21世紀末、最高の文明を誇る世界。 その文明社会の陰の礎となり、人知れず世界の闇に存在する異形、《魔》と呼ばれる存在と戦い続けてきた来た者達がいた。 卓越した戦闘技能を以って《魔》と戦い退ける者、《退魔師》と呼ばれる彼等を纏め上げる一族に生まれ、その長たる総帥となる宿命を背負った少年、華神京也。 しかし、京也は、その宿命に縛られる事を厭い、未だ自らの責務を果す覚悟を持てずにいた。 そんな、京也に対し、彼の武道の師である榊和泉を始めとする一族一党の者達の多くは理解を示し、その支えとなる事を望んでいた。 自らの宿命を受け入れられず、そして、その責務の重さに心惑う京也の心には、嘗て、突然の別離をもって失った存在への愛憎が大きな陰として今も残っていた。 自らの存在に課せられた宿命に惑う京也を嘲笑うが如く、彼の前に一族と因縁の深き宿敵、世界に混乱を齎す存在たる秘密結社の刺客が現れる。 その存在が操る《流血の邪神》の力に苦しむ京也の想いが、永き封印にその身を縛られし特異の存在《戦女神・マナ・フィースマーテ》を解き放つ。 その邂逅こそが、京也と《マナ》の運命の物語の始まりであった。

2008年4月6日日曜日

第十一話・因縁

京也と《マナ》の二人は、重ね合わせた唇が離れ抱き締めた腕を放した後も、互いに寄り添い続けていた。
 そんな穏やかな静寂も、突然現れた闖入者達の存在によって破られる。
「京也、無事か!」
 その闖入者の声に驚いた京也と《マナ》の瞳に、征也とそれに数秒遅れるタイミングで、自分達の居る部屋に入って来る万理亜の姿が映った。
「・・・父さん、それに母さんまで・・・」
 一体何事かと驚きの色を隠せず言葉を洩らす京也。
しかし、それ以上に、征也達の方が何かに驚いていた。
「・・・ふっ、不潔よ。ふしだらよ。京也!」
 顔を真っ赤にしながら突如として叫ぶ母の言葉に、京也は、意味を理解出来ずに唖然とする。
「京也、お前の年頃を思えば、同じ男として多少の理解は出来る。しかし、万理亜のいう通り、他を憚らずにこんな場所でそういう事に及ぶのは、流石に感心できないな」
「???」
 母へと同調して困り顔で諭す父の言葉に、京也の思考は混乱を極めた。
「意味が、分からないのですが・・・」
 困惑の表情を浮かべて、その言わんとする所を尋ねる京也。
 それに対し、征也達は顔を見合わせると、アイコンタクトでどちらが『それ』を説明するのか互いに譲り合う。
 短くも長い遣り取りであるその行為を以ってしても、結論が出ない征也達二人の後ろに更なる闖入者が現れた。
「征也さん、万理亜さん、それに関しては誤解だと私が保証しますよ」
 その闖入者である環は、開口一番、京也に取っては更なる意味不明の言葉となるそれを口にする。
「そうか、変な事を言って悪かったな、京也」
環の言葉に納得し、安堵する征也。
 その隣では同じ様に万理亜が安堵の表情を浮かべていた。
 そんな二人の様子に最早、何を如何尋ねるべきなのかも分からずにいる京也に対し、環が意味深な笑みを浮かべる。
 それに気が付いた京也は、訝るような眼差しを環へと向けて、自分への説明を求める。
「京也、『李下に冠を正さず』だ。今の自分が《マナ》と共に作っている状況を考えてみれば、それが征也さん達に誤解を抱かせた原因だとお前にも分かるだろう。と言っても、本当に誤解か如何かは怪しいけれどな」
 最後に告げたその一言に、快心とも言える意地悪な含みを込めると、環は、愉快そうに笑った。
 環の指摘に、寝台の上で自分と《マナ》が寄り添いながら座っている事を思い出し、京也は、全てを悟る。
「本当の本当に、全くの誤解です!」
 京也は、恥ずかしさと心外の怒りに顔を朱に染めて、きっぱりと言い放った。
「ああ、分かっている。昨日、渡した特効薬には、滋養強壮の効果に加えて、体力回復の為の強力な催眠効果があるからな。飲んだら、朝までグッスリさ」
 その爽やか過ぎる環の笑顔に、京也がどっと疲れを感じる中、《マナ》だけはその場で交わされた遣り取りの意味が分からず唯笑っていた。
「まあ、それはさて置き、京也の生命を救ってくれてありがとう、環」
「《マナ》さんも一生懸命に頑張ってくれたそうで感謝のしようもありません。本当にありがとうございます」
 そう告げて頭を下げる父と母の姿に、京也は、二人が自分の身を心配して駆け付けてくれた事を知る。
「そうか、二人とも俺の事を心配して此処まで・・・。ありがとう」
 京也は、それまでの遣り取りによって胸の内に生じていた感情を一掃して、素直に感謝の言葉を口に出した。
「親が子供の身を案じるのは当たり前の事だ。それより、身体の具合の方は如何なんだ?」
「お陰様で、絶好調とまでは言えないモノのもう平気かな」
 身体の調子を尋ねる征也に、京也は、問題が無い程度に回復している事を応える。
「ええ、生気を取り戻して顔色も良くなっていますし、もう何の問題も無いでしょう」
 更に京也の言葉を聴いた環が、それを保証する言葉を付け加えた。
「ならば良いが、だからと言って余り無理はするな、京也」
 その言葉が、自分に対する純粋な気遣いだと理解して、京也は、黙ってそれに頷く。
「それで一体、何があった?」
 征也は父親としての顔から一族の総帥代行の顔に変わると、京也が瀕死の傷を負うに至った原因について尋ねる。
 それに応えて、京也は、件の研究施設で自分達の前に立ちはだかった香祥敦真という男の存在について語った。
「その剣士は、間違いなく香祥敦真と名乗ったのだな?」
 話を聴いた征也が、何かを思い考える様な表情で口にしたその問い掛けに、京也は無言で頷き肯定する。
「あの男が何者であるか知っているのですか?」
 環は、征也の反応から、彼が何かを知っていると察し、その事を尋ねた。
「ああ、正確に言えば『香祥』の名に思い当たる節がある。だが、それについて語る前に、もう一つだけ聞いておきたい事がある。京也、香祥を名乗ったその剣士、お前からみて強いと感じたか?」
 その存在によって、瀕死の重傷を受けた京也にとってそれは、問われるまでも無い事であったが、それが征也にとって問う意味のある事だと理解し応える。
「はい、畏怖に値する程の強さを感じました」
 京也の言葉には、相手の強さに対する恐れでは無く、それを賞賛する意味での畏れが込められていた。
「そうか、ならば、その剣士が、本物の『香祥』に連なる者である事、そして、自らの意志で〈カイザー〉に従っている事に間違いが無いな・・・。でも、それなら何故・・・?」
 征也は、返ってきた京也の応えに、それまで抱いていたモノとは別の疑問を抱く。
 その答えを求めて考えを巡らせていた征也は、京也達が自分へと向ける視線に気が付くと、『香祥』に関して自らが知る事を語り始めた。
「京也、お前も知っている通り、我々が受け継ぐ《神武流》の技は、その始まりを今よりも五百年近い昔、戦国乱世に持っている。開祖である神武榊が、《神武》の技を極めてより今日に至るまで受け継がれてきた流れは、決して一つではない。私が知る限り、我が《神武流》に存在する流派は全部で五つ。それは、久川和誠によって開眼された、振うその一撃に宿した無限の威力で敵を薙ぎ払う《神武断剣(たつるぎ)流》。御子神明が《神武》の合気柔術を極め編み出した《神武御子神流》。そして、榊司武が極め開眼した《真神武流》と、その《真神武流》の祖伝となる技より新たに生まれた二つの流派、《神武奏楽(かなく)流》と《神武無雅(むが)流》だ」
 征也は、そこまで語ると一旦、言葉を切って短く息を吸い込んだ。
「その五つの流派の内、今の《神武流》に完全な形で在るのは、唯一、本流とも言える《真神武流》のみ。《断剣流》と《御子神流》は、開祖である存在が招いた悲劇により、《神武流》の歴史から削られ、《奏楽流》と《無雅流》は、その皆伝を知る存在が潰えた筈だった」
「・・・『だった』?」
 京也は、語られたその言葉が指し示す意味を確認するように、征也へと尋ね返す。
 それに対し征也は、頷き返すと再び語り始めた。
「ああ、それは今から百年くらい前に起きた《神武流》の総司武継承に端を発した出来事だったらしい。私も伝承の内に知るのみの事であるが、当時の総司武には、三人の直弟子が居り、その三人の中から次の総司武が決まると黙されていた。それが、綾崎貴璃也(きりや)、長鳥剋輝(おさどりかつき)、香祥神明(あきら)の三人だ」
 征也の口から語られた三つの名前を聴き、京也達は、その最後に出た『香祥』の名に反応する。
 それを見て頷き征也は、更に言葉を続けた。
「その三人の誰もが若さに反する技量を誇り、中でも長鳥剋輝と香祥神明の実力は師である総司武を凌ぐ程であったそうだ。そして、その二人に於いては、長鳥剋輝にこそ分があったという。総司武は、その極められた技の美しさから、神に捧げる神楽舞の如きと讃えられる《奏楽流》を長鳥剋輝に、技に対する一切の拘りを捨て去り、剛の意志を以って敵を倒し退ける《無雅流》を香祥神明に伝え、二人はそれを会得する事で免許皆伝の司武として認められた。しかし、二人が免許皆伝の末に司武となった時、次の総司武として定められたのは、未熟の身として皆伝を許されていなかった綾崎貴璃也であった」
 征也は、再び一呼吸を取ると、それまで誰にとも向けていなかった眼差しを京也へと向け、言葉の続きを語り始める。
「綾崎貴璃也、彼は、私や京也の血祖の一人である滝司武の実父であり、彼の神崎政貴、そして、久川和誠と御子神明の師であった。確かに、彼の武人としての力量は、他の二人に及ばなかったのかもしれない。だが、他者を導きその力を引き出す師範としての才は、彼の教えに導かれた弟子達より、その技を受け継いだ我々にとって誉れと呼ぶべきだろう。彼が総司武に選ばれた事は、間違いなく師としての慧眼であった。しかし、その決断を受け入れられない者がいた。それが、長鳥剋輝だ。彼は、義理の父親でもあった師の生命を奪い、その師より《神武流》の最奥義である『真伝』を受け継いでいた綾崎貴璃也に戦いを挑んだ。否、挑もうとした。自らの技を以って《神武》最強の誉れを奪い示そうとした長鳥剋輝の前に立ちはだかったのが、他でもない香祥神明であった。その時、二人の間で何が在ったかは、私も知らない。だが、その時を期に《奏楽》、《無雅》の両者は、我等《真神武》と完全に袂を分かち、《神武流》の歴史から消える事となった。私が知るのは其処までだ」
「つまり、あの香祥敦真という男は、香祥神明という人物の血族であり、彼が会得していた《神武無雅流》の技を継承した存在であるという事ですか」
 話を聞き終えた京也達の中で最初に口を開いたのは、環であった。
「飽くまで推測に過ぎないが、そういう事になるな」
その言葉とは裏腹に、征也の表情には、確信の色が浮かんでいた。
其々が其々に考え込むようにして生まれた沈黙を、怪訝そうな顔をした京也が破る。
「父さんは、先刻、《無雅流》は、《奏楽流》と共に、既に潰えた筈の流派だと言った。でも、香祥敦真は《無雅流》の技を継承していた。それはおかしいじゃ?」
 京也は、征也へと、その話に語られた事実に存在する矛盾をぶつけた。
「ああ、それは私の話に対するお前のちょっとした勘違いだ。《無雅》、そして《奏楽》のどちらも、完全な皆伝が失われている筈というだけで、その全てが失われている訳でないという事だ。まあ、私が確かに知っているのは、《奏楽流》を伝承している存在の方だけだったが、これで《無雅流》も失われてはいない事が明らかになった訳だ」
「どちらも不完全な形でなら存在している。そういう事ですか?」
 言い換えられたその環の言葉に、征也は頷いて肯定する。
「ああ、そうだ。しかし、正確な事を言うならば、それは私がそう思っていただけで、完全な、否、それ以上の形で受け継がれている可能性すら存在している。特に《無雅》に関しては、その可能性が大きいと言えるな」
 征也は、曖昧とも遠まわしとも言える答えを返し、そのまま考え込む様に黙ってしまった。
 それによって、再び生まれた沈黙。
 その中に在って独りマイペースを保つ存在が口を開く。
「皆、唯考えていても仕方が無いし、それにお腹が空いているから、調子が出ないんじゃないのかしら。だから何か食べましょうよ」
 確かに正論、しかし、その場にそぐわない万理亜の能天気な発言に、京也は勿論、他の人間も少し呆けた苦笑を浮かべる。
 一人の例外を除いて。
「ああ、確かに、万理亜の言う通りだ。人間、脳も十分に働かないモノだしな。食事をとって、それから改めて答えを考えるとしよう」
 征也の同調によって、深刻に振舞う空気が薄れたと諦め、京也達もそれを受け入れる事にする。
「では、私自ら腕を振わせて貰うとしよう。という訳で環、少し調理場を借りるぞ」
 それに反対する必要もないと、環は快く了承の意味で頷き返した。
「征也さん、私もお手伝いしちゃうわよ」
 部屋から出て行く征也を追って、嬉しそうに走り出す万理亜の背中を見詰め、京也達は再び苦笑を浮かべた。

 食卓を囲んで暫しの団欒の時を過ごした後、征也は、其処に在った穏やかな雰囲気を変える真剣な表情で話を切り出した。
「京也、これ以上考えていても時間の無駄だと思う。それに今の我々にとって、重要な事は、香祥敦真という存在の正体ではなく、一刻も早く彼を倒し、〈カイザー〉の野望を打ち砕く事だ。その為には、味方の被害を恐れる訳にはいかない」
「それは俺にも分かっています。しかし、闇雲に戦いを仕掛けても、唯返り討ちにされるだけです。相手が危険な存在である事を知りながら、無謀無策に攻めるのは愚行としか呼べない。だからこそ、俺は、味方に被害を出さない為に、この手で彼を打ち破る術を見つけたいのです」
 互いに意見をぶつける京也達を見詰め、環は、重いものを吐き出すように口を開いた。
「京也、お前の気持ちは分かる。しかし、征也さんが考えている通り、時が経てば経つ程に、相手にとって状況が有利となるのは事実だろう。だから、間に合わなくなる前に、手を打つ必要がある。その覚悟だけは忘れるな」
 環の言葉には、十分すぎるくらいの重みが在り、そしてそれは、京也にとっても良く分かっている事であった。
 しかし、それでも容易に割り切れない想いが、京也の心の内には存在していた。
「確かに、父さんや環の言う通りかも知れない。それを甘い理想だと笑ってくれても構わない。それでも俺は、簡単に誰かの生命を切り捨てる決断だけはしたくないんだ」
「それは甘い考えだな、京也。だが、それでこそ、あの和維さんの後継者として選ばれた人間だ」
 突然、背後から掛けられた言葉に驚き振り返る京也の眼差しに、師である榊和泉の姿が映る。
「焔司武!」
「榊!」
 京也と征也、二人の口から驚きの声が重なり合う様にして洩れ出た。
「お久しぶりです、総司武。それに、京也」
 簡単な挨拶を返して、榊は、空いている適当な椅子に腰を下ろした。
「万理亜さんもお変わり無く、お元気そうで何よりです」
 更に征也の隣りに座っている万理亜へと親しみの籠もった挨拶をした榊は、残る環と《サラ》へと言葉を掛けようとして沈黙する。
「若しかして、あの蒼麻環なのか?」
「若しかしなくても、その蒼麻環です」
 驚いてあんぐりとしている榊に対し、環は、何時もの調子でそうだと答えた。
「そうか、本当に久しぶりだ。二十年ぶりというのは大袈裟かも知れないが、全然変わっていないな」
 環の年齢を考えれば、それは少し大袈裟過ぎると苦笑する京也の隣りで、当人である環も又、苦笑交じりで懐かしそうに笑う。
「それで、そちらの女性はどなたで?」
 気を取り直した様に視線を《マナ》へと移し、榊は、尋ねた。
『始めまして、私は、《マナ・フィースマーテ》です』
「彼女は、京也を護る女神です」
 榊へと名乗る《マナ》の言葉に付け加えて、環が一言で全てを説明する。
「こちらこそ、始めまして。私は、榊和泉、京也の武芸の師です」
 環が口にした《マナ》の正体を軽く受け流して、榊は、自らも名乗った。
 その榊の反応に、京也の方が逆に驚かされる。
「師匠、それに父さんも母さんも驚かないの・・・?」
 京也が口にしたその疑問を受けて、三人はそれぞれ応える。
「ああ、別に。今更、それ位では驚きはしないな」
「まあ、伊達に《鬼斬りの刃》などと呼ばれてはいないさ」
「ええ、もっと驚くモノも見た事あるから」
 三者三様ながら、三人は、正に平然とした口調でそう口にした。
「京也、そう驚くな。前にも言ったが、俺は勿論、征也さん達も又、《魔》という存在に深く関わってきたという事だ」
 環が語る言葉には、不思議なまでの説得力が存在していた。
 京也は、自らの一族が宿業として背負ってきた異形と呼ばれる存在達との因縁で全てを納得する。
「師匠、如何して此処に?」
「それなら、私が連絡したからだ」
 京也が抱いた疑問に、榊に代わって征也が応えた。
「だが、唯、京也の事を心配して、という訳でもないのだろう?」
 長い付き合いでその気心を良く知っている征也は、榊が自分達の前に現れた事に別の理由が在ると見抜いていた。
「はい、京也が大変な怪我を負ったと聞いて、心配はしていました。しかし、私が此処にこうして駆け付けたのは、その怪我を負わせた相手が、『香祥』の名と《無雅流》の技を受け継ぐ存在だと聞き及んだからです」
 何時も以上に真剣な面持ちでそう応える榊の態度と、何よりも語られた言葉に、京也は、重い意味を感じ取る。
 そして、それが勘違いで無い事は、唯一、彼が言わんとする真意を理解できる征也の表情が物語っていた。
「そうか、そうだったな。《無雅》の事を知るのに、お前以上の存在は・・・」
 榊と《無雅流》との関わりを思い出した征也は、呟くようにして洩らしたその言葉を濁らせ、代わりに視線で何かを問う。
「構いません。それは、私にとって切り捨てる事の許されない事実ですから」
 征也が視線で語る事の意味を察した榊は、それに落ち着いた笑みを浮かべて応えた。
「分かった。だが、それはやはりお前の口から語ってくれ」
 征也は、促すのではなく、そうするのが相応しい事だと考え、榊へと語り役を譲る。
 それに頷き応えて、榊は、自分と《無雅流》との因縁について語り始めた。
「先ず、余計な事を端折って話すならば、私は、嘗て《奏楽流》の長鳥剋輝の許で、彼よりその技を継承した者の一人である。彼は、野望とも言える執念を抱き、《真神武》を打ち倒すべく、私ともう一人の継承者を鍛え上げようとした。しかし、彼の心には、その執念以上に強い別の想いが存在していた。それは、嘗て自分と《真神武》の戦いの前に立ちはだかった《無雅》の剣士、香祥神明への復讐だ。彼は、その復讐を果たす為に、香祥神明の孫であり《無雅》の技を継承する者、香祥神威(かむい)へと戦いを挑んだ。その結果は、一度の勝利、そして、一度の完全なる敗北であった。彼は、自らが編み出し絶対と誇った《奏楽》の秘奥義を以ってしても、《無雅》への復讐を果たせず、その無念の末に戻らぬ身となった。傲慢なまでに孤高の生き方を求めた長鳥剋輝という剣士は、自らの最後を他者の前に晒す事を許さず、誰にも知られぬままにこの世から消え去った。そして、残されたのは、彼の野望と執念の想いに囚われた哀れな存在たるこの身だけだ」
 最後に紡がれたその言葉には、自嘲と共に何かを懐かしむ想いが込められていた。
 榊は、その胸中にあるそれを浮かべた苦笑で振り払い、さらに言葉を続ける。
「だが、魂の抜け殻となり果てたこの身にもまだ救いは存在した。それが、久川和維、彼との出会いだ。私は、彼の強さに惹かれ、失った筈の魂を取り戻し、生まれ変わった。否、あの時が私にとっての誕生の時だったのかもしれないな」
 そう語る榊の瞳には、激しいほどに輝く意志の光が宿っていた。
「長鳥剋輝を知り、久川和維と出逢い、そして、京也、お前の師となった私が、こうして《無雅》と関わる事となったのは、正に宿命なのかも知れないな」
 榊が口にした『宿命』という言葉に、京也は、奇縁というモノの存在を感じる。
「師匠、貴方は、俺が《無雅》の香祥敦真に敵うと思いますか?」
 その問いは、京也が師である榊に向けた深い信頼の証であった。
「正直、それは分からない。だが、嘗て和維さんは、自身に倍する岩をも打ち砕くと言われる《無雅》の剛剣を見て、『最も研鑽された美しき技』と読んだ。そして、《奏楽》と《無雅》の秘奥義である二つの秘剣を合わせて、『その性の如く、敵の生命の炎を消し去っても、剛雷の勢いに敵わず』と語り、総司武が誇る瀑布の如き流剣ならば、双流と並ぶだろうと評した。和維さんが《無雅》の本質を見抜き、その秘奥義を語った言葉を信じるならば、《無雅》を極めた存在に敵う者は、京也、お前以外にはいないだろう」
 そう語った榊は、不敵に笑んだ眼差しを京也へと返し、再び言葉を紡いだ。
「京也、お前は先刻、簡単に誰かの生命を切り捨てる決断だけはしたくないと言ったな。師として、その想いが本気である事を信じて良いか?」
 京也は、真剣にして威厳に満ちた榊の問い掛けを、強い覚悟の想いを込めた眼差しで受け止め頷く。
 示されたその意志に満足げに頷き返した榊の表情は、武の信奉者たる者の顔つきとなっていった。
「では、京也。これから私の道場に行き、お前との最後の修練を果たすとしよう。そして、そこでお前のその想いを以って、《奏楽流》の秘奥義、秘剣《水月》を打ち破ってみせろ」
 告げる榊の眼差しには、師が弟子へと向けるそれではなく、剣士が好敵手と認めた剣士へと向ける信頼にも似た熱い想いが存在していた。


 射し込む日差しの強さに気だるさすら覚える昼下がりの道場で、京也と榊は、互いの得物を手に対峙していた。
 既に《ラルグシア》の鞘を払い抜いている京也に対し、榊は、未だ得物である直刃刀を鞘に収めたままであった。
 常と違う榊の構えに京也は、それが《奏楽流》のモノである事を理解する。
「京也、言うまでも無いが焔は本気でやる気だ。だから、お前も本気で行け。真剣勝負で気を抜けば、大怪我だけでは済まないからな、それだけの覚悟をしてやれ」
 《マナ》達と共に見守る立場に身を置く征也は、息子へと気合いを入るべく忠告の言葉を投げ掛けた。
 それに無言で頷いた京也は、目の前に立つ榊から殺気に近い闘志を感じ取っていた。
「準備は良いな、京也」
「はい、何時でも」
 穏やかな口調で確認する榊。
 それに京也は、確かな態度で応える。
 互いに睨み合う両者の瞳には、戦いの炎が烈しい熱となって宿っていた。
 鞘入りの太刀を左肩に乗せる構えを取る榊。
 それに対し、京也は、両手に握った正眼の構えを取った。
「行くぞ!」
 榊は、その一声を気合いに代えると、俊敏な足裁きで一瞬にして間合いを詰める。
 そして、突進の勢いのままに鞘走る太刀を以って、上段斬りを繰り出した。
「ッ!」
 榊が放つ居合いの一撃を目の当たりにした京也の身体は、それを防ぐべく本能的に動いていた。
 自らの頭上に迫り来る刃を受け止めようと、神剣の刃を水平に構える京也。
 しかし、構えた刃に受ける筈の衝撃は、彼の脇腹へと叩き込まれた。
「っ!?」
 京也は、何が起きたのか理解出来ず、唯、苦痛に歪む驚きの表情を浮かべた。
「水面に映る月すら斬る冴えの剣、《水月》。だが、その本質は、寧ろ、掴む事の適わぬ水面の月の姿。幻に惑わされている限り、決して破る事は出来ない」
 自らが放った技の形を語る榊の瞳に、痛みに崩れる身体を神剣で支える京也の姿が映る。
「如何した、京也。お前の本気とは、その程度のモノなのか?」
 膝を付き痛みに耐える京也へと問う榊の眼差しは、非情とも言える冷たい色を宿していた。
「まだ、終わりじゃない!」
 言い放ち立ち上がる京也。
しかし、その身に受けた痛みが未だ消えていない事は、誰の目にも明らかであった。
「そうでなくては困る。私の不完全な技すら破れない様では、《無雅》の剣士の前に、再び敗北を喫するだけだからな」
「不完全・・・?」
 京也は、榊の口から語られたその言葉の意味を噛み締める様に、呟き洩らした。
「ああ、そうだ。私の《水月》が完全な技の冴えを持っていたならば、それを受けたお前の身は無事でなかっただろう」
 自身が受けた技が完全なモノで無いという事実に驚きを隠せない京也に対し、榊は、僅かな感情を持った口調でその言葉の続きを語り始める。
「私は、長鳥剋輝より《奏楽流》の技の全てを伝えられた身ではない。彼の技の全てを知る皆伝者は、私の兄である存在だが、彼は今や行方の知れぬ身だ。その彼が極めた《水月》の技の冴えに比べれば、私の《水月》など、児戯にも劣るモノ。その技を前にして生命を保つ者が存在しえないからこそ、知られる事の無い秘剣と呼べるのだ」
 榊の語るその言葉を真剣な面持ちで聴いていた京也は、そこに抱いた一つの疑問を口にした。
「その知る者の無い秘剣を、何故、久川和維という人間は、知り得たのでしょうか?」
「私も、和維さんと《奏楽》、《無雅》の間にどんな関わりが存在したのか詳しくは知らない。しかし、彼は、確かに二つの流派と対峙し、その技を見知っていた。そして、予見した。何時か《真神武》の流れを受ける者によって、《奏楽》と《無雅》の因縁が断ち切られると。それは恐らく、京也、お前の事なのだろう」
 応える榊の言葉に、京也は、榊が自分に対し抱いた想いの深さを知る。
「俺が、和維さんから託されたのは、背負うのに重いだけの宿命ではなく、それ以上に意味のあるモノだった。そういう事なのですね」
 京也は、呟いたその言葉の中で、もう二度と会う事の叶わない存在より、自分が託されたモノが何であるのかを、少しだけ理解していた。
「京也、和維さんが、お前に何を見て、自分の全てを委ねたのかまでは分からない。しかし、彼がお前という存在を信頼していた事だけは間違いがない。それがお前にとっての宿命だというのならば、お前はそれを受け入れなくてはならない。
宿命とは、そういうモノだ」
 何時に無く真剣過ぎる口調で語る環の言葉に、京也は、彼の久川和維という存在に対する想いの丈を知る。
 そして、それは、環だけに限らず、征也や榊の心にも同じ様に存在している想いであった。
「(俺は、和維さんが託した信頼の想いに報いる為にも、強くならなくてはならないんだ)」
「師匠、否、焔司武。もう一度、手合わせを!」
 京也は、抱いたその想いを胸に自らを奮い立たせる。
 その身体からは、先刻に受けた傷の痛みは既に消えていた。
 京也の示した意思を前に、再び得物を構えた榊は、対峙するその存在に違和を覚える。
「如何したんだ、京也? 手が震えているぞ」
「え・・・っ?」
 訝る様に問う榊の言葉を受け、京也は、自分で気がついていなかったその変調に戸惑っていた。
 誰の目にも異変と映る程に、神剣を握り構える京也の腕は、大きく震えていた。
 それが武者震いと異なる事を、京也が見せる困惑の表情が物語っていた。
「(この震えは、何だ・・・?)」
京也が抱く困惑が焦燥へと変わる中、征也と榊の表情は、それに対する一つの答えによって曇っていた。
 一瞬の躊躇いを示した後、征也は、覚悟を決めてそれを口にする。
「・・・京也、お前が香祥敦真から受けた傷は、私達が考えていた以上に大きかったようだ。そう、致命的な程にな」
「致命的・・・?」
 京也は、征也が言う言葉の意味が分からず、尋ねる視線を返した。
「ああ、今のお前の心には、戦いに対する無意識の懼れが生まれてしまっているんだ。それも剣士として致命的なまでに深い懼れがな」
 苦しそうに吐き出されたその言葉に、京也は、それが深刻な事であると理解させられる。
「それは仕方の無い事なのかも知れませんね」
 そう口にして榊は、京也へと憐憫の眼差しを向けた。
「京也、〈カイザー〉との決着は、私と《Lord‐Knights》で着ける。だから、お前はしっかりと心を休めるんだ」
「何を・・・、俺は戦えます!」
 京也は、食い下がる様に言い放ち、《ラルグシア》を構え直した。
 その姿を見た榊は、無言のままに手にした太刀を一閃する。
 絞られ眼前で寸止めされた横薙ぎの刃に目を見張る京也の手から、神剣が足元の床へと転がり落ちた。
「っ!?」
「そういう事だ。無理をするな、京也」
 驚き呆然とする京也に、榊は、殺気を解いた穏やかな視線を投げ掛けてそう告げた。
『待ってください。京也なら、どんな懼れも必ず克服出来ます。だから・・・っ!』
 京也を想い、見ていられずに詰め寄ろうとする《マナ》を、万理亜が無言で制止する。
「その事は、ここにいる誰もが分かっています。しかし、我々には、それを許す時間が無いんです」
 その征也の考えを肯定する様に、榊達は沈黙を守っていた。
「京也、辛いと思うが今は受け入れてくれ」
 告げられたその言葉に京也は黙って頷くと、俯いたまま足元に転がる神剣を拾い上げる。
 そして、その場から去る為に歩き出した。
『待って、京也!』
 京也は、呼び止める《マナ》の声に一瞬、その足を止めて僅かに身を震わせると、振り返る事無く再び歩き出した。
『京也・・・』
 《マナ》は震える様な声で呟くと、背を向けて出て行く京也を追い掛ける。
「器である肉体へと受けた死に至る傷が、その魂に刻み込まれた冷たい死の記憶を甦らせたか・・・。死に凍える魂を癒せる存在が在るとすれば、それは、同じ痛みを知る者のみ。これが彼の運命が望む導きなのか・・・」
 環の口から紡ぎ出されたその言葉を聞く者は無く、そして、それを聞いてそこに在る意味を理解する者も又、世界に存在してはいなかった。

あし@

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