21世紀末、最高の文明を誇る世界。 その文明社会の陰の礎となり、人知れず世界の闇に存在する異形、《魔》と呼ばれる存在と戦い続けてきた来た者達がいた。 卓越した戦闘技能を以って《魔》と戦い退ける者、《退魔師》と呼ばれる彼等を纏め上げる一族に生まれ、その長たる総帥となる宿命を背負った少年、華神京也。 しかし、京也は、その宿命に縛られる事を厭い、未だ自らの責務を果す覚悟を持てずにいた。 そんな、京也に対し、彼の武道の師である榊和泉を始めとする一族一党の者達の多くは理解を示し、その支えとなる事を望んでいた。 自らの宿命を受け入れられず、そして、その責務の重さに心惑う京也の心には、嘗て、突然の別離をもって失った存在への愛憎が大きな陰として今も残っていた。 自らの存在に課せられた宿命に惑う京也を嘲笑うが如く、彼の前に一族と因縁の深き宿敵、世界に混乱を齎す存在たる秘密結社の刺客が現れる。 その存在が操る《流血の邪神》の力に苦しむ京也の想いが、永き封印にその身を縛られし特異の存在《戦女神・マナ・フィースマーテ》を解き放つ。 その邂逅こそが、京也と《マナ》の運命の物語の始まりであった。

2008年4月6日日曜日

第九話・剛敵

 京也達は、征也より示された情報に従い、目的とする政府機関の旧研究施設へと潜入を試みる。
「どうやら『アタリ』の様だな」
 不敵な笑みを浮かべて呟く環の言葉に違わず、封鎖された筈の施設内に大勢の気配が存在していた。
『あの中からは、何か妙な気配が感じられます。京也、環、気をつけてください』
 《マナ》が口にしたその警告に、京也は警戒と緊張を新たにし、環は特別に変わった様子も無く黙って頷いた。
「敵もそれなりの備えをしているみたいだし、ここは慎重に行くべきか・・・」
「否、京也。こちらは少数精鋭、ここは相手の度肝を抜くような派手な先手を打って、連中を混乱させてやろう」
『京也、私も彼の意見に賛成です。相手を混乱させ、その隙に攻め込む。それは戦の常道ですから』
 環と《マナ》、二人の意見の一致を前に、京也もその作戦に乗ることを決断する。
「じゃ、先ず俺が斬り込んで、それに続く形で《マナ》と環が中に突入するということで良いかな?」
 そう告げて《ラルグシア》の柄に手を伸ばす京也を、環が静止する。
「悪いが京也、その役目は俺達に譲ってくれないか。この《獣神》に先頭を任せ、それに続いて俺が中に踏み込むと同時にこの特製対人用鎮圧弾をお見舞いしてやる。それで連中が怯んだ所へお前達二人が突入して一気に勝負を着ける。そんな感じがベストだと思うが如何だ?」
 示した提案と共に手のひらサイズのそれを弄ぶ環の瞳には、悪戯を楽しむ悪ガキのような笑みが宿っていた。
「それの効果が確かな訳なら、俺としては異存なしだけど」
「大丈夫。これの威力は確かなお墨付きだから。特別な免疫も無く、これの餌食になって平気な生き物がいたら、それは最早、人外の化け物か何かだな」
 返ってきた言葉とその表情の笑みに、京也は、『悪魔の笑み』の意味を知る。
「しかし、そんな危険なモノを使ったら、こっちにも被害が生じるんじゃない?」
「それに関しては、この薬を飲んでもらえば全く問題なし。ほら、二人ともぐっといってくれ」
 環は言って、懐から出したタブレットケースの中身を、京也と《マナ》の掌へと転がす。
「どうした二人とも?危険な副作用は一切無いぞ。それに味の方だってかなりイケる出来だしな」
 環は、京也達に免疫耐性用薬である錠剤の服用を促し、自身もそれを飲み下した。
「・・・」
 京也は、掌の薬をじっと見詰める。
そして、次の瞬間、閉じた瞳に覚悟を決めて一気に飲んだ。
「うっ!」
 それは語られた言葉に嘘のない味であり、その効果も直ぐに現れた。
 身体の内から湧き上がってくる熱に、京也は、それまでに感じた事のない力の充足感を抱く。
「滋養強壮に体力増強、元気になり過ぎるというその副作用さえも、心強い限りだろう?」
 環は、京也が示した反応を読み取り、自慢げに言って笑う。
 その二人の様子を見て、《マナ》も又、渡された薬を口にした。
『なるほど環、貴方が得意とする〈科学〉とは、私の知る《魔導》に於ける魔法薬の研究に近しいモノなのですね』
「正確に言えば、生物種族の根源から、それらの発生と今に至るまでの過程を調べ、そこから生物の生成構造という仕組を知る為の研究かな。と言っても、何時の間にかその副産物である『怪しい薬』を造ることが専門みたいになってしまったけれどね」
 環は、《マナ》の理解に訂正補足を加えて、苦笑を浮かべた。
「噂には聞いていたけれど、それ以上に凄い才能だね」
「否、俺のこの薬学の研究は、一番に求めた結果を果たせずに終わった。だから、そう褒められるのには、値しないよ」
 環がその自嘲の言葉に込めた想いの重さを感じ、京也は、それ以上の言葉を口に出来なかった。
 環は、京也の気遣いに気が付くと、懐古に抱いた想いをその胸の内から吐き出すように大きく深呼吸をする。
「さて準備は整ったし、そろそろ行こうか」
 自分と京也との間に生じた空気の重さを振り払うように環は笑い、そして、今やるべきことを促した。
 京也は、環が持つその強さに改めて頼もしさを感じると、告げられた言葉に黙って頷いた。

 決められた作戦に従い、環の命令によって研究施設内に踏み込んだ《獣神》が、入口の奥に潜んでいた見張り役の敵を倒すと同時に、それに続く形で踏み込んだ環が自慢の特製鎮圧弾を投げ込む。
 一瞬の閃光と共に弾ける煙幕弾、それから発生した激しい噴煙が施設内に広がった。
 突然の出来事に冷静な反応を示す事も適わず、建物の一階にいた者の全てがその煙の餌食となる。
 その中の一人が吸い込んだ煙の味に咽ながらも、侵入者である環達を排除する為に、懐から武器を取り出した。
「これで一応、正当防衛になるかな」
 向けられた銃口に怯える事も無く不敵に笑う環、それを護るように《獣神》が彼の前で身構える。
「莫迦が、死んで後悔しろ!」
 《カイザー》の警備兵である男の言葉と共に放たれた銃弾は、狙う環の身体を大きく反れると、彼の背後の壁に突き刺さった。
「次は外さん」
 再び放たれる銃弾、しかし、それも又、狙いを大きく外して壁に更なる穴を開ける。
「無駄だよ。お前の視神経を始めとする神経の殆んどが、先刻の煙に含まれた成分の影響で麻痺しているからな」
 その言葉に合わせるように、警備兵は膝から崩れ落ちて床に突っ伏せた。
 それと同じ様に次々と倒れる敵の姿を見詰めながら、環は、快心の笑みを浮かべて《獣神》の頭を撫でた。

 聞こえた銃声に焦る心で施設内へと踏み込んできた京也と《マナ》は、悠然と構える一人と一匹に拍子抜けの表情を浮かべる。
「凄い・・・」
「即効の威力で体力減退に気力喪失、そして、最後は失神。名付けて〈脱力香〉。『本薬剤は大変な危険物なので使用の際には十分なご注意が必要です』といったところかな」
 目の前の状況に思わず驚歎の言葉を洩らす京也。
それに対し、環は、洒落になっていない冗談で応えた。
「まあ、何はさて置き、無事に潜入成功だ。新手が現れる前に、連中の尻尾に繋がる手掛かりを見つけ出すぞ」
 表情を引き締めた環は、本来の目的を果たすべく、施設内の調査を京也達へと促す。
 それに頷き動こうとした京也は、そこに生まれた違和を本能的に感じ取ると同時に身構えた。
 京也が自らの頭上へと掲げるように構えた神剣は、突然に現れた敵が繰り出したその鋭い攻撃を見事に受け止めた。
『京也!』
「っ!」
 《マナ》と環、二人の瞳が敵の存在を知って驚きに見開かれる。
 そして、それと対峙する京也自身も又、気配も無く現れた敵の姿に驚かずにはいられなかった。
 その『敵』は、京也に自分の正体が『何者』であるかを考える暇も許さず、次なる攻撃を放った。
「くっ!」
 京也は、無駄の無い僅かな身動ぎによって、敵が繰り出した斬撃を紙一重で避けると、その勢いのままに横へと跳んで敵との間合いを取る。
「噂に違わず、中々やるな。流石はあの神崎征也の血を受け継ぐ者だけはある」
 その言葉と共に、男は、抱いていた戦意を僅かに緩めて、自らの得物である細身の長刃剣の切っ先を足元へと下げた。
「何者だ!」
 京也は、油断無く《ラルグシア》を構え直すと、男へと鋭い視線を向けてその正体を探る。
「俺の名は、香祥敦真。それ以上の事を知りたければ、剣士として自らの振るう剣で探るしかないな。それが武の信奉者たる身の性というものだ。そうだろう?《真神武》の剣士、華神京也よ」
 そう語った男は、再び戦いの意志を身に纏い、手にしていた長刃剣を構えた。
 香祥敦真と名乗った男の口から出た父の名と『《真神武》』と呼ばれた自らの流派に、京也は、相手の正体が自分と関わりがあるモノである事だけは理解する。
「確かに、貴方の言うとおりだ。望みどおり、その正体、この剣を以って探り出させて貰おう!」
「俺の正体を知ったところで、ここで生命尽きるその身では無駄な事ではあるがな」
 構えた《ラルグシア》に闘志を宿し言い放つ京也。
その言葉を嘲るように嘯く敦真の瞳に、鋭い殺気が宿る。
 一瞬ともいえる短い睨み合いの後、先に動いたのは京也の方であった。
 先刻に交えた刃によって、相手の力量が並みのものでは無い事を知る京也は、小手先の技を抜きで本気の一撃を放つ。
「甘い!」
 敦真は、口にしたその言葉に違わず、京也が渾身の力を込めて振り放った攻撃を、繰り出した横薙ぎの斬撃で弾き返す。
 その技の冴えに京也は、相手の力量が自分の想像のそれを遥かに凌いでいる事を知る。
「ならば、これで決着を着ける!」
 京也は、弾かれた剣の切っ先をしなやかな身のこなしで制止すると、短く吸い込んだ息を吐いて更なる攻撃に転じる。
「《炎舞》、か・・・」
 示された一瞬の構えから、京也の狙いを見抜く敦真。
 しかし、その表情からそれまでの余裕が失われる事は無かった。
「行くぞ!」」
 京也は、言い放ったその言葉に裂帛の気合いを込めて、《真神武》の奥義を繰り出した。
 それに対する敦真の瞳に、鋭い意思の輝きが煌めく。
 繰り出される一撃一振りの全てに必殺の威力を宿した連斬たる秘技《炎舞》。
 敦真は、自らの身体を穿たんとする斬撃と刺突の連続攻撃を、水鏡の如く狙い違わぬ反撃の刃で次々に弾き返して行く。
 両者の繰り出す攻めと護りの連斬は、正にその魂を燃やし刹那を紡ぐ演舞であった。
 互いに一歩も譲らず繰り出す技の応酬に、京也と敦真の二人は少なからず精神を消耗させていた。
 両者共に、対峙する敵と同時に自分自身の心とも戦い続ける。
 そんな一瞬の油断が自らの生命すら危うくする死闘の中にありながら、しかし、両者の表情には歓喜の色が存在していた。
 それは、京也と敦真の二人が、剣士として自らの剣とそこに宿した武の魂を絶対のモノとする宿命を背負う証であった。
 その互いの誇りを懸けた剣と剣のぶつかり合いの決着は、護りから攻めへと転じた敦真の一撃によって齎される。
 京也の振るう一撃を軽い身のこなしで避けた敦真は、自らの攻撃の勢いに呑まれて僅かに構えを崩した京也へと流し斬りを放った。
 迫り来る刃を前に京也は、咄嗟の動きで《ラルグシア》の切っ先を返し回らせる。
 一瞬の後、京也が護りとして構えた神剣に、敦真の攻撃の衝撃が叩き込まれた。
 並みの流し斬りとは異なるその一撃の重みに、受け止めた京也の身体が背後へと押し返される。
「(莫迦な!)」
 自ら味わった現実に京也は、動揺にも近い驚きを抱かされた。
「ふっ、流石と言うべきか。少し侮りすぎていたみたいだな。そろそろ此方も本気を出そう」
 敦真の口から出たその言葉に、京也は、先刻の死闘すら目の前の男にとって、遊戯の如きモノに過ぎない事を思い知らされる。
 自分と敦真との間には、単純な技量の差とは異なる何か別の決定的な違いが存在する事を京也は感じていた。
 そして、それこそが自分と目の前の男との強さを分かつ大きな違いである事を。
「(一体、・・・何が違う?)」
 自らの心にその答えを問う京也。
 しかし、それを見つける事は出来なかった。
 尚もその答えを求める京也の心は、そこに僅かな疼きを感じていた。
 それは京也にとって、戦いの中で強さの意味を求める時、常に感じていた自らの魂に残る傷痕が与える痛みであった。
「(俺は、何時からこの痛みを知るようになったんだ?)」
『危ない、京也!』
 叫びにも似た《マナ》の警告の声。
 京也の身体は、それに反応して動いていた。
 次の瞬間、そこに在ったのは、敦真の長刃剣を神剣で受け止める京也の姿で在った。
 重く鋭い敦真の攻撃を受けて痺れる腕の痛みの中で、京也は、その答えを見付けていた。
「(そう、華神京也、お前は、《マナ》と出逢ったあの瞬間に、この痛みを思い出した。そして、お前が強さを求めた理由は?それは誰の為に、何の為に求めた?忘れたのか、京也!)」
 問い叱咤する自らの心の声に応えて、京也の心に意志の炎が燃え上がる。
「ほう、どうやら本気を出していなかったのは、華神京也、お前もまた同じという事か」
 敦真は、京也に宿る意志の変化を見抜くと、何かを楽しむような笑みをその表情に浮かべた。
「本気は既に出している。唯、それが少し足りていなかっただけだ」
「そうか、ならば俺が本気を出す前に倒せなかった、その己の未熟さを呪って逝くんだな!」
 言い放たれたその言葉と共に敦真の斬撃が京也へと迫る。
「その言葉、後悔するな!」
 返す言葉に込めた意志よりも利く鋭い一撃を以って、京也は、敦真の攻撃を弾き返す。
 京也が繰り出した一撃の威力に、今度は敦真の方が驚愕とも言える驚きの色を浮かべる。
 その意志の証たる自らの得物を奮ってぶつかり合う両者が繰り出す攻撃は、互いの力量を競い合う剣士の技ではなく、正に相手の生命を喰らい尽くそうとする猛き獣の爪牙であった。

 死を狩る獣の如き京也と敦真の戦いに対し、固唾を呑んで見守る《マナ》と環、その二人の目に両者の技量は略互角に映っていた。
 相手を自らの意志を以って捻じ伏せんとする二人の剣士は、互いに小手先の技を抜きにした剛剣を奮って鬩ぎぶつかり合う。
 その戦いは、千日万歳の時を経ても決着が着かないかと思われた。
 しかし、その決着の時は確実に存在していた。
「この斬り合いにも少々飽いた。決着を着けさせて貰おう」
 敦真は、そう宣言すると素早く身を引いて背後に退く。
 そこに存在する自信の正体を訝る京也に対し、敦真は、得物である長刃剣を片手に握り、その切っ先を足元に落とした異様に映る構えを取った。
「何の積もりだ?」
 身体に宿した力はおろか、その戦いの意志までも弛緩させている敦真の姿に、京也は、相手の真意を疑う。
「言った筈だ。決着を着けるとな。見せてやろう、《真神武》の奥義に勝る我が流派の秘奥義を!」
 その言葉と共に返された敦真の鋭い眼光に、京也は、相手が本気である事を知る。
「ならば、こちらも本気で行くのみ!」
 京也は、心に生まれた迷いを振り払うように言い放ち、握り締めた神剣に持てる力と意志の全てを込めて敦真へと振り下ろした。
「貰った!」
 その宣言に違う事無く、京也の渾身の一撃は、完全に相手の身体を間合いの内に捉えていた。
 京也のみならず、見守っていた《マナ》と環の二人もまたその勝利を確信する。
 その中で、唯一人、香祥敦真のみが自分の勝利を予見していた。

 京也の振るう《ラルグシア》は確かに、対峙する主の敵をその紅の刃に捉える。
 否、捉えた筈だった。
「っ!?」
まるで霞でも斬ったような手応えの無さに、京也は、驚き困惑する。
そして、反撃の刃をその身に受けた瞬間、自分が斬り裂いたのが、香祥敦真の陰影に過ぎない事を思い知らされた。
「(莫迦な・・・、俺の攻撃は、確かに、あの男の、身体、を、捉えていた。何が、起きた、・・・?)」
 背中に刻まれた攻撃の印たる痛みに耐え、京也は、鈍る思考で己の身に起きた出来事を探る。
『京也!』
 京也は、床に倒れ伏し、流れ出る自らの生命の源に濡れながら、薄れ行く意識の最後に愛する戦女神の悲鳴を聞いていた。
「(俺は、敗れたのか・・・)」
 自らの敗北という残酷な現実に晒されながら、京也の意識は、完全に途切れた。

あし@

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