲望の為に外道の力を求めたあの男の姿も・・・、そして、何よりも彼女を救えなかったこのオレの非力さこそが・・・)」
その虚ろな心を映し出すように力無い光を宿すオレの瞳が、男の儀式によってゆづるの生命を糧に産まれ出でた醜悪なる《闇の獣》の姿を捉える。
そして、オレの耳には、まるで夢か現か分からない男の声で、復活した《蛇神》の最初の生贄に自分が選ばれたという詰まらない事実が聞こえた。
「(これがオレの最後に相応しい結末なのかも知れないな・・・)」
自らの力に溺れ、本当に必要な時にその力を失い、こうして後悔すら許されない絶望の中で生命を尽きていく。
それでも仕方ないと思う。
しかし、叶う事ならゆづるの生命を護ってやりたかった。
その想いが叶えられていたならば、オレは、間違いなく人間としての最後を迎えられたはずなのに。
オレは、自らの宿命に対する恨みの想いを抱く。
だが、そんな苦しみも今ここで全て終わりになると思えば、それも良いかも知れない。
人間として生きられないのならば、人ならざるモノにその最後を与えられるのが相応しい。
そして、その最後が訪れようとしていた。
《蛇神》と呼ばれたその獣は、オレの前に至ると、鰐の如く獰猛なる牙でオレの右腕に喰らいつく。
オレは、その激しい痛みに意識を失う。
そのオレの虚ろな瞳へと最後に映ったのは、死の苦しみに頬を涙で濡らしたゆづるの亡骸の姿であった。

そして、オレが再び目を覚ました時、そこに在ったのは、親友である神崎政貴(かんざきまさたか)の姿であった。
更に、その周囲に視線を回らせれば、羽水尚也(うすいなおや)と滝司武(たきしぶ)の姿が在った。
「お前達が助けてくれたのか・・・?」
オレは、嘗ての仲間達の姿に、自分が生きている理由をそう理解する。
『否、それは違う。俺たちは、ここで倒れていたお前の姿を見つけただけだ・・・」
「そうか、では、誰が・・・」
そう疑問に思うオレは、自分の身体にある違和に気がつく。
それは、傷一つ負っていない右腕の存在であり、そして、そこに残る異形の存在の死の臭いであった。
「(オレはまだ、この異能の力に生きる宿命から解き放たれることを許されないのか・・・)」
オレは、自分自身が失ったはずの《魔を殺す者》と呼ばれる異能の力を以って、《蛇神》とその力に魅入られたあの男を殺した事を悟る。
「(これがオレの宿命だというならば、オレはこの異能の力によって我が身を焼き尽くすその時まで戦い続けてやろう!)」
それは、オレが自らの宿命を受け入れ、逃れられない運命の歯車に対する戦いを誓う憎悪にも似た宣言であった。

そう、それは自らが護りたいと望みながら果せなかった想いを苛む『悪夢』であり、そして、自らが自らに課した贖罪の傷を刻むための忘れえぬ記憶であった。

「(オレは又、大切なモノを護れなかったのか・・・)」
その腕に抱いた最愛の女性(ひと)の亡骸を前に、オレは甦る『悪夢』の記憶に打ち震えていた。
そして、オレ自身にすら自らの内に宿ったその感情が、失った存在への深い悲哀なのか、それともそれを奪った存在への激しい憎悪なのかという答えが出せなかった
「最早、全てが虚しい・・・。だから、ここで全てを終わらせようか。なあ、神崎、お前にとって本当にこの世界は護るに値するのか?」
暗き絶望に虚ろとなったオレの眼差しの先には、嘗て、仲間として共に戦い、そして、今、許すことの出来ない仇敵となった男の姿が在った。


                                                       END

あし@

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